ゼレンスキーによる一連の人気回復政策が問題 ミンスク合意は、ウクライナ東部で起きたドンバス戦争を停戦させるため、14年にベラルーシの首都ミンスクで調印されたものだ。ドンバス地方は、親ロ派のドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国が実効支配し、ウクライナ政府と対立している。14年の合意ではウクライナ、ロシア、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国、OSCE(欧州安全保障協力機構)の代表が調印し、翌15年にはドイツ、フランスが仲介して「ミンスク2」が調印されている。合意内容には、停戦とともにウクライナの憲法を改正し、ドンバス地方に“特別な地位”を与えると規定している。 ウクライナの東側、ドネツク州とルガンスク州はおよそ3割がロシア系だが、「人民共和国」とした地域に限ればクリミアと同じく7割を占める。彼らはドンバス地方の東側50キロほどをぶん取ってロシアとの間に緩衝地帯をつくっていた。この地域
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