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信仰に関するotori334のブックマーク (99)

  • イコノクラスムとは? 意味や使い方 - コトバンク

    字義的に,イコンすなわち聖画像の破壊を意味し,イコンの礼拝のみならず,その制作をも許されないとみなす思想。726-787年,815-843年,ビザンティン皇帝たちによって国家の宗教政策とされ,この帝国における国家と教会との独特の関係を背景に(皇帝教皇主義),その経過で宗教以外の領域をも巻き込んで,歴史的大事件となったばかりでなく,その余波は遠くカロリング朝フランク王国にまで及んだ。 レオ3世が726年,当時特別尊崇をあつめていたコンスタンティノープルのハルコプラテイア地区のキリスト像を撤去させ,730年勅令(偶像破壊令)をもってイコンは偶像だとしてその礼拝を禁止した背景には,ウマイヤ朝カリフ,ヤジード2世(在位720-724)の同趣旨の法令発布や,ユダヤ教,キリスト教異端パウルス派における,キリスト教徒を偶像崇拝主義者だとする批判の声のほか,キリスト教内部における長い論議があった。すなわち

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  • ダニエル書(ダニエルしょ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    旧約聖書の黙示文学に属する書物。ヘブライ語とアラム語の部分からなる。1~6章はネブカドネザルの宮廷で教育を受けたダニエルとその3人の友人,シャデラク,メシャク,アベデネゴという知恵に富み律法に忠実な若者の物語。ダニエルによる王の夢の解き明かし(2~4),ベルシャザル王の宴会の際壁に現れた文字の解き明かし(5),偶像礼拝を拒否し,炉に投げ入れられた3人の友人(3)と,王礼拝を拒否して獅子の穴に投げ入れられたダニエルの試練と奇跡的救出(6)が記される。後半はダニエルの見た四つの幻とその解釈。バビロニア,メディア,ペルシア,ギリシアを示す海からの四つの獣(7),雄羊と雄山羊の戦い(8),70年の預言の意味と,終りの時の幻である。後者はペルシアからギリシアまでの歴史と天使ミカエルの戦い,信仰者の勝利と復活を述べる(10~12)。以上のような内容によって書は,ヤハウェの主権へのアンティオコス4世の

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  • ニヒリズムとは? 意味や使い方 - コトバンク

    「虚無主義」と訳される。通説によれば、「ニヒリズム」はヤコービがフィヒテの知識学を非難して用いたのが最初だとされる。「ニヒリズム」はまた、19世紀の後半、ロシアの社会運動に現れた伝統的権威、政治社会上の諸制度、宗教などを否定し排斥する傾向をさし、盛んに用いられた。しかし今日、「ニヒリズム」ということばを耳にして普通念頭に浮かぶのは、もっぱらニーチェとその現代批判であろう。 ニーチェによれば、「徹底したニヒリズムとは、承認されている最高の諸価値が問題になるようでは、生存は絶対的に不安定だという確信、およびそれに加えて、“神的”であり、道徳の化身でもあるような彼岸(ひがん)ないしは事物自体を調製する権利は、われわれには些(いささ)かもないという洞察のことである」が、現代はそのニヒリズムの到来の時代である。「私が語るのは来るべき20世紀の歴史である。私はやって来るもの、もはや別様にはやって来えな

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  • コヘレトの言葉 - Wikipedia

    『コヘレトの言葉』(コヘレトのことば、ヘブライ語:קֹהֶלֶת)、あるいは『コヘレトの巻物』(מְגִילָת קֹהֶלֶת)または『コーヘレト書』は、旧約聖書の一文献で、ハメシュ・メギロット(五つの巻物)の範疇に含まれている。ハメシュ・メギロットとは旧約聖書の諸書に属する五つの書物、『コヘレトの言葉』、『雅歌』、『哀歌』、『ルツ記』、『エステル記』を指すユダヤ教の概念である。コヘレトとは「集める者」を意味する為、正しくは『伝道の書』と呼ばれる。『伝道者の書』とも呼ばれる[1]。 アシュケナジーの社会では仮庵祭の期間、シナゴーグの中で朗誦される習慣があるが、これは11章2節の記述に基づいている。 ソロモンを著者とする説は保守的な注釈家たちの間では広く受け入れられており、彼らはこの記述をもって、ソロモンが「コヘレト」という異名でも呼ばれていたと主張し、その由来を、コヘレト(קהלת)が多

  • ヘラクレイトス - Wikipedia

    ラファエロ作『アテナイの学堂』に見るヘラクレイトス・中央の階段左付近で考え事をしている。ただ人物のモデルは、ミケランジェロといわれている。 ヘラクレイトス(希: Ἡράκλειτος, Hērakleitos、 紀元前540年頃 - 紀元前480年頃? (ヘラクリタスとも)は、古代ギリシアの哲学者、自然哲学者。 エフェソスで生まれたとされている。王族の家系に生まれたという説があるが詳細は不明である。父はブロソン(ブリュソン)またはヘラコン(ヘラキス)という。ヘラクレイトスがエペソスの貴族階級に属したことはおそらく間違いがない。政治に関しては民主制を軽蔑し、貴族制の立場を取った。誇り高い性格の持ち主で、友人のヘルモドロスがエペソスの民衆により追放されたことに怒り、政治から手を引いた。ディオゲネス・ラエルティオスによれば、のちにエペソスの人は国法の制定をヘラクレイトスに委託したが、ヘラクレイト

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  • 日の下に新しいものなし - 晴耕雨読    趣味と生活の覚書

    太陽の下に、新しいものなどない。 というようなことばを、ずいぶん前に聞いたことがあった気がする。 人間なんて、みんな似たようなものだ。 人間が考えることなど、自分では画期的な新しい考え方だと思っても、ずっと昔に遡ればすでに誰かが考えている。 そんなことばだと、思っていた。 最近、誰のことばだろう、気になって調べてみた。 「旧約聖書」にある言葉らしいことがわかった。 私が、思っていたのとは、全く違った意味合いのようである。 コヘレトの言葉 ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。 日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。 世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。 日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。 風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。 川はみな、海に流れ入

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  • 武器軟膏 - Wikipedia

    Frontispiece illustration of 'Sympathia'- (Powder of Sympathy) Wellcome 武器軟膏(ぶきなんこう)とは、傷薬(英語版)の一種であり、また偽医療の一種。通常の軟膏と異なり、薬を傷口ではなく、傷をつけた武器の方に塗る。16世紀から17世紀にかけて西欧の一部でその効能が信じられ、その作用機序について論争となった。当時は、武器軟膏以外の様々な偽医療が横行しており、その中には、治療どころか悪影響を及ぼす危険なものが含まれていた。そのため、武器軟膏は当時としては比較的有効な治療方法であったと考えられている[1][2]。 武器で傷つけられた時、武器に武器軟膏を塗ることで、傷は回復するという。 武器軟膏の原料は、傷を受けた人の血液を含む多くの成分[3]、あるいは傷を受けた人の血液そのもの[4]である。また粉状の薬もあり、共感の粉と呼ばれ

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  • からし種 - Wikipedia

    また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。 — マタイによる福音書13:31–32(口語訳) (c)日聖書協会 イエスがおしかりになると、悪霊はその子から出て行った。そして子はその時いやされた。それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。しかし、このたぐいは、祈と断とによらなければ、追い出すこ

  • ソラマメ - Wikipedia

    ソラマメ(空豆[4]、蚕豆[4]、学名: Vicia faba)は、マメ科の一年草または越年草。別名、ノラマメ(野良豆)、ナツマメ(夏豆)[1]、テンマメ(天豆)、シガツマメ(四月豆)[1]、コヤマメ(高野豆)、トウマメ[1]。 名称[編集] 和名のソラマメの由来は、豆果(さや)が空に向かってつくため「空豆」[5][4]、またはサヤの中の見た目がカイコの繭に似ていることから「蚕豆」という字があてられた[5][4]など諸説ある。酒処では「天豆」と表示している場合も多い。 歴史[編集] 北アフリカ[5]、地中海、カスピ海沿岸[4]、北部アラビア地方[6]の西南アジアが原産地と推測される[7]。また、大粒種はアルジェリア周辺、小粒種はカスピ海南岸が原産地であるとする二源説もある。イスラエルの新石器時代の遺跡からも出土している。インゲンマメが普及する以前は、ソラマメは古代エジプトやギリシア、ローマ

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  • 天網恢恢疎にして漏らさず(テンモウカイカイソニシテモラサズ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    ( 「老子‐七三」の「天網恢恢、疏而不レ失」による ) 天の網はひろく、その目はあらいようだが、悪人を漏らすことなく捕える。すなわち、天道は厳正で、悪事をなしたものは早晩必ず天罰を受ける。[初出の実例]「天網はあられれともかからぬやうにと油断せぬなり 天網恢々䟽にして不漏と云也」(出典:足利論語抄(16C)季氏第一六)[その他の文献]〔魏書‐景穆一二王伝・任城王〕

    天網恢恢疎にして漏らさず(テンモウカイカイソニシテモラサズ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
  • 古代ギリシャのヘルメスさん on Twitter: "神話に関する本を読んでいるのですが,真実と訳されるギリシャ語 alētheia の重大性に改めて気付く.真実はlēthē(忘却)の否定なのよね.ギリシャ人にとって「真実はいつも1つ」ではなく「真実は語り継がれているもの」ということ… https://t.co/1m83ca9z3n"

    神話に関するを読んでいるのですが,真実と訳されるギリシャ語 alētheia の重大性に改めて気付く.真実はlēthē(忘却)の否定なのよね.ギリシャ人にとって「真実はいつも1つ」ではなく「真実は語り継がれているもの」ということ… https://t.co/1m83ca9z3n

    古代ギリシャのヘルメスさん on Twitter: "神話に関する本を読んでいるのですが,真実と訳されるギリシャ語 alētheia の重大性に改めて気付く.真実はlēthē(忘却)の否定なのよね.ギリシャ人にとって「真実はいつも1つ」ではなく「真実は語り継がれているもの」ということ… https://t.co/1m83ca9z3n"
  • 龍樹 - Wikipedia

    龍樹(りゅうじゅ、梵: नागार्जुन、Nāgārjuna、テルグ語: నాగార్జునుడు、チベット語: ཀླུ་སྒྲུབ、klu sgrub、タイ語: นาคารชุนะ)は、2世紀に生まれたインド仏教の僧である。龍樹とは、サンスクリットのナーガールジュナ[注釈 1]の漢訳名で、日では漢訳名を用いることが多い。中観派の祖であり、蓮如以後の浄土真宗では八宗の祖師と称される。龍猛(りゅうみょう)とも呼ばれる。 真言宗では、龍猛が「付法の八祖」の第三祖とされた[1][2]。龍樹が密教を説いたかどうかや、第五祖金剛智との時代の隔たりから、龍樹と龍猛の同一性を疑問視する意見もある[3][注釈 2]。 浄土真宗では、七高僧の第一祖とされ[4][5]龍樹菩薩、龍樹大士と尊称[6]される[7][8]。 鳩摩羅什訳『龍樹菩薩伝』[9][10][11]によれば南インドのバラモンの家に生まれ、幼

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  • イナゴマメ - Wikipedia

    利用[編集] 豆の莢、果肉、または種子が用、飼料、品原料などに利用される。特に莢と果肉がキャロブ(英語: carob;アラビア語: Kharūb、ヘブライ語: Charuvから)と呼ばれる。 莢の中には黒い果肉と種子がある。果肉は糖分を含んで甘く、そのまま、または乾して用あるいは品原料にする。種子は飼料にすることが多いが、コーヒーの代わりにもされる。特に多糖類からなるローカストビーンガム Locust bean gum を多量に含むため、これを抽出し増粘安定剤として品添加物や化粧品原料などにする。 また、イナゴマメの鞘から抽出されるピニトールには、血糖値の改善効果が期待できる。 現在は地中海沿岸の他にアメリカ大陸などでも栽培される。 歴史文化[編集] イナゴマメは地中海東部で古代から用にされ、古代エジプトでも甘味料として用いられた。サトウキビが利用される以前は砂糖の原料として

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  • バナナ型神話 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "バナナ型神話" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2016年5月) この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2023年3月) バナナ型神話(バナナがたしんわ)とは、東南アジアやニューギニアを中心に各地に見られる、死や短命にまつわる起源神話である。重要なアイテムとして、共通してバナナが登場することから、スコットランドの社会人類学者ジェームズ・フレイザー(Sir James George Frazer, 1854年 -

  • リミナリティ - Wikipedia

    リミナリティ(「敷居」を意味するラテン語のlīmenが由来) [1]は、人類学において通過儀礼の対象者が儀礼前の段階から儀礼完了後の段階に移行する途中に発生する境界の曖昧さまたは見当識の喪失した性状を指す[2]。 儀礼でのリミナリティ段階では、対象者は、アイデンティティ、時間、またはコミュニティの構築以前と構築以後の間の「敷居に立つ」(儀式を完了することによっていずれかに確立される)とされる[3] 。 20世紀初頭に、リミナリティの概念を最初に成立したのは民俗学者のアルノルト・ファン・ヘネップである。後にヴィクター・ターナーによって取り上げられた。 [4]最近では、この用語は儀礼に関してだけでなく、政治的および文化的な変化を表す言葉としても広く用いられる。 [5] [6]どの種類のリミナリティの状態においても、社会的階層が逆転または一時的に解消されて伝統の継続性が不確かになり、かつて当然の

  • グリゴリー・ラスプーチン - Wikipedia

    ラスプーチンと、娘(1911) グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン(露: Григо́рий Ефи́мович Распу́тин、ラテン文字転写:Grigorii Efimovich Rasputin、1859年1月21日(ユリウス暦1月9日[1]) - 1916年12月30日(ユリウス暦12月17日[2]))は、帝政ロシア末期の祈祷僧。シベリア・トボリスク県ポクロフスコエ村(英語版)出身。 奇怪な逸話に彩られた生涯、怪異な容貌から怪僧・怪物などと形容される。ロシア帝国崩壊の一因をつくり、歴史的な人物評は極めて低い反面、その特異なキャラクターから映画小説など大衆向けフィクションの悪役として非常に人気が高く、彼を題材にした多くの通俗小説映画が製作されている。 ラスプーチンと子供たち 1859年1月9日、シベリアの寒村ポクロフスコエ村の農夫エフィム・ヤコブレヴィチ・ラスプーチン

    グリゴリー・ラスプーチン - Wikipedia
  • Pyx - Wikipedia

  • アルゴノート - Wikipedia

    アルゴノート(仏: Argonaute、英: Argonaut) ギリシア神話に登場する船「アルゴー船」の乗組員を指すギリシャ語 アルゴナウタイ(Ἀργοναύται) の単数形 Ἀργοναύτης のフランス語形 Argonaute より。英語形 Argonaut 由来のものもある。 艦船名 アメリカ海軍の艦船 アルゴノート (SS-166) - 潜水艦(同級艦なし)。 アルゴノート (SS-475) - テンチ級潜水艦(後にカナダ海軍へ売却)。 イギリス海軍の艦船 アルゴノート (軽巡洋艦) - ダイドー級軽巡洋艦。1941年進水。1955年売却。 フランス海軍の艦船 アルゴノート級潜水艦 - 潜水艦の艦級。 アルゴノート (S636) - アレテューズ級潜水艦。 地名 アルゴノート島 - 間違って地図に描かれていた架空の島。 企業名 アルゴノートゲームス(旧・アルゴノートソフトウェ

  • 三毛猫 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2015年6月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2015年6月) 出典検索?: "三毛" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 三毛(キジ三毛) かつて和歌山電鐵貴志川線貴志駅にいた三毛の「たま駅長」。 上から見た三毛ではない三毛の例 (ペルシャのキジ三毛) 日ではない三毛の例 (メインクーンのキジ三毛) 三毛親子。三毛からは三毛が生まれることも多い。 三毛(みけねこ)とは、3色の毛が生えているの総称。単に三毛(みけ)とも言う。英語ではキャリコ(英: calico)と呼ばれる。 概要[編集

    三毛猫 - Wikipedia
  • 禅語「本来無一物」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト

    仏が無ければ凡夫も無い ―来無一物―(『六祖壇経』) 「この身体は菩提樹、心は明るい鏡のようなもの。常に拭き清めて塵の溜らぬようにせよ」とトップクラスの神秀上座が言う。これを聞いた寺男の盧行者(後の六祖慧能)は「身体も心もそのように立派なものではない。もともと実体など無い(来無一物)のだ。どうして無いものの上に塵の溜ることがあろう」と、自分の心境を吐露した偈の一句。 「来無一物」という語は、誰でも知っている禅の代表的な言葉である。誰でも知っているけれど、ほんとうに分かっているかどうかは、まったく別であろう。普通には、「もともと何も無い」というように理解されやすい。 しかしこの「来」という語は、もともとという意味ではなく、「質的に」とか、「根源的に」ということである。また「無一物」は何も無いということではない。 禅宗で言う「無」は大乗仏教の説く「真空」の中国版で、有と無の両方を超え