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_schillasalに関するo_keke_nigelのブックマーク (2)

  • りんり淋漓と天上大風 - Oblivion? Oblivion!

    http://d.hatena.ne.jp/schillasal/20050829 ぼくとしては単純に言葉の定義の違いだけの問題とは考えていません。 つまり、どういう説得をしようと、「だからなぜそうしなければならないのか?」と常に問うことはできるわけです。 ぼくは、倫理を除きます、という文言というよりは、寄せられた回答に対する態度からして、この「だからといってなぜそうしなければならないのか」と原理的には常に問い返しうる、ということへの軽視あるいは無視がある、と考えたわけです。 なるほど、現実的な他者は、原理的につねに問い返しうるからといってつねには問い返さないわけです。つまり、実際にはまだ問う余地があるところで、なぜか現実的な他者は納得してしまうわけです。 で、もしも質問が、そういう現実的な他者を説得する論理を問う、ということなら、そもそも、普遍的な答えなんかないし、答えの間に優劣もないわ

    りんり淋漓と天上大風 - Oblivion? Oblivion!
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/11/17
    「なぜころ」への回答。「相対主義」の正しい意味でのサンプル…かな。
  • それぞれの知の枠 - しらざるをしる日々

    「で、みちアキはどうするの?」 - 反応 あー! 公案ですよ公案! 昨日の entry 「倫理・宗教・法律・殺人」で私が知的遊戯と言ったとき「なーんか沢山あるよなあ…? 知的遊戯で世間に莫迦にされないようなやつ…?」と引っかかりつつ何も浮かばなかったんですが、公案てそれに嵌まるんじゃないかと。いや、修行なんだから遊戯って言っちゃ怒られるのかも知れないけど、遊戯と修行が重なる場合があっても別におかしくないでしょう。一問一問に意味は無くとも*1、それが何か精神的成長に繋がる。あの質問もそれだと思うんですよ。だから、あれをそんなこととおっしゃるのであれば、公案もそんなことだよなあ、と。 他人の出した答えは、わたしには単なる知識に過ぎません。それらのヒントを集めて、もう一度自分の頭で考え直し、納得して自分の答えを出すこと。知識を知恵にすること。これがわたしのやりたいことです。それが、どこかの偉い哲

    それぞれの知の枠 - しらざるをしる日々
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/11/17
    「なぜころ」への反応。はともかくとして「おもひて まなばざれば すなわち あやうし」…には私も気を付けたい。
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