江戸に関するonboumaruのブックマーク (58)

  • 焼き場の妖異が我をたばかる | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 遠きいにしえより、我が朝におきましては。 辻占(つじうら)だの、橋占(はしうら)だの。 そういったものをよく行います。 夜明け前や黄昏時ナド、薄暗く寂しい頃合いに。 四ツ辻や橋のたもとにひとり立ちまして。 行き交う人々の言葉にじっと耳を傾ける。 そうして事の吉兆を占うものでございます。 かの平清盛の娘が身籠ったときも。 母の時子が一条戻橋へ出かけまして。 橋占を行ったトもうします。 そのとき通りかかった童たちの言葉の中に。 「国王」トあったのを耳にいたしますト。 生まれてくる子は天子様になるに違いないト。 大いに安堵いたしたそうでございますが。 これが後の安徳帝なのだから、占いも侮れませんナ。 ところで、どうしてそんなところで占うのかト申しますト。 人通りの繁しい場所は、霊力も強かろうト考えたからで。 人ならぬ霊異が人の口を借りて。 神の意を語り示すトいうのでござい

    焼き場の妖異が我をたばかる | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
  • 我が背子、夢を覗かれよかし | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 播州は室津、室の泊まりト申しますト。 古くヨリ栄えた湊町でございまして。 また、我が朝の遊女の始まりの地トモ申します。 平安の昔、木曾義仲の愛妾、山吹御前が。 義仲亡き後、この室津の町へ流れ着くや。 友君ト名乗り、評判の「うかれめ」トなったトいう。 これが室津の遊女の起こりでございまして。 以来、この地第一の遊女を「室君」トカ申します。 さて、時代は下り、戦国の世。 周防の大名、大内義隆のその家中に。 浜田与兵衛ト申す剛の者がございましたが。 ある時、この室津の町に立ち寄りますト。 少し変わった女ト巡りあった。 名を但馬(たじま)ト申しまして。 年の頃は十六、七。 滑り落ちそうな撫で肩に。 触れれば折れそうな柳腰。 実に頼りのない女でございますが。 顔貌(かおかたち)はいと麗しく。 琴を奏でれば妙なる調べ。 舞えば天女のたおやかさ。 歌を詠めば小町もかくやの才覚で。

    我が背子、夢を覗かれよかし | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2019/12/23
    浅井了意「伽婢子」より
  • 葛飾北斎 ―画狂老人は一処に安住せず― | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    KATSUSHIKA HOKUSAI 転居93回、改号30回。北斎は当に奇人だったのか 欧米での信仰的とも言える評価に反して、日での北斎評はまず「奇人」である。 そのイメージは、飯島虚心の著した明治期の評伝「葛飾北斎伝」によるところが大きい。 序文にはっきりと「画工北斎畸人也」とあり、また家の中はごみまみれで、ために93回も転居したとある。 どうやら、絵を描くこと以外はまるで無関心だったようだ。 無愛想で人付き合いが悪く、金には無頓着だった。 掛取りが来ると、机の上に置きっ放しだった画工料を、包みのままどんと投げてよこしたという。 それでもっていかないといけないから、一説では己の画号を弟子に譲って金に変えた。 それが30回という異常な改号の多さにつながったともいう。 (※クリックで拡大します) 晩年の弟子露木為一による「北斎仮宅之図」 虚心が露木から提供されたもの (左の女性は娘のお

    葛飾北斎 ―画狂老人は一処に安住せず― | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
  • 杏生と二人のお貞 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 越後国は新潟湊に、若い医者がおりまして。 名を長尾杏生(ながおきょうせい)ト申しましたが。 これが目鼻立ちの整った好男子でございます。 年は二十歳を過ぎたばかりながら。 洒落っ気もあれば、品性も良い。 女たちの注目を一身に集めておりました。 ある時、トある妓楼に呼ばれて参りますト。 芸者がひとり床に臥せっている。 名をお貞(てい)ト申しまして。 長らく気を患っているトいう。 「お医者さん」 「どうしました」 布団からだらりと飛び出した白い手を。 軽く掴んで脈をとっておりますト。 虚ろな眼差しをそむけたまま。 恥じらうように女がそっと言いました。 「私、もう長くないんでしょう」 「馬鹿を言いなさい。気くらいで死ぬ人はいませんよ」 女は年の頃、二十二、三。 結い髪はとうに崩れており。 後れ毛が鬢から力なく垂れている。 病身の隠微な美しさ。 「それでも、他のお医者さん

    杏生と二人のお貞 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2019/04/15
    「夜窓鬼談」より
  • 月岡芳年 ―「血みどろ」絵師は「生」を見つめた― | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    TSUKIOKA YOSHITOSHI 「血みどろ」の時代 月岡芳年(つきおか よしとし)は「血みどろ」の絵師である。 妖と奇の巨人、歌川国芳に師事し、兄弟子に落合芳幾、河鍋暁斎らがいた。 一魁斎、玉桜楼などと号したが、最後は大蘇芳年と名乗っている。 出世作は、慶応二年刊行の「英名二十八衆句」、同四年すなわち明治元年の「魁題百撰相」。 両作の成功により、「血まみれ芳年」の異名をとった。 (※クリックで拡大します) 痴情のもつれによる殺人を報じた郵便報知新聞の記事より。 芳年の挿絵が今で言う報道写真の役割を果たした。 めくるめく生首、血しぶき、死に顔、鮮血のオンパレード。 残虐とグロテスク、怪奇、猟奇に満ちている。 「無惨絵」「残酷絵」「血みどろ絵」などと称される新ジャンルを切り拓いた。 同じく郵便報知新聞に提供した挿絵。 追い剥ぎに遭った女二人が、狼にわれた事件を描いたもの。 だが、その

    月岡芳年 ―「血みどろ」絵師は「生」を見つめた― | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
  • 江戸怪談より 「長いものは窓より入る」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 三代家光公の御世のこと。 豊前国小倉藩は細川殿の領国でございましたが。 その隷下に高橋甚太夫ト申す弓足軽の大将がおりました。 この者は曲がりなりにも大将トハいいながら。 武士の風上にも置けぬ小人物で。 いま、足軽トハいえ大将の職責にありますのも。 実は同僚の手柄を盗んで奏上したためであるという。 ところが、この者がそれでもなんとかやっておりますのは。 一にも二にも、この者には惜しいほどのよくできたがあったためで。 は名を千鶴ト申しまして。 近在の百姓の娘でございましたが。 容姿は地味ながら美しく。 人となりはしとやかで慎み深く。 まさにその名が示す通り。 掃き溜めに鶴といった趣で。 さて、この頃は諸国大名の国替えが頻繁に行われておりましたが。 細川殿もかの肥後国熊藩へ転封と相成りました。 夫婦は初めて生まれ故郷を離れましたが。 亭主は異国暮らしに浮かれたものか

    江戸怪談より 「長いものは窓より入る」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2018/10/06
    片仮名本 因果物語より
  • 落語の怖い話より「藁人形」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 江戸四宿の一、奥州街道は千住の宿。 ここは小塚原(こづかっぱら)の刑場に近いためか。 はてまた、掘れば罪人の骨(こつ)が出るためか。 一名を「コツ」ト申しますナ。 さて、このコツに立ち並ぶ女郎屋を。 一軒一軒拝んで歩く坊主がひとり。 名を西念ト申す願人坊主(がんにんぼうず)。 千住いろは長屋、への九番に住むトいう。 良く言えば坊主でございますが。 有り体に申せば乞も同然で。 念仏の真似事をして、人様から施しを受けている。 朝は一番に観音様へお参りをし。 それから日暮れまで江戸中をもらって回る。 実に熱心なおもらいでございます。 そして、軒下に立つ西念のその姿を。 二階の手摺から見下ろしている。 美しくも、はかなげな人影がひとつ。 これは女郎屋若松の板頭(いたがしら)。 つまりこの店一番の人気女郎で。 年の頃なら二十二、三。 名をお熊ト申す、稀代の美人でございます。

    落語の怖い話より「藁人形」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2018/05/20
    落語「藁人形」より
  • 江戸怪談より 「金弥と銀弥」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 さる国の城の奥御殿に。 侍女が二人おりまして。 名を金弥(きんや)に銀弥(ぎんや)ト申しましたが。 容姿は世にも愛らしく。 仲はト言えば睦まじく。 起き伏し常にともにあり。 いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)で。 「銀弥さん」 「はい、金弥さん」 ふっくらト白いもち肌に。 緑の髪を肩まで下げ。 紅い唇をすぼませながら。 「お花が咲いておりますねえ」 「当。きれいに咲いておりますねえ」 ナドト微笑み合う様は。 まるでメジロの姉妹のようで。 十六の娘盛りではございますが。 あどけなさはほんの童女のよう。 二人の零れんばかりの愛嬌に。 主君も深く慈しんでおりましたが。 ある時のことでございます。 金弥がふとした風邪心地から。 ひどく患いつきまして。 遠く離れた父母の家に。 しばし里帰りトなりました。 ところが、それから待てど暮らせど。 一向に金弥の消息がございませ

    江戸怪談より 「金弥と銀弥」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2018/03/25
    鈴木桃野「反古のうらがき」より
  • 落語の怖い話より 「雨夜の悪党 引窓与兵衛」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    ところが、この与兵衛ト言うのが只者ではございません。 廻り髪結いト申せば聞こえは良いが。 呼ばれなければ廻りもしない。 時には呼ばれても行かない始末。 髪結いなんぞは博打の合間の余興程度に考えている。 江戸を離れ、かような在に住まっておりますのも。 そもそもが江戸に住まっておられなくなったからで。 引き窓の与兵衛ト呼ばれておりますのも。 金に困るト、引き窓――つまり、台所の上の天窓ですナ。 そこから忍び入って、盗みを働くトいう悪癖からで。 初めからお早を良い金づるくらいに思っている。 さっそく、好きな博打に金を使い込む。 博打で蔵を建てた人など聞いたことが無い。 大抵は取られるものト決まっておりますので。 半年も経たぬうちに新所帯は没落する。 荷車で運び入れた着物の山ナド見る影もない。 亭主は継ぎを当てた半纏を着て。 女房は簪ならぬ木の枝を髪に挿している。 そんなある日の暮れ方のことでござ

    落語の怖い話より 「雨夜の悪党 引窓与兵衛」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2018/02/12
    三遊亭圓朝改作「雨夜の引窓」より
  • 江戸怪談より 「白い乳房に憑いたもの」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 大和国のトある商家に。 尼僧がひとり立ち寄りまして。 一夜の宿を求めました。 そればかりなら何の事はない。 誰も妙には思いますまいが。 この尼がただならぬト申しますのは。 あまりに若く美しかったからで。 白い頭巾から覗くその美貌。 年の頃なら十八、九。 のような頬にうっすらト紅が差し。 墨衣に包まれた姿態も妙にしなやかで。 「それはもちろん構いませんがな」 ト、主人が舐めるようにその容姿を見下ろす脇から。 「お前様のような別嬪がどうして尼に」 ト、お内儀(かみ)が割って入りました。 「それでは、お話いたしましょうから、家の方々を集めてくださいませ」 尼僧がこう申し出ましたので。 家内は無論、隣近所からも人が詰めかける。 にわかに法話の席が設けられました――。 尼は俗名をお雪ト申します。 まだあどけない童女であった時に。 二親に立て続けに死なれまして。 幼いながら天

    江戸怪談より 「白い乳房に憑いたもの」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2018/01/29
    「耳嚢」より
  • 江戸怪談より 「暗峠 姥の首の火」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 河内国は暗峠(くらがりとうげ)。 峠を越えたその麓の村。 平岡の里ト申す地に。 娘が一人おりまして。 山家の花じゃ、今小町じゃト。 土地の小唄に謡われるほどに。 器量良しで知られておりましたが。 山の神は女だト。 山国ではよく申します。 娘のあまりの美しさト。 男たちからの評判に。 神も妬みましたかどうか。 乃至は「二物を与えず」か。 この美しい娘の生涯は。 それは哀れなものでございました。 年十六の娘盛り。 数多の男が娘を巡り。 互いに争い合う中で。 村のトある若い衆が。 娘をついに射止めました。 新郎新婦が盃を交わす。 袖にされた男たちは口惜しさに。 横目でやけ酒をあおっては。 慰めあっておりましたが。 ナント、この幸せ者の新郎が。 ひと月ト待たずに死んでしまった。 するト、慰めあっていた男たちが。 再び仇同士ト相成りまして。 娘を巡って争い合う。 そうして、ま

    江戸怪談より 「暗峠 姥の首の火」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2017/12/22
    井原西鶴「西鶴諸国ばなし」より
  • 落語の怖い話より 「怪談乳房榎(二)四谷十二社滝の亡霊」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    「なに、誰も聞いてなどおらぬ。お前のお陰で邪魔者を消して、首尾よく跡を継ぐことが出来た」 「わ、わしはただ――」 「いいのだ。そのことを蒸し返そうと言うのではない。実は、おきせがとうとう我が胤を宿してな」 「ご新造が」 「そうだ。そこで、お前に折り入って頼みがある」 「な、なんだね」 身を乗り出してくる浪江の顔を、正介は息を呑んで見返した。 「どうも真与太郎の目つきが気にわない。あの目はいつか俺を親の仇だなどとつけ狙う目だ」 「ば、馬鹿を言っちゃあいけねえ。二つやそこらの乳飲み子に、目つきも何もありましねえ」 「お前、あれを殺せるだろう」 途端に正介の胸がドッと高鳴った。 「お、お前様。いけましねえ。いけましねえ。あんな頑是ない坊ちゃまを――」 「なんだ。嫌なのか。ははあ、なるほど。お前、去年の落合の件では余儀なく加担したが、心ではまだ元の主人への忠義があるものと見える。さては、いつか俺

    落語の怖い話より 「怪談乳房榎(二)四谷十二社滝の亡霊」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2017/11/12
    三遊亭圓朝作の怪談噺「怪談乳房榎」より。完結編。
  • 落語の怖い話より 「怪談乳房榎(一)落合の蛍狩り」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 馬場で知られます高田の砂利場村に。 大鏡山南蔵院なる寺院がございまして。 これはその天井に墨絵で雌龍雄龍(めりゅうおりゅう)を描いたという、 絵師菱川重信の話でございます。 重信は年三十七、元は秋元越中守の御家中で。 名を間与島伊惣次(まよじま いそうじ)ト申す武士でございましたが。 生来、絵が好きなものですから、じきに堅苦しい勤めが嫌になる。 みずから暇を申し出まして、柳島の新宅に引き籠もりますト。 爾後、絵ばかり描いて暮らすようになったト申します。 は年二十四、名をおきせト申しまして。 これが大変な美人でございます。 役者の瀬川路考演ずる美女に似ているト。 誰言うとなく「柳島路考」ト呼ばれるほどで。 さて、この重信に、ある時お弟子が一人できました。 名を磯貝浪江(いそがい なみえ)ト申す、年の頃二十八、九の浪人で。 鼻筋が通って色は浅黒く、苦みばしった佳い男で

    落語の怖い話より 「怪談乳房榎(一)落合の蛍狩り」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2017/11/11
    三遊亭圓朝作の怪談噺「怪談乳房榎」より。前半部分。
  • 丸山遊郭 猫の食いさし | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 肥州長崎は唐船着岸の津にございます。 綾羅錦繍の織物に金銀の糸、薬種にその他もろもろの品。 種々の珍貨が絶えることなく我が朝へ入ってくる。 その玄関口でございまして。 日六十余州のあきんどが当地へ来たりて商売をする。 その賑わいぶりは、難波を凌ぎ京にも劣らずト称されるほど。 かの地には丸山ト申す遊郭がございますナ。 唐人、紅毛人の気を引こうト、着飾った女郎たちがひしめいている。 いにしえの江口、神崎ナドもかくやト思わせる華やかさで。 もっとも、光が差せば影が従い、陽気が興れば陰気が篭もります。 裏路地へ一歩踏み入るト、表のきらびやかさトハもう別世界。 揚荷抜きの小悪党、行き場を失った年増女郎。 いはぐれたドラに、汚物にまみれたドブネズミ。 夜ともなれば、魑魅魍魎が跋扈するとかしないとか。 さて、この丸山遊郭の一角に、枡屋ト申す女郎屋がございまして。 ここに左馬

    丸山遊郭 猫の食いさし | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2017/09/10
    「新御伽婢子」より
  • 波の白雪 名刀捨丸の由来 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 羽州米沢の領主上杉家に、古刀が一振りございまして。 その名を「波の白雪」、又の名を「捨丸(すてまる)」ト申しますが。 持ち主の心映えを映す鏡トモいう、至極の名刀でございます。 かつて上杉家にてお家騒動が起きた際は。 刀身が赤く染まったトモ申します。 妖刀ト申すべきかもしれませんナ。 さて、木曽山中、切岸(きりぎし)の在に。 治兵衛ト申す百姓がございまして。 この者に年の離れた二人の倅がございました。 兄は治太郎、弟は治三郎。 兄の治太郎は幼いころから勝手気まま。 おまけに手癖が悪いときております。 十六の年に勘当されて村を出ていきまして。 それっきり行方知れずでございます。 一方の治三郎は、これはまじめで働き者でございます。 父母に孝養を尽くし、近所の人にも愛想がいい。 かてて加えて眉目秀麗の美男子ときておりますので。 誰からも好かれ、二親も大層自慢にしておりました

    波の白雪 名刀捨丸の由来 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2017/07/17
    講談「名刀捨丸の由来」より。
  • 蒼き炎と眠る美童 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 かの一休禅師による怪異譚でございます。 一休禅師が諸国を廻って修行をされていたときのこと。 伊賀国は喰代(ほうじろ)ト申す地へ差し掛かりますと。 どこからか、男の声に呼び止められました。 「もし、旅のお方」 あたりを見回してみるト、茶屋が一軒。 そこに商人体の男がひとり、店先の床几に腰掛けている。 見るからにやつれ果て、背中を丸めてこちらを見ております。 夕日が男の長い影を地に投げかけている。 「拙僧をお呼びですかな」 一休は訝しげに返答する。 男はうんともすんとも申しません。 ただ、ぼんやりと己の影に目を落としている。 「いかがなさいました」 一休は隣に腰を掛ける。 男は、はあっト深い溜め息を一つつく。 そうして、もそもそと懐から何やら取り出しまして。 それを禅師に手渡しました。 「これを、この先の寺町へ」 「拙僧に託されるのですな」 それは一通の文でございました

    蒼き炎と眠る美童 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2017/07/01
    「諸国百物語」より
  • 歌川国芳 ―江戸に妖気と近代をもたらした男― | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    UTAGAWA KUNIYOSHI 妖気と新奇 歌川国芳(うたがわ くによし)は妖と奇の画師である。 たとえば歌麿を寛政期(1790年代)、北斎を文化文政期(1810~1820年代)の人とするならば、国芳が絵筆に依って人となったのは天保年間(1830年代)、その円熟期とされるのはさらに嘉永年間(1850年代)まで降る。浮世絵史においては晩期に属する人と言って良い。 町人文化の爛熟期は一段落し、奢侈禁止令や未曾有の大飢饉により、社会に沈とした空気が蔓延していただろう時代である。巷には飢えと悪事がはびこり、海の向こうからは大砲のきな臭い匂いが徐々に近づきつつあった。 そんな重苦しさの中に登場した国芳の画は、いつも妙な生臭さと斬新さに溢れていた。人物は妖しい生命力に満ちている。まるで隣り合う死の匂いに突き動かされているかのようだ。構図や着想の斬新さは、忍び寄る蒸気船の気配に、知らず知らずかきた

    歌川国芳 ―江戸に妖気と近代をもたらした男― | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2017/04/12
    画師略伝
  • 吉田御殿 千姫乱行 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 番町皿屋敷ト申しますト。 これはもう、芝居の方で大変に名が知られておりますが。 あの皿を一枚、二枚――ト数えるくだりは。 実はある種の洒落でございます。 ト申しますのも、あれは元々「皿屋敷」ではない。 「更屋敷」ト書くのが当でございまして。 では、何故「更屋敷」が正しいのかト申しますに。 ここに、ひとつ恐ろしい由来が伝わっている。 時は元和元年五月七日。 大阪城は徳川方に攻め入られ。 今しも落城せんとしております。 茶臼山にて戦況を見守っていた家康公は。 城から火の手が上がるのを目にされまして。 「誰かある」 「ハッ――」 「城中へ忍び入り、千姫を救い出して参れ。厚き褒美を取らせるぞ」 「ハッ――」 千姫は言わずと知れた豊臣秀頼公の御簾中。 家康公には可愛い孫娘にございます。 ここで無事、姫を救出してくれば、これほどの勲功もございません。 ところが、敵陣はすでに火

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    onboumaru 2017/04/04
    講談「番町皿屋敷」より
  • 熊野起請文 烏の祟り | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 よく「神に誓って」ナドと申す人がございますが。 その神トハどの神かト考えますに。 大抵の場合、それは熊野三山の祭神、熊野権現でございましょう。 三山の各社では、牛王符(ごおうふ)ト申す御札を配っておりまして。 表にはカラスをあしらった烏文字でもって。 「熊野山宝印」「那智瀧宝印」ト記されてある。 その裏に誓いの文句を書き、血判を押しますト。 これが熊野権現に誓いを立てたものトみなされます。 落とし噺に、「三枚起請」なる噺がございますナ。 「末は夫婦に」ト書いた起請文(きしょうもん)を。 さる遊女が大事な客ト取り交わす。 ところが、町内の顔見知り三人が。 同じ起請文を持っていたので騒動になる。 その時、遊女を問い詰めた男のひとりが切る啖呵に。 「イヤで起請を書く時は、熊野でカラスが三羽死ぬ」 トいうものがございます。 熊野ではカラスは神の使いでございます。 嘘の誓いを

    熊野起請文 烏の祟り | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2017/03/06
    平仮名本「因果物語」より
  • 蓮華往生 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 世の中誰もが最後はいずれ死にますが。 同じ死ぬならせめて穏やかに死んでいきたいト。 やはり誰もが願っていることでございましょう。 中には、金を積んででも。 満ち足りた死を得ようとする。 そんな御仁もいらっしゃるようで。 役者の初代尾上菊五郎は、もと上方の人でございます。 京都の芝居茶屋の出方、つまり接待役の家に生まれまして。 後に江戸でも知られる大看板となりました。 さて、この菊五郎には愛息がございまして。 名を丑之助ト申しましたが。 これが父に勝るとも劣らぬ美男子でございます。 十六歳の頃には、忠臣蔵の力弥の役で大評判をとりました。 やがて、菊五郎丑之助父子は人に招かれまして。 江戸に進出することになりましたが。 父子の上方なまりが、江戸っ子にはどうも鼻につく。 父は芸の力で補えましょうが、丑之助はまだ若い。 そこで、市村熊次郎という踊りの師匠のもとへ。 丑之助は

    蓮華往生 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2017/02/26
    講談「因果小町」より