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北朝鮮と人物に関するosaka_jinのブックマーク (2)

  • 【黄長ヨプ氏死去】「北朝鮮の民主化」見ずに去った悲運の亡命客(1) (中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース

    13年前、彼の韓国行きは「主体(チュチェ)思想の亡命」と呼ばれた。1994年の金日成(キム・イルソン)主席死亡後3年間ぐらついていた金正日(キム・ジョンイル)政権の崩壊を予告するシグナルとしても解釈された。そんな彼が金日成家系の3代世襲の祝砲が打ち上げられた10日に突然目を閉じた。97年2月12日の亡命当日に作成した声明書で、「私が望むことは、北朝鮮人民を一日も早く飢えから救えるようにし、わが祖国の平和的統一を実現することだ」と明らかにした夢を最後まで実現できないまま…。87歳だった。 「労働党国際担当秘書」黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)氏は「主体思想の大家」と呼ばれた。金日成体制の理念的土台となる思想的枠組みを確立するのに決定的に寄与した。彼は亡命1日前に日で行われた主体思想国際セミナーでも金正日体制を称賛した。しかし2日後に北京駐在の韓国大使館領事部の門をくぐった。金正日独裁体制に

  • 黄長ヨプ元党書記が自宅で死亡、心臓まひと推定 (聯合ニュース) - Yahoo!ニュース

    【ソウル10日聯合ニュース】1997年に北朝鮮から韓国に亡命した黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)元朝鮮労働党書記(87)が、10日午前9時半ごろ、ソウル市江南区の自宅で死亡しているのが発見された。 警察や政府筋によると、黄元書記はバスルームで倒れているのを警護員により発見された。持病がなく、外部からの侵入の形跡もなかったことから、心臓まひなどで死亡したものと警察はみている。司法解剖を行い、正確な死因を調べる計画だ。 黄元書記は北朝鮮の最高人民会議議長、党国際担当書記などを務めた。1997年2月、金徳弘(キム・ドクホン)元ヨグァン貿易社長とともに中国・北京の韓国総領事館に亡命を申請し、フィリピンを経てソウルに入った。韓国に亡命した北朝鮮の要人としては最高位となる。 黄元書記は1923年に咸鏡北道に生まれ、金日成総合大学を経て1949年にモスクワ大学でマルクス・レーニン主義を学んだ。金日成

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