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2006年11月17日のブックマーク (6件)

  • タミフルを普通の人にどんどん処方しているのは日本の医者だけ

    今日の夕方のニュース(Seattle King5)を見ていたら、日で副作用らしき事例が多発しているタミフルに関する議論がFDA(Food and Drug Admistration office)で活発化しているという。ここ十ヶ月で100件以上の副作用らしき症例の報告があり(そのほとんどすべてが日)、タミフルの説明書にこの副作用のことを言及すべき、との報告が出たらしい。 タミフルは、スイスのロシュ社が製造するインフルエンザの特効薬だが、日以外の国では「万が一、鳥インフルエンザが人から人への感染能力を持ってしまった場合に使うために備蓄しておくべき特効薬」との扱いであり、健康体の人がインフルエンザにかかった時にやたらと処方したりはするものではない。King5ニュースによれば、日でのタミフルの一人あたりの消費量は、米国の20倍以上だそうである。つまり、日だけで副作用事例が多発しているの

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/11/17
    数字は嘘を付かないが数字に誤認識の片棒を担がせることはできる、というサンプル。
  • ソビエト型社会主義と、アメリカン・ドリームの共通点は、英雄を必要とすることだ。セルフ・ヘルプ、意志と努力の人、なるほど、彼や彼女は立派だ。しかし、英雄の存在は英雄の切り抜

    http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060727/1153958256 こういう言論の問題は、工夫する能力そのものが、環境次第で容易に欠損しうるということへの想像力がないことだ。工夫しさえすればよい。そのとおり。問題は、工夫する能力こそが物質的情況によって、まずはじめに失われるものだということだ。すべて、こういう議論は、ワーキング・プア関係でもそうだが、物質的情況は、精神を犯さないという前提がある。がんばる能力、工夫する能力こそが、物質的支援を何よりも必要とする、いちばん容易に喪失されるものなのだ。工夫できないということは、工夫しない、工夫したくないということではない。そのような読み替えこそが、つねに叱責の回路を可能にする。競争に伍せないということの、源泉の大きなもの、それは物質的リソース、手札の不足と同時に(とは

    ソビエト型社会主義と、アメリカン・ドリームの共通点は、英雄を必要とすることだ。セルフ・ヘルプ、意志と努力の人、なるほど、彼や彼女は立派だ。しかし、英雄の存在は英雄の切り抜
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/11/17
    はてブのコメント欄でシャドーボクシングをしてる人が若干。jouno氏は「個人の努力や意志の力」それ自体を否定しているわけではない。
  • メディアリテラシー、あるいは解釈の優劣を競うことのむなしさ - Oblivion? Oblivion!

    http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/20060725#1153746892 メディア・リテラシーについては以前書いた。 http://d.hatena.ne.jp/jouno/20041206/1102344331 今読み返すと、かなり読みにくい文体で、いろいろ考えが変わっているところもある。(教育の必要、とか)しかし、あの頃から、メディアリテラシーを唱えることに感じる胡散臭さというのは、少しも変わっていない。そこで、改めて、いったいぜんたい、何故、安易なメディアリテラシー意識が、結果として、読み手が、自分の解釈で、テキストを好き勝手に判断してよい、テキストを尊重しなくていい、という陰謀論的な方向に向かってしまうのか、ということを考えてみた。 第一に、そして最終的に、基にあるのは、われわれは、判断せざるを得ない、ということがある。メディアリテラシーは、少

    メディアリテラシー、あるいは解釈の優劣を競うことのむなしさ - Oblivion? Oblivion!
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/11/17
    他者のリテラシを声高に問う者の陥る罠、あるいは「相対主義」の罠に陥ってジャイアンショーをやってしまう構造について。
  • りんり淋漓と天上大風 - Oblivion? Oblivion!

    http://d.hatena.ne.jp/schillasal/20050829 ぼくとしては単純に言葉の定義の違いだけの問題とは考えていません。 つまり、どういう説得をしようと、「だからなぜそうしなければならないのか?」と常に問うことはできるわけです。 ぼくは、倫理を除きます、という文言というよりは、寄せられた回答に対する態度からして、この「だからといってなぜそうしなければならないのか」と原理的には常に問い返しうる、ということへの軽視あるいは無視がある、と考えたわけです。 なるほど、現実的な他者は、原理的につねに問い返しうるからといってつねには問い返さないわけです。つまり、実際にはまだ問う余地があるところで、なぜか現実的な他者は納得してしまうわけです。 で、もしも質問が、そういう現実的な他者を説得する論理を問う、ということなら、そもそも、普遍的な答えなんかないし、答えの間に優劣もないわ

    りんり淋漓と天上大風 - Oblivion? Oblivion!
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/11/17
    「なぜころ」への回答。「相対主義」の正しい意味でのサンプル…かな。
  • それぞれの知の枠 - しらざるをしる日々

    「で、みちアキはどうするの?」 - 反応 あー! 公案ですよ公案! 昨日の entry 「倫理・宗教・法律・殺人」で私が知的遊戯と言ったとき「なーんか沢山あるよなあ…? 知的遊戯で世間に莫迦にされないようなやつ…?」と引っかかりつつ何も浮かばなかったんですが、公案てそれに嵌まるんじゃないかと。いや、修行なんだから遊戯って言っちゃ怒られるのかも知れないけど、遊戯と修行が重なる場合があっても別におかしくないでしょう。一問一問に意味は無くとも*1、それが何か精神的成長に繋がる。あの質問もそれだと思うんですよ。だから、あれをそんなこととおっしゃるのであれば、公案もそんなことだよなあ、と。 他人の出した答えは、わたしには単なる知識に過ぎません。それらのヒントを集めて、もう一度自分の頭で考え直し、納得して自分の答えを出すこと。知識を知恵にすること。これがわたしのやりたいことです。それが、どこかの偉い哲

    それぞれの知の枠 - しらざるをしる日々
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/11/17
    「なぜころ」への反応。はともかくとして「おもひて まなばざれば すなわち あやうし」…には私も気を付けたい。
  • 2005-08-29

    id:itkzさんが、件の質問について反応してくださってます(『躁断層』2005/8/20の記事)。記事自体は、ちょっと読んで、わたしには役に立たない内容だと感じたのでほぼ読み飛ばしてます。最後の方だけ少し読みましたが。その後、ここの8/18の記事(みーんな倫理とかすきナー)に、こんなブックマークが付いてるのを見つけました。 # 2005年08月25日 itkz 『[やべー][うんこ]おいおい、23の回答者(http://www.hatena.ne.jp/1124114353#a23)他いろんな人に失礼だと思わないのですかこの野郎このー!』 さらに、メールチェックしてなくて気づかなかったのですが、投げ銭まで送られてました。 ポイント送信明細 〜〜〜〜〜〜〜〜 ポイント送信者: itkz ポイント受取者: michiaki 送信ポイント : 1ポイント コメント 〜〜〜〜 あんまりだと思い

    2005-08-29