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ナンシー関に関するonodanのブックマーク (5)

  • 没後12年。ナンシー関は、まだまだテレビの中の違和感に答え続けている | CINRA

    LINEスタンプもつぶやきも、ぜ~んぶナンシー関が思いついていたことだったのか 会場に並ぶ、ナンシー関が彫り尽くした800個もの生ハンコ。ハンコに添えられる一言コメントにニヤけながら、「そうか、LINEスタンプもつぶやきも、ぜ~んぶナンシー関が思いついていたことだったのか」と改めて驚愕した。秋元康の顔面を彫ったハンコに「マルチに小商い」、蓮舫を彫ったハンコに「社会派バカ」とコメントを添える……これらの言葉を超える端的な批評は、没後12年経っても出てこない。この800個の中には、ナンシー関の言葉が途絶えて以降、その「看守の不在」を「放牧の許しを得た」と誤解した芸能人・文化人の姿がちらほら見える。 11月25日までパルコミュージアムで開かれている『顔面遊園地 ナンシー関 消しゴムの鬼』展は、ナンシー関が残した書籍やハンコの他に、現在を予期するかのような厳選コラム(例:「10年後、ヤワラちゃんは

    没後12年。ナンシー関は、まだまだテレビの中の違和感に答え続けている | CINRA
    onodan
    onodan 2014/11/21
    「それらの毒舌を、「ナンシー関的な目線が、内部で建設的に行なわれるようになった」と解釈するのは間違いだ。強いて言うならば、「内部で済まされるようになった」というほうが正しい」
  • 時代の空気、消しゴムに ナンシー関さん没後12年展:朝日新聞デジタル

    機知に富んだ消しゴム版画を添えたテレビ評論で時代を画したコラムニスト、ナンシー関さん。2002年に39歳の若さで急逝した才能を悼み、没後12年となる今年、東京・渋谷で展覧会が開かれる。「毒舌」の一言ではくくれない魅力を再発見する場になりそうだ。 14日から渋谷のパルコミュージアムで開かれる「顔面遊園地 ナンシー関 消しゴムの鬼」。開催に先立つ9日にトークショーがあり、満席の会場には若い世代も目立った。■中庸な存在で「異常」見抜く 壇上でイラストレーターのみうらじゅんさんは、「ナンシーさんに目をつけられる人間にはなりたくなかった」と語り、芸能人の「異常」を見抜いたのは、自身が中庸な存在だったからと振り返った。イラストレーターの安齋肇さんは消しゴム版画について、「タモリさんも『やっぱりすごいな』と感心していた」。 ナンシーさんは青森市出身。法政大在学中から消しゴム版画の腕前を認められ、93年に

    時代の空気、消しゴムに ナンシー関さん没後12年展:朝日新聞デジタル
  • ナンシー関の意外な無邪気さ- 死んだ目でダブルピース

    ひさびさにナンシー関のエッセイを読み直してみた。 テレビの裏側をえぐるような視点を持ってる人、という印象があったのだが、読み返してみると、意外と「見たままの感想」が多いように感じた。というか「作った側の視点」については、全然興味が無さそうなのだ。 もちろん芸能人を見すえる視点はかなり厳しくて、ちょっとでも隙のある発言をすると、そいつが腹の底で考えているであろうホンネを容赦なく暴きにゆく。……のだが、たとえばバラエティ番組の演出に関しては、まったく無防備に受け入れているように思えてならない。 たとえばウド鈴木について書いた、この文章。 この「電波少年インターナショナル」の「キャイーンのはじめてのおつかい」では、ウド鈴木の「保護される者」性がいかんなく発揮されていた。「保護しなきゃいかん」性といったほうがいいかもしれないが。 ロンドン経由でオランダに入り、ドイツとの国境に行くというのがウドに課

    ナンシー関の意外な無邪気さ- 死んだ目でダブルピース
  • 仏友会/萬有お笑い研究所/俺が選んだナンシー関のことば。

    「萬有お笑い研究所」78号から、新メルマガの8号くらいまでに掲載した、ナンシー関の著作から俺が引用したものを集めてみました。なんとか引用の範疇に収まると思います。 メイルマガジンの時は、単行の発行年度順にならべていましたが、ここでは、雑誌メディアへの発表順に、できるだけナニしてみようかな、なんてね。 あ、「週刊朝日」掲載分は、単行に初出年度が書いてなかったので(ダメ出版社ですね)、おおよそで置いてます。 とくに更新履歴は示しませんが、新刊が出るたびに追加しております。 1989年3月「ラヂカル文庫」。 <自分のしている事が常識的なことなのか、それとも自分のまわりだけの単なる慣わしなのか考える事が、上京以来の私の癖である。> <だからといって私が他人の目ばかりを気にする人間だと思われるのは心外だ。そうゆう事ではないのである。私はただ、常識と非常識両方のパターンをたくさん知りたいだけ

  • ナンシー関の表徴力:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    6月7日の土曜日、シネマライズで上映されている『ぐるりのこと』(橋口亮輔監督作品)を観に行った。のだけれど、上映時間を間違えて覚えていたために、1時間以上の暇ができてしまい、何をしようかとチケット売り場を振り返った際、真後ろにあったのが「ナンシー関 大ハンコ展」の看板。おお、ナンシーが呼んでいる、これはいかねばと思い、ふらりと足を運んでみた。 パルコ PART1、6階。ショーケースの中にずらりと並ぶ消しゴムハンコ。壁には、刷り上った作品が分類されて展示されていた。僕は刷り上ったハンコやコラムの抜粋ばかりに目を奪われてた一方、ハンコそのものはほとんどみなかった。ハンコを見れば職人芸に唸ることが出来るんだけど、それよりも作品の持つ批評眼に唸っていたかったんだろう。ハンコそのものは再現できないけれど、複製された視点は共有可能だろうしね。 それはさておき、ナンシーのハンコ、およびコラムでの描写は、

    onodan
    onodan 2008/06/09
    「ナンシーはタレントなどを表徴することによって、テレビの見え方ではなく、読み方を変えたのだ」
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