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  • 開幕前のJクラブ、コロナ対策をどう進めた? FC東京キャンプは“基本黙食”、部屋割りなども工夫が【写真あり】(飯尾篤史)

    いつもなら他愛のない会話が飛び交う団らんのひとときなのに、静まり返っている。 全員が前を向き、黙々と事をする様子は、ちょっと異様だったかもしれない。 1月下旬から2月半ばに掛けて、Jリーグの各チームがトレーニングキャンプを行なった。世の中はコロナ禍の真っ只中だが、2月末のシーズン開幕を控え、キャンプを張ってチーム作りを進めないわけにはいかない。 どのチームも細心の注意を払って日程を消化したが、沖縄でキャンプを張ったFC東京も、そうしたチームのひとつだ。 キャンプも半ばに差し掛かった頃、キャプテンの東慶悟がこう語っていた。 「県外から来て、沖縄で感染を広めるようなことはあってはならない。ましてや僕らは感染者が最も多い東京から来たわけですから。受け入れてくれた沖縄の方々、ホテルの方々のために、節度のある行動を心がけています」 マスクの常時着用はもちろんのこと、移動の飛行機では一般客と隣り合わ

    開幕前のJクラブ、コロナ対策をどう進めた? FC東京キャンプは“基本黙食”、部屋割りなども工夫が【写真あり】(飯尾篤史)
  • 室屋成が語るドイツ移籍とFC東京愛。「健太さんが“頑張って来いよ”と」(飯尾篤史)

    その間、脳裏に浮かんだ風景は、どんなものだっただろう? 大学3年で明治大サッカー部を退部して、FC東京入りを決めた入団会見の風景か。 初めてFC東京のユニホームをまとってJ1のピッチに立った、2016年7月9日のヴァンフォーレ甲府戦か。 今季の横浜F・マリノス戦をはじめとする、数々の好クロスのシーンか。 昨季のリーグ終盤、優勝を目指して戦った、痺れるような日々か。 それとも、小平グランドでチームメイトと談笑した、他愛のない日常か……。 2018年4月、鹿島戦でのリーグ戦初得点。 記者席から見た室屋のプレーで、個人的に強く印象に残っているのは、リーグ戦初ゴールを決めた'18年4月、味の素スタジアムでの鹿島アントラーズ戦だ。 自陣深くから走り出すと、ハーフウェーラインを越えたあたりで永井謙佑のヒールパスを受けて一気に加速し、ゴール前まで運んで右足を振り抜く。 直後、渾身の一撃が、ニアサイド上段

    室屋成が語るドイツ移籍とFC東京愛。「健太さんが“頑張って来いよ”と」(飯尾篤史)
    orangehalf
    orangehalf 2020/08/17
    健太めっちゃ良い上司だな。室屋はもっとドライな感じで海外挑戦を決めたのかと思っていたけど、けっこう東京のこと好きになってくれていたのね
  • オシムの語るいま、そして秘めた炎。「私はフリーだ。君もわかるだろう」(田村修一)

    イビチャ・オシムはグラーツで静かに暮しながら、コロナ禍により静止した世界がどうなっていくのかをじっと見守っている。遠い日にも常に思いを馳せながら。地理的な距離と心の距離、このふたつはオシムの中ではまったく異なっているのだった。オシムの近況を伝える。 ――元気ですか。 「ああ、元気だ。君はどうだ?」 ――私はまあまあというところです。 「そうだろう。日が悪いはずがない」 ――そうは言っても今はまだ状況は厳しいですが。 「いや、酷くはないしいい状態を保っている。私は日という国を信じている。一緒に仕事をしたときなど、日人は信頼するに値する。それでそちらはどうなっているのか?」 ――今は少し良くなっていますが……。 「試合は始まっているのか?」 ――それはまだです。 「私は韓国のリーグ戦を見た。崔龍洙が監督を務めているチーム(FCソウル)が勝っていた。久しぶりに彼の顔を見た」 崔龍洙は素晴

    オシムの語るいま、そして秘めた炎。「私はフリーだ。君もわかるだろう」(田村修一)
  • オシムが語る台風被害と天皇即位、アジア人監督が欧州で活躍する未来。(田村修一)

    時間は少々遡るが、10月末に久しぶりにイビチャ・オシムに連絡をとった。日列島に訪れた様々な事柄に関して、オシムもきっと多くの思いを抱えているだろうと思ったからだった。 アシマ夫人によると、このところリハビリは順調にいっているとのこと。次々と台風に襲われた日とは異なり、この秋のグラーツは晴天続き。絶好の散歩日和をしばし満喫しているという。 グラーツの自宅で、オシムが語った。今も心を寄せる日のこと。ボスニアサッカーのこと。自身のこと。そしてサッカーの未来を。 「市原や千葉の人たちのことを考えると心が痛む」 ――元気ですか? 「ああ、君はどうだ?」 ――私は大丈夫ですが、日は大丈夫ではありません。今年は台風が頻繁に日を襲って、つい最近も大雨で千葉県を中心にさらに被害が出ました。 「日は常にそうだな……。そうした自然災害と寄り添って生きる以外にない。長い日歴史は自然災害の歴史でもあ

    オシムが語る台風被害と天皇即位、アジア人監督が欧州で活躍する未来。(田村修一)
  • 藤田晋オーナーに独占で直撃質問。ゼルビアとJクラブ経営、思いの丈。(郡司聡)

    2018年10月、経営参画が決まってホームスタジアムを訪れた際の1枚。藤田オーナーとゼルビアは、どのような道を歩むのか。 10月11日、Jリーグ界隈を賑わす、1つの出来事が町田で起こった。 町田のサポーターミーティングに参加した藤田晋オーナー(サイバーエージェント代表取締役社長)は、クラブの“未来構想”と題したプレゼンテーションを展開。そこでクラブのリブランディングの一環として、チーム名を「FC町田トウキョウ」に改称する意思があることを表明した。 Jリーグの歴史において、チーム名に新たな地域名などが加わることがあっても、これほどまでに大きな改名は前例がないため、サポーターミーティングは紛糾。質疑応答の場で、ある大学生サポーターが涙交じりに“ゼルビア愛”を語ると、事態は一変した。 若手サポーターの声に聞き入った藤田オーナーは、最終的にチーム名の改称を保留し、1週間が経過した10月18日のこと

    藤田晋オーナーに独占で直撃質問。ゼルビアとJクラブ経営、思いの丈。(郡司聡)
  • 森重真人が今、明かすW杯落選。昌子源へのLINEとJ1制覇への決意。(占部哲也(東京中日スポーツ))

    あれから1年――。古い話にちょっとだけお付き合い願いたい。 2018年6月13日。初夏を迎え、緑の葉を茂らせる木々に囲まれたFC東京の練習場は、W杯“休暇”で誰もいないはずだった。日本代表以外の選手は4年に一度の貴重なバカンス期間。 だが、たった1人で走る男がいた。 森重真人。 W杯2大会連続出場を渇望したが、手が届かなかった。ロシア大会の日本代表予備登録メンバーには入ったが、重度のけが人が出なければ入れ替えはない厳しい状況。それでも、「小さな火」を自ら吹き消すことはなかった。 檜舞台の裏ではもう1つの闘いがあった。 99.9%ダメでも、足を止めない森重。 ロシアW杯開幕前夜。旧知の記者から連絡が入った。 「モリゲ。体を動かしていますよ」 西野ジャパンは大会前の最後となる親善試合・パラグアイ戦('18年6月12日)を終えた時点で、DF陣に負傷者はなし。初戦のコロンビア戦(同6月19日)の

    森重真人が今、明かすW杯落選。昌子源へのLINEとJ1制覇への決意。(占部哲也(東京中日スポーツ))
  • 楢崎正剛が現役引退を決めた理由。「これでは、ダメ。ダメなんよ」(西川結城)

    42歳のベテランGK。日本代表としてW杯に4大会連続出場し、J1リーグでは歴代最多となる631試合のピッチに立ってきた。リーグ制覇を果たした2010年には、GKとして初の年間MVPにも輝いた。 あらためて、経歴を記す必要などないかもしれない。日を代表する偉大なGK、楢崎正剛。2019年1月8日に、現役引退を発表した。 「なんか、今日いざ発表したら、『辞めたんや』という実感が湧いてきた。だって、ニュースに俺の名前がバンバン出てくるからね」 電話の向こう側で、いつもの関西弁混じりで笑っていた。レジェンドの引退が報道されるのは当然。こんな時でも自分を謙遜するように自虐ネタを発してくるあたりが、彼の性格を表している。 自分は二の次。決して、自らを誇示することはしない。楢崎らしさに溢れていた。 奇しくも、日本代表で長く共に戦ってきた盟友と、同じタイミングでの引退発表となった。 「佑二と話したのは年

    楢崎正剛が現役引退を決めた理由。「これでは、ダメ。ダメなんよ」(西川結城)
  • オシムから届いた新年のメッセージ。「走り続けること、戦い続けること」(田村修一)

    イビチャ・オシムは、サラエボの自宅で年末年始を過ごした。 冬の間は雪に埋もれるグラーツよりも、寒さが厳しいとはいえ積雪はそれほどでもないサラエボの方が、多少なりとも過ごしやすくはあるのだろう。 ただ、1月半ばには、シュトルム・グラーツのクラブ設立110周年記念式典がある。主賓のオシムを欠いては成り立たない行事であり、そのときにはまたグラーツに戻ることになるとのことである。 オシムからの新年のメッセージが届いた。 日サッカーへ込める思いと期待を、オシムが受話器の向こうから語った。懐かしかった羽生直剛との再会も。ここにお届けするのは、そんなオシムの直近の声である。 なお、彼は、アジアカップ期間中の不定期インタビューの申し出にも快諾してくれた。フィリップ・トルシエも同様で、欄ではふたりの分析と評論をロシアワールドカップ同様に掲載する。 「日サッカーは良くなっている」 ――元気ですか? 「

    オシムから届いた新年のメッセージ。「走り続けること、戦い続けること」(田村修一)
  • J3降格危機の新潟に現れた救世主。梶山陽平はピッチ内外で“つなぐ”。(塚越始)

    新潟が梶山陽平を獲得した理由は「流れを変えるため」だという。だとすれば、彼以上の適任はいないかもしれない。 間もなくアルビレックス新潟のチームバスが出発しようとしていたとき、梶山陽平がNACK5スタジアムのロッカールームから出てきた。その右ヒザには、透明のテープで氷がしっかりと巻かれていた。 「久々に90分プレーできました。ここからです。コンディションもプレーの質も上がっていくはずですから」 J2リーグ29節の大宮アルディージャ戦、チームは5連敗目を喫し、新天地で初めて先発フル出場を果たした梶山は納得などしていなかった。ただ、何が新潟の課題で、どうすべきか、その90分間で全体像を把握したようだった。 「ビルドアップの時には、最終ラインのパス回しなど、もう少し簡単にボールを素早く動かすことをやっていかないと。サイドバックがフリーでボールを持っても、パスコースがなくなっている。早くパス交換して

    J3降格危機の新潟に現れた救世主。梶山陽平はピッチ内外で“つなぐ”。(塚越始)
  • ディエゴ・オリヴェイラのお尻の話。FC東京でゴール量産+“優良銀行”。(熊崎敬)

    FC東京のゲームを見に行くと、私の視線はいつもある一点に引き寄せられる。 ディエゴ・オリヴェイラのお尻だ。 それはJリーガーのお尻の中でも、群を抜いて分厚く、しかも力強く上を向いている。日人にはほとんど見られない見事な形状に、ついつい目を奪われてしまうのだ。 お尻というと、ブラジル人女性にとって命といっても過言ではない大切な部位。ブラジル人男性の8割は女性を見るとき、まずお尻に目がいくという統計もあるほどだ。 スイカのように丸々としたお尻は男たちの大好物で、浜辺には女性のお尻を舐めるように凝視する男たちがいたるところにいる。 こうした豊満なお尻は“ブンブン”と呼ばれ、ブラジルでは毎年、素晴らしいブンブンの持ち主による美尻コンテストが開催されている。27州の代表が一堂に会し、栄えある“ミス・ブンブン”を決めるのだ。選考過程ではブラジルらしく、サッカーも行なわれる。 フッキ、ロナウドというお

    ディエゴ・オリヴェイラのお尻の話。FC東京でゴール量産+“優良銀行”。(熊崎敬)
    orangehalf
    orangehalf 2018/05/22
    ディエゴのお尻に勝てる可能性があるのは火ぐまのパッチョくらいだろ
  • オシムと羽生直剛の師弟関係は今も。「出会えた奇跡が嬉しいし、怖い」(飯尾篤史)

    2017シーズン限りでプロサッカー選手としての生活を終えた羽生直剛氏。Jリーグ各クラブで活躍した彼のキャリアを語るうえで外せないのは、イビチャ・オシムの存在だ。 ジェフユナイテッド市原・千葉で見いだされ、「考えて走るサッカー」を体現したプレースタイルは、ジェフ時代、そして日本代表と多くのサッカーファンに知れ渡ることになった。 引退に寄せてのインタビューを敢行した際、なくてはならない恩師の存在について彼は「幸せなことだったのか、分からなくなってきた」と語っていた。その心とは――。 「お前はそのプレーで満足させられたのか?」 ――え、どういうことですか? 「偉大すぎて、自分もああなりたいと望んでもなれない、自分がちっぽけだということを思い知らされるだけだし(苦笑)、トレーニングひとつとっても、内容がすごく濃かったから、その後、どうしても物足りなさを覚えてしまって。もしオシムさんと出会っていな

    オシムと羽生直剛の師弟関係は今も。「出会えた奇跡が嬉しいし、怖い」(飯尾篤史)
    orangehalf
    orangehalf 2018/03/12
    "ヨーロッパでも、オシムさんが退任したあとはペンペン草も生えない、みたいなことを話すらしくて、偉大すぎて、いなくなったあとの喪失感がすごかったり、どう継承していくか迷ったりする" オシムさんやっぱり偉大だ
  • 羽生直剛が語る引退とサッカー人生。子どもに渡した「ごめんね」の手紙。(飯尾篤史)

    2018年1月5日、ジェフユナイテッド市原・千葉から1のリリースが発表された。 「羽生直剛選手 現役引退のお知らせ」 市原時代を含めた千葉、FC東京、ヴァンフォーレ甲府の3クラブでJ1計344試合に出場したMFは、どのクラブでもレギュラーの地位を確立し、ファン・サポーターに愛された。 その羽生が年明けのタイミングで、なぜ引退を発表したのか――。 現在、FC東京の強化部に籍を置く羽生氏。16年間のキャリアを振り返ってもらった。 インステップも思い切り蹴れない。 ――16年間の現役生活、お疲れさまでした。いつもジャージでしたから、スーツ姿の羽生さんと向き合うのは、違和感がありますね。 「自分でも着ていて違和感があります(笑)」 ――右膝のケガのために引退を決断されたそうですが、いつから膝を傷めていたんですか? 少なくともFC東京時代は、問題なくやれているように見えましたが。 「詳しく言うと、

    羽生直剛が語る引退とサッカー人生。子どもに渡した「ごめんね」の手紙。(飯尾篤史)
    orangehalf
    orangehalf 2018/03/09
    "チームの勝利のためなら、できないなら代わることもプロだ、という考えが刷り込まれてきた。" 100%出し切る羽生さんだからこそ伝わってくる言葉でもあると思う。引退試合開催して欲しいな
  • 富山第一・大塚監督の革新的戦術。攻撃的5バックと“14ゾーン”とは?(安藤隆人)

    北信越の名門・富山第一を率いる大塚一朗監督。 この人物と話せば話すほど、サッカーへの知見が深まっていく。よく電話などでサッカー談義に花を咲かせるが、気が付くと1、2時間を経過しているのがザラだ。 大塚監督サッカーをロジカルに、客観的に分析し、起こった現象や戦術的な見解を理路整然と話す。彼の思考は高校サッカーの枠を超え、グローバルな視点を持つ“プロフェッショナルマイスター”と言える。 大塚監督の指導理念はイングランドにある。富山市で生まれ育った大塚監督は、富山第一、法政大でプレーした後、日サッカーリーグの名門・古河電工でプレーをした。 古河電工関係者の紹介で25歳の若さにしてウェストハムの指導者講習を受け、1年を掛けてインターナショナルライセンスを取得。2002年までアローズ北陸(現カターレ富山)で選手兼コーチをこなした後、再びイングランドへと渡った。 選手権優勝監督になってもヨーロッパで

    富山第一・大塚監督の革新的戦術。攻撃的5バックと“14ゾーン”とは?(安藤隆人)
    orangehalf
    orangehalf 2017/12/26
    こういう意欲的な人が結果を出したらJリーグのクラブは監督やらないかと声かけてみて欲しい
  • 日本ハムの新スタジアム構想が凄い!「入場料無し」「弁当無し」の衝撃。(鈴木忠平)

    「彼らに聞いたら『だって甲子園に行くつもりで高校に入ったから』と……。僕とはそこが決定的に違いました。つまり自分が想像できないことは達成されない。そういうことです」 北海道旅行の目標になる、壮大なスタジアム構想を! その青年は今、北海道ハムファイターズ事業統轄部長として、新球場構想のプロジェクトを担っている。今年6月29日、新スタジアムのイメージ図を発表した席で「オンリー・ワンか、ナンバー・ワンか。北海道の皆様の誇りになるような球場にしたい」と語ったのが前沢だった。 「北海道を象徴するような文化であり、街づくりの中心となるようなものができれば、自然とオンリー・ワンになるし、世界ナンバー・ワンになると思っています」 例えば、北海道旅行に行く人に「何のために?」と尋ねると、こう答える。 「そりゃあ、美味しい海産物と◯◯スタジアムだよ」 これが前沢の言う文化としての球場であり、街づくりの

    日本ハムの新スタジアム構想が凄い!「入場料無し」「弁当無し」の衝撃。(鈴木忠平)
    orangehalf
    orangehalf 2017/08/16
    商業施設や公園を併設してそっちに来た人に試合をチラ見せして球場に足を運ばせるというのはよさそう。試合だけでなく全体で収益プラスならOKという感じで試合も客を呼ぶためのコンテンツのひとつという位置づけかな
  • 権田修一、味スタで流した涙の裏側。「あのピッチに立つことが怖かった」(西川結城)

    味の素スタジアムに、鳥栖の一員として立った権田修一。不器用が免罪符になるわけではないが、この男が悪い人間でないのもまた事実なのだ。 人生で初めての九州暮らし。自宅から車を走らせると、サガン鳥栖の練習場に掲げられたエンブレムが目に飛び込んでくる。 「なんか、先週までとエンブレムの見え方が違うというか。ようやく、ここの一員になれた。これまではどうしても僕もみんなも『元FC東京の権田が来た』という感じだったと思う。でもあの試合を経て、前に進める気がしている」 権田修一にとって特別だった、あの試合。4月1日、FC東京対鳥栖戦。約2年ぶりに味の素スタジアム(以下味スタ)のピッチに立った。中学からプレーしてきたFC東京の一員では、もうない。アウェイチームの守護神として90分間、大ブーイングを浴びながらの帰還となった。 試合では連係ミスから失点を重ねてしまった。勝つことで古巣への恩と自分の存在を示したか

    権田修一、味スタで流した涙の裏側。「あのピッチに立つことが怖かった」(西川結城)
    orangehalf
    orangehalf 2017/04/07
    東京ゴール裏に挨拶に来てくれたことでモヤモヤした気持ちに区切りをつけられた気がするので次の対戦では権田コールして反応したらブーイングする能活に対するやつみたく好きも含んだブーイングになるんじゃないかな
  • FC東京、何も得られなかった1年間。森重が語った「選手だけでなく……」。(西川結城)

    森重真人自身は今年もベストイレブンに選ばれ、日本代表スタメンにも定着している。しかし、彼がFC東京の現状に満足しているはずがない。 2016年2月9日、ACLプレーオフ・チョンブリ(タイ)戦。今季のFC東京は、Jクラブの中で真っ先に公式戦開幕を迎えたクラブだった。そして、先日クリスマスイブに行われた天皇杯準々決勝・川崎F戦。当然、2017年元日の決勝戦まで戦うつもりだったが、この一戦が長いシーズンの最終戦となってしまった。 リーグ、ACL、ルヴァンカップを逃し、最後に残された天皇杯タイトルを奪うこともできなかった。今季、スローガンとして掲げた“頂戦”。その実現は果たされなかった。 試合後、神妙な表情を浮かべながら日本代表DF森重真人が語った。 「最後も悔しい思いになってしまった。この1年、悔しい思いしかしてこなかった。もっと試合の局面で、サイドだったらサイドで、負けたくないという思いをみん

    FC東京、何も得られなかった1年間。森重が語った「選手だけでなく……」。(西川結城)
    orangehalf
    orangehalf 2016/12/29
    "結局、城福前監督以前に、FC東京というクラブ自体のビジョンもマネジメントも不安定なままだったのだ。"
  • Jトライアウトの再就職率は87.5%!人情よりも、進路こそが本質では?(茂野聡士)

    多くの選手が移籍先を見つけ、次の年もサッカーで生活をすることができる。トライアウトの質を考えさせられた1枚の張り紙。 トライアウト。 このイベントの響きが、いつからか「人の不幸は蜜の味」のようなイメージになりつつある。それを特に強く印象づけるのは年末のテレビ特番でも放映されるプロ野球トライアウトだろう。実際に筆者も数年前、プロ野球トライアウトの現場に足を運んだことがある。 会場となった静岡県営草薙球場には5000人ほどの観客が集まる中、かつて各球団の主力級だった選手らを取材した。そしてここ数年は毎年、契約満了となったサッカー選手が来季の所属先を見つけるためにプレーする「JPFAトライアウト」に足を運んでいる。 取材を進める中で“読者の需要”があると感じるのは、その人となり、境遇だ。例えば20歳で、逆にピークを過ぎた30代後半で、彼らが受ける戦力外通告。もしくは家族との関係性にスポットライ

    Jトライアウトの再就職率は87.5%!人情よりも、進路こそが本質では?(茂野聡士)
  • 黄金期の磐田も、浦和もハマった。福西が語る「大一番の鹿島」の怖さ。(福西崇史)

    中田浩二に小笠原満男……百戦錬磨の鹿島には、「N-BOX」で黄金期を迎えた磐田も苦しめられた歴史がある。 大一番での鹿島に対して、どう戦っていけばいいのか。僕もジュビロ時代に何度も味わってきたけど、当に難しいんですよね。今回の浦和と鹿島のチャンピオンシップ、当時の僕らが“対・鹿島”で感じていたことを思い出しつつ、第2戦を振り返っていきますね。 言うまでもなく、チャンピオンシップの状況的には第1戦を1-0で勝った浦和の方が有利だったはず。鹿島としてみれば初戦を0-1で落として、なおかつ第2戦では前半7分に興梠に先制点を許した。 正直に言えば、失点シーンの連係面も含めて試合の入り方は良くなかった。ただ試合中に修正しつつ、相手のスキをついて数少ないチャンスを生かしきる辺りは鹿島らしかったなという感じですよね。 鹿島は「2点取って勝てばいい」と割り切っていた。 今回のCSでは準決勝で川崎、決勝で

    黄金期の磐田も、浦和もハマった。福西が語る「大一番の鹿島」の怖さ。(福西崇史)
  • 最年少15歳で阪神に指名と、その後。辻本賢人、再挑戦の日々に悔いなし。(酒井俊作(日刊スポーツ))

    久しぶりに彼と会ったのは夏の盛りだった。兵庫・芦屋の焼き鳥屋で知人と飲んでいると、不意に姿を見せた。あどけない表情は消え、あごひげを蓄え、ハンチング帽がすごく似合う。貫禄すら漂い、すっかり大人の男に変わっていた。 「あの後、どうしていたんだ? 」 柔らかい関西弁は相変わらずだった。懐かしさもあって、つい聞き込んでしまう。無理はない。彼と長々と話したのは、もう7年前なのだ。日付も克明に覚えている。'09年10月1日。広島カープを取材していた昼すぎ、携帯電話が鳴った。 「お世話になりました。俺、トライアウトを受けます。まだまだ頑張ります」 そうか、ダメだったのか……。辻賢人が阪神にドラフト8巡目で指名されたのは'04年秋だった。無名どころか、中学3年の学年にあたり、ドラフト史上最年少の15歳で指名されると世間は驚き、一躍、脚光を浴びた。在籍5年間の奮闘実らず、タイガースを戦力外になった。前向

    最年少15歳で阪神に指名と、その後。辻本賢人、再挑戦の日々に悔いなし。(酒井俊作(日刊スポーツ))
    orangehalf
    orangehalf 2016/11/11
    高校年代の選手を育てるノウハウも環境もないのに阪神はなんで指名したんだろうね。
  • 石川直宏が愛される最高の組合せ。柔和さと、リミッターを越える感情。(西川結城)

    石川直宏ほど、バンディエラという言葉が似合う選手はJリーグを見渡してもそうはいない。存在そのものがクラブの宝なのだ。 たくさんの人たちから、思いを託される男である。 FC東京に関わる人々にとって、石川直宏という選手は特別な存在だ。サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』で14年からFC東京担当を務めてきて、今年で3年目。直接、日々の石川の姿を目にする中で、彼が愛される理由がわかってきた。 誰にでも分け隔てなく接する好感。雨の日も風の日も、練習場にかけつけたサポーターに対してファンサービスを行う実直さ。そして視線を合わせる誰に対しても、爽やかな笑顔を見せるのである。 それでいて、一度ピッチに立てば思い切り疾走し、相手ゴールに向かって行く迫力。柔和な素顔と、気持ちが前面に出るプレー。この最高のマッチングこそが、石川が愛される理由なのである。 石川の頭によぎった、引退の二文字。 その石川が昨年8月、3

    石川直宏が愛される最高の組合せ。柔和さと、リミッターを越える感情。(西川結城)