前回 二十一世紀にふさわしい「頑張る」を考えよう…「若い人たちに時間を気にしないで働いてもらう」騒動の本当の意味 がずいぶん盛況で当ブログの1日アクセス記録を更新したわけだが(とはいえそもそも当ブログのアクセス自体たいした数字ではない)まあ良く書けたなと思う一方で、「あー、これ書いておけば良かった」という部分が一つあった。 それは「二十一世紀の頑張る」の例で、L.starのいるソフトウェア業界に古くから伝わるプログラマの三大美徳、怠惰(Wikipediaでは無精)・短期・傲慢というやつだ。 単語だけ見るとプログラマとはなんとろくでもない職業だ、けしからん!と思うだろうが変な言葉を使うのはいわゆるハッカー的偽悪趣味の表れであって本筋ではない。 本筋の部分は@dankogai氏が昔解説した文章がよかったのでそちらを参照していただくとよろしいかと。 404 Title Not Found: #1
三月十一日、あの日Twitterを見ていて日本に希望を感じた。そこには本当に「目の前の惨事を、懸命にみんなで助け合って乗り越えよう」というはっきりとした力があった。 しかし、その「力」はいつの間にか無くなってしまったようだ。日本はまた日常の分裂に戻り、平時のように政局が繰り返され、TLは反原発と原発推進が乱れ合うようになった。最近極端な意見ばかりを尊重する人をだいぶん切ったので私のTLだけはやや平時に戻ったが、Togetterとか見る限り、未だにそうでもないらしい。 しかしこの「反原発(or脱原発)vs原発推進」という論争は全く不思議だ。L.starの立場だけからみてもこんな感じである。 L.starを含む穏健的脱原発派(当面継続はやむなしだが時間をかけて脱原発)と言う意見がなぜか「推進派」あつかい 反原発派の科学技術的に明らかな間違いを意見の問題点を指摘したら推進派扱い 穏健的脱原発派と
前回の科学を信じるか、心を満たすかという二律背反、特にBLOGOSの方でいたく好評で、個人的には受けない自己満足エントリだと思っていたのに意外でした。 しかし自分の文章力不足を感じたエントリで、ここまで困難を覚えたのは日本人が英語をしゃべらなければならない理由以来。これも「グローバル社会はローカルを抹殺するのではなく、相互補完的な存在にならないといけない」という重いテーマと取り組んで、自分なりの結論は得たもののなかなか書けずに苦労して、できばえも満足とは言い難いものでした。今回も特に「科学文明」「宗教」とした単語に対応する概念が結構広範囲な意味をカバーしなければいけない上に不明瞭で、自分でもぶれがあったし、またそれゆえにおのおのが好きな解釈をして自分勝手な感想を述べているのがあったりとか、隙も多かったかなと反省することしきり。 実はこの思想は、元々は1年ほど前、ホメオパシーが発端になったニ
トヨタ伊地知専務「日本の技術力を守るために労働規制の緩和を」 が話題を呼んでるようだ。特に言うまでもなく以下の部分 「私は若い人たちに時間を気にしないで働いてもらう制度を入れてもらえないと、日本のモノづくりは10年後とんでもないことになるのではないかと思う」 まあこれがどのように解釈されるかというとハム速あたりだともうタイトルだけで分かる。 トヨタ専務「若者をもっと低賃金・長時間労働させたい」 「10年泥のように働く」系の釣り堀としてはこの上なく良くできている。経済界の重役が自分を利する発言をしているという前提に立てばこの言葉は「従順な労働力を安くこき使いたい」と解釈されて当然だろう。まあなんとえげつないトヨタ。若者をどこまでも食い物にする吸血鬼のような経済界と老人層。まさに本音が出た「失言」と言って良い。 しかし本当にそう読むべきだろうか? 今回はこの言葉とその反応が明確に指し示している
■「日本の特異性」は世界に売れない を読んでリフレーズの必要性を感じたので。 ガラパゴスについては実際いろいろな意見があるが、この際言っておいた方が良いと思う。ガラパゴスは無敵だ。もちろん、世界中で日本に勝てる国がない、と言う意味ではもちろん無い。誰も相手にしていない、と言う意味で無敵なのだ。あるいはシュレディンガーの猫になぞらえるなら、ガラパゴスな日本商品はまさに観測されていない状態にある。 在欧日本人の大半がこぞって絶賛するのはサランラップとかクレラップなど(商品名だが、ここでは類似品を含んで取り扱う。)である。欧州で売られているのは本当にしょぼいしろもので誰がどう見ても分かるだけの圧倒的な品質差がある。一度でもサランラップを使ったことがあったら絶対に使わない、というぐらいの。でもスーパーの品揃えを見る限り、殆どのヨーロッパ人は使っていないようである。サランラップの優秀さは欧州人には観
昨今の「ゆとり世代」の学力が低い、というのは彼らが馬鹿かどうかとあまり関係がない可能性が高いという計算をしたことがある。というのも単純で、ゆとり世代は進学率が高いからだ。Wikipediaの進学率によると、1989年に25%ほどだった進学率は、2009年ではなんと50%を越えているという。 この25%と50%の差がどのくらいの大きさになるかというと、適当にガウス分布っぽいソースを作成し、その上位25%と50%の平均値を取ってみればいいだろう。元ソースとして1-100の乱数を3回出してその平均を取って作成した場合、結果は上位25%の場合71.3ポイント、一方50%なら63.5ポイントとなった。約8ポイント下落したことになる。 偏差値で言うとこのソースの標準偏差は16.6、平均は当然50なので、計算すると62.8から58.1に落ちたことになる。実に4.7ポイント。もちろん同一集団を仮定している
海外ブロガー仲間の@HAL0213さんの記事 「日本のサービスを海外で実現できたら・・」が机上の空論である理由 彼が占めそうとしている視点は分からなくもないし、結論としての「日本のサービス業は海外には出て行けない」というのは大きく間違っていないと思われる。ただ、彼は東欧、こっちは西欧とかなり文化の違う国にいるからか、その思考過程については違うなと思うことが多々あった。同じ問題提起を拝借しつつ、ちょっと違う視点から攻めてみたい。 欧米人に、日本並みのサービスが出来ないわけではありません。実際に、欧米にも一流ホテルはあり、一流のサービスをしています。また、ヨーロッパ、特にイギリスなどのでは、自宅でパーティーを開く文化があり、そのホスピタリティーの高さは日本人に負けるものではありません。 この点は全くその通りである。ホスピタリティだけじゃなく、工芸品のようなものでもそうだ。例えば職人が手で丁寧に
最近のうちの周りのブログ、排外主義がテーマである。 不景気だからこその移民政策のススメのコメント欄から始まって移民もまた人間であるそして日本人が本当に大嫌いなのは「異質な人々」まで飛び火している。実はあなたの国際人レベルはどのくらい?も元々はそこをテーマにしている。 ところでこういう排外主義が日本特有かというと、そうではない。排外主義は世界的には珍しいものでも何でもなく、反イスラムという形でならオランダ自由党PVVをはじめごまんといる。アメリカで最近話題のティーパーティーもそうである。最近東欧では反ユダヤが流行りだそうで又恐ろしい話である。そうでなくても、民族ジョークには差別ぎりぎりのやばいものまである。 さらに誤解しないように付け加えないといけないのは、排外主義は確かに勢いがあるが、いまだ非主流ということだ。例えば欧州では。オランダのPVVは先の総選挙で24議席を取って躍進して大きく注目
池田信夫氏が文明の生態史観を紹介していた。農耕民族と騎馬民族の関係が文明の形態に影響を及ぼした、と言う話である。 マクニールは「世界史」で同様の問題について深い考察を書いている。遊牧民と農耕民の力関係がテクノロジー(例えば古代戦車、鉄器、鐙、銃などに)によって変化する、などである。例えば戦車のような機動力に勝るが高度な技術が必要な武器が優勢な時代が統率力に勝る遊牧民が強く、文明国家があっさりと滅ぼされる。逆に鉄器や銃のような大量配備が容易で、扱いが簡単な時代は農耕民が優位で、巨大な帝国が勃興する要因になる。 もちろんこのような遊牧民と農耕民というパーツをそのまま21世紀に持ってきて、正しく考察できるかというと、なにしろいろんな要素が変わりすぎてしまっているので無理である。しかし、その骨格は十分応用できるだろう。 つまり、優勢な武器と、それにあった習慣を持った社会は、世界で優位を確保するので
週末はやや体調を崩していたが、頑張って夜のオランダ=スペイン戦を見ていた。勝ったスペインにはおめでとうと言いたいが、しかし・・・ 確かに荒れた試合だったが、イエローカード総計14枚というのはいくら何でも多すぎるように思えたし、所々誤審も(しかも重要な場面で)あった。実際スペインは守備陣に隙がない上攻撃も果敢と、確かに強かったし勝つのは順当だろう。しかし素人目にあまり後味の良いものではなかった。 後味が悪いといえば先週末の参議院選挙。twitterで「選挙も後味悪し…」とつぶやかれていったいどんな、と思っていろいろデータをあさってみたが、確かにどうにも解釈しがたい。得票数で勝る民主を一人区でことごとく破るなど圧倒した自民が大勝、と言う結果はいったい何と読めばいいのだろうか。 もちろん今回の獲得議席は決定で、そこに疑義を差し挟む余地はない。違憲だと裁判を起こすことはもちろん可能だが、どうせやり
いろいろと個人的に忙しかったりやる気が出なかったりで、一部予定している記事も遅れがちなのだが、気になった記事があったので。 ■必要なのは「共通語としての英語 英語は普段会社で使っているのもあり、L.starにとっても結構深刻な問題である。実際時々あやしかったり、切り替えに手間取ったりしつつもそれなりに頑張っていて、たいていの欧州人からは「日本人にしてはずいぶんできる」と評価してもらっている。ただその言葉のうちどれだけがお世辞かは知りたくもないが、まあ改良の努力はしている。ちなみに、オランダにいるがうちの部署は英語圏(not米語圏)出身者が多く、彼らのネイティブな「生きた」英語にはさんざん苦労させられる。 で、英語についてのいろんな「どこまでできるべきか」という議論だが、そもそも人によってまちまちなはずである、という基本的なスタンスが抜けてないだろうか。だから人によってどこまで要求されるか、
最近いつものシリーズが又行き詰まっているので、月並みなことであるが、なんかふと気考えたことを書き殴ってみる。 「日系企業の海外法人において、日本人の価値はやはりよく働くことである。タイムラグを埋められるだけの超過労働もするし、いきなりバカンスとかいって長期休暇で休んだりもしない。安い現地人の現地採用者や、中国インド等の労働者よりも結果としてお得である。」 これは典型的な日本企業の海外法人が日本人を使うときに考える論理である。というか、日本ではそういう人材が昔からずっとありがたがられているのではなかったか。もちろん雇う側からすれば金額に見合うパフォーマンスが出ればなんでも良いんであって、これでいい。しかし今日問題にしたいのは、雇われる側からすればどうだろう、ということだ。つまり「日本人」という労働者の商品性はどうか?ということだ。 最初の文章をひどくざっくり言い換えてしまえば「中国人よりお得
アクセス数を見る限り全く持って人気がないが、L.star当人がもう考え出したら止まらないので、引き続き日本の「ネイション」を問うシリーズ第3回。第一回は国家民族に再フォーカスし、鎖国によって日本の良さを守る、超効率エコ社会を訴える「現代に おいて鎖国が現実味を帯びる時 ー 日本第一百科事典財団構想」、その次は経済と企業システムの再興を宗教改革になぞらえた「意義の ある「労道」がしたいー21世紀の日本で宗教改革の波が」。 第3の仮説は「創造の共同体」の望ましい規模が、日本国(=民族=宗教)より大きいならどうなる?と言う考えに基づく。たとえ ば「資本主義」イデオロギーは日本国よりずっと大きい。アメリカ合衆国も大きい。中国もロシアも、である。歴史的に見ると、巨大な共同体は強大だ が、それを維持するためのコストも増大するため、長期的に存続するのは難しい。しかし小さすぎると逆にスケールメリットが得ら
昨日は「ネイション」の話をしたが、それに関連する話を一つ。これは又聞きだったかコピペだったか記憶にない。ある日本人がある書類に「宗教:なし」と書いたところアナーキストと勘違いされて一時騒然となった、という話を聞いたことがある。欧米ではなにがしかの信仰を持っているのが当たり前であり、持たないのは異分子なのである。それでテロリストか何かとの疑いをもたれたらしい。 当時はまだ日本にいたが、なるほど確かに自分でもそう書きそうになる、と思った。実態はどうだろうか。「なし」と書きたくなる日本人の大半は、いかなる意味においてもアナーキストではない。ゆえになにがしかの宗教を書いてもいいのだろう。今L.starは英文として正しいかどうかはさておき”My religion is a hybrid of Shintoism and Buddhism.”と答えている。仏教と神道のあいのこ、である。あとはそれが典型
まだ自分でインストールして確かめていないが、kumofsに興味津々である。何が興味深いかというと、まあスケーラブルで且つ耐障害性に優れるところだ。もちろんそれだけなら分散KVSということである程度予想された機能である。個人的な興味としては「この種のKVSを使ってRDBMSもどきが作れないか」というところにある。 この構想は 超 並列RDBMSは成立するか – L.star的デザイン(1) でずいぶん前から暖めているものであるが、ここでいうリソースノードをkumofsで代用できないかというものだ。引用して、機能的な実装の必要でないものを除くと リソースノード storage engineである DDL的には、テーブルスペースに近い位置づけとして定義可能であると考えている。 sequential scan, index scan, seq scan+sortを行い、その結果を返すDBである。M
「オランダが*外国人参政権導入により*ひどいことになっている」というのはガセ が驚くほどヒットしてしまった。はてなトップページにいた2日間のヒット数が約1万で、これはほぼそれ以前の一年間の20%に相当する。意見もたくさんいただいたし、かなり多面的に眺めることができた。一見たくさんの論点があるように思えたが、実は論点は複雑なものではなかった。一連の「外国人参政権問題もの」のコメントを書いているときも、「外国人参政権に反対か、賛成かはあまり重要な問題ではない」と思っていた。しかし、整理ができたら、それをようやく言葉としてまとめることができた。以前からオランダに住んでいるからこそ思う、外国人参政権論を考えてみたのコメントでも、「もっと大きな枠組みで考えよう」などと言う話をしたが、それを一言で言うと、 「参政権議論の中には、ずっと重大な政策問題が隠れている。それは、日本社会を開放的により広めていく
民主党政権・鳩山内閣への重大なる懸念 というのがWikipedia:外国人参政権にまで言及されているのを見て、いいかげん以前のエントリより明確に書いておかないといけないかと思い、改めて書いておこう。 オランダはEU域外の外国人への地方参政権付与からトラブルが始まって、やがて内乱に近い状態になった。外国人は都市部に集中してゲットーに居住 し、別国家のような観を呈した。そこにオランダ人が足を踏み入れると敵意を示す。外国人はオランダの生活習慣や価値観を嫌い、祖国のやり方を守るだけでな く、オランダの文化や仕切りを自分たちの流儀に切り換え、変革しようとさえする。時刻の宗教や文化を絶対視し、若い狂信派を育てて、オランダの社会システ ムを破壊し、つくり変えようとする。 オランダ政府はいろいろ手を打ったが、すべて手遅れである。外国人が一定数以上を超え、政治発言力を持ち始めると、取り返しがつかなくなる先例
転職歴の多いL.starは50人以下の従業員のソフトハウスに、既に数社勤めている。また、知り合いの会社など含め、オープンソース関係を中心に、情報交換しながらいくらかよく知ることができた。 縦割りの一部門はともかく、多くの独立開業エンジニアは、もちろんそれなりの勝算があって起業しているに違いない。まず一つあげるとすれば、少数精鋭は、大企業の硬直した体制に勝る。例えば大きなSIerの下のくだらない案件の問題点というと、馬鹿げたコーディング規則やいつまでも前構造化プログラミングかと言いたくなるような古めかしい設計などがやり玉に挙げられる。しかし質の低いかもしれない100人に安定して同時に作業させるには、やや馬鹿げた程度に抑えるのはおそらく必要なものであり、その人海戦術によって発生する膨大な開発工数は大企業にしかハンドル不可能である。しかしそう言うモデルではハンドルするに小さすぎる案件では、少数精
ベンチャー社長で技術者で:ベンチャー社長で技術者で: オブジェクト指向言語で処理したら保守性が悪い!. というのを目にした。要するに「OO言語+RDBな組み合わせ」において、O\Rマッピングに頼らずにちゃんとSQLとストアドを書いた方がいい、と言うことである。 L.starは元々Java屋でそれからSQLに移ったので、未だに自分が両方をバックグラウンドに持つ人間だと思っている。O/Rマッピングのイ ンピーダンスミスマッチを解決する簡単な方法が実は無い、と言うぐらいには両方を理解している。だからこそ言いたいが、この文章、特定のDBが中央に鎮座していて、それがすべての中心になるような業務システムにおいては完全に正しい。ただし、元々そう言うシステムを念頭に置いて書かれた文章であるので、その点はちゃんと考えるべきだ。O/Rマッピングに頼り切って、SQLをきっちり書かない、ということをすると性能が出
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