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ロンドン軍縮会議の検索結果1 - 40 件 / 313件

  • 山本五十六 - Wikipedia

    山本 五十六(やまもと いそろく、1884年〈明治17年〉4月4日 - 1943年〈昭和18年〉4月18日)は、日本の海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。栄典は正三位大勲位功一級。 新潟県長岡出身。旧姓は高野(たかの)。海兵32期、海大甲種14期。第26、27代連合艦隊司令長官。前線視察の際、ブーゲンビル島の上空で戦死(海軍甲事件)。日本において皇族・華族以外で、国葬を受けた最初の人物である。 1905年撮影 1884年(明治17年)4月4日、新潟県古志郡長岡本町玉蔵院町(現在の長岡市坂之上町3丁目付近)[1]で、旧越後長岡藩士(120石[2])・高野貞吉の六男として誕生する[3]。当時の父親の年齢から「五十六(いそろく)」と名付けられた[注釈 2]。母親も45歳と高齢だった[5]。子供の頃から負けず嫌いで、小学生時代、「何でも食べるが鉛筆は無理だろう」とからかわれると、その場で鉛筆を食べだ

      山本五十六 - Wikipedia
    • 書評 「逆転の大戦争史」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

      逆転の大戦争史 (文春e-book) 作者: オーナ・ハサウェイ,スコット・シャピーロ,船橋洋一・解説出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2018/10/12メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る 本書は法学者であるオーナ・ハサウェイとスコット・シャピーロによる,なぜ第二次世界大戦後主要国同士の大きな戦争が激減したのかについて法政治思想史的に解明しようというテーマの本になる. この第二次世界大戦後の戦争激減(暴力減少)について,ピンカーは「The Better Angels of Our Nature」(邦題「暴力の人類史」)において「長い平和」と名づけ,それを可能にした要因を民主制,国際貿易,国際機関に求め,さらにそうなった要因についてモラルの輪の拡大と歴史に学ぶ態度だと位置づけている.著者たちは,このピンカーの議論は国際法体系,および法思想的な視点が希薄だと考えて本書を

        書評 「逆転の大戦争史」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
      • 少年犯罪データベース 戦前の少年犯罪

        昭和2年(1927).1.13〔17歳僧侶が幼女レイプ殺人〕 香川県仲多度郡の寺で、僧侶(満17歳)が近所の女の子(9)を誘い込みレイプしようとしたが抵抗されたため首を絞めて頭を臼に打ち付け血だらけにして失神させてからレイプ、ヒモで絞殺して死体を近所の溝に捨て、1.16に逮捕された。小学生の時は成績優秀の模範生だったが、母親が死んでからグレ出し、窃盗で中学を中退、父親の跡を継ぐためよその寺で小僧になったが、長続きせず実家の寺に戻った。父親は法事のため家を空けることが多く、放任されていた。高松地裁は懲役13年の判決。 昭和2年(1927).1.18〔小学校高等科1年がイジメ自殺〕 茨城県真壁郡の自宅で深夜1時、小学校高等科1年生(12)がカミソリで腹を切り、気づいた父親が医者を呼びに行っているあいだにさらに頸動脈を切って自殺した。足が悪いことを友人にからかわれたため。 昭和2年(1927).

        • ベノナ - Wikipedia

          このページ名「ベノナ」は暫定的なものです。 代案としてはヴェノナ、ヴェノナ文書などがあります。 議論はノートを参照してください。(2020年1月) この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年1月) ベノナないしベノナ・プロジェクト(VENONA, Venona project)は、後のUKUSA協定や国際的監視網の起源となるもので、1943年から1980年まで37年間の長期にわたって、アメリカ合衆国陸軍情報部(通称アーリントンホール、後のNSA/アメリカ国家安全保障局)とイギリスの政府暗号学校(後のGCHQ/政府通信本部)が協力して行った、ソ連と米国内に多数存在したソ連スパイとの間で有線電信により交信された多数の暗号電文を解読する極秘プロジェク

          • 弱者を追い詰めて爆発させる愚 - Chikirinの日記

            8月 8日にソーシャルブックリーディング(みんなで同じ本を読んで、ツイッターで感想を共有し合うイベント 。詳しくはこちらら ) を行うので、課題図書の『昭和史 1926-1945 』を再読してます。 https://amzn.to/39Twcit → 昭和史 1926-1945 キンドル版 → 昭和史 1926-1945 楽天ブックス 今、安倍政権が安保関連法制を大きく変えようとしてるため、「戦争前の日本と全く同じだ」みたいに言う人がいるけど、『昭和史』を読めば読むほど、それはちょっと違うと感じます。 むしろ、すごく似ていると思えるのは別の国の状況と当時の日本です。 たとえばギリシャ。 彼らは既に 4年以上も緊縮財政を余儀なくされてる。 2010年、前政権の粉飾決算が明らかになって財政危機に陥った時、EU や IMF に助けてもらう条件として、年金など福祉施策をカットし、一方で税金は引き上

              弱者を追い詰めて爆発させる愚 - Chikirinの日記
            • マイケル・ジャクソンの思想

              【丑三ツ大学 コロナ廃スクール 日本近代史講義シリーズ】 ・近代国民国家は、国民戦争を戦う、国民軍をつくるためにできた。 ・やがてそれは、国民戦争から、総力戦へと発展した。 ・総力戦のなかから核兵器が生まれ、核戦争(とテロ・ゲリラ戦争)へと発展した。 この観点から、日本近代史を語ってみました。 ・江戸時代は、家制度の完成期であり、十分に安定していた。 ・しかし、世界資本主義システムに取り込まれるなかで再編が起きた。これが明治維新。 ・明治政府は、家制度を変形した立場主義の上に形成し、擬似的国民国家の形成に成功した。それが日清・日露戦争。 ・しかし、国民戦争が総力戦へと発展したことに、対応できず、自滅した。それが第二次世界大戦での敗北。 といういうように理解しています。 ついでにいえば、 ・核戦争などできもしないのに、核戦争をできる国家であろうとしていること。 ・立場主義が崩壊しつつあるのに

              • 人権を守るには人権を守るしかないこと。人権以外のものを守ることによって人権を守ろうとする試みは破綻すること(その2) - 🍉しいたげられたしいたけ

                前記事に、もう一つの材料として盛り込もうと思ったが盛り切れなかったので、別記事にする。「人権を守るには人権を守るしかないこと」というタイトルで文章を書こうとして、最初に念頭に浮かんだのは、今回述べる「天皇機関説」だったのだ。すなわち「天皇」(君主)という中心を掲げることにより、結果として国民の人権を保証しようという考え方である。 ただし今日の日本で「天皇機関説」という言葉を使用する場合、それが戦前において猛烈な排斥を受けたことと、またそのような動きが戦前の日本を戦争の破滅へと追いやった重要な一里塚の一つとして記憶されていることまでが、含意されると思う。 スポンサーリンク まずは、丸谷才一『文章読本 (中公文庫)』に、大内兵衛の『法律学について』という文章の一部が掲載されているので、孫引きする。丸谷『文章読本』は国語の教科書に似て、著者が「名文」と判断した文章がふんだんに引用、紹介されている

                  人権を守るには人権を守るしかないこと。人権以外のものを守ることによって人権を守ろうとする試みは破綻すること(その2) - 🍉しいたげられたしいたけ
                • パープル暗号 - Wikipedia

                  句読点コード処理[編集] 翻訳文をまずローマ字部分と句読点コードに分かち書きする。 FOVTA TAKID ASINI MUIMI NOMOX IWOIR UBESI FYXXF CKZZR DXOOV BTNFY XFAEM EMORA NDUMF IOFOV OOMOJ IBAKA RIFYX RAICC YLFCB BCFCT HEGOV E?NME NTOFJ APANL FLPRO MPTED BYAGE NUINE DESIR ETOCO METOA NAMIC ABLEU NDERS TANDI N?WIT HTHEG OVERN MENTO FTHE? NITED STATE S (以下略) FOV TATAKIDASI NI MUIMI NO MOXI WO IRU BESI FYX XFC KZ ZR DX OOV BTN FYX FAE MEMORANDUM FIO

                    パープル暗号 - Wikipedia
                  • 養命酒提督と山本五十六 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

                    近代史や軍制史に疎い人は、陸軍と海軍を「日本軍」として一緒くたにまとめてしまうことが多いですが、これほど危険なことはありません。 陸軍と海軍は、これが同じ日本で隣り合わせだった組織だったのかと思うほど、全くの別人格でした。 陸軍はプロシア(ドイツ)陸軍、海軍はイギリス海軍がベース。そこから生まれる社風ならぬ「軍風(?)」も全く違ってきます。 戦争中のこと、海軍が軍艦で陸軍の将兵を輸送していました。 陸軍将校は海軍士官室で待機だったのですが、ある将校が部下の下士官を呼び寄せました。 士官室にやってきた部下は、士官室に入るや否や直立不動で敬礼し、 「○○軍曹、参りました!中隊長殿、お呼びでありますか!  (-o-)>」 それを見た海軍士官は一斉に爆笑。 「陸さんは相変わらず硬いな~。あ~硬い硬いww」 それを聞いた陸軍将校、少しムカッときたか、 「じゃあ、海軍さんはどうなんだよ!」 じゃあ海軍

                      養命酒提督と山本五十六 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
                    • 太平洋戦争までの日本海軍整備計画 | Kousyoublog

                      調べている途中ではありますが、とりあえず簡単に基本的な点だけまとめ。 明治四十年(1907)「日本帝国の国防方針(帝国国防方針)」制定。八八艦隊計画登場。 大正元年(1912) 「七割軍備論」(佐藤鉄太郎)の登場。 大正二年(1913) シーメンス事件。 大正三年(1914) 第一次世界大戦勃発。 大正四年(1915) 八四艦隊計画予算の一部成立。 大正五年(1916) 八四艦隊計画予算成立。 大正六年(1917) 八六艦隊計画予算成立。 大正七年(1918) 「帝国国防方針」第一次改定。八八八艦隊計画登場。 大正八年(1919) 第一次世界大戦終結。 大正九年(1920) 八八艦隊計画予算成立。 大正十年(1921) ワシントン会議。日英同盟廃棄。 大正十一年(1922)ワシントン海軍軍縮条約締結。 大正十二年(1923)「帝国国防方針」第二次改定。八八八艦隊計画見直し。 昭和三年(19

                        太平洋戦争までの日本海軍整備計画 | Kousyoublog
                      • 天下一品家麺!天一食べた過ぎて取り寄せた話〜薄く切る技術をください〜 - これはとある100kgオーバーの男が美味しいものを食べながら痩せるまでのダイエット成功物語である

                        どうも!アマゾンプライムで倫敦の山本五十六を見た小生です🫡 ロンドン軍縮会議を扱った作品で、山本五十六役を香取慎吾ちゃんがやっているのです📽 さて、皆さんは天一こと天下一品さんをご存じだろうか? そう!京都発祥の有名ラーメンチェーン店なのです⛓ 天下一品家麺 開封していくぅ!! そうなんです!丼が付いてくるのです✌️ これが欲しかったのでーす😁 もちろん私が頼むのはこってり!! あっさりは他に旨い店あるやん…あっさり好きな人たちごめんなさい🙇‍♂️ スープ入ってるから作るのもちょー簡単なのでーす🙋‍♂️ メンマとチャーシュー入っているので、味玉を作り、九条ねぎは買いました😅 麺を茹でていく!!!! こってりが…香りが最高でーす✌️ キッチンがにおいます😂 こってりお待ち! このドッロドロなスープがたまらんのじゃ🤤 しつかりと麺を運んできてくれます🍜 味玉をいい感じのできで

                          天下一品家麺!天一食べた過ぎて取り寄せた話〜薄く切る技術をください〜 - これはとある100kgオーバーの男が美味しいものを食べながら痩せるまでのダイエット成功物語である
                        • 正統史観年表

                          当ブログが紹介しているリンク先の 他サイトの内容を100%支持している わけではありません。完全に意見が 一致する人など存在していません。 ならば、なぜリンク紹介しているの かというと、大東亜戦争後、日本国 内が、あまりにも、いわゆる左巻き の論調に偏ってしまっているので、 全体的に見ると少数ながら存在して いる保守側の意見を、いろいろな 角度から知ってほしいからです。 ホームページよりもブログのほうが 簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 このトップページの年表内のリンクで、ほとんどのページに行けます。 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

                            正統史観年表
                          • 大日本帝国憲法はどこから来たのか|加藤陽子☓長谷部恭男 記念対談「憲法と歴史の交差点」|webちくま

                            大日本帝国憲法は、究極の押しつけ憲法? 加藤  先生は『論究ジュリスト』(有斐閣)2016年春号に掲載されている「大日本帝国憲法の制定――君主制原理の生成と展開」で、明治憲法の制定の時点から書き始めておられる。憲法の理論一般ではなく、明治憲法についてのご論文なのでいささか驚きました。これは歴史家的な勘ぐりなんですが、今年の5月2日、憲政記念館で改憲を目指す人々による集会が開かれまして、そこには来賓として渡部昇一さんが出席され、報道によれば、「明治憲法に返れ」というようなご主張を展開されたといいます。長谷部先生は、このご論文のなかで、改憲派も護憲派も、大日本帝国憲法について考えるのであれば、君主制原理を認めなかった美濃部の国家法人理論について、改めてちゃんと検討してみましょうと書かれていますが、これは単に学説的に面白いからではなく、改憲論者に対して、有効な学問的な反論を完璧に書いてしまおう、

                              大日本帝国憲法はどこから来たのか|加藤陽子☓長谷部恭男 記念対談「憲法と歴史の交差点」|webちくま
                            • 元防衛大学校教授・平間洋一氏の誤った日米戦艦運用方法についての認識

                              よく誤解されている「大和級戦艦は低速で空母の護衛に使えず、金剛級高速戦艦のみが役に立った」「戦艦を空母の護衛に組み込んだアメリカの方が日本よりも優れていた」という都市伝説の類いは、素人な一般人どころか軍事マニアの間でも一時期、まかり通っていた事のある言説です。どうしてそんな事になってしまったかというと、プロの戦史研究家の中にそのような主張をする者が居たからです。 例えば学研の「歴史群像」の太平洋戦史シリーズ8「マリアナ沖海戦」の121ページには、以下のような記述があります。 「あ」号作戦とその敗因 文・平間洋一:学習研究社[歴史群像]太平洋戦史シリーズ8「マリアナ沖海戦」 p121戦艦や巡洋艦が直接空母を護衛するアメリカに対し、 小沢艦隊のマリアナ沖海戦における陣形は、大和・武蔵など戦艦5隻は空母の後方100海里に配備され、 空母部隊の一撃後に戦艦部隊が突撃し「止めを刺す」という旧来の大艦

                                元防衛大学校教授・平間洋一氏の誤った日米戦艦運用方法についての認識
                              • 【皇紀】2679年4月21日 - 素人が新聞記事書いてみた

                                今日はロンドン海軍軍縮条約が調印された日だ。 大正7年(1918年)に第一次世界大戦が終結して以降、世界は軍縮の方向に向かっていく。日本は2つの軍縮条約を締結する。 ①ワシントン海軍軍縮条約(大正11年/1922年) ②ロンドン海軍軍縮条約(昭和5年/1930年) この2つの条約は非常に関係性が深い。 ロンドン軍縮会議の米国代表団、出典:Wikipedia 大正10年(1921年)11月12日~大正11年(1922年)2月6日にかけ、ワシントン会議が行われる。米国が主催した初の国際会議であり、史上初の軍縮会議である。日本・米国・英国・フランス・イタリア・中華民国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの計9カ国が参加。 大正10年(1921年)12月13日、四カ国条約が日本・米国・英国・フランスにより署名される。太平洋の島嶼とうしょに対する権利の相互尊重と紛争の処理方法がその内容。この条約の発効と

                                  【皇紀】2679年4月21日 - 素人が新聞記事書いてみた
                                • 坂本龍一ニューイヤー・スペシャル 2020年1月1日(平野啓一郎、本條秀慈郎、斎藤幸平、安冨歩) - ラジオと音楽

                                  毎年恒例の番組。今年で15回目。今回は4人のゲストが来られました。 【ゲスト】平野啓一郎、本條秀慈郎、斎藤幸平、安冨歩 三味線奏者:本條秀慈郎さん 1984年生まれ。三味線で現代音楽をバリバリ弾かれている方。 「Async」で坂本さんと共演されてます。番組では生演奏と坂本さんと即興。 Async アーティスト:Ryuichi Sakamoto 出版社/メーカー: Milan Records 発売日: 2017/04/28 メディア: CD honj 「Async」を作っている時に本條さんのコンサートをNYで見に行って、すごく気に入って翌日坂本さんのプライベートスタジオに招いて録音した曲だそうです。昨年本條さんに頼まれて2曲目、3曲目を作られて、honjが組曲のようになっているそうです。 honj 坂本龍一 ポップ ¥250 provided courtesy of iTunes 経済思想家

                                    坂本龍一ニューイヤー・スペシャル 2020年1月1日(平野啓一郎、本條秀慈郎、斎藤幸平、安冨歩) - ラジオと音楽
                                  • レッドサン ブラッククロス - Wikipedia

                                    『レッドサン ブラッククロス』(Red Sun Black Cross、略称RSBC)とは、 アドテクノスから発売されたボードシミュレーションゲーム。原案・高梨俊一、開発・佐藤大輔、福田誠ほか。日米が第二次世界大戦に参加しなかった世界で、日独がインド亜大陸を主戦場に第三次世界大戦を行うという設定。続編として『リターン トゥ ヨーロッパ』『エスコート フリート』がある。タイトルの元ネタはアメリカ合衆国のSPI社製で、ホビージャパンから日本語訳付きで発売もされた仮想第三次世界大戦ボードウォーゲーム『レッドスター・ホワイトスター』。 上記と関連する、佐藤大輔による架空戦記小説。本項ではこちらについて詳述する。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "レッドサン ブラックク

                                    • 全てのジャーナリスト必読の書「戦う石橋湛山」~読まずに戦争・軍備について書くべからず - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

                                      知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう いやぁ、先日の新特措法通過の際の心境を書いた記事がネタばれするので、本当はもう少し後で書こうかとも思ったのですが、少しでも早い方がよいかと思って紹介することにします。半藤一利さんが書いた「戦う石橋湛山」、戦前のメディア状況を取り扱ったこの本を読んでいたから、あんな文語調の文句が頭の中をぐるぐる巡ったんですね。結構、影響されやすいようでお恥ずかしい…。 で、本論は、この書の中身です。タイトルのとおり、「満州放棄論」を唱えた石橋湛山が、戦前の好戦的メディアの中で孤軍奮闘した状況が書かれているのですが、その対比として書かれている当時の大メディア(朝日、毎日などの大新聞)の主張の変遷ぶりがすさまじい。ジャーナリスト必読の書であり、これを読まずして、戦争や軍備について書くことは対中国戦争、第二次

                                        全てのジャーナリスト必読の書「戦う石橋湛山」~読まずに戦争・軍備について書くべからず - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄
                                      • 15年も続いた戦争

                                        歴史の授業も昭和時代に入った1930~1945年は大きな戦争が続いた時代で、 15年戦争とも呼ばれた時代である。どのようなできごとがあり、原子爆弾 の投下に至ったのであろうか。この15年間のできごとについて学んだ。 まず教科書で、満州事変から第二次世界大戦の終了までが1931年から1945年 であることを確認した。 教科書では、「15年も続いた戦争」と書いてありますね。第 二次世界大戦の終了が1945年ですから、1931年から1945年のこ 指示1 とを15年戦争と呼びます。この15年には1年毎どんなでき ごとが起こっているでしょうか。毎年どんなことがあったか教 科書で調べていきましょう。 まずは教科書や資料集を使って調べていった。大きなできごとはすぐに見つ けることができたのだが、細かなできごとについては見つけにくかったよう である。特に1933年~1935年が難

                                        • アレン・ウェルシュ・ダレス - Wikipedia

                                          アレン・ウェルシュ・ダレス(英語:Allen Welsh Dulles、1893年4月7日 - 1969年1月29日)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、弁護士。ドワイト・D・アイゼンハワー、ジョン・F・ケネディ政権にて第5代中央情報長官(CIA長官)を務めた。兄は第52代アメリカ合衆国国務長官を務めたジョン・フォスター・ダレス。 1893年4月7日にニューヨーク州ウォータータウンに誕生する。父は長老派教会の牧師であり、ダレス家は長老派の聖職者を多く出す家柄であった[1]。一方母方の祖父は国務長官を務めたジョン・W・フォスターで、この二つの家系がジョンとアレンの兄弟の将来に期待される役割をもたらしてもいた。ジョンに対しては外交官となることが望まれたのに対し、アレンは聖職者となることを嘱望されたのである[2]。 アレンは早熟な子供で、8歳の時にイギリスが南アフリカにボーア戦争を仕掛けたことを

                                            アレン・ウェルシュ・ダレス - Wikipedia
                                          • 朝日新聞「検証 昭和報道」 - Apeman’s diary

                                            朝日新聞は3月30日から夕刊で「検証 昭和報道」と題する連載を掲載している。 2009年は「昭和」が終わって20年の節目の年。激動の64年間だった昭和時代の朝日新聞の報道は、歴史に耐えるものだったか。それを自ら検証することを通じて、昭和史の実像に迫る長期企画を1年間にわたり掲載します。 企画の中心は、夕刊で3月30日から始まる年間連載です(統合版は朝刊で3月31日付スタート)。夕刊2面に月曜から金曜まで週5回、計250回程度掲載します。昭和の主な出来事から「昭和恐慌」「日米開戦」「8月15日」「高度成長と公害」「ロッキード事件」「バブル経済」など約30のテーマを選び、それぞれ5〜10回ずつ、朝日新聞はどう報じ、何を報じなかったかを検証します。 (中略) 今回の企画の特色は、取材チームに記者だけでなく、入江昭ハーバード大名誉教授ら歴史学者3人も加わっていることです。「世界史の中の昭和」という

                                              朝日新聞「検証 昭和報道」 - Apeman’s diary
                                            • 東方昭和伝とは (トウホウショウワデンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

                                              東方昭和伝単語 トウホウショウワデン 6.0千文字の記事 13 0pt ほめる 掲示板へ 記事編集 出演概要各部マイリスト一覧掲示板東方昭和伝とは、eleven氏制作の「東方キャラで昭和史を再現しようという無謀な試み」(本人談)である。 昭和史のうち、昭和の始まりからサンフランシスコ講和条約あたりまでを扱う(予定)。 ~ 動画制作上のガイドラインについて ~ 本動画では、森恪、近衛文麿、陸軍といった革新勢力の主義主張については相当尺を取り、擁護していますが、西園寺公望のようなリベラルの主張に対しては、本人の言葉をそのまま引用しているだけで、ことさら解説はしていません。というのも、大体至極真っ当なことを言っており、大局的に正しかったことは歴史が証明しているため、解説の必要性がないからです。こうしないと、リベラル・国際協調派=善、現状改革派・軍部=悪の単純な史観に陥りかねないので、こうした記述

                                                東方昭和伝とは (トウホウショウワデンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
                                              • 「大政奉還」は何かの間違いでは?: 竹林の国から

                                                山本七平bot(名言集) 一知半解さんのtogetterサイト 山本七平学のすすめ 私のホームページです。山本七平学の全体像に迫ることを目指しています。 山本七平「読者連絡会」 山本七平文献目録 ブログ「一知半解」 山本七平の思想を詳しく紹介しています。 私は早く日本も政権交代できる国になって欲しいと思っています。しかし、そのためには言論戦を通したリーダー選びができるようにならないといけません。そして、その言論戦が熾烈であればあるほど、論敵同士にウイットやユーモアが交わせるようになる・・・そうなって欲しいと思っています。 言論戦における罵詈讒謗は、本当の狙いは別の所にあるか、真剣に物事を考えていない証拠だと思います。こうした言葉による秩序作りという点では、市場原理主義とかなんとかいって多くの論者がアメリカを批判していますが、アメリカのこの点における統治能力はたいしたものです。 ところで、自

                                                  「大政奉還」は何かの間違いでは?: 竹林の国から
                                                • 排日宣伝戦はさらに強まって行った 新聞記事で読む宣伝戦6

                                                  さらに強くなった排日宣伝と年々減少していった対支輸出 前回は昭和8年の「宣伝戦」に関する新聞記事を採り上げさせていただいたのだが、今回は昭和9年以降の記事をいくつか紹介させていただく。 昭和8年にわが国は国際連盟を脱退したのだが、その後欧米列強の排日宣伝は強まるばかりであった。 国際連盟脱退以来日本に対する列強の思想、政略戦はいよいよ猛烈に露骨となって来た。 先ず露国の対日赤化工作は我が国家組織を破壊し一朝有事の際祖国敗戦主義を以て国内を攪乱せんとするもので、ハバロフスクを始め欧露の各無電台より猛烈な排日放送を行うと共に、我が国内に於ては第三インターを通じ所謂左翼分子を踊らしてその策動を続けて居り、過般の浜松楽器争議に於て露国大使館員の手を通じ一万円の赤化資金がばらまかれた事実が最近に於て明かとなっている。 次で支那をみるに日支関係好転説を唱える者もあるが、南京の無電台は露のハバロフスクに

                                                    排日宣伝戦はさらに強まって行った 新聞記事で読む宣伝戦6
                                                  • 南雲忠一 - Wikipedia

                                                    南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887年(明治20年)3月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。海兵36期。太平洋戦争初期から中期にかけて第一航空艦隊および第三艦隊(南雲機動部隊)司令長官を務めた後、サイパンの戦いで自決。死後一階級特進により、最終階級は海軍大将。正三位勲一等功一級。 1887年3月25日、山形県南置賜郡米沢信夫町(現在の米沢市)で、郡役所書記の父・南雲周蔵[1]と母・志んの次男として生まれる。6人兄弟姉の末子であった。父の周蔵は旧米沢藩士であり、藩では御扶持方(中士階級)でもあった[2][注釈 1]。 米沢尋常中学興譲館を経て、1905年(明治38年)海軍兵学校36期に入校。海軍兵学校では三号、二号生徒でそれぞれ学術優等賞を授与された[3]。1908年(明治41年)、海兵36期を191人中8番の成績で卒業[4][注釈 2]。海軍少尉候補生とな

                                                      南雲忠一 - Wikipedia
                                                    • 温故知新:1935年の日本、日米戦争は論外であった

                                                      IEEJ:2011 年 7 月掲載 1 温故知新:1935 年の日本、日米戦争は論外であった ‐数字から見る日本の石油需給構造‐ 計量分析ユニット 研究主幹 平井 晴己 1.1935 年の日本 昭和の時代(戦前)は、恐慌、テロ・ファシズム、そして戦争(軍国主義)という暗いイメージが強 いかも知れないが、これは、あまりにも、遠山茂樹の「昭和史」(岩波新書)に代表される「戦後史 観」(戦後における、戦前の昭和時代に対する見方を言う)の影響が大きすぎると思う。1935 年は、 戦前の日本が経済的、文化的(消費文化)に最高点に達した年といわれている。様々な経済指標 も 1935 年を基準としている。では一体、1935 年という年はどんな時代であったのか。 1935 年(昭和 10 年)は、2 月に貴族院で美濃部達吉の「天皇機関説」が問題になった。一方、 石橋湛山が主幹を務める東洋経済新報社の発行す

                                                      • 歴史年代ゴロ年表 - livedoor Blog(ブログ)

                                                        歴史ゴロ年表検索 最新のゴロを読む 「現代編」の歴史ゴロ年表を開く(1945〜) <原始編> 46億年前 地球誕生 46億年前〜現在  地質年代 <先史編> 400万年前〜3万年前  人類の進化 300万年前〜1万年前  石器時代 <古代編> B.C.(紀元前)3000年〜1500年 四大文明始まる B.C.3000年頃    エジプト文明始まる B.C.221年  秦王朝成立 B.C.202年  漢王朝成立 B.C.27年     ローマ帝国成立 1万年前      縄文時代始まる B.C.4世紀    弥生時代始まる A.D.(紀元後) 57年     倭の奴国、後漢に使いを送る 239年    卑弥呼、魏に使いを送る 478年  倭王武、南朝に使いを送る 538年  わが国に仏教伝来 589年  隋の中国統一 593年  聖徳太子、摂政となる 630年  遣唐使の開始 645年  大

                                                        • ヨロンヨロンと叫び続ける愚かしさ

                                                          先日あるラジオ番組の企画で、「こいつはスゴイ! と思う日本の男を挙げてください」と質問された。パッと思いつかず、5分近く悩んでやっと頭に浮かんだのが「龍馬」と「白洲」と「湛山」。悩んだわりにありきたりなのが情けないが、後から思い返しても、山田方谷や上杉鷹山のように有能で勇敢な人物はいろいろあるが、理屈抜きに単純に「凄い」と感じるのはこの3人と杉原千畝くらいしかいない。 坂本龍馬も白洲次郎も、ドラマや小説で美化された部分がおそらく少なからずあり、豪胆な傑物というイメージ通りの人物だったかどうかは疑わしい。しかし信じるに足る史料だけから判断しても、その視野の広さ、時代におもねらない意志の強さは、近現代に政治の舞台にかかわった男たちの中で突出している。 龍馬も白洲も石橋湛山も強烈なナショナリストでありながら、もっぱら日本だけでなく世界全体をスケールとした枠の中でで国の進むべき道を考えた。情や理想

                                                          • 『日本を予言す』(GHQ焚書)を読む その4

                                                            洗練されていないわが国の宣伝戦対応 ロンドン軍縮会議でイギリスの仕掛けた宣伝戦を報じる大阪毎日新聞 「神戸大学新聞記事文庫」軍事(国防)39-145 「宣伝戦」対策で、連合国主要国は第一次大戦勃発後に対外宣伝のための機関を組織したのに対し、わが国は支那事変勃発後「内閣情報委員会」を「内閣情報部」に格上げした程度で、この組織は対外宣伝ではなく対内宣伝に従事するものであったという。わが国では対外宣伝は「外務省情報部」の担当で、陸軍省の「新聞班」も海軍省の「軍事普及部」その他諸省に宣伝担当部門があったが、主たる業務は対内宣伝であったという。 また外国に対する「宣伝戦」の原則の一つに、相手国によって宣伝内容を変えるというのがあるのだが、イギリスはわが国に対しては、「興奮しやすい日本国民だから、刺激を与えてはならない。」という方針で臨み、支那に対しては「支那人の特性に呼び掛けるように、利害関係から事

                                                              『日本を予言す』(GHQ焚書)を読む その4
                                                            • マスメディアの戦争責任 - Wikipedia

                                                              マスメディアの戦争責任(マスメディアのせんそうせきにん)とは、マスメディアが国民に事実を報道することを怠ったり、対外強硬論を助長する報道を行うことで、開戦に至ったり戦争の長期化を招くことに対する責任論である。 日本[編集] 警視庁検閲課による検閲の様子(1938年(昭和13年)) 言論統制と自発的な協力[編集] 戦前の日本では1909年(明治42年)5月6日に公布された新聞紙法によって新聞は検閲の対象となっており、軍や政府は記事差止命令や写真の不掲載といった措置を取ることができ、反体制派の宮武外骨などは度々処分を受けていた(ただし第二次大戦期ほど激しくはなかった)。 1930年( 昭和5年)のロンドン軍縮会議の時点では新聞による軍部批判は行われていたが、1931年(昭和6年)の満州事変以後、軍の政治に対する発言力が増大すると、正面から政府や軍を批判する記事の掲載が困難となっていったほか、国

                                                                マスメディアの戦争責任 - Wikipedia
                                                              • グラーフ・ツェッペリン (空母) - Wikipedia

                                                                グラーフ・ツェッペリン(ドイツ語:Graf Zeppelin)は、ドイツ海軍 (Kriegsmarine) が建造していたグラーフ・ツェッペリン級航空母艦の1番艦である。艦名は、硬式飛行船を実用化したフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵に由来する。 進水後のグラーフ・ツェッペリン 1930年代、権力を掌握したアドルフ・ヒトラーの指導下で、ドイツは再軍備を開始した[1]。ドイツ海軍においては、ビスマルク級戦艦、Uボートと同時期に航空母艦の建造計画がスタートした[2]。しかしドイツに空母の建造や運用経験はなかったため、1935年(昭和10年)にドイツ海軍は大日本帝国海軍に協力を依頼[2]。日本海軍は空母「赤城」の設計図および同艦での訓練方法まで「すべての秘密を公開」し、ドイツ技術者・飛行将校の視察を許した[2]。 これに対しドイツ側は、航空機の設計・軍艦の防御甲板・火薬他の秘密を日本側に

                                                                  グラーフ・ツェッペリン (空母) - Wikipedia
                                                                • untitled

                                                                  Discussion Paper Series No. J78 2 2007 3 第 2 次大戦前の日本における財政の維持可能性 鎮目 雅人* 神戸大学 経済経営研究所 E-mail:shizume@rieb.kobe-u.ac.jp 2007 年 3 月 [要旨] 近代史上、日本は第 2 次大戦直後に一度、財政破綻した。本稿では、第 2 次大戦に至る 日本の財政運営がいつから維持可能でなくなったか、その背景にどのような要因が働いて いたかを検討する。まず、叙述的資料、データならびに先行研究をもとに、第 2 次大戦前 の日本の公的債務について概観する。次に、公債の中立性命題の検証、経済の動学的効率 性の検証、Bohn 検定、の 3 段階からなる財政の維持可能性の数量的分析を行う。さらに、 上記の数量的分析の結果の解釈について、経済史、政治史を含む先行研究や最近公開され た歴史的資料等をもと

                                                                  • 【正論】平成22年の初めに 拓殖大学学長・渡辺利夫 - MSN産経ニュース

                                                                    ■「日英同盟」廃棄の轍を踏むな 何を思い悩んでいるのか。日本は世界最大の覇権国家米国を同盟国としているではないか。自国の安全を確実に保障するものは最強の覇権国との同盟である。これ以上明快な答えはない。「専守防衛」を旨とし、なお自国の安全を手にしようというのである。他に代替策があると考えるのはよほどの「主義者」にちがいない。 集団的自衛権は独立国のすべてに与えられた自然権である。日本はその行使をも否定して自国の安全を守ろうとしている。覇権国との同盟関係を維持するための必死の努力なくして、どうして日本がこの厳しい東アジアの地政学的環境の中で生存をまっとうできるか。最強国との同盟関係を断ち切って独自に存在できるほど東アジア地政学は甘くはない。つい先だっての歴史に痛恨の先例があるではないか。第二次大戦での敗北によって日本が亡国の危機におとしめられた、その淵源(えんげん)をたどっていけば日英同盟の廃

                                                                    • キリスト教をテーマにした幻の落語「禁酒運動」とは? クリスチャン落語家・露のききょうさんに聞く

                                                                      親子二代のクリスチャン落語家として活躍している露のききょうさん一家を取材しているとき、父・露の五郎兵衛さんの著作『五郎は生涯未完成―芸と病気とイエスさま』を読んで気になる記述に出会った。 「落語のネタにもキリスト教が出てくるものがある。先代小春団治(編集部注:初代・桂小春団治[1904~1974年])、あの大正時代から昭和にかけて、次々と新作落語を手掛けた先代のネタに『禁酒運動』というのがある。(中略)今では幻の作品である」 これは気になる・・・。というわけで早速、ききょうさんに聞いてみた。 「キリスト教を主題にした落語は他にも有名な噺(はなし)として『宗論』というのがあるんです。熱心な浄土真宗の門徒の旦那とキリスト教に改宗した息子が、親子で仏教とキリスト教の教義をめぐって口論になり、息子は牧師の口調をまねて聖書の一節を語り、賛美歌まで歌い出し大げんかになる・・・という物語です。もともとは

                                                                        キリスト教をテーマにした幻の落語「禁酒運動」とは? クリスチャン落語家・露のききょうさんに聞く
                                                                      • 4月4日は沖縄県誕生の日、ピンクデー、しあわせ写真の日、男前豆腐の日、歯周病予防デー、コメッ子記念日・米粉の日、交通反戦デー、ヨーヨーの日、ピアノ調律の日、等の日 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

                                                                        2019年4月4日は何の日? 4月4日は沖縄県誕生の日、ピンクデー、しあわせ写真の日、男前豆腐の日、歯周病予防デー、コメッ子記念日・米粉の日、シシリアンライスの日、脂肪0%ヨーグルトの日、交通反戦デー、ヨーヨーの日、ピアノ調律の日、等の日です。 ●『沖縄県誕生の日』 : 1879(明治12)年のこの日、当時の「琉球王国」に、明治政府が軍隊と警察を投入して首里城の明け渡しを迫り、「沖縄県」の設置を宣言した日です。 ●ピンクデー 出会った人にしあわせになってもらいたいと毎日ピンク色の服を着ていることから「ピンク社長」と呼ばれる広島県広島市の多田多延子氏が制定。ピンク色の紙に手紙を書いたり絵を描いて送ったり、プレゼントを贈るなどして、しあわせを分かち合う日とするのが目的。日付は4と4を合わせて「し(4)・合わせ=しあわせ」と読むことと、Present for youなどの「for you」が「4

                                                                        • アルジャー・ヒス - Wikipedia

                                                                          フランクリン・ルーズベルト大統領の側近として、ハリー・ホプキンズ、ウィリアム・リーヒ提督らとともにヤルタ会談に出席。1948年に元共産党員のウィッテカー・チェンバーズによって、ヒスがアメリカ共産党のスパイであることを暴露された。 「赤狩り」が吹き荒れる1950年に偽証の有罪判決を下され、5年の懲役が宣告された。スパイ行為に関しては出訴期限が尽きたため訴追を受けなかった。1992年一旦無罪とされたが、近年公開された『ヴェノナ文書』によると、GRUのエージェントとして、長年スパイ活動をしていたことが明らかになった。 ジョン・ローウェンサール(弁護士)[1] ヒスとされている暗号名”アレス”はGRU(軍)のために働いているが、国務省のヒスは非軍事情報しか入手できない。 ヒスはマーシャル・プランで、ソビエト封じ込め政策を支持している。 ヒスはヤルタ会談後モスクワに行ったので、GRUは直接本人と話せ

                                                                            アルジャー・ヒス - Wikipedia
                                                                          • 氷川丸 - Wikipedia

                                                                            氷川丸(ひかわまる)は、日本郵船が1930年(昭和5年)に竣工させた日本の12,000t級貨客船。北太平洋航路で長らく運航された。2019年時点では、横浜市で博物館船として公開されている。国の重要文化財(歴史資料)に指定されている[5][6]。 概要[編集] 「氷川丸」は、横浜船渠(現:三菱重工業横浜製作所)で建造された1万トン級貨客船であり、太平洋戦争では病院船として運用された。戦後は1960年(昭和35年)まで北太平洋航路で運航を続けた。 運航終了後は横浜市の山下公園前(横浜港)に係留されている。戦前より唯一現存する日本の貨客船であり、船内のインテリアなども含めて貴重な産業遺産であるため、2003年(平成15年)には横浜市の有形文化財の指定を受け、2007年(平成19年)に経済産業省の近代化産業遺産として認定、さらに2016年(平成28年)8月には国の重要文化財(歴史資料)に指定された

                                                                              氷川丸 - Wikipedia
                                                                            • 日本の機械式暗号 - Wikipedia

                                                                              解読を試みた国[編集] アメリカ レッド暗号に続いてパープル暗号、コーラル暗号、ジェイド暗号も理論解読に成功。オレンジ暗号も解読する。 イギリス レッド暗号は理論解読できたが、パープル暗号はアメリカの技術供与に頼る。 ドイツ レッド暗号は理論解読できたが、パープル暗号は失敗。 ソ連 レッド暗号はモスクワ大使館の暗号係をリクルートすることで解読。パープル暗号は不明。 海軍・外務省暗号機[編集] 外務省の機械式暗号の歴史[編集] 外務省における機械式暗号の歴史は、同じ内容の電文を新旧の暗号で電信するというミスを繰り返した歴史である。旧暗号の解読によって原文が判明したので、新暗号に対して暗号文と原文との対照をする解読が可能になった。 1921年 海軍艦艇の軍縮に関するワシントン軍縮会議が開かれる。米国務省情報部、MI-8(俗称:ブラックチェンバー)が日本の外交電報(Jp暗号)を解読。これは簡単な

                                                                                日本の機械式暗号 - Wikipedia
                                                                              • やる夫達で学ぶ日本国憲法 第三話 「憲法改正!」

                                                                                __,, , , , _ 、 ,,, ... ,, _ ..,_ ー=、 、ー-、`ヽ、、ヽ`!i' , ,i",r'",-'"=ミ `ヽ`ヾ`、 ! ヽ ! l! i! !_i_/_<'"`` `,ゝ、iliー'" "、,"、',  i, リ !/!,li ,;;-=o=-,ッィ=。ゥィ __  i、`!', '; `ー /;;!i、''; ,!        ....   ┏━                . .   ━┓ ー''`ヽ`,ーi'`''"!、ヽ , `一'、 /   __       ┏┛| ̄                       ̄|┗┓ `il `i ! ヽ、   ̄ ̄ / iヽ、/ ,.ヽ_....    ┃| ̄            .             . ̄|┃ i! !`   `ーァ、-ー'  ! ノ!トi,!'",ノ-、.....  ┃|    や

                                                                                  やる夫達で学ぶ日本国憲法 第三話 「憲法改正!」
                                                                                • asahi.com(朝日新聞社):「昭和の鉄道記事」が凄い、おもしろい(4) - 特集 - BOOK

                                                                                  「昭和の鉄道記事」が凄い、おもしろい(4)[発売]2010年11月30日1940(昭和15)年6月26日、東京駅第3ホームで。日本によって建国された満州国(現中国東北部)の初代皇帝となった「ラストエンペラー」溥儀を出迎える昭和天皇1930(昭和5)年11月14日、東京駅で銃撃された浜口雄幸首相(中央部)。この時の傷がもととなり、翌年に死去した1960(昭和35)年6月22日、東京駅15番ホーム。いわゆる「60年安保闘争」で国鉄労組は時限ストなどの実力行使を展開。それに備えて前夜から「つばめ」を15番線に留置し「第1こだま」として運用した。手書きの「こだま」マークを取り付けている珍しいシーンだ。 出版社:朝日新聞出版 価格:¥ 1,680 ■AERAムック「昭和の鉄道と旅」 アエラムック「昭和の鐵道と旅」復刻記事特集の4つ目は、「昭和史の証人 東京駅」です。 1914(大正3)年に開業してか