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ブックマーク / ncat2.hatenablog.com (2)

  • お笑いと音楽は意味の開放へと向かっている - ncat2の日記

    あらゆる表現への価値の付け方には二種類ある。一つが、どこかの層への人気を基準に価値づけるとする経済的なもの。もう一つが「質」と名付けたものを基準に価値づける芸術的なもの。前者にはある程度決まった分かりやすい基準がある。だから、幾分考えやすい。しかし、後者を考えるのはいつだって難しい。「質」を紐解くには、歴史を参照したり、自分の奥深くへ問いかけたり、人間の能を暴いたりする必要がある。それは心労の意味でも、単純作業量な意味でも、大変な作業だ。しかし、それが質を探るというものである。 歴史、自分、人間の能、この3つが「質」の中身を表すことのできる言葉であると考えているのだが、さて今回は、その質を暴くための3つの言葉を使い、そこに音楽という補助線をひくことで、「お笑い」に隠れた「意味の開放」というものを導き出したい思っている。 では、まずは補助線から。 音楽。音を使った表現、芸術。歴

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  • 笑い飯の「鳥人」が最高のおもしろさだった2つの理由 - ncat2の日記

    Mー1で見せた笑い飯の漫才、「鳥人」。島田紳助が100点を出すほどの漫才。あの漫才は、どこが面白かったのか? どこが他の漫才と違ったのか? その辺りについて分析解説していきたいと思う。 まず、哲夫の鳥人の説明がある。頭は鳥で胴体が人間、英国紳士のような身なり。それがやってくると。 ここがちょっと普通の漫才の構造と違う。まず、「鳥人がやってくる」という設定は、常識から外れている。同じ年のM−1の他の漫才の設定は「煮物をおすそ分け」だとか「格闘技の勝利者インタビュー」だとか、設定自体は普通の日常だ。そこが違う。この前提が狂っているという部分がまず注目すべきポイントだ。 さらに、その鳥人の説明を聞いた西田はこう言う。 西田「そんなもん子供の前に出てきて大丈夫なんか」 ここで、また普通の漫才とは違う異質な部分が見え隠れしている。このセリフだけではまだ異質とは言い切れないが、ここから「ちょっとやって

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