北陸の代表紙。ニュース速報、石川と富山のニュース、コラム「時鐘」を掲載。
最近の若い者は、なっとらん! という人もいるかもしれないが、寺社仏閣の前を通り過ぎる時に、黙礼をしてゆく若者が増えている。 では、彼らは黙礼している寺社の御本尊や御祭神を知っているかというと、そうではない。聞くと、パワー・スポットだからというだけである。たしかに、軽薄な印象も受けるが、私は最近、それはそれでよいと思うようになった。つまり、大切なのは、場所なのだ。日本の神々は、その場に宿りたまうのであり、その場所に行くことが、大切なのだ。 平成の大遷宮でにぎわう出雲大社。一般向けに書かれた学術論集は、7世紀から続く祭祀(さいし)の伝統と、それ以前の祭祀遺跡を、わかりやすく教えてくれる(千家和比古・松本岩雄編『出雲大社 日本の神祭りの源流』柊風舎)。 神祭りをするたびに、場所を選んで祭りごとを行った時代から、人びとは巨大な神殿を造ることに、熱中してゆくことになる。なぜ、出雲の人びとは巨大な神殿
ファミマ埼玉初“こども食堂”開催 これまでJAグループ、コカ・コーラなど協力 今回は森永乳業とコラボ おにぎり、チキンなどイートインスペースで味わう 店員の高速レジ打ちに子どもら驚き
中世における科学の基礎づけ 作者: エドワード・グラント,小林剛出版社/メーカー: 知泉書館発売日: 2007/01/25メディア: 単行本 クリック: 9回この商品を含むブログ (2件) を見る E・グラント『中世における科学の基礎づけ その宗教的、制度的、知的背景』小林剛訳、知泉書館、2007年、277–301ページ。 イスラム世界では1500年にいたるまで高い水準で精密科学と医学を発達させることができたのに、その後に西洋が初期近代に経験した科学革命を起こすことはできませんでした。逆に西洋世界は精密科学や医学や医学の水準ではイスラム世界にはるかに劣っていたのに、科学革命を経験しました。なぜでしょう?この問いにたいして著者は、イスラム世界が自然哲学抜きの精密科学と医学を促進したのにたいして、西洋は精密科学と医学の水準はたとえ低くとも自然哲学において高い水準に到達したことが、科学革命の有無
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ある時は古典に厳密な歌舞伎演出家、またある時はわいせつも辞さぬ前衛的映画監督、と思えば評論家、美術収集家、競馬予想家、役者……。いくつ顔を持つのかも定かでない男、武智(たけち)鉄二。このところその名をしばしば目にする。やけに気になる。昭和の文化怪人がよみがえろうとしている。 昭和の終わり、1988年に没した武智は12年生まれ。昨年が生誕100年に当たる。これに合わせ、数年前から評伝や多彩な業績を振り返る書物も相次いで出た。 父の残した資産を費やし、戦争のまっただ中で続けた古典芸能の鑑賞の集い「断絃会(だんげんかい)」。野性的な知性と鋭敏な芸術感覚がうかがえる評論の数々。戦後の混乱期に現世坂田藤十郎ら関西の若手を鍛え上げて評判をとった「武智歌舞伎」。多くの人が認める武智の大きな足跡だ。 とはいえ、記念の年が過ぎれば、すーっと波は引いてしまうのが常だ。 ところが、武智は違う。 ■伝統・文化の古
明治演劇史 [著]渡辺保 維新後、能や歌舞伎がどう変化し、新しい演劇がどのように出現したか、政治や社会の動きとともに生き生きと見える一冊である。 二〇〇九年刊の同著者による『江戸演劇史』上・下は約三百年の時間を駆け足でめぐる長編で、能、浄瑠璃、歌舞伎、音曲、舞踊、遊郭の有機的な関係を書いた名著である。ものごとが飛躍する所には必ず優れた個人がいることを痛感させられる本でもあった。本書はその続きである。やはりジャンルを縦横に走り巡り、そこに明治という時代が浮かび上がる。その要には実に興味深い個人が、まるで役者のように浮かんでは消える。 明治演劇とその時代の特徴については、著者が「エピローグ」で見事にまとめている。そして本書全体からは人の息づかいが聞こえる。たとえば能の零落と新生。幕藩体制が消滅したとき、そのもとで生きてきた能役者たちは職を失い零落しながらもその中から、何としてでも能を続けようと
小学校統合:八女市教委、黒木小など4校、来春統合へ 児童数減少止まらず /福岡 毎日新聞 1月19日(土)13時0分配信 八女市教育委員会は、同市黒木町内の黒木、木屋、笠原、大淵の4小学校を来春、統合する方針を決め、年度内に各地区で地域説明会を開催する。児童数の減少に歯止めがかからないためで、市教委学校教育課は「子どもたちのよりよい教育環境を整えるための決断」と話している。 同課によると、昨年5月2日現在の各校の児童数は、黒木203人▽笠原35人▽木屋63人▽大淵34人−−で、うち2校では既に一部複式学級を取り入れている。計画では14年4月1日から笠原、木屋、大淵の3小学校を黒木小に統合する。今後の通学方法や学習環境などは、学校関係者や保護者らでつくる統合推進委員会で検討していくという。 4小の統合については、各校の校長や地区代表者、保護者、有識者らでつくる統合在り方検討委員会で昨年から
盆踊り―乱交の民俗学 [著]下川耿史 伝統行事を「性的共感」から見直そうとした異色作。著者は風俗史家で、とりわけ性にまつわる本を数多く書いてきた。従来の民俗学は性のテーマを真っ向から取り上げておらず「祖霊信仰や農耕儀礼などの問題にすりかえ」てきた、とふんまんやるかたない。今では民俗芸能として多くの見物客を集める有名盆踊りも、元は交歓の相手を共同体の中で、ひそやかに選びあうことが主眼だったとみる。さらに盆踊りにつながる種々の踊りを生んだ「風流(ふりゅう)」文化は「夜ばい」や「ざこ寝」と同根、というのが著者の主張で、そのルーツを折口信夫が「謬(あやま)り」としてしりぞけた、古代の性的な行楽行事「歌垣」に、あえて求めている。 ◇ 作品社・2100円
ぼくたちは同類だと思っていたオタク同士が、モバマスやる勢やらない勢に引き裂かれる最初の世代だなー(←ほしのこえ)、という気がしているけどまあ気にしすぎ。 これ何かに似てるなと思ったら、メイド喫茶ブーム当時に OFF 会で集合したとき「じゃ、とりあえずメイド喫茶で」と言う勢と言わない勢に引き裂かれたときだった。さほど古い話でもない。まあ、実際はもともと嗜好が違ってたわけで、なにも引き裂かれていないわけなんだよね。 (カタカナ以降の)伝統的なオタクは基本的に突っ込むことをよしとしてきたので、突っ込む側と留まる側に引き裂かれたとき、突っ込む側の振る舞いはまさしくオタク的だが、留まる側に準備された「オタク的な振る舞い」はあまりなく、様にならない常識人っぽさを露呈しがち。 ひらがなの頃は、ほれ、もうちっと抑圧的な態度こそが当世のオタクでしょみたいなんがあったんじゃゃねーかと。知らんけど。 ネットノリ
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111204/1323005896に対して、 shigeto2006 「日本のルイ・ボナパルト」というか、反知性主義に基づく文化破壊という点では「日本の毛沢東」といっていい。私も、橋下徹には出自および品性下劣という弱点があるので、国政に転身できるかは疑問に思っている。 2011/12/05 http://b.hatena.ne.jp/shigeto2006/20111205#bookmark-70568433 まあ政治家や思想家としての毛沢東は否定されても書道家や詩人としての毛沢東は否定され得ないので、これははっきりいって、毛沢東に失礼です。 「品性下劣」ということでは、橋下徹と同等かそれ以上の人も「国政」に進出しています。例えば我が千葉県の浜田幸一*1とか。 それから橋下の「出自」については云々したくないとは思っています。
昭和の時代のことだが、永六輔だったか天皇に和服を着せようと提言していた。日本の天皇なのに和服姿というのはないという穿った話だった。宮中儀礼や婚礼の装束も和服のうちでもあろうが、いわゆる和服ではないだろう。天皇の着流しなどは想像もつかない。天皇家は諸事欧風である。日常の食事には和食も当然あるだろうが、かしこまった席では欧風と決まっているはず。明治時代が作り出した日本というのはそういうハイカラなしろものなのだが、平成も十七年にもなるとなんとなく近代日本というか日本というイメージが随分変わってきたような気がする。 昭和天皇は生物学者でもあった。戦中も自室にダーウィンの肖像を掲げていたと聞く。その業績は同じく生物学者である今上陛下の業績とともに新江ノ島水族館(参照)に展示されている。科学者としての昭和天皇のありようは、北一輝をして「クラゲの研究者」と呼ばわしめたほどだ。 昭和天皇はダーウィニスト、
9月25日、スペイン北東部カタルーニャ州で闘牛の禁止が決まったのを受け、州都バルセロナでは最後の闘牛が行われた(2011年 ロイター/Albert Gea) [バルセロナ 25日 ロイター] スペイン北東部カタルーニャ州で闘牛の禁止が決まったのを受け、州都バルセロナでは25日、最後の闘牛が行われた。チケットは通常の3倍近くにまで高騰したが、最後の伝統行事を一目見ようと、収容2万人の闘牛場は満員となった。 スペインでは、動物愛護団体などが闘牛を残酷だとして非難しており、継続か禁止かをめぐり熱い議論が交わされている。 長年の闘牛ファンだと語る60歳の男性は、ロイターの取材に「これは独裁政治のようなものだ。誰にも迷惑をかけていないのに、300年の歴史がある行事が禁止された」と落胆の表情を見せた。 一方、闘牛場の外には反対派数百人が集結。「牛にとって素晴らしい日」などと書かれた横断幕を掲
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