学習院大学国際社会学部の卒業生代表による謝辞が話題になっている。 www.univ.gakushuin.ac.jp 話題になっているのは上のリンクの謝辞①のほうで、一部では「ロックだ」と褒める声も散見される。僕も読んでみたが、正直なところ、かなり違和感を覚えた。少なくとも、僕には到底「ロック」なものには思えず、むしろこの謝辞の背後に隠れている価値観のひとつは老害的ですらあると思う。 勘違いされそうなので少し詳しく書いておきたいのだが、僕は決して「謝辞なのに誰にも感謝をしていない」という点を問題だと思っているわけではない。むしろ「感謝する相手なんて思いつかない、強いて挙げるなら自分自身だ」という主張だけ取り出すなら、これはまあひとつの主張として成立はすると思う。たとえば、この人が「謝辞の挨拶になると、誰もが本当は感謝なんてしてない人に対しても上辺だけは感謝の言葉を述べる。それは茶番だ、こんな
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