ひとは誰かに選択を迫られうる。しかし、選択肢を事柄に迫られるのと、他者に迫られるのでは、実はおのずと違いがある。 ひとが何者であるかを自ら示すのは、いかなる選択肢を選ぶかによってでは、実はない。ひとが、自らを何者かとしてあらわすのは、いかなる選択肢を状況の中に見出すかによってである。 だから、与えられた選択肢のなから選択した段階で、いかなる苦悩や思慮がそこに加わっていようと、わたしたちはその選択肢を提示した他者に従属しているのだ。どちらを選ぼうとも、それはある意味で選択肢の作成の時点に織り込まれている。 どんな選択肢にでも、じつは暗黙の選択がすでに書き込まれている。だから、ひとは本当の意味で自らの行為を、与えられた選択肢から選ぶという形では、決定することはない。ひとが決断したのは、じつは、その選択肢のなから選択するときめたときだったのである。 たとえば完全に中性的な、きみは右に曲がるか左に