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2011年1月13日のブックマーク (4件)

  • 即戦力をめぐる企業と大学の“共犯”関係 自分都合のオトナたちが若者の芽を摘む:日経ビジネスオンライン

    大学って、いったい何をするところだったのだろうか? かつての大学は間違いなく「学問」をする場だった。少なくとも大学進学率が3割に満たなかった1970年代前半までは、「貧乏人には学問は必要ない」なんて言い回しがドラマなどでよく使われていたように、大学が存在する目的も、そこに行くのも学問のためだった。 仕事に就くために大学の学問が必要だったケースもあるかもしれないが、おおむね大学と仕事は、別ルートに存在する立場にあったと考えられる。 ところが大学に行く人が次第に増え、高等教育を受けることが特別なことではなくなったころから、大学が仕事へのルート上に組み込まれるようになる。加えて、「入る時は難しいけれど、出るのは簡単」とばかりに、大学に入学することが目的と化し、大学の存在意義が揺らぎ始めた。 80年代にレジャーランドと化した大学 私が大学受験をした1980年代後半には、既に大学は「遊ぶ」場だった。

    即戦力をめぐる企業と大学の“共犯”関係 自分都合のオトナたちが若者の芽を摘む:日経ビジネスオンライン
    ottyanko
    ottyanko 2011/01/13
    日本企業が世界から見放されていく原因が、分かったような気がする。大学では生徒にまともな教育(内容の吟味と成果検証)もせずに卒業させ、企業は安易に目先の要求定義を行う。
  • 東大ブランドは世界には通用しない 灘高トップはエール大学を選んだ:日経ビジネスオンライン

    その流れを読んでのことか? 世界の名門大学でもまれるべく、東大を蹴って海を渡る若者が出てきた。今回はその一人を紹介したい。エール大学1年生の古賀健太氏だ。灘高をトップで卒業し、東大理三(医学部)合格が保証されていた俊才だ。 「東大に居ては、世界で戦える人材になれない」とエール大学に乗り込んできた。結論から言えば、1億2000万人の中から秀才が集う学校と、65億人の中の英才が集まる環境では、その舞台が与えてくれる可能性は比べ物にならない。 先輩の一言を機にエール大学にあこがれる ―― 米国の大学受験を決めたのはなぜ? 古賀 きっかけは、ハーバードに行っていた高校時代の先輩から「お前、英語しゃべれんねんから、ハーバードに来たらええやん」って言われたことでした。この一言で「ハーバードってかっこいいな」と簡単に憧れてしまったんです。 そしてちょっと調子に乗って、何も知らないくせに「ハーバードに行く

    東大ブランドは世界には通用しない 灘高トップはエール大学を選んだ:日経ビジネスオンライン
    ottyanko
    ottyanko 2011/01/13
    高校の先生も大変だな…グローバルな視点で教育できる先生なんて、現在の教員育成過程じゃ絶対生まれてこないだろうに。なんせ社会経験皆無なのが殆どの教員に共通する欠点なんだから。
  • わずか3997枚…里田まいと藤岡藤巻、3年前“惨敗”の曲を再発売 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    藤岡藤巻(左から藤岡孝章、藤巻直哉)のライブにゲスト出演した里田まい(中央)。その後、ブレークを果たした3人が、リベンジ曲で勝負する(手前は大橋のぞみ)=2008年9月、東京・赤坂ブリッツ タレントの里田まい(26)とオヤジデュオ、藤岡藤巻が2007年に全く売れなかったデュエット曲をあえて再発売し、リベンジに挑むことが9日、分かった。歌詞を変えただけの「続・オヤジの心に灯った小さな火」(27日発売)で、ジャケット、プロモーションビデオ(PV)は前作と同じものを少しだけ手を加えて再利用。「ヘキサゴン」と「ポニョ」で大ブレークした3人が、省エネ勝負で今度こそ大ヒットを目指す。(サンケイスポーツ) 里田と藤岡藤巻の異色ユニットが、異例の試みでリベンジに挑戦する。 2007年に「里田まいwith藤岡藤巻」名義で発売された「オヤジの心に灯った小さな火」。派遣社員のOLに、中年課長が妄想を抱く姿をおも

    ottyanko
    ottyanko 2011/01/13
    よくカラオケで歌うのだが、良い曲だと思う。周りのウケも極めて良い。
  • 藤岡孝章 - Wikipedia

    藤岡 孝章(ふじおか たかあき、1952年〈昭和27年〉6月5日 – )は、日音楽プロデューサー、ミュージシャン、俳優である[1]。F2エンタテインメント代表。 ステゴザウルス(すてござうるす)、藤岡藤巻 without 藤巻(ふじおかふじまきうぃずあうとふじまき)などの名義でも活動している。 概要[編集] ソニー・ミュージックエンタテインメント所属の音楽プロデューサーを経て、現在はF2エンタテインメントの代表を務めている[2]。 略歴[編集] 早稲田大学商学部中退。「大嫌いシリーズ」「死ね!シリーズ」など強烈な歌を持つ。藤巻直哉らとバンド「まりちゃんズ」を結成し、『尾崎家の祖母』などをリリースした。山梨鐐平、板垣秀雄と結成したバンド「Do!」時代に長渕剛と交遊を深め、長渕のシングル「夏の恋人」では作詞・作曲として参加しており、ラジオ『くるくるダイヤル ザ・ゴリラ』では「長渕クンと藤岡

    ottyanko
    ottyanko 2011/01/13
    Mr.Children、シャ乱Q、槇原敬之、渡辺美里をオーディションで落とした過去がある。