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大震災の検索結果361 - 400 件 / 6124件

  • 阪神・淡路大震災から28年 神戸などで犠牲者を追悼する行事 | NHK

    6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から、17日で28年になりました。 神戸市など大きな被害を受けた地域では、犠牲者を追悼する行事が行われました。 28年前の平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、建物の倒壊や火災などが相次ぎ、その後の「災害関連死」も含めて6434人が亡くなりました。 神戸市中央区の公園「東遊園地」では、市民団体などでつくる実行委員会による追悼のつどいが開かれ、地震が起きた午前5時46分に、静かに手を合わせ、犠牲者に黙とうをささげました。 公園には犠牲者を追悼する灯籠が、震災が起きた日付の「1.17」と「むすぶ」という文字の形に並べられました。 「むすぶ」という文字には、震災を経験した人が知らない世代に語り継ぐなど、得られた知恵や教訓を伝えていきたいという思いが込められています。

      阪神・淡路大震災から28年 神戸などで犠牲者を追悼する行事 | NHK
    • 東日本大震災の関連死 福島県外で死亡4人に1人 転居平均3.9回 | 東日本大震災 | NHKニュース

      東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故から来月で10年になります。原発の周辺の自治体がいわゆる「震災関連死」と認定した1400人余りの死亡の経緯について、NHKが専門家の協力を得て調べたところ、避難の回数は平均で3.9回にのぼり、4人に1人が県外で亡くなっていたことが分かりました。専門家は「避難先の環境が相当過酷だったことが影響しているのではないか」と話しています。 福島県では、震災と原発事故による避難生活などで死亡するいわゆる「震災関連死」と認定された人の数は、1月8日までに2316人にのぼっていて、津波などによる直接死の1606人を大きく上回っています。

        東日本大震災の関連死 福島県外で死亡4人に1人 転居平均3.9回 | 東日本大震災 | NHKニュース
      • 阪神大震災の記憶をつなぐ…30年の節目迎える来年1月公開を目指す映画の製作決定、富田望生が映画初主演

        阪神大震災の記憶をつなぐ…30年の節目迎える来年1月公開を目指す映画の製作決定、富田望生が映画初主演 – 記事詳細|Infoseekニュース17日で発生から29年を迎える阪神淡路大震災。この日、来年30年の節目での公開を目指す映画「港に灯(ひ)がともる」(監督安達もじり)の製作が、映像制作会社「合同会社ミナトスタジオ」から発表された。阪神淡路大震災の1カ月後に神戸市長田区で生まれ、被災を機に荒れた生活となった家族や国籍に悩み、双極性障が… 25年前、困難な状況だったにもかかわらず、多くの被災者が真摯に答えた言葉の数々。 映像から得られる教訓を未来につなげます。 1995年1月17日5時46分、阪神淡路大震災が起こりました。 三連休明けの朝、テレビが普及して初めて日本が経験した大災害でした。 同時に、この震災は発生の瞬間から、その後の復興プロセスまで映像でつぶさに記録された、世界で初めての大

          阪神大震災の記憶をつなぐ…30年の節目迎える来年1月公開を目指す映画の製作決定、富田望生が映画初主演
        • 【東日本大震災から10年】被災地へ走った“前例なき”緊急石油貨物列車。鉄道マンたちの挑戦(前編)|読むらじる。|NHKラジオ らじる★らじる

          当時、深刻な石油不足に陥っていた東北地方へ緊急石油列車が走った 走行距離は1000キロ超。前代未聞の任務実現までわずか8日 鉄道マンたちの証言を元にお伝えするドキュメンタリー 20時台を聴く 21/03/15まで 21時台を聴く 21/03/15まで 音で鉄道の楽しさや、鉄道の旅の魅力を伝える、ラジオならではの鉄道番組「鉄旅・音旅 出発進行!~音で楽しむ鉄道旅~」。 東日本大震災から10年。 震災発生当時、寒さが残る東北地方では深刻な石油不足に陥っていました。鉄道や道路も各所で寸断される中、なんとか石油を届けなければと、最善を尽くした鉄道マンがいました。 地震発生から石油列車を走らせるまでの8日間、何が起きていたのか? 鉄道マンたちの証言を元にお伝えします。

            【東日本大震災から10年】被災地へ走った“前例なき”緊急石油貨物列車。鉄道マンたちの挑戦(前編)|読むらじる。|NHKラジオ らじる★らじる
          • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***25日目(2月10日)*** (柏井ビル倒壊の経緯) - 森の奥へ

            26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から25日目です。柏井ビル倒壊の経緯をたどりました。 2月10日(金) 昨日から母が帰宅していた。二人で朝食をとる。浴槽にためていたトイレ用の水が洗濯にほとんど使われてしまっていた。トイレが使えない。少し口論になる。 朝食後、母は銀行へ住宅ローンの返済方法について訊きにいく。一年間ローンの支払いを停止してもらっても、結局利子分の約6万円は支払わなければならないとのこと、わざわざ銀行の担当の人が電話で説明してくださったが、結局返済方法は変更しないことにする。 濯ぎが残っている洗濯物の山を母の友人宅まで車で運ぶ。 一日休んだだけで、今日からまた次の仕事に出かける母を三宮(※中央区)まで送る。全壊した阪急三宮駅は半分取り崩されていた。阪急会館のスクリーンが外からのぞけた。母が

              震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***25日目(2月10日)*** (柏井ビル倒壊の経緯) - 森の奥へ
            • エミコヤマ on Twitter: "ラムザイヤーの論文のいくつかがSSRNのサイトから削除されてる。収録される予定だった本のエディターが大幅な改訂を予告している関東大震災のときの朝鮮人虐殺を正当化する論文と、1960年代に出版された黒人の文化や家庭のあり方が黒人の貧… https://t.co/bMmUDKfFZe"

              ラムザイヤーの論文のいくつかがSSRNのサイトから削除されてる。収録される予定だった本のエディターが大幅な改訂を予告している関東大震災のときの朝鮮人虐殺を正当化する論文と、1960年代に出版された黒人の文化や家庭のあり方が黒人の貧… https://t.co/bMmUDKfFZe

                エミコヤマ on Twitter: "ラムザイヤーの論文のいくつかがSSRNのサイトから削除されてる。収録される予定だった本のエディターが大幅な改訂を予告している関東大震災のときの朝鮮人虐殺を正当化する論文と、1960年代に出版された黒人の文化や家庭のあり方が黒人の貧… https://t.co/bMmUDKfFZe"
              • 震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 3/5 - 森の奥へ

                * 白米一キログラム、米麹五〇〇グラム、ドライイースト小さじ半分くらい。 これらの材料から、「おいしい甘酒」約三リットルを作ります。蒸したお米に麹とドライイーストを混ぜて水を二リットル強加え、二日くらい置くと甘酒状になります。さらに寝かせると一週間ほどで「意に反してアルコール度が15%以上になり、たいへんおいしいどぶろくが出来てしまうかもしれません。すぐに廃棄しなくてはいけません。おなかの中に廃棄してもいけません。大切なことですので絶対に注意してくださいね」。 これは濁酒さんのHPからの引用です。廃棄しないといけない理由は、「アルコール度が1%を越えると酒税法違反」になるからです。ちなみに、生イーストを使うと、大変辛口の「おいしい甘酒」に仕上がるとのこと。 もし、あの大震災に遭わなかったら……、十年前に交わしていた濁酒さんとのメールのやりとりはその後も平和裡に続けられ、そのうち僕は「おいし

                  震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 3/5 - 森の奥へ
                • kikumaco(10/31,11/22ビッグアップル) on Twitter: "@ryo_ishii05 どこが? 民主党政権は東日本大震災で8000億の予備費をつけて、枝野さんはそれは問題じゃなかったと言ってるわけですよ。8000億と10兆の本質的違いはどこですか。 「まし」とはなんですか? コロナ禍の予備費としてはいくらなら適性なんですか?"

                  @ryo_ishii05 どこが? 民主党政権は東日本大震災で8000億の予備費をつけて、枝野さんはそれは問題じゃなかったと言ってるわけですよ。8000億と10兆の本質的違いはどこですか。 「まし」とはなんですか? コロナ禍の予備費としてはいくらなら適性なんですか?

                    kikumaco(10/31,11/22ビッグアップル) on Twitter: "@ryo_ishii05 どこが? 民主党政権は東日本大震災で8000億の予備費をつけて、枝野さんはそれは問題じゃなかったと言ってるわけですよ。8000億と10兆の本質的違いはどこですか。 「まし」とはなんですか? コロナ禍の予備費としてはいくらなら適性なんですか?"
                  • 【3.11 被災タワマン4棟のリアル】被害の明暗を分けたのは“構造の違い”。東日本大震災から14年目、住民たちのホンネ 仙台市

                    東日本大震災で被災したタワーマンションの「生の声」は、これまでメディアで紹介されることは少なかった。14回目の「3月11日」を迎えるにあたって、NPO法人東北マンション管理組合連合会の協力を得て、宮城県仙台市内の4つのタワマン管理組合に当時の体験を聞くことができた。いつ来てもおかしくないと言われる首都直下地震や南海トラフ地震……。大震災を経験したタワマンから、何を学び、どのように備えればよいのだろうか。 ■関連記事(後編): 【3.11 被災タワマン4棟からの教訓】南海トラフ地震など災害に向けたタワマン防災とは?マニュアル、設備、コミュニティ形成などの学び 仙台市 10~20階の中間階で住戸内に激烈な被害が 「31階建ての当タワマンでは、10~20階の中間階の被害が甚大でした。家具や家電の転倒・飛散はもちろんですが、角住戸のコーナーのサッシ・フレームがひしゃげ、ガラスが割れた家もありました

                      【3.11 被災タワマン4棟のリアル】被害の明暗を分けたのは“構造の違い”。東日本大震災から14年目、住民たちのホンネ 仙台市
                    • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***30日目(2月15日)*** - 森の奥へ

                      26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から30日目です。 2月15日(水) 夕食後、南蛮美術館、M田さんから電話。 お互いの近況報告をし、来週あたり地下鉄が復旧したら飲みに行こうという話になった(※翌16日から神戸市営地下鉄は全線運転を再開します)。 ※M田さんは職場の主査(係長)です。わたしより数歳下の30ちょっとくらいだったでしょうか。当時わたしが務めていた職場は行政職の人と教職の人とが一緒に働いていました。行政職と教職とでは同じ神戸市に務める公務員であっても、勤務形態も違うし給与体系も違います。同じように働いていても行政職の人には残業手当が付きますが、教員には付きません。ご存じかと思いますが、教員には残業という概念がありません。深夜まで働いても、定時に職場を出ても、給与は同じです。職階制(役職)?も違

                        震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***30日目(2月15日)*** - 森の奥へ
                      • 【1日の動き】阪神・淡路大震災から30年 “記憶を次に伝える” | NHK

                        6434人が亡くなった阪神・淡路大震災の発生から、17日で30年です。神戸市など大きな被害を受けた地域では、17日夜になっても犠牲者を追悼する行事が続いています。 17日夜、震災をきっかけに始まった「神戸ルミナリエ」のイルミネーションの一部に光がともされ、亡くなった人たちを追悼しました。 目次 “寄り添う”一日ドキュメント 18:00前 「神戸ルミナリエ」イルミネーションの一部ともされる 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、建物の倒壊や火災が相次ぎ、避難生活の長期化で体調を崩すなどした「災害関連死」も含めて6434人が亡くなりました。 発生から30年となる17日、神戸市中央区の公園「東遊園地」には、犠牲者を悼む灯籠が「1.17」や「よりそう」という文字のかたちに並べられ、地震が発生した午前5時46分には訪れた人たちが黙とうをささげました。 「よりそう」という文字には、震災を

                          【1日の動き】阪神・淡路大震災から30年 “記憶を次に伝える” | NHK
                        • 巨大な「女性ネットワーク」が被災した人たちを支えていた 現代でも生かせる関東大震災の教訓:東京新聞デジタル

                          約100年前の関東大震災で被災した子どもや女性を支援したのは、女性のネットワークだった―。社会学者で元宮城学院女子大教授の浅野富美枝(ふみえ)さん(75)=埼玉県吉川市=が、こんな研究結果を「関東大震災 被災者支援に動いた女たちの軌跡」(生活思想社・1430円)にまとめた。「現代に共通する課題で、学ぶべきことが多くある。若い人に手に取ってもらいたくて本にした」と語る。(出田阿生)

                            巨大な「女性ネットワーク」が被災した人たちを支えていた 現代でも生かせる関東大震災の教訓:東京新聞デジタル
                          • 3.11 東日本大震災12年【各地の動き】大切な人を思う 鎮魂の一日に | NHK

                            震災で多くの児童などが犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校では、児童の遺族などが鎮魂と震災の風化を防ぎたいという願いを込めて、手作りした竹の灯籠にあかりをともす取り組みを去年から行っています。11日は震災遺構の校舎近くの広場に当時学校に在籍していた児童の数と同じ108本の竹の灯籠が円形状に並べられ、午後5時45分ごろ、灯籠の中に通されたLEDが点灯されると、竹にあけられた穴から光が漏れて幻想的な雰囲気に包まれました。 今回のプロジェクトの共同代表を務め、大川小学校で当時6年生だった三男を亡くした佐藤和隆さんは「きょうという日は、多くの人にとって特別な日です。改めて12年前の災害を振り返る機会にしてもらえればと思います」と話していました。 また、共同代表で当時6年生だった次女を亡くした佐藤敏郎さんは「『お父さん、きれいだね』と言ってくれていると思います。自分の家族や未来のことを思い巡らせる、

                              3.11 東日本大震災12年【各地の動き】大切な人を思う 鎮魂の一日に | NHK
                            • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***49日目(3月6日)*** - 森の奥へ

                              26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から49日目です。入院することになりました。 3月6日(月) 早朝、息苦しくて目が覚める。胸に激痛が走り、それから眠れない。右の肺の上に重い何かの塊が乗っている感じがする。 区役所に今日から交代してもらったK芝先生を訪ね、その後、美術館に連絡をとる。仕事を休んで、国立病院を受診することにした。 名谷(※須磨区)の国立神戸病院(※現・神戸医療センター)には1年前にA型肝炎で1カ月入院した。偶然、去年と同じ外来の先生に診てもらった。 レントゲン写真を見るやいなや、先生から入院せよとの宣告。肺に水がたまっているらしい。結核性だと説明された。レントゲン写真では、明らかに右の肺の方が小さく萎んで見えた。地震よりショックが大きい。 入院すれば、電気・ガス・水道・食事など、一切を気に

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                              • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***29日目(2月14日)*** - 森の奥へ

                                26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から29日目です。 昨夜、2月13日午後11時過ぎ福島・宮城で震度6強の激しい地震がありました。マグニチュード7.1~7.3(推測)、東日本大震災の余震とのことです。あの地震からもうすぐ10年になりますが、地球規模の時間で言うと、まだあの揺れが続いていると言うことなのでしょうか。阪神淡路大震災はマグニチュード7.3でしたから、地震の規模としてはほぼ同程度ということなのだそうです。 今回の被災の規模はまだはっきりと分かっていないようですが、被災地の方々のご無事をお祈り申し上げます。 2月14日(火) バレンタインデー。課税課の机の上に誰かがチョコレートを置いてくれていた。 今日も家屋の再調査にA田さんと回る。午前中4軒午後4軒。留守宅が多い。いきなりえらそうにしゃべるおっ

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                                • 3月の訪日外国人旅行者93%減 東日本大震災時の下落幅上回る 新型コロナで | 毎日新聞

                                  毎日新聞のニュースサイトに掲載の記事・写真・図表など無断転載を禁止します。著作権は毎日新聞社またはその情報提供者に属します。 画像データは(株)フォーカスシステムズの電子透かし「acuagraphy」により著作権情報を確認できるようになっています。

                                    3月の訪日外国人旅行者93%減 東日本大震災時の下落幅上回る 新型コロナで | 毎日新聞
                                  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***5日目(1月21日)*** - 森の奥へ

                                    1月21日(土) 宏兄ちゃん(※従兄弟、父の長兄の長男、わたしは年上の従兄弟のことを「兄ちゃん」をつけて呼んでいます)が、下三河(※佐用郡南光町)から半日かけて原付バイクで見舞いに来てくれる。 「きんでん」(近畿電気工事株式会社)のロゴの入ったヘルメットを持っていたので、それをかぶっていると、ご苦労様、と声をかけられ、優先して道を通してくれたとのこと。家に来てもらうのは初めて。年賀状の住所を見て、地図だけを頼りに来てくれた。弟も片づけを手伝いに板宿から歩いて来てくれる(※西側から神戸市内方面へは、市営地下鉄西神中央駅~板宿駅の区間だけが運行していた。JR、山陽電鉄は神戸市内まではまだ動いていなかった)。 そうか、今日は土曜日だった。休みの日だ。 早速、家の片付け。屋根にブルールシートを張ってもらう(※屋根瓦がズレていたので、放置しておくと雨漏りが予想された。震災後は多くの木造家屋が屋根をブ

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                                    • 東日本大震災とは 震度7と大津波 マグニチュード9.0巨大地震の原因とメカニズム、被害の特徴と教訓 - NHK

                                      3.11 東日本大震災 “M9.0巨大地震”の衝撃 「東日本大震災」は2011年3月11日午後2時46分に発生したマグニチュード9.0の巨大地震(東北地方太平洋沖地震)による死者・行方不明者が2万2200人以上にのぼる大災害です。東京電力福島第一原子力発電所の事故も発生しました。国内史上最大の地震による最大震度7の揺れ。北海道・東北・関東の沿岸を襲った大津波。そして日本の形を変えるほどの地殻変動。当時の状況と教訓です。 東日本大震災関連のNHKスペシャル・ニュースなどで紹介 国内観測史上最大 マグニチュード9.0の巨大地震 2011年3月11日午後2時46分。 三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。 太平洋側を中心に激しい揺れに襲われます。宮城県栗原市で震度7 。震度6強は宮城県、福島県、茨城県、栃木県の4県37市町村で観測されました。 東京23区でも最大震度5強

                                        東日本大震災とは 震度7と大津波 マグニチュード9.0巨大地震の原因とメカニズム、被害の特徴と教訓 - NHK
                                      • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***22日目(2月7日)*** - 森の奥へ

                                        26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から22日目です。り災証明書もらう。 2月7日(火) 8時前、湊川公園(※兵庫区役所に隣接する公園)のテントに集合。8時半業務開始。申し込みに来た一人一人に住所を尋ね、窓口まで案内する。ほとんどトラブルになることははなく、淡々と仕事が進む。 被災の程度を軽く判定された人が大声を出したり、足元にハンカチが落ちていたので「落とされたんじゃないですか」と声をかけると、「こんなんワシのんちゃうわい!」とわざわざ足で蹴っ飛ばすおっさんがいたりして、ちょっとカチンときたが、それくらいだった。 立ちっぱなしなのがけっこうきつかった。 18時頃、受付がほぼ終了した段階で、個人的なことで申し訳ありませんが、と僕個人の被災状況について尋ねてみる。僕の家は「半壊」と記されてあった。後日申請に

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                                        • 冬閑か震災といふ非日常 ~阪神淡路大震災から27年~ - 森の奥へ

                                          少し前のことですが、年末年始の6日間、俳句のtweetを休みました。大みそかからお正月にかけて呑んだくれる予定だったからです。そしてもちろん、呑んだくれて過ごしました。けれど、6日間まったく俳句のことを忘れてたかというと、実は一月四日からのtweetに備えて句を準備する小心者でもありました。 俳句メモ帖を振り返ってみますと、実際、俳句の下書きは元旦から始めています。元旦のうちになんとか四日にtweetする句を思いつき、一安心しました。その後さらに吞んだくれたのは言うまでもありません。その酔いの勢いに任せて二日に詠んだのは「屠蘇呑んで食ふ呑んで食ふそして寝る」という句でした。が、当然ながらこれは没。その代わりに脳裏に浮かんできたのが阪神淡路大震災当時の日々でした。 三日からは次々に震災のイメージが湧くように思い出されてきて何句も何句も詠みました。わたしにとって、あの震災はどれだけ歳月が過ぎて

                                            冬閑か震災といふ非日常 ~阪神淡路大震災から27年~ - 森の奥へ
                                          • 阪神大震災級の強い揺れ 軟弱な地盤、被害拡大か 能登半島地震 | 毎日新聞

                                            1日に発生した能登半島地震では木造住宅の倒壊が相次いだ。激しい揺れに襲われた石川県輪島市、珠洲市の街は壊滅的な状態で、いまだ被害の全容は明らかになっていない。これほどまでに甚大な被害をもたらした要因は何だったのか。 能登半島地震では、木造家屋や中低層建物の全壊や倒壊を引き起こしやすい周期の地震波が発生し、被害を拡大させた可能性が指摘されている。 地震波の周期とは、揺れが1往復するのにかかる時間を指す。人が感じやすい揺れは0・1~1秒で、その周期の揺れだけでは建物自体の被害は出にくいとされる。一方、1~2秒周期の揺れは木造建物の破壊をもたらしやすい。2秒を超えるような周期の場合は高層ビルが大きく揺れる。

                                              阪神大震災級の強い揺れ 軟弱な地盤、被害拡大か 能登半島地震 | 毎日新聞
                                            • 【阪神・淡路大震災から30年、地震の備えは大丈夫ですか? 】災害時ための非常食の準備、大丈夫ですか? アルファー食品 の 長期保存食『安心米』を ご紹介!?《妄想カタログ》 - YANO-T’s blog

                                              [本ページはプロモーションが含まれています] ブログの前のみなさ~ん、 今回もYANO-T's blogにお越し頂き、 ありがとうございます。 感謝感謝 スポンサーリンク 今回の妄想カタログのタイトルは、 災害時ための非常食の準備、大丈夫ですか? アルファー食品 の 長期保存食『安心米』を ご紹介!? 意外とチェック出来ていそうで出来ていないのが、 非常食の消費期限チェック! 実際、使用する機会が来てしまっても消費期限切れで使えなかったらもったいないですよね! 大掃除や断捨離をする日に、非常食チェックもいかがですか? そして、今回のおすすめは、 もしものときの非常食・備蓄食料に、登山・キャンプにも、 アルファー食品の長期保存食 です。 広告・スポンサーリンク 安心米のアルファ商品の長期保存食 おいしさ、国産米、食物アレルギー対応にこだわった長期保存食です。5年以上の長期保存可能、携行・

                                                【阪神・淡路大震災から30年、地震の備えは大丈夫ですか? 】災害時ための非常食の準備、大丈夫ですか? アルファー食品 の 長期保存食『安心米』を ご紹介!?《妄想カタログ》 - YANO-T’s blog
                                              • 「炊飯時間をずらすだけで命が救える」東日本大震災後に広まった“ヤシマ作戦”の舞台裏…石巻出身の20歳青年に「エヴァ」公式が賛同したワケ | 文春オンライン

                                                2022年1月時点でダウンロード数206万回を誇る防災アプリ「特務機関NERV(ネルフ)」。今や“最強の災害情報インフラ”として知られる存在になった。アプリを開発したのは石巻市出身のホワイトハッカー、石森大貴氏だ。 ここでは、ノンフィクションライターの川口穣氏が「特務機関NERV」の開発秘話を綴った著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)から一部を抜粋。東日本大震災発生後、石森氏が立ち上げたツイッターアカウント「特務機関NERV」によって、節電作戦“ヤシマ作戦”が広まった背景を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む) ◆◆◆ 節電時に自然発生的に使われ始めた言葉 このころ、東京には電力危機が迫っていた(編集部注:2011年3月12日)。 震災直後から、東北電力管内では最大約466万戸、東京電力管内では約405万戸の停電が発生して

                                                  「炊飯時間をずらすだけで命が救える」東日本大震災後に広まった“ヤシマ作戦”の舞台裏…石巻出身の20歳青年に「エヴァ」公式が賛同したワケ | 文春オンライン
                                                • おきさやか(Sayaka OKI) on Twitter: "私は東日本大震災のあといきなり圧勝した自民党の勝ち方に何か宗教がかったメンタリティが動いた気配を感じていたのだが(天譴説めいた発言をした某政治家もいたので)、私の予想を超えたレベルで具体的に宗教団体の力に頼っていたという種明かしがなされつつある"

                                                  私は東日本大震災のあといきなり圧勝した自民党の勝ち方に何か宗教がかったメンタリティが動いた気配を感じていたのだが(天譴説めいた発言をした某政治家もいたので)、私の予想を超えたレベルで具体的に宗教団体の力に頼っていたという種明かしがなされつつある

                                                    おきさやか(Sayaka OKI) on Twitter: "私は東日本大震災のあといきなり圧勝した自民党の勝ち方に何か宗教がかったメンタリティが動いた気配を感じていたのだが(天譴説めいた発言をした某政治家もいたので)、私の予想を超えたレベルで具体的に宗教団体の力に頼っていたという種明かしがなされつつある"
                                                  • 阪神淡路大震災から27年 - 星たちの座談会 ☆ ★ ☆ ☆ ★ ☆ 地球号の未来

                                                    こんにちは。シャランです。 27年前の1995年1月17日早朝、阪神淡路大震災が起きました。 高速道路倒壊の映像がテレビに写し出された時、現実の事だとは思えず、言葉が出なかった事は今も覚えています。 先日、私の住む地域でも地震がありましたが、緊急地震速報が流れ、揺れがおさまる迄は、何とも言い難い怖さでした。 震度3でさえ、そんなです。 今後、大きな地震が来ると言われていますが、防ぐ事は無理でも、少しでも被害を少なく出来る工夫を、皆で考えていければと思います。 地球さん愛してます🌍💕 宇宙さん愛してます🌟💕 にほんブログ村

                                                      阪神淡路大震災から27年 - 星たちの座談会 ☆ ★ ☆ ☆ ★ ☆ 地球号の未来 
                                                    • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***8日目(1月24日)*** - 森の奥へ

                                                      26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から8日目です。やっとお風呂に入れました。 1月24日(火) 10時すぎに自転車で出勤する。K芝先生よりカセットボンベの差し入れ。南蛮美術館の後片付けをする。 戦前に建てられた旧館も含めて、建物には被害はほとんどなかったが、書棚が倒れたり、書架にあった図書類が散乱したりしたようだ。 美術館はしばらく休館。僕は明日から兵庫区役所に応援出務となる。 夜、再びN村先生(※前任校の同僚、先輩)より電話があり、10時頃、D本先生(※前任校の同僚)も誘い母と三人でN村先生邸に伺う。浴槽に浸かるのは、一週間ぶりだ。 震災直後の被災地でのお風呂事情です。震災直後には食べ物が、数日後には暖かい食事が、そして一週間後には入浴が必要とされました。 同じ神戸市内でも、市の北部(北区)や西部(垂

                                                        震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***8日目(1月24日)*** - 森の奥へ
                                                      • 東日本大震災から10年・・・・。 - ★主婦の独り言日記★

                                                        今日も遊びに来ていただきありがとうございます。 まずは、震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りします。 今日で東日本大震災が起こったあの日から10年がたちましたね。 ちょうど10年前は、 息子が産まれて、 息子がお昼寝から起きたので、母乳をあげながらテレビを観ようとテレビをつけると、 津波で街がのみこまれていく、 映像がパッと映り、 一瞬、何が起きたかわかりませんでした。 理解するまで時間がかかってしまいました😔 目を伏せたくなる映像ばかりで、 息子の頬に涙が落ちて、ようやく、自分自身から涙が出てることに気づきました。 自然と息子をギュッと抱きしめていました。 あの時、息子の温もりが私を癒やしてくれました。 私は、阪神・淡路大震災を経験しているので、 大地震の恐怖は、身体が覚えています。 この恐怖を、これ以上経験される方が増えないといいんですけどね。 生きれる幸せを感じながら大切

                                                          東日本大震災から10年・・・・。 - ★主婦の独り言日記★
                                                        • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***48日目(3月5日)*** - 森の奥へ

                                                          26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から48日目です。今も時折り思い出す苦い日です。この日が区役所応援最後の日になりました。 3月5日(日) 今日の被災家屋再調査のペアは市土木局のK場さん。鵯越の独身寮に住んでいるという。 最初は天井の板がごっそり抜け落ちた家を調査する。一見するとひどい被害のようだが、他はどこも傷んでいない。おやじさんは大工さんだが、怪我をして現在失業中とのこと。年配の気のよさそうなおばあちゃんが、あまりに辛そうに話されるので、何とかできないかとも思ったが、結局、一部損壊の判定で納得してもらう。多少例外をつくってもよかったんじゃないか、少し厳しかったかと気になって仕方ない。 熊野町のヤンキー風のにいちゃん、いきなり文句を言い始める。家の中を見せて頂きますから、と何度もくり返し言うとようや

                                                            震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***48日目(3月5日)*** - 森の奥へ
                                                          • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***18日目(2月3日)*** - 森の奥へ

                                                            26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から18日目です。解体撤去申請の受付業務を担当する。 2月3日(金) 6時半起床。7時50分区役所到着。8時45分より区役所4階で、倒壊家屋の解体撤去申請の受付業務。申請者の数は前より少しずつ減ってきた様子。 定時に昼食をとり、午後の一人目の応対が済んで次を待っていると、別の作業を頼まれた。申請書のコピーをとれとのこと。それから午後の時間帯はその作業で埋まる。これまでに受け付けた約1500人分の申請書のコピーをとった。その間、Y根氏(※本庁からの応援職員)は、解体の順番を早めて欲しいと言ってきた人と口論になる。 午後5時頃、受け付けは終了するが、その後もコピーと仕分け作業が続く。6時45分、ようやくすべてが終わり、公会堂(※兵庫区役所地階)に降りて夕食をとる。 今日は泊

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                                                            • 全ては東日本大震災から始まった - 死体を愛する小娘社長の日記

                                                              今日はお休みの日ヾ(^^ ) すっかり冬で、久しぶりに寒冷地用の壁を貫通した吸排気口のある石油ストーブを点火 (これはイメージ。こんな感じになる) 何故かみんなコタツから出てストーブの周りに集まるの ホニャ~っとしていて幸せそう(#^_^#) 昨日の移動中……運転手のおじちゃんが 「ウチのかみさんに “お父さん人前で幸せって言う様になったよね” おかげで家に居ても過ごし安い( ̄0 ̄)」そうで、 「大社長って『幸せ』とか『ツイてる』って言葉を良く言うじゃないですか、私も多分その影響で幸せって言う様になったみたいで、何か起きるたびに頭の中に幸せやツイてるって言葉が浮かぶんです」って言われた。 これさ…私も影響を受けた結果なんだよね。私に影響を与えたのは「後輩社長(ひかり)」なんだ 私はあの東日本大震災で「納棺.埋葬」のバイト仕事の後日、外国人被災者の通訳ボランティアに駆り出され、そこで同じ学部

                                                                全ては東日本大震災から始まった - 死体を愛する小娘社長の日記
                                                              • 小野寺 五典 on Twitter: "トンガ諸島噴火による津波について、#気象庁 は昨夜の段階では潮位変化はあっても被害の心配なしと発表。しかし、深夜実際に津波が日本に到達すると数mの高さの所も。気象庁は急に #津波警報 に切り替え。場当たり的では。#東日本大震災 時… https://t.co/BLnoGClkhx"

                                                                トンガ諸島噴火による津波について、#気象庁 は昨夜の段階では潮位変化はあっても被害の心配なしと発表。しかし、深夜実際に津波が日本に到達すると数mの高さの所も。気象庁は急に #津波警報 に切り替え。場当たり的では。#東日本大震災 時… https://t.co/BLnoGClkhx

                                                                  小野寺 五典 on Twitter: "トンガ諸島噴火による津波について、#気象庁 は昨夜の段階では潮位変化はあっても被害の心配なしと発表。しかし、深夜実際に津波が日本に到達すると数mの高さの所も。気象庁は急に #津波警報 に切り替え。場当たり的では。#東日本大震災 時… https://t.co/BLnoGClkhx"
                                                                • 立民 菅直人元首相 東日本大震災対応した当時の政権幹部に謝意 | NHK

                                                                  次の衆議院選挙に立候補しないことを表明している立憲民主党の菅直人元総理大臣を慰労する会が開かれ、東日本大震災と原発事故の対応にあたった当時の政権幹部に謝意を伝えました。 立憲民主党の菅直人元総理大臣は去年11月「若い人にもっとチャレンジしてほしい」などとして、次の衆議院選挙に立候補しないことを表明しました。 15日夜、東京都内のホテルで菅氏の慰労会が開かれ、菅政権で官房長官を務めた立憲民主党の枝野前代表や、経済産業大臣を務めた海江田衆議院副議長、それに北澤元防衛大臣らおよそ20人が集まりました。 この中で菅氏は総理大臣在任中に発生した東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故に触れた上で「ある意味で日本の危機だったが、みなさんよく頑張っていただいた」と述べ、対応にあたった当時の政権幹部に謝意を伝えたということです。 会合のあと、菅氏は記者団に対し「きょうの会合は当時、非常に頼もしい存

                                                                    立民 菅直人元首相 東日本大震災対応した当時の政権幹部に謝意 | NHK
                                                                  • 9月1日始業式、帰宅後に関東大震災 母が語り続けた水とデマの記憶:朝日新聞

                                                                    9月1日が近づくと、母が決まって話してくれたことを思い出す。 横浜市南区の中村静枝さん(92)は、母の西川フミさんから100年前の関東大震災で被災した当時の体験談を繰り返し聞かされてきた。 物心がつ…

                                                                      9月1日始業式、帰宅後に関東大震災 母が語り続けた水とデマの記憶:朝日新聞
                                                                    • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***47日目(3月4日)*** - 森の奥へ

                                                                      26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から47日目です。背中の右横の部分が痛くて夜中に何度か目を覚ましました。 3月4日(土) 市の外郭団体「西神開発」I岡氏とペアを組んで被災家屋再調査へ。僕が教職出身だと言うと、I岡氏も自分の経歴を語ってくれた。 学校の管理員を10年勤めて、事務職への編入試験に合格し、今の職に移ったとのこと。裏口入学ですわ、と笑っていた。 調査は今までになく順調に進んだ。先日訪ねたときに会えなかった山王町のY田さんとはようやく出会えた。 罹災証明を見ると、昭和17年生まれとのこと。30代後半くらいに見えたが。家屋は彼女の祖父が隠居するときに建てたとのことで、寿命と言えるだろうが、かなり傷んでいた。全壊の判定を下す。 木曜日に約束をすっぽかしたお詫びとのことでケーキをもらう。I岡氏からは「

                                                                        震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***47日目(3月4日)*** - 森の奥へ
                                                                      • Twitterの検索コマンドで東日本大震災発生直後のタイムラインをもう一度見返すことができる

                                                                        弓矢 @yumiya_yumigon 【注意】当時のツイッターは画像と動画の投稿ができなかったので震災の画像や映像は表示されませんが、それでもかなり生々しい結果が表示されます。閲覧する際はお気をつけください。 検索方法 日付以降のツイートを検索:since:年-月-日 日付以降のツイートを検索:until:年-月-日 時間指定して検索:until:年-月-日_時:分:秒_JST フォロワー対象に検索:filter:follows ※検索できるのは現在も存在する公開アカウントのみ

                                                                          Twitterの検索コマンドで東日本大震災発生直後のタイムラインをもう一度見返すことができる
                                                                        • 東日本大震災 津波被害の干潟 “生態系おおむね回復” | NHKニュース

                                                                          東日本大震災から10年がたち、津波で大きな被害を受けた東北沿岸の主な干潟では貝やカニなどの水生生物の種類が震災前より増え、おおむね生態系が回復していることが東北大学などの調査でわかりました。 福島・宮城・岩手の主な干潟11か所 水生生物の調査 東北大学の占部城太郎教授らの研究グループは、東日本大震災の津波で影響を受けた沿岸の生態系の変化を調べようと、福島県と宮城県、それに岩手県の主な干潟11か所で、震災の年から毎年、市民の協力を得て、貝や小型のカニなどの水生生物の調査をしてきました。 その結果をまとめたところ、確認できた生物の種数は、11か所の平均で、 ▽震災後の平成23年は震災前より2割ほど減って32.3種類でしたが、 ▽2年後の平成25年には58.8種類に急増、 その後再び減ったあと徐々に増えて、▽おととしの令和元年は56.5種類でした。 これは、震災前のおよそ1.4倍で、調査した11

                                                                            東日本大震災 津波被害の干潟 “生態系おおむね回復” | NHKニュース
                                                                          • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***10日目(1月26日)*** - 森の奥へ

                                                                            26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から10日目です。 1月26日(木) 本日より24時間勤務が始まる。 午前中、区役所横の保健所に避難している人にパンと栄養ドリンクを配る。一人のおばあちゃんに、風邪気味なのでドリンクをもう一本もらえないか、と頼まれる。数はほぼ人数分しかない。ごめんね、おばあちゃん。おばあちゃんに飲んでもらいたいけど、そうしたら当たらへん人がでてくるねん、とあきらめてもらう。これでよかったんだろうか。 昼からは湊川公園で救援物資の配布をする。仕事は警備係。順番を待つ人の行列は思ったほど乱れることはなかった。 夜、何度か物資の搬入を手伝う。ペットボトルの飲料にカップ麺、ジャケット、ティッシュペーパー、毛布など。 仮眠場所は区役所の地階にある公会堂。それほど寒さは感じなかったが、気分が高まっ

                                                                              震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***10日目(1月26日)*** - 森の奥へ
                                                                            • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***28日目(2月13日)*** - 森の奥へ

                                                                              26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から28日目です。被災家屋を回りました。 2月13日(月) 今日から日勤。本庁の職員7人全員で家屋の再調査の応援をすることになった。Y村、T井、M井、F井、M崎、K上と僕の7人。 8時半、区役所3階の課税課に集合。顔合わせ、説明のあと、区内へ散らばっていく。ペアは、課税課のA田さん。午前中2軒、午後9軒を回る。 家屋の再調査は、罹災証明を申請した時に被災の判定内容に不服を申し立てた人の家を個別に回って再調査をする仕事だ。家屋を基礎、壁面、屋根の各部分に分けて調査し直し、それぞれにポイントを付けて合計点数で判定する。五割以上の損傷があれば半壊になる。 実際に家を回って話を聞いていると、何割かは申し立て通りになる。地震後の混乱がまだ治まらない時期に大急ぎで判定して回ったもの

                                                                                震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***28日目(2月13日)*** - 森の奥へ
                                                                              • 「10年前の東日本大震災の余震」気象庁 福島・宮城震度6強 | 毎日新聞

                                                                                毎日新聞のニュースサイトに掲載の記事・写真・図表など無断転載を禁止します。著作権は毎日新聞社またはその情報提供者に属します。 画像データは(株)フォーカスシステムズの電子透かし「acuagraphy」により著作権情報を確認できるようになっています。

                                                                                  「10年前の東日本大震災の余震」気象庁 福島・宮城震度6強 | 毎日新聞
                                                                                • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***6日目(1月22日)*** - 森の奥へ

                                                                                  1月22日(日) 小雨の中、宏兄ちゃん帰る。 家の近くで、バイクでやってきたD本先生(※前任校の同僚)と出会う。僕の被災の状況を訊ねに来てもらったようだ。D本先生の板宿(※須磨区)のアパートも被災。かなりひどいらしい。 M田氏(※南蛮美術館の同僚、行政職)より電話、火曜日に出勤して欲しいとのこと。 N村先生(※前任校の同僚、先輩)より電話、N村先生の家は西区にあり、被害はほとんどないとのこと。お風呂に誘ってもらう。 パソコン通信復旧。 トイレを流すのに使っていた浴槽の水が、もう残り少なくなってきた(※水はまだしばらく復旧しなくて、トイレを流すにはタンクに水を補給しないといけませんでした。お風呂のお湯を流してしまわず、翌日まで残すようにしていたので、震災時はその残り湯が役に立ちました。気にせずにトイレを使えるということ、これだけでもどれだけ助かったことか、、、)。 * ATD0792****

                                                                                    震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***6日目(1月22日)*** - 森の奥へ