唯一 遺された二の丸御殿 権力の転換、その確認を明示するかのように、都に、突如出現した葵の城、二条城。 慶長8(1603)年、すでに解体されていた豊臣秀吉の聚楽第に対抗するかのように建てられたこの城は、まさに、京都における徳川家の拠点のひとつでした。 拠点のひとつといっても、知恩院、南禅寺など、徳川家カラ―を残している寺院などとは規模が異なり、やはり、ここ二条城には特別な存在意義が感じられます。 桃山時代には城郭造営が発展をとげ、時代の記念というべき天守閣を中心に、本丸御殿をはじめ多数の殿館が建ち並びました。 ですが、安土城、伏見城、大坂城など天下の覇者たちが創り上げたその名城たちは、二条城を除いてすべて現存していません。 そう、二条城の二の丸御殿だけが、寛永期からの「御殿」という形式をそのままに見ることの出来る日本で唯一の殿館なのです。 その御殿の特徴とされる「書院造」は、室町時代の中期