2001年9月9日 日曜礼拝メッセージ 新約聖書ルカ12章13〜34節より 牧師 吉田耕三 先週、私達が正しく信仰の生涯を歩むために気を付けつけるべき心の一つが“偽善”であると学びました。今週は“偽善”と同じ様に私達の信仰を台無しにするものとして、“貪欲”と“心配”について学びたいと思います。 「群集の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように兄弟に話してください。」と言った。すると主は彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、そのいのちは財産にあるのではないからです。」(13〜15節) 財産の問題には根深いものがあります。「子孫に美田を残さず」と言います。私が生れ育った所も土地を持っている人がおられ、それまでは仲良く暮らしていた家族が、遺産相続を
すべてが資本として数値化される社会 人間そのものが"資本"として扱われる社会。フツーに就職し、フツーに生活しているなかでも僕らの労働力には値段がつく。。。およそ全てのものがモノと同じように扱われ、どこまでも利益を追求することが意義とされる社会。。。際限なく続く利益追求は僕らをどこまで連れて行くんだろう?僕が就職した企業では、毎シーズンごとに達成目標が掲げられていた。今期の頑張りや達成度とは別に、来期の達成目標はほぼ機械的に前期の利益に上乗せされた目標値が掲げられる。おそらくどこの企業でもだいたい同じようなものですよね?利益を生むことが存在理由と断言される企業組織では、利益は常に右肩上がりであることが求められる。。。横ばいでもなく、常に成長が求められる。利益を捻出し続けることはとても大変。それでも利益はあらゆるところから捻出され続けなければならないのですものね。全ての企業が常に成長し続けるこ
2009年、金融危機の影響が一段と広がるなか、世界の経済と資本主義の在り方は歴史的な転換点を迎えようとしている。直接の契機と位置付けられる前年来の金融危機自体は、米国のサブプライム問題という局所的な障害の帰結に過ぎない。しかし、その問題が世界的な危機にまでエスカレートしてきたという現実をとらえて、金融ビジネスの膨張と暴走だけにとどまらず、それを許してきた従来の資本主義の在り方や経済発展の様式に対してまで、非難と反省が高まってきている。現状に対する非難の高まりは、個人や企業の行動パターンと各国政府の政策運営の変化を通じて、世界の経済システム全体の大幅な変容にもつながる。本稿では、金融危機から脱却した後の世界の行方を見据えるために、これから想定される経済と資本主義の変容の方向性を描き出してみたい。 1.「市場の時代」の潮流 これからの変化を考えるうえでは、現在の経済の何が問題であるのか、また、
先月、「Everyone a Changemaker―世界を変える社会イノベーション―」というシンポジウムが開催された。趣旨は題名の通り、各自が“チェンジメーカー”になって、それぞれのできる範囲で社会を良い方向に変えていこうというものだ。今回はこのシンポジウムを振り返りながら、変質しつつある日本の「勤勉さ」について改めて考えてみたい。 筆者はこのシンポジウムの開催に関与している。告知後、2日足らずで参加申し込みが殺到し、300人以上の会場が満席になってしまった。正直なところ驚嘆している。しかも、そのほとんどは20歳代、30歳代の若い世代である。社会イノベーション、社会起業家、社会的企業というテーマは、若い世代を惹きつけるようだ(ちなみにこのシンポジウムに参加した人々がTwitterで自主的に感想や意見を言い合って共有している。Twitterのハッシュタグは#titchange、#socen
「日本人は勤勉さを失いつつあるのかもしれない。勤勉さを礎とした、高度成長時代からの社会制度は、このままでは立ち行かなくなる」と多くの人が考えているようだ。そこで今回は、「勤勉」の現状と未来を見立てることによって、日本資本主義の今後の姿を占ってみたい。 筆者は海外で、よくこんなことを言われた。 「日本人はじっと耐えて、脇目もふらず一生懸命がんばる」 「日本人同士集って本気を出すと、他の国の人々はかなわない」 「日本人の勤勉さが、あの高度経済成長を支えてきたのですね」 要するに、日本人は勤勉だというのである。前回の「どうした? 勤勉の倫理と日本的資本主義の精神」で見たように、日本人の勤勉さはある種、歴史・文化に刷り込まれてきたものであり、その行動様式は社会や経済のあり方と無関係ではない。むしろ、勤勉の精神が社会や経済のあり方を支えてきたと言ってよいだろう。 そう思っていた矢先の2008年に、い
リアリティのある未来社会 現代版ユートピア資本主義の優位性 株式会社制度は、銀行や証券市場などを通して国内や海外から広範囲に資本を募ることによって、巨大企業を誕生させた。こうして多くの市民が資本家の一翼を担うことになった。資本主義社会は大金持ちなどの特権階級だけの社会システムでなく、市民社会の仕組みへと変貌した。能力さえあれば、一介の労働者から身を起こして、金持ちになることも夢ではなくなった。 帝国主義という言葉は、国家資本主義の代名詞のように使われることがあるが、帝国主義者や国家社会主義者達は資本家の利害だけを代弁しているのではない。資本家、地主、労働者、農民などの利害を統合するものとして、階級対立を縫合する超然とした権力として登場したものである。ヒトラー、ムッソリーニ、日本の帝国主義者、イラクのサダム・フセインも資本家の代弁者ではない。従って、帝国主義者や国家社会主義者は資本家と対
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