◆◆◆◆◆ 豊砲台跡 ◆◆◆◆◆ 豊砲台跡(豊崎砲台跡とも言う)は対馬の最北端の鰐浦(わにうら)の落土(おてど)という地区の半島にあります。 この砲台は日本海および朝鮮海峡の制海権を確実のものにする為に造られたもので、昭和4年(1929)に工事が始まり、6年後の昭和9年3月に付帯設備も含めてすべての工事は完了しました。 当時、世界最大級の巨砲でした。 この砲台は大正11年(1922年)ワシントン海軍軍縮条約の締結により、航空母艦に改造されることとなった巡洋戦艦「赤城」の45口径40.6Cmキャノン砲一基二門の砲塔砲台を設置したという説のほか、 戦艦土佐や戦艦長門のものであるとの説もあります。どれが本当か定かでありません。 しかし、実戦では1発の弾丸も発射することなく終戦を迎え、戦後に米軍が撤収作業をして解体、砲身は二分され八幡製鉄所で溶かされ、戦後復興の資材として活用されたそうです。 豊砲