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ブックマーク / emerose.hatenablog.com (34)

  • 妊娠する権利 Kennedy (2024) - えめばら園

    https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/bioe.13260 Kennedy, S. (2024). Ectogenesis and the value of gestational ties. Bioethics [Early View]. https://doi.org/10.1111/bioe.13260 序 近年、新生児集中治療のために、部分的体外発生技術の開発が進んでいる。 ただし、関連する倫理的議論の射程はより広い。とくに生殖の自由について、体外発生賛成派はこの自由が増進されると主張するが、逆に反対派は自由が低減されると主張する。 論文の目的は〔「妊娠する権利」の確立によって懸念を低減することにより、〕この両者を調停することにある。 体外生殖が家父長主義を永続させるという懸念 体外生殖は、妊娠、代理出産、子宮移植に代わりうるため

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    o_secchan 2024/05/07
  • 人工知能による達成とその価値 Kieval (2024) - えめばら園

    academic.oup.com Kieval, P. H. (2024). Artificial achievements. Analysis, 84(1): 32–41. https://doi.org/10.1093/analys/anad052 【要約】 ・AlphaGoのような人工知能による達成(achievements)は、「達成とは何か」に関する近年の哲学的理論の観点から見ても、まさにAIシステムそれ自身の達成だと言える。 ・通常、達成の価値は、その過程で人間固有の能力が発揮されるという点に求められる。 ・この場合、人工知能は人間ではないので、人工知能による達成は「無価値の達成」だということになる。 ・人工知能の能力についての理解が進むことは、その達成の価値についての議論をも深めると考えられる。 序 AlphaGoのような人工知能による達成(achievements)は、誰の

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    o_secchan 2024/02/16
  • 良心的ワクチン拒否 Clarke, Giubilini, & Walker (2017) - えめばら園

    https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/bioe.12326 Clarke, S., Giubilini, A. and Walker, M.J. (2017), Conscientious Objection to Vaccination. Bioethics, 31: 155-161. https://doi.org/10.1111/bioe.12326 1. 序 論文は次の2つの問いのみを扱う。 (1) 人は、伝染病に対するワクチン接種について、良心的に拒否する権利を持つべきかどうか (2) もし持つべきである場合、良心的拒否にはどのような制約や要件があるか 良心的ワクチン拒否は、良心的兵役拒否に比べてほとんど議論されていない。 そこで論文では、良心的兵役拒否と良心的ワクチン拒否のアナロジーを検討する。 論の主張: 良心

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  • 種差別とヒト培養肉 Milburn (2016) - えめばら園

    link.springer.com Milburn, J. (2016). Chewing Over In Vitro Meat: Animal Ethics, Cannibalism and Social Progress. Res Publica 22: 249–265. https://doi.org/10.1007/s11158-016-9331-4 培養肉は、畜産による動物の死と苦痛の問題を解決するように見える。 しかし、こうした動物の問題を考慮する立場からも、培養肉への懸念が表明される場合がある。 このタイプの反論のうち以下のものは、動物の利害にかんする十分な理解や、動物の十分な保護があれば、克服可能である(pp, 252–256)。 (1) 培養肉は、人間にとって肉をべることは自然・必要・普通であるといった誤った信念を強化してしまう (2) 培養肉の作製過程で必要なドナー動

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  • 胎児の痛み Derbyshire & Bockmann (2020) - えめばら園

    jme.bmj.com Derbyshire, S. W. and Bockmann, J. C. (2020). Reconsidering fetal pain. Journal of Medical Ethics, 46:3-6. 【このブログ内の関連記事】 emerose.hatenablog.com 序論 1983年、レーガン大統領が、胎児が「痛みに反応する」可能性に言及したのを皮切りに、複数の文脈でこの可能性が指摘されるようになった。近年では、胎児の痛みの可能性は中絶論争に巻き込まれており、中絶を規制しようとするアメリカのいくつかの法律で、この可能性が引き合いに出されている。著者2人は、中絶についてまったく異なる見解を持つ。だがこうした道徳的見解が、胎児の痛みの可能性にかんする議論に干渉してはならないと考えている。 比較的リベラルな中絶関連法をもつ高所得国では、90%以上の中絶

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  • 倫理ハイプ:ELSI研究の誇張 Caulfield (2016) - えめばら園

    https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/hast.612 Timothy Caulfield (2016). Ethics Hype? Hastings Center Report, 46(4): 13–16. https://doi.org/10.1002/hast.612 「科学ハイプ」(science hype) –– 研究結果の価値や近未来の応用可能性を誇張する傾向 –– に対する懸念が近年増加している。科学ハイプの問題点としては、市民を誤解させる、分野の長期的な正統性を損なう、理想的でない資金分配が起こる、技術が未熟なまま実装される、市民からの信頼が失われる、患者に害を与える、などが指摘される。こうした危害が当に生じるのかどうかについてはさらなるデータが必要だが(誇張の懸念を誇張しないように!)、継続的な科学ハイプが問題だ

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  • 現象的意識と道徳的地位の関係 Shepherd (2022) - えめばら園

    https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/21507740.2022.2148770 Shepherd J. (2022). Non-human moral status: problems with phenomenal consciousness. AJOB Neuroscience, 1–10. Advance online publication. https://doi.org/10.1080/21507740.2022.2148770 マッピング 現象的意識と道徳的地位の関係について、6つの立場を分類することができる。〔要約者注:以下、「意識」は現象的意識を指す〕 1: 意識は道徳的地位の必要条件である。だが、十分条件ではない。 意識に加えて、より高次の認知能力が必要とする立場や、有感性(快・不快を感じる能力)を必要とする立場など

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  • 機械の中の幽霊(ライル『心の概念』書評) Mace (1949) - えめばら園

    Cecil Alec Mace (1949), "Review: Ryle, G., The Concept of Mind", Listener, 42, p. 1015. 以下は上記書評の翻訳です。 ◇   ◇   ◇ 機械の中の幽霊 ギルバート・ライル『心の概念』、ハチンソン、12シリング6ペンス オックスフォード大学の形而上学的哲学ウェインフリート教授によって書かれた書は、「機械の中の幽霊」という名の奇妙な物語の最終回として読まれるべき一冊だ。この回で、「物」(Thing)は祓い清められることになる。この結末を理解するためには、まずストーリーがどう始まったのかを思い出さなければならない。 いま中高年の人々は、人間は二つの部分からなると教え育てられてきた。この二部分は、日曜には「肉」(The Flesh)と「霊」(The Spirit)と呼ばれ、他の日には「体」(Body)と「心」

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  • 二重過程理論と単一過程理論の論争の不毛さについて De Neys (2021) - えめばら園

    journals.sagepub.com De Neys W. (2021), On Dual- and Single-Process Models of Thinking. Perspectives on Psychological Science. 序 事前の注意 第1部 両モデルに関する議論 1. 特徴の連携 2. 定義的特徴 a. ワーキングメモリ b. 認知的分離・心的シミュレーション c. 自律性 小括 3. 基準S 4. 倹約 5. 科学的誤情報論法 第2部 論争の不毛さについて 1. この論争は非経験的である 2. この論争はどうでもよい 結論:先に進むとき 序 明らかな事実として、思考には簡単なものと難しいものがある。このことを説明するのに、人間の心には二種類の質的に異なる心理過程(直観・熟慮)があるとするのが「二重過程モデル」だ。このモデルは極めて人気が高いが、批判もあ

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    o_secchan 2021/07/29
  • 遷延性植物状態と最小意識状態で治療停止の是非は異なるか? Wilkinson & Savulescu (2013) - えめばら園

    jme.bmj.com Dominic Wilkinson & Julian Savulescu, (2013), "Is It Better to be Minimally Conscious than Vegetative?", Journal of Medical Ethics, 39(9), pp. 557–558. ある患者に対する人工栄養補給停止の是非が争われた裁判のなかで、患者が遷延性植物状態(PVS)ではなく最小意識状態(MCS)であったことを根拠に、栄養補給を続けるべきだったという判断が下された。しかしこのようにPVSとMCSを区別する根拠は、以下のようにどれも十分なものではない。 (1) 予後の良さ いくつかの研究によれば、PVSはMCSと比べて確かに予後がよい。しかし、状態改善が見られるMCS患者の割合や回復の度合いには限界があるのも事実だ。したがってこの論点から言え

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    o_secchan 2021/07/12
  • 遷延性植物状態と無動無言状態の類似性 Davies and Levy (2016) - えめばら園

    Finding Consciousness: The Neuroscience, Ethics, and Law of Severe Brain Damage (Oxford Series in Neuroscience, Law, and Philosophy) (English Edition) 作者:Sinnott-Armstrong, WalterOxford University PressAmazon Walter Sinnott-Armstrong (ed.), Finding Consciousness: The Neuroscience, Ethics, and Law of Severe Brain Damage. Oxford University Press 8. Will Davies & Neil Levy, Persistent Vegetative Stat

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    o_secchan 2021/07/05
  • 脳オルガノイド倫理に意識の一般理論は必要か? Shepherd (2018) - えめばら園

    jme.bmj.com Joshua Shepherd (2018), Ethical (and Epistemological) Issues regarding Consciousness in Cerebral Organoids, Journal of Medical Ethics, 44(9): 611–612. 脳オルガノイドにかんする倫理的な問題は、オルガノイドに(どのような)意識があるかを確定するという認識論的問題と切り離せない。この点についてLavazza & Massimini (2018) は、意識の一般理論の必要性を強調している。しかし、そうした「理論」は当に必要なのだろうか。 現在、哲学者のあいだでも科学者のあいだでも、様々な意識の理論が対立している。各理論の細かな違いは、将来オルガノイドの発達の操作の制度がより上昇したとき、道徳的により重要になるかもしれない。

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    o_secchan 2021/06/20
  • 道徳主義者は道徳共同体を破壊する Archer (2017) - えめばら園

    https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/rati.12168 Alfred Archer (2017) The Problem with Moralism. Ratio, 31(3), pp. 342–350. 道徳主義(Moralism)には大きく2つの特徴が指摘されてきた。1点目は他人に対して不寛容・非共感的な道徳判断を下すこと、もう1点は必要ないところで道徳判断を行うことだ。いずれの場合にも、道徳主義者は道徳的批判が適切である範囲を過剰に拡大している。 こうした不適当な道徳的批判は様々な場合に生じうる。(i)超義務的な行為を要求する場合、(ii)道徳と無関係な行為を道徳的に要求する場合〔過剰な道徳化〕、(iii)悪い行為をしたが弁解(excuse)の余地がある人を批判する場合、さらに、(iv)悪い行為をしており弁解の余地もない

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    o_secchan 2020/12/20
  • 道徳主義と道徳 Fullinwider (2005) - えめばら園

    https://www.jstor.org/stable/24354874 Robert K. Fullinwider (2005) On Moralism. Journal of Applied Philosophy, 22 (2), pp. 105–120. ディケンズの『マーティン・チャズルウィット』に登場するペックスニフをモデルにすると、「道徳主義者」(Moralist)は次のように特徴付けられる。 公然と道徳的判断を行う それを行う資格(prerogative)があると思いこんでいる 判断の背後には、自分は清廉潔白だという強い意識がある 他人に下した非難を自分自身には当てはめない(偽善) 道徳主義者はまずもって「裁きたがり」(judgementalism)なのだ。なぜ裁きたがりは良くないのか。一つには、他人を不当に悪く扱うことにつながるからだ。他人の文脈や動機を理解するのは難しい

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  • 人を殺すことは悪くない。まったく何もできない状態にするのが悪い Sinnott-Armstrong & Miller (2013) - えめばら園

    jme.bmj.com Walter Sinnott-Armstrong & Franklin G. Miller (2013), “What Makes Killing Wrong,” Journal of Medical Ethics, 39, 3–7. 問題 AがBを銃で撃って殺した時、なぜAの行為は悪いのか? AはBに危害を加えた(harm)からだ。しかし、どういうタイプの危害なのか。 「死」 or 「全面無能力」(Total Disability: あらゆる行為能力を不可逆的に失った状態のこと) 死は全面無能力を含意するが、逆は成り立たない。 著者の見解 Aの悪さは、全面無能力によって完全に説明される。 全面無能力状態にあるほうが、死よりマシ(better off)だなんてことがあるのか? いや、ない(直観的に考えて) ※全面無能力の人は、経験は持つが、それは苦でも快でもないもの

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  • 錯誤理論支持者は功利主義を支持すべきである Jaquet (2020) - えめばら園

    https://link.springer.com/article/10.1007/s10892-020-09339-x François Jaquet (2020) Utilitarianism for the Error Theorist, Journal of Ethics, 近年、道徳的命題に関する錯誤理論が人気を集めている。近年の錯誤理論は次のように主張する。すべての基礎的な道徳的命題は、対応する定言的な理由の存在を含意する。しかしすべての理由は仮言的である。従って、それら命題はすべて偽である。 錯誤理論は、いわゆる「どうすればいいの問題(now-what problem)」(Lutz 2014)を提起する。つまり錯誤理論が正しいとして、私たちの道徳実践はどのようにすればいいのだろうか。これに対する既存の回答は5種類に分けられる 1. 廃絶論: 道徳的信念はすべて廃絶すべき Hi

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  • ヒュームの人種差別 Immerwahr (1992) - えめばら園

    https://www.jstor.org/stable/2709889?seq=1 John Immerwahr (1992). Hume's Revised Racism. Journal of the History of Ideas, 53 (3): 481-486. デイヴィッド・ヒュームは、一般には偏見や不寛容と戦った哲学者として知られているが、人種差別の擁護者でもあった。 ヒュームの人種差別は、エッセイ「国民性について」(On National Characters)に1753年に付け加えられた次の注により知られている。 わたしは、黒人と一般に他の人間種のすべて(4つか5つの異なる種が存在している)が生まれながらに白人より劣っていると思っている。白人以外に、どんな他の肌の色を持つ文明化された民族もまったく存在しなかったし、行動であれ思弁であれ、卓越した個人でさ

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    o_secchan 2020/07/14
  • 知識の理論における系譜学的方法 Kusch & McKenna (2018) - えめばら園

    https://link.springer.com/article/10.1007/s11229-018-1675-1 Martin Kusch & Robin McKenna (2018). The Genealogical Method in Epistemology. Synthese, 197(3): 1057–1076. 1 序論 この論文は、クライグ(Edward Craig)が『知識と自然状態』(1990) で用いた哲学の方法について論じる。この方法は、「自然状態認識論」(state-of-nature epistemology)、「概念総合」(conceptual synthesis)、「機能ファースト認識論」(function-first epistemology)、「実践的解明」(practical explication)など様々な呼ばれかたをしているが、論では「系

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    o_secchan 2020/04/04
  • 悪意を考慮してデザインする責任 Kemper (2004)  - えめばら園

    https://link.springer.com/article/10.1007/s11948-004-0026-4 Bart Kemper (2004). Evil intent and design responsibility. Science and Engineering Ethics, 10(2), pp 303–309. 近年問題となっている大量破壊兵器による攻撃およびその懸念は、兵器としてデザインされた対象にかかわるものではなく、むしろ良性の対象を悪意をもって使用することにかかわっている。 たとえば、イラク戦争の際には、イラク軍が油田の開口装置を開け放つことで致死性の高濃度硫化水素ガスを発生させるという危険性が懸念された。装置を開けるのに技術はほぼ必要なく、たった一つの開口装置が開いただけでも大きな脅威となる。オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件では、レンタカーと肥料(硝

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    o_secchan 2019/09/28
  • 強化学習によって獲得された外的対象を求める欲求の合理性 Crocker (1974) - えめばら園

    https://www.jstor.org/stable/3327180 Lawrence Crocker (1974). Egoistic Hedonism. Analysis, 36(4): 168-176. 次の2つのテーゼを検討する。 (P)全ての目的欲求はS欲求(意識状態を対象とする目的欲求)だ (E)O欲求(S欲求ではない目的欲求)の実現のためにコストを〔わずかでも〕支払うのは不合理だ (P)は、ありふれた欲求によって反証されているように見える。例えば、アイスクリームをたべたいという欲求は、アイスクリームをべること(意識状態ではない)を対象としているのではないか。しかしアイスクリームをべることは、その味経験を得るための手段として欲されているにすぎないのかもしれない。後者の解釈を退けるには、物のアイスから得られる経験とシミュレーションで得られる経験を比較し、前者がより欲され

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    o_secchan 2019/09/04