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太宰春台の検索結果1 - 40 件 / 155件

  • 今すぐ無料で手に入る150の辞書ー国会図書館デジタルコレクションが提供する日本の辞書を分野別に紹介する 読書猿Classic: between / beyond readers

    しかし、せっかく統合されるのだから、近代デジタルライブラリーにあった「明治以降に刊行された」という限定を外せるので、この機会に、近代以前の基本的な辞典類を合わせて、ラインナップをやり直すことにした。 結果として、日本の代表的な辞書の多くを自宅で居ながらにして参照できるようになったと思う※。 ※土壇場で『大日本人名辞書』を入れ忘れたのに気づいたりしたので、思わぬ遺漏はまだまだあると思うけれど。 これまでありがとう近デジ 今後ともよろしくデジコレ 以後は、こちらの記事をメンテナンスしていくことにする。 000 【総記】 100 【哲学】   200 【歴史】 300 【社会科学】 400 【自然科学】 500 【工学】 600 【産業】 700 【芸術】   800 【言語】 900 【文学】 000 総記 020 図書・書誌学 ◯書物語辞典 古典社 編 (古典社, 1939) 書物(図書、読

      今すぐ無料で手に入る150の辞書ー国会図書館デジタルコレクションが提供する日本の辞書を分野別に紹介する 読書猿Classic: between / beyond readers
    • うわづら文庫 責空文庫 : 岡島昭浩

      別名「責空文庫」 これは、青空文庫への敬意を表した命名です。青空文庫がテキストファイルを提供し、さまざまな環境で読めるのに対し、この「うわづら文庫」はテキストではなく画像で、すなわち上面だけのものだ、という意味です。 (別名の「責空文庫」(せめぞらぶんこ)というのは、「テキストはなくても、せめて画像でも読めれば」という意味で「責めて版・青空文庫」と。でも、副詞の「せめて」に「責」を当てるのに不快感を感じる人も居るでしょうから(「せめて」を「責而」と書くことも用例がありますが)、これは別名ということにしました。) 「うわづらをblogで」・うわづら@cocolog・box.net。こちらにもあります。 うわづらでも、ブロードバンド環境さえあれば、読むことだけは出来ます。印刷することも可能です(Windowsなら右クリックで、Macならボタン押しっぱなしで出てくるリストで「ファイルに保存」でき

      • 神代文字 - Wikipedia

        平田神社の御朱印神代文字(阿比留草文字)で「かむながら」と書かれている。 神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)は、漢字伝来以前の日本に存在したと主張されてきた、固有の文字のことである[1]。国語学的に見て完全に否定されている[2]。 通説において、日本には漢字以前に書記体系は存在せず、日本独自の文字である仮名文字が出現するのは9世紀から10世紀のことである。「上古の日本に何らかの文字体系があった」とする説は、すでに鎌倉期から卜部兼方などが提唱していたが、神代文字に関する議論が特に盛んになったのは近世のことである。この時代、多くの神代文字が「発見」され、平田篤胤ら神道家によって盛んにその実在が主張されるようになったが、こうした文字の存在を疑う声は、当時からすでに大きかった。 近代に入ると、神道系新宗教によって、盛んに神代文字により書かれた古史古伝の存在が喧伝され、こうした文書は政官界にすら強

          神代文字 - Wikipedia
        • 平田篤胤 - Wikipedia

          平田 篤胤(ひらた あつたね、安永5年8月24日〈1776年10月6日〉 - 天保14年閏9月11日〈1843年11月2日〉)は、江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者。 出羽国久保田藩(現在の秋田県秋田市)出身。成人後、備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。 幼名を正吉、通称を半兵衛。元服してからは胤行、享和年間以降は篤胤と称した。号は気吹舎(いぶきのや)、家號を真菅乃屋(ますげのや)。大角(だいかく)または大壑(だいがく)とも号した。医者としては玄琢(のちに玄瑞)を使う。死後、神霊能真柱大人(かむたまのみはしらのうし)の名を白川家より贈られている。 復古神道(古道学)の大成者であり、大国隆正によって荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学の四大人(しうし)の中の一人として位置付けられている[1]。 久保田藩の大番組頭であった大和田清兵衛祚胤(としたね)の四男として秋田郡久保田城

            平田篤胤 - Wikipedia
          • 経世済民 - Wikipedia

            經世濟民(けいせいさいみん、経世済民)は、中国の古典に登場する語で、文字通りには、「世(よ)を經(をさ)め、民(たみ)を濟(すく)ふ」の意。「経国済民」(けいこくさいみん)もほぼ同義である。 略して「經濟」(けいざい / 経済)とも言うが、主として英語の「Economy」の訳語として使われている今日の「経済」とは異なり、本来はより広く政治・統治・行政全般を指す語であった。以下「經世濟民」および「經濟」の本来の用法と、その変遷について扱う。 中国・東晋の葛洪の著作『抱朴子』内篇(地真篇)には「経世済俗」という語が現れ、経世済民とほぼ同義で用いられている。時代がやや下り、隋代の王通『文中子』礼楽篇には、「皆有経済之道、謂経世済民」とあって、「経済」が経世済民の略語として用いられていたことがわかる。さらに後代の『晋書』殷浩伝(唐)、『宋史』王安石伝論(元)などにも「経済」が現れるが、以上はもちろ

            • 児玉聡『功利主義入門―はじめての倫理学』読了

              児玉聡『功利主義入門―はじめての倫理学』読了。読みやすく、しかも、勉強になった。私は今年度初めに、「意味の分からない本は読まない」と決めたため、哲学系の本は一切読まなくなったのだけど、本書は、功利主義を理解するための知識がきちんとまとめられているにもかかわらず、倫理学の素人である私にも意味の分かる本であった。 とりわけ私にとって重要だったのは、功利主義に対する批判者の多くが、「行為功利主義」と「直接功利主義」を念頭に置いたワラ人形攻撃をしている、という話(p.83)。ちまたでは功利主義批判をしばしば目にするけれど、そこで批判されているのがワラ人形でないかどうか、考えるための一つの目安を手に入れることができた。 逆に言えば、本書では、ベンサム説やJ.S.ミル説がそのまま示されるだけではなく(当たり前か)、それらへの批判を経てより洗練された形の功利主義が紹介され、擁護され、さらには今後の課題が

                児玉聡『功利主義入門―はじめての倫理学』読了
              • 日本史で全く存在感のない県 : 哲学ニュースnwk

                2012年10月24日08:00 日本史で全く存在感のない県 Tweet 1:名無し募集中。。。:2012/10/18(木) 21:59:04.61 ID:0 どこ? 3: 名無し募集中。。。:2012/10/18(木) 22:00:10.17 ID:0 北海道だろ アイヌの小競り合いと幕末でちょろっと出てきたぐらい 4: 名無し募集中。。。:2012/10/18(木) 22:01:37.42 ID:0 高知以外の四国が雑魚すぎる 5: 名無し募集中。。。:2012/10/18(木) 22:02:39.89 ID:0 青森 6: 名無し募集中。。。:2012/10/18(木) 22:04:48.30 ID:0 鳥取 8: 名無し募集中。。。:2012/10/18(木) 22:08:31.87 ID:0 鳥取は隣が出雲という古代史では派手な場所なのに全く目立たない 13: 名無し募集中。。。

                  日本史で全く存在感のない県 : 哲学ニュースnwk
                • 日本史的にで1番影薄い県ってどこよ : VIPワイドガイド

                  1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/25(日) 14:12:45.52 ID:Fo3ORd7ZO福井とか? 4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/25(日) 14:14:47.22 ID:yhuJkRNH0北関東の群馬・栃木って薄いよね。 近隣で結構な戦闘が起きてる割に。 8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/25(日) 14:23:04.29 ID:3sqDBBuS0>>4 お前太平記を勉強してこい 5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/25(日) 14:16:04.73 ID:b/cKuQE2O100人中98人は岡山県を忘れているだろう 6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009

                    日本史的にで1番影薄い県ってどこよ : VIPワイドガイド
                  • 論語 - 凡例・目次・参考文献

                    〔国内〕 石本道明/青木洋司『論語 朱熹の本文訳と別解』明徳出版社、2017年 井波律子『完訳 論語』岩波書店、2016年 宇野哲人『論語 上・下』(中国古典新書)明徳出版社、1967年 宇野哲人『論語新釈』(講談社学術文庫)講談社、1980年 江連隆『論語と孔子の事典』大修館書店、1996年 魚返善雄『論語新訳』學生社、1957年 荻生徂徠/小川環樹訳注『論語徴 1・2』(ワイド版東洋文庫 575・576)平凡社、2009年 貝塚茂樹『論語』(中公文庫)中央公論新社、1973年 貝塚茂樹編「論語古義」『伊藤仁斎』(日本の名著 13)中央公論社、1972年 影山輝國『『論語』と孔子の生涯』(中公叢書)中央公論新社、2016年 影山輝國・洲脇武志・齋藤建太「翻刻『論語義疏』(大槻本)―学而篇・為政篇―」、実践女子大学文芸資料研究所『年報』29号、2010年 影山輝國・玉鴿・柏原健右・下村泰三

                    • 手児奈伝説、万葉歌人が歩いた「かつしか」歴史・文学散歩 - 夫婦写真散歩のススメ

                      「かつしか」歴史・文学散歩 今回は「かつしか」歴史・文学散歩をテーマにご紹介します。 古代日本において律令制国家が形成される過程で、令制国として編成された大国のひとつに下総国(しもうさのくに)がありました。 下総国葛飾郡 住み慣れ縁も深くなった我が家のある「かつしか」という地名はその下総国葛飾郡に存在し、現在に残ります。 下総国葛飾郡は現在の千葉県市川市を中心に、東は千葉県船橋市、西は隅田川東岸にある現在の葛飾区、墨田区、江東区。 南は千葉県浦安市、北は埼玉県北葛飾郡から茨城県古河市にまたがる、現代の行政区分とは異なり、広大な領地を有していました。 参考文献 古代末期の葛飾郡―葛飾区郷土と天文の博物館地域史フォーラム この行政単位は律令制国家の成立以後1,000年もの長い間、江戸時代末期まで続くことになります。 現在も「かつしか」という地名は東京都葛飾区だけでなく埼玉県北葛飾郡や千葉県旧東

                        手児奈伝説、万葉歌人が歩いた「かつしか」歴史・文学散歩 - 夫婦写真散歩のススメ
                      • 1185 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

                        日本人の「こころ」を変えた神仏分離令。 「日本という方法」を歪めた廃仏毀釈。 幕末維新のもうひとつのシナリオの連打と加速。 明治国教主義。神々の統括主義。国家神道の大号令。 ここに、仏教界が突如として矢面に立たされた。 弾圧か、排仏か、法難か。 本当はいったい何がおこったのか。 神仏習合だったこの国に、 本来の神仏和解をとりもどすには、 どうすればいいのか。 今夜から気まぐれに始まる、 日本近世近代思想シリーズ第1弾。 日本には何度も失敗があった。白村江の戦いも、承久の乱も失敗だった。秀吉の大陸制覇は120パーセントの失敗だし(愚挙といったほうがいいが)、天保の改革も70パーセントほどは失敗だろう。 むろんどんな国の歴史にも、どんな民族の歴史にも失敗がある。革命の失敗、改革の失敗、指導者の失敗、戦争の失敗、通貨の失敗、市場の失敗、文化の失敗‥‥いろいろだ。外交もあれば、内政もある。全体の失

                          1185 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
                        • 日本語コーパス収集

                          青空文庫 著作権の切れた文学作品や、著者が掲載を希望する作品などを収録。量が豊富な日本文学アーカイブ。 http://www.aozora.gr.jp/ 日本文学学術的電子図書館 日本文学関係の学術テキストのうち、学術的利用に堪えられる本文にリンクを張るとともに、自らデータを提供し、研究社の便宜を図ることを目的とするというサイト。 http://www.j-texts.com/ Japanese Text Initiative バージニア大学エレクトロニック・テキスト・センターとピッツバーグ大学東アジア図書館が共同で進めている、WWWを用いた日本古典文学の電子テキスト・データベース。検索機能が優れている。 http://etext.virginia.edu/japanese/ 菊池真一研究室 電子化テキストの一覧やリンク集など、日本文学関係の多種多様な情報が数多く用意されてい

                          • 1190 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

                            日本についての理解が遠のいたままだ。 神仏習合の意味が忘れられ、 神道とは何なのかということも、 でたらめな解釈に堕してしまった。 いったいどこに、どんなシナリオがあったのか。 闇斎の垂加神道なのか、篤胤の国学なのか、 水戸学なのか、維新政府の画策なのか。 いよいよ「千夜千冊」が国家神道の謎に迫り、 維新の風に隠れた明治的異常に、 一条の光をあてる。 日本を「神の国」だと思っている日本人が、かつては8割以上、いまでも半分以上いるらしい。しかし徳川18世紀社会まで、日本を神国だと感じていたのは多くても2割くらいだった。さらに徳川社会で日本を仏教国ではなく神道国だと思っていたのは、ごくごく少数の日本的儒者と神職たちで、それもそのように希んでいたという程度だった。 こんなことはいまさら強調するまでもないが、日本は長きにわたって神仏習合あるいは神仏併存の国だったのである。その長い流れのなかで、徳川

                              1190 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
                            • 四庫全書 - Wikipedia

                              四庫全書(荘子の書) 『四庫全書』(しこぜんしょ、正体字: 四庫全書、拼音: Sìkù quánshū、満州語:ᡩᡠᡳᠨ ᠨᠠᠮᡠᠨ ᡳ ᠶᠣᠣᠨᡳ ᠪᡳᠳᡥᡝ 、転写:duin namun-i yooni bithe)は、中国・清朝の乾隆帝の勅命により編纂された、中国最大の漢籍叢書である。 全般著書は経・史・子・集4部に 44類、3503種、36000冊、230万ページ、10億字になっている(部数・巻数の数え方には数種あり)。実際に編纂に参加して正式に名前が登録された文人学者だけで400人を超える。印刷物ではなく、すべて手書きであり、筆写人員は 4000人余りである。 全体の構成が隋以来の四部分類(経・史・子・集)によって分類整理されているため、四庫全書という。四部の書の表紙は、緑色(経部)・赤色(史部)・青色(子部)・灰色(集部)に色分けされた。広範な資料を網羅しており、資料の保存に多

                                四庫全書 - Wikipedia
                              • 宗教社会学(前期)[9] 尊皇攘夷とはなにか 山崎闇齊学派と水戸学(橋爪大三郎)

                                98東工大文系基礎科目 宗教社会学(前期)[9] 橋爪大三郎 1998.6.19 尊皇攘夷とはなにか 山崎闇齊学派と水戸学 江戸幕府はなぜ儒学を採用したか 日本史で、「徳川幕府は儒教を官学とした」と習ったはずです。なんとなく、当たり前のような気がします。しかしよく考えてみると、これは変だ。武士と儒学くらい、ミスマッチな組み合わせはないのです。 儒学は、中華帝国の正統思想。なかでも、宋の時代に起こった朱子学は、古典の新解釈と哲学的な宇宙観とを結合した、当時の最先端思想でした。朱子学の根本は、儒学の古典を学び徳を身につけた読書人階級が、官僚となって政治を行なうというもの。幕府は明の真似をして、朱子学を公認し、日本国家の指導原理としました。 徳川三百年の平和は、元和堰武げんなえんぶのおかげでした。もともと対立関係にあった大名の抗争を禁止し、城郭も一国一城に限って、現状を固定したのです。武力行

                                • 1653夜『江戸の思想史』田尻祐一郎|松岡正剛の千夜千冊

                                  田尻は近世儒学、とりわけ山崎闇斎や垂加神道の研究者である。数年前、『山崎闇斎の世界』(ぺりかん社)をじっくり読ませてもらった(予想していたより淡泊だった)。千夜千冊ではヴィクター・コシュマン(997夜)の『水戸イデオロギー』(ぺりかん社)の翻訳者として名前を記したことがあった。 その田尻がコンパクトな江戸思想史入門を書いた。中公新書では源了圓(233夜)の『徳川思想小史』以来だ。新書だからさまざまに削いではあるが、こちらは淡泊ではない。それなりの特質を強調していた。 本書で田尻が前提にしたのは、かつて内藤湖南(1245夜)が「日本のことは応仁の乱以降をどう見るかにかかっている」と言ったこと、網野善彦(87夜)が「日本は14世紀に民族史的な転換をおこした」と言ったこと、この二つを指標に、5つの組み立てをいかして江戸思想史を見ようということだった。 徳川期の社会思想は切り離されて議論されるべき

                                    1653夜『江戸の思想史』田尻祐一郎|松岡正剛の千夜千冊
                                  • 「日本思想大系」収録作品リスト

                                    岩波書店の「日本思想大系」全67巻の収録作を一覧にまとめました。 1970年から82年にかけて刊行されました。古代から幕末期にかけての日本思想の著作からなっています。大半が著者別に構成されていますが、テーマごとにまとめた巻もあります。編集委員は家永三郎、石母田正、井上光貞、相良亨、中村幸彦、尾藤正英、丸山真男、吉川幸次郎の8人です。 なお、各巻の原文、補注、付録、参考などに関しては割愛しました。 日本思想大系 日本思想大系1~9 日本思想大系1 古事記(青木和夫・石母田正・小林芳規・佐伯有清校注) 日本思想大系2 聖徳太子集 憲法十七条(家永三郎・築島裕校注) 勝鬘経義疏(早島鏡正・築島裕校注) 上宮聖徳法王帝説(家永三郎・築島裕校注) 日本思想大系3 律令(井上光貞・関晃・土田直鎭・青木和夫校注) 巻第1~第10 日本思想大系4 最澄(安藤俊雄・薗田香融校注) 顕戒論 顕戒論を上るの表

                                    • 1008 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

                                      こういう本をゆくりなく紹介できるときが、ぼくの感懐がいちばんの深甚になるときである。 吉川幸次郎ならたとえば唐詩選だろうと思う読者に、いえいえそうではなくて、長らく中国思想や中国表現文化の根本を祖述してきた著者が、仁斎・徂徠の中国思想の祖述者とそれへの反発者である宣長の視座を三方に睨んで、みずからの思索の来し方をふりかえり、その目のままに行く末を凝視しようというのが、淡々と味わい深いのだ。 これを読んだのはもう二十年近く前になるが、数年に一度しか味わえない京風汁椀の絶品をいただいた気分だった。こういうダシの味は吉川幸次郎ほどに彼の地の歴史文化や哲学文化に熟達した人でなければ、とうてい醸し出せるものでない。 はじめに、著者のおおまかな見方を紹介しておく。 仁斎・徂徠・宣長の思想は中国思想からはなかなか生まれにくかったもので、それゆえこの三者の比類のない独自性を、今日の中国思想家と日本思想家の

                                        1008 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
                                      • 庄内藩 - Wikipedia

                                        庄内藩または荘内藩(しょうないはん)は、江戸時代の日本で、出羽国田川郡庄内(現在の山形県鶴岡市)を本拠地として、現在の庄内地方を知行した藩。譜代大名の酒井氏が一貫して統治した。明治時代初頭に大泉藩(おおいずみはん)と改称した。 藩庁は鶴ヶ岡城。枝城として酒田市に亀ヶ崎城を置いた。支藩に大山藩・松山藩がある。 転封の多い譜代大名にあって、庄内藩酒井氏は転封の危機に晒されはしたものの、江戸幕府による転封が一度もなかった数少ない譜代大名の一つである。庄内藩は、藩史に見られるように藩主・家臣・領民の結束が極めて固い。たとえば、天保期に起きた三方領地替え(後述)では領民による転封反対運動(天保義民事件)によって幕命を撤回させている。また、幕末の戊辰戦争では庄内藩全軍の半数近くにおよぶ約2,000人の農民・町民が兵に志願し、戦闘で300人以上の死傷者を出しながらも最後まで勇戦したほか[1]、敗戦後に明

                                          庄内藩 - Wikipedia
                                        • 10 知の巨人 荻生徂徠伝 佐藤 雅美(2014) - 小説を 勝手にくくって 20選!

                                          知の巨人 荻生徂徠伝【電子書籍】[ 佐藤 雅美 ] 価格: 748 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 父は館山藩主の徳川綱吉から言われなき勘気を被り、江戸を追放されて上総国の片田舎に流さる。子の荻生徂徠は乏しい書物を独学で読み下して、旺盛な向学心を満たしていた。すると突然に父が赦免され、徂徠は単身江戸に戻り、芝は増上寺の近くの豆腐屋の裏手の長屋に塾を開く。しかし徂徠は独学で学んだため、漢文をレ点、返り点を使わない「従頭直下」、頭から下に読む方法に固執し、来塾希望者も退散してしまう。しまいには食事にも不自由して、裏手の豆腐屋から施しを受けるほどの窮乏状態になる。 しかし徐々に独特の教え方と知識が評判になり、学問好きで五代将軍となった鋼吉の側近、柳沢吉保が徂徠を招く。当初は小禄で、朝6時から夜10時までひたすら漢書の素読を門人にさせる日々が続くため、自らの研究時間がないことに苛立ちを覚えていた

                                            10 知の巨人 荻生徂徠伝 佐藤 雅美(2014) - 小説を 勝手にくくって 20選!
                                          • 日中経済学交流史その1

                                            日中経済学交流史--近代からの視線 田中秀臣 日本の明治以前の経済学は儒学思想の影響を強くうけた。例えば、日本の経済思想の中でその黎明期に活躍した新井白石、荻生徂徠、太宰春台、三浦梅園などは、四書五経に散見されている経済思想やまた『管子』や『塩鉄論』などの後代の作品からも影響をうけている。明治以前は中国の経済思想からの完全な入超といえる。 儒学的な中国経済思想の影響は、明治以降も河上肇、田島錦治、内田銀蔵らの著作に明瞭にみることができる。しかし明治維新を契機にして、日本の経済学は中国の経済思想の伝統を摂取するよりも欧米の経済学の輸入にまい進した。 事態は中国本土においても異なることはなかった。1860年代以降、アロー戦争の敗北、太平天国の乱を通過することによって、清朝内部に「洋務派」(欧米の技術・軍備・文化を摂取して列強に対抗する立場)が台頭し、経済学においても積極的に欧米の経済思想の紹介

                                              日中経済学交流史その1
                                            • 丸山眞男『日本政治思想史研究』 - tukinohaのアニメじゃない日記

                                              某所で丸山眞男について報告したのだが、その際に使用したレジュメを、寝かせておいても仕方ないし、そもそも常識的なことしか書いてないので公開してしまおうと思う。レポートの題材にお困りな方はどうぞご自由にお使いください、という感じで。 その前に少しだけイントロを書いておこう。 『日本政治思想史研究』の頃の丸山真男に見られる方法論上の特徴は、単線的発展史観に基づく日本社会に対する「近代の未成熟批判」にある、と僕は思う。それはあくまでも「未成熟」なのであって、将来において近代化を遂げる可能性は既に内包されている、ということになる。ここにマルクス主義、というか講座派史観の影響があるのは確実だろう。つまり全ての国が一様に、(先進・後進の区別はあっても)同じ過程をたどって近代化を遂げるという考え方だ。それによって、過去の日本において存在していた、そして現在においても社会の中に隠されている「可能性としての近

                                                丸山眞男『日本政治思想史研究』 - tukinohaのアニメじゃない日記
                                              • 明治東京異聞-トウケイかトウキョウか-東京の読み方|江戸東京を知る|東京都公文書館

                                                一国の首都に二つの読み方。ちょっと意外なこの事実を追求してみると、人々が明治という新しい時代にどのように向き合ったか、その多様性が浮き彫りになってきます。 「トウケイ」読みにこめられた心意を読み解いていきましょう。 「東京」という語彙について 今日、日本の首都東京を「トウケイ」と呼ぶことは、まずないだろう。ただ、明治初年から二十年代ごろまでは、「トウキョウ」とともに「トウケイ」という呼び方も存在した。 もともと「東京」という語彙自体は、「東の方にある都」という意味で、中国後漢の洛陽、あるいは北宋の開封をさし、西京長安に対する呼称として用いられた。 「京」には「キョウ」のほかに、「京師(ケイシ)」のように「ケイ」と読む場合がある。より専門的にいえば、「キョウ」は呉音、「ケイ」は漢音での読み方である。 呉音とは、古代中国の呉の地方(揚子江下流)から伝来した音で、多く僧侶により用いられた。「行=

                                                  明治東京異聞-トウケイかトウキョウか-東京の読み方|江戸東京を知る|東京都公文書館
                                                • 漢文訓読の歴史 日本漢文の世界 kambun.jp

                                                  第一部 日本文化と漢字・漢文 第四章 漢文訓読について (12)漢文訓読の歴史 さてここで、漢文訓読の歴史について簡単に触れておきます。 漢文訓読はいつから行われているのでしょうか? 興味ある問題ですが、漢文訓読がいつごろから始まったかは明らかではありません。応神天皇の15年(西暦284年)に、百済(くだら=当時朝鮮半島にあった国)から来日した王仁(わに)によって、『論語』と『千字文』がもたらされた時、すでに訓読の方法があったという説さえあります。 それはありえないとしても、推古朝にはすでに漢文訓読が行われていた形跡があります。奈良時代末期から平安時代になると、仮名や「ヲコト点」、返り点などを漢文に直接書き込んだ「訓点資料」が現れます。これらの「訓点資料」により、当時の訓読がどんなものであったかを知ることができます。 ヲコト点の図 上の図は、『群書類従』の巻四百九十五(第二十八輯)にある『

                                                  • 1329 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

                                                    日本人はなぜ正座をするのか。 この謎はいまだ解かれてはいないけれど、 実は武家も茶人も、アグラや立て膝を好んだのだ。 それなら正座は何のためだったのか。 近代日本が奨励した坐法だったことはまちがいない。 しばしそのことを、つらつら侃々ちょっとは諤々考えたい。 さて、本書は千夜千冊「遊蕩篇」のオーラスである。 威儀をただして正座で締めくくったふりをして、 本音をいえば、次の1330夜から始まる「連環篇」を アグラで始めるための布石なのである。 千夜千冊、「ISIS本座」に引っ越し。 それでは、おっちゃんこ、ひざまんちゅー。 坐は「すわる」、座は「席」のことである。だから正確には「正坐」と綴るべきなのだが、当用漢字のお定めで坐が座に指定されて、「正座」になった。 しかし、こんな言葉は明治以降の言葉であって、もともとは正坐も正座もなかった。古代このかた、日本人はいろいろの「すわりかた」をしていた

                                                      1329 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
                                                    • 太宰春台 - Wikipedia

                                                      太宰 春台(だざい しゅんだい、旧字体:太宰 春臺、延宝8年9月14日(1680年11月5日) - 延享4年5月30日(1747年7月7日))は、江戸時代中期の儒学者・経世家。「春台」は号で、名は純、字は徳夫、通称は弥右衛門。また、紫芝園とも号した。 信濃国飯田城下生まれ。平手政秀・汎秀の子孫で、父・言辰の代に下野国烏山藩士・太宰謙翁の養子となり平手姓から改姓、藩主堀親昌の転封に従い飯田藩士となったが、堀親常により改易され、一家で浪人として江戸へ出た。純は苦学の末に学問を修め、元禄7年(1694年)に15歳で、但馬出石藩の松平氏に仕え、元禄9年(1696年)17歳の時儒学者、中野撝謙に師事し、朱子学を学ぶ。 元禄13年(1700年)21歳で官を辞し、以後10年間畿内を遊学する[1][2]。その間に漢詩・天文学・地学・朱子学などを懸命に勉強した。宝永元年(1704年)富士山に登り、京都に入っ

                                                        太宰春台 - Wikipedia
                                                      • 「不敬人名語録」―皇室や皇族を巡る、語られざる発言集 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                                                        【注釈】史料的な事実性(高師直など)、その発言が科学的・歴史的な常識的事実か非事実か、主観的、あるいは客観的に「不敬」に当たるかの最終的な価値判断に関しては少しわきに置いて、ともかく”いわゆる不敬”な表現を網羅していきます とある巫女 「朕の位を蔭子(五位以上の人の子)平将門に授け奉る。その位階文書は、左大臣正二位菅原朝臣の霊魂が述べ伝える。右・八幡大菩薩、八万の軍を起こして、朕の位を授け奉るであろう。今、三十二相の音楽によってこれを迎えよ」 平将門 「今の世の人、必ず撃ち勝てるをもって君と為す。たとい我が朝には非ずとも、みな人の国に在り。去る 延長年中の大契赧王(契丹王)のごときは、正月一日をもって渤海国を討ち取り、東丹国と改めて領掌す。いずくんぞ力をもって虜領せざらんや」 教養番組「知の回廊」23「古代アジアの交流」 | 中央大学 伝・高師直 「都ニ王ト云人在シテ、許多ノ所領ヲフサゲ、

                                                          「不敬人名語録」―皇室や皇族を巡る、語られざる発言集 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                                                        • 日野龍夫「謀反人 荻生徂徠」 - martingale & Brownian motion

                                                          最近、出版された本で、 徂徠学講義―『弁名』を読む 作者: 子安宣邦出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/07/29メディア: 単行本 クリック: 1回この商品を含むブログ (3件) を見る を、読んだ。この本では、徂徠の『弁名』について、解釈した本で、この本を読んで、やっと、荻生徂徠というのが、どういう感触で、さわらなければならない存在なのかに気づいたところがある。 徂徠というのは、江戸中期の、吉宗の時代の人ですね。 徂徠が若い頃に、京都の仁斎は亡くなっていて、伊藤東涯と同世代になるんですかね。 仁斎が、孟子を介すことで、倫理の強調をした。徂徠の言ったことは、「それだけが、儒教じゃないだろう」、ですね。 彼は、「先王の道」を強調した。それは、確かに、孔子の関心の一部だっただろうが、しかし、徂徠の言うことを延長すると、まるで、儒教において、孔子は不要、のように読めるわけです。 し

                                                            日野龍夫「謀反人 荻生徂徠」 - martingale & Brownian motion
                                                          • 0162 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

                                                            昔の人は、ふだんは無用の口はきかず、そのかわり言いたいことを言うべきときに言った。そういう言い草から『折りたく柴の記』は始まる。 昔の人というのは白石の祖父の時代の人々のことであり、白石はその血を思い出しながら、この日本屈指の自伝を書きおこす。白石が「言葉の人」であり、かつ「家の人」であったことが、これだけで伝わってくる。 日本屈指の自伝というのはその通りで、『福翁自伝』が出版されるまで、本書こそが唯一無比の日本自伝文学の最高峰にいた。それだけではなく、本書をかつて桑原武夫が『日本の名著』で現代語に訳したときに書いたように、これはヨーロッパの最初の自伝文学を書いたチェルリーニに遅れること1世紀だが、近代自伝の幕をあけたルソーの『告白』に先立つこと半世紀の成果であって、そのことをおもうと、まさに屈指の自伝文学であった。 ぼくは高校の頃から白石をあまり好きになれないままにいた(江戸の歴史家とし

                                                              0162 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
                                                            • 法窓夜話

                                                              穂積陳重 一 パピニアーヌス、罪案を草せず 士の最も重んずるところは節義である。その立つやこれに仗(よ)り、その動くやこれに基づき、その進むやこれに嚮(むか)う。節義の存するところ、水火を踏んで辞せず、節義の欠くるところ、王侯の威も屈する能わず、猗頓(いとん)の富も誘うべからずして、甫(はじ)めてもって士と称するに足るのである。学者は実に士中の士である。未発(みはつ)の真理を説いて一世の知識を誘導するものは学者である。学理の蘊奥(うんのう)を講じて、天下の人材を養成するものは学者である。堂々たる正論、政治家に施政の方針を示し、諤々(がくがく)たる※議(とうぎ)、万衆に処世の大道を教うるは、皆これ学者の任務ではないか。学者をもって自ら任ずる者は、学理のためには一命を抛(なげう)つの覚悟なくして、何をもってこの大任に堪えられよう。学者の眼中、学理あって利害なし。区々たる地位、片々たる財産、

                                                              • 経済学者 - Wikipedia

                                                                この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2013年5月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2013年5月) 出典検索?: "経済学者" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 経済学者(けいざいがくしゃ、(英: Economist)とは、経済の研究をしたり、その結果得られた理論やその体系(経済学)を社会に提言・実践したりする経済の専門家のこと。シンクタンクや金融機関などでの研究、官公庁での経済政策の立案、大学での研究など、経済全般に係わる専門的な知識や技能を活用する職業を、英語の原語に応じてエコノミストともいう[1]。 また、経済学の理論や概念を研究、開発、応用し、

                                                                • 明治東京異聞-トウケイかトウキョウか-東京の読み方

                                                                  一国の首都に二つの読み方。ちょっと意外なこの事実を追求してみると、人々が明治という新しい時代にどのように向き合ったか、その多様性が浮き彫りになってきます。 「トウケイ」読みにこめられた心意を読み解いていきましょう。 「東京」という語彙について 今日、日本の首都東京を「トウケイ」と呼ぶことは、まずないだろう。ただ、明治初年から二十年代ごろまでは、「トウキョウ」とともに「トウケイ」という呼び方も存在した。 もともと「東京」という語彙自体は、「東の方にある都」という意味で、中国後漢の洛陽、あるいは北宋の開封をさし、西京長安に対する呼称として用いられた。 「京」には「キョウ」のほかに、「京師(ケイシ)」のように「ケイ」と読む場合がある。より専門的にいえば、「キョウ」は呉音、「ケイ」は漢音での読み方である。 呉音とは、古代中国の呉の地方(揚子江下流)から伝来した音で、多く僧侶により用いられた。「行=

                                                                  • ボツマン 血塗られた慈悲、笞打つ帝国。

                                                                    血塗られた慈悲、笞打つ帝国。 江戸から明治へ、刑罰はいかに権力を変えたのか? ダニエル・V・ボツマン著 小林朋則◎訳 416頁/定価3000円+税 ISBN 978-4-7726-9517-6 発行 インターシフト 発売 合同出版 ついに明かされた、江戸・明治の社会の深層構造。 不朽の名著、M・フーコー『監獄の誕生』の日本版といえる金字塔! ・江戸時代、なぜ残虐な刑罰が日常茶飯事だったのか? ・江戸幕府は「慈悲深い」権力者というイメージ戦略を、いかに成功させたか? ・ペリー来航の重要な任務は、「治外法権」を認めさせることだった。 ・明治政府は、なぜ、旧来の刑罰改革を急務の課題としたのか? ・植民地・台湾に、帝国日本が驚くほど壮麗な監獄を作ったのは? ・日本の資本主義の台頭を、囚人労働がいかに支えたか? ーー江戸から明治へ、刑罰がいかに社会秩序の基盤となり、 権力を形成・変革してきたのかを、

                                                                    • 人物叢書 - Wikipedia

                                                                      1958年に刊行を開始。当初は新書サイズであったが、1985年以降はカバー新装版に切り替わる。2016年にはJapan Knowledgeで公開され、2020年からオンデマンド印刷が開始された。日本歴史学会編集。 古代・中世・近世・近現代の各時代において活躍した重要人物を取り扱う[1]。分野も政治、経済、文学、宗教、芸術など非常に多彩で、全体像を知ることができるよう、年代順による記述となっている。また、俗説に対する批判のほか、系図・年譜の附載など、能う限り一貫性を保って構成されている。 人物の大半は日本人だが、稀に日本史での活動が見られる来日外国人(ザビエル、シーボルト、ヘボン等)や、国姓爺のように日本と関わりのあった外国人も数点刊行されている。また、1冊で複数人や一族(奥州藤原氏・菊池氏・浅井氏)を題材としているものもある。 100点を刊行した時点で菊池寛賞(第11回・1963年)を受賞

                                                                      • 三所三様(和装本の責任表示(7))~ASで作成するデータについて~ (TRC データ部ログ)

                                                                        AV MARC概論 (8) MARC MANIAX 典拠 (16) MARC MANIAX 分類/件名 (12) MARC MANIAX 目録2022 (12) MARCができるまで (39) MARCで探そうQ&A (27) MARC概論 (5) NDC10版変更点 (13) TOOLiで探そう (14) ぶー子、NDCに迫る! (10) データ部ログ ダイジェスト (70) 個人名典拠ファイル入門 (11) 図書館業務とTRCのサービスメニュー (7) 図書館蔵書MARCのヒント (7) 雑誌データ概論 (10) プロフィール (3) お知らせ (68) データ部紹介 (56) TRC MARC (278) タイトル・シリーズ (25) 著者 (106) 文字の話 (8) 読み方 (27) 図書記号 (10) 分類/件名 (177) 新設件名のお知らせ (136) 分類/件名のおはなし

                                                                        • 提言「未来を見すえた高校公民科倫理教育の創生─ 〈考える「倫理」〉の実現に向けて─」

                                                                          提言 未来を見すえた 高校公民科倫理教育の創生 ─〈考える「倫理」 〉の実現に向けて─ 平成27年(2015年)5月28日 日 本 学 術 会 議 哲学委員会 哲学・倫理・宗教教育分科会 i この提言は、日本学術会議哲学委員会哲学・倫理・宗教教育分科会の審議結果を取りま とめ公表するものである。 日本学術会議哲学委員会哲学・倫理・宗教教育分科会 委員長 氣多 雅子 (連携会員) 京都大学大学院文学研究科教授 副委員長 野家 啓一 (連携会員) 東北大学教養教育院総長特命教授 幹 事 藤原 聖子 (第一部会員) 東京大学大学院人文社会系研究科准教授 小玉 重夫 (第一部会員) 東京大学大学院教育学研究科教授 一ノ瀬 正樹(連携会員) 東京大学大学院人文社会系研究科教授 小田 淑子 (連携会員) 関西大学文学部教授 香川 知晶 (連携会員) 山梨大学大学院医学工学総合研究部教授 鈴木 正崇 (

                                                                          • ララビアータ:自由の政治哲学(自由論序説Ⅱ) - livedoor Blog(ブログ)

                                                                            『自由論序説』(未発表稿)の第二部「自由の政治哲学」の草稿を投稿する。演劇論の部分は、すでにここで発表したものであるが、一応まとめて掲載しておく。諸氏の批判を参考にして、出版の際には改善したい。 Ⅱ自由の政治哲学 社会契約説の意義 自由の形を求めてその具体的在り方を論じようとするならば、その政治的形態を第一に論じなければならない。政治権力こそは、人間が自由のために不可欠なものとして創り出しながら、実際にはしばしば隷属へとつなぎとめもしてきた問題的な現象だからである。その中でも、近代政治哲学は社会契約説という形で、政治的自由の一般理論を構築しようとした。それゆえ、自由を論じるうえで、近代社会契約説の吟味は避けて通れない。 近代社会契約説こそは、所与の超越としての自由を政治社会の成立と結びつけることによって、政治哲学を画するものであった。それ以前の政治理論は、その起源を神に求めたり、伝統に求め

                                                                            • 0993 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

                                                                              玄語 三浦梅園 岩波書店 1982 日本の名著20=責任編集 山田慶児、日本思想大系41=島田虔次・田口正治校注 「八月某日。わが風景の大荒廃、ここに中絶す」という詩句が屹立する小野十三郎の『大海辺』と題された詩は、「半島の若者らは、みな国へかえってしまつた」と綴ったあと、次の一節になる。敗戦直後の詩だ。 又夢を見た。 豊後の国。国東郡。 百五十年昔の美しい夕焼雲だ。 その中にあなたはひとり立つてゐた。 梅園三浦。 しきりにあなたを想ふ。 小野がどういう詩人だったかは、ここでは省く。大杉栄の自由の幻覚を背負った男だった。 その小野が梅園を「しきりに想ふ」というのは、ぼくにとって意外であるとともに、さもあろうとも得心させた。小野でなくとも、男たちは日本という女を攫って梅園を想うべきである。小野はこうも書いていた、「遠い古い農業国。どうか安全に みんなそこに帰りつけますように」。 さて、以下は

                                                                                0993 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
                                                                              • 0307 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

                                                                                説経節を聞いていると胸がつぶれる。 あの声、あの節、あの絞りだ。山椒太夫や俊徳丸や小栗判官などの物語がもつ特徴そのものも好きなのだが、そのような物語のどこかにひそむ何かがクドキのフシとなり、浄瑠璃となり、歌舞伎となっていくその変容を約定するところ、そのような変容を促す原型を秘めているということに、さらに惹かれる。 説経節は哀切きわまりない。それだけでなく主人公や登場人物の一部が予想をこえる宿命に冒されている。たいていは身体を冒されている。ぼくがこのような物語に弱いのは、そもそも鴎外の『山椒大夫』や折口信夫の『身毒丸』を読んだときからで、自分がこの手のものにたちまち胸を奪われるのですぐにわかった。 一方、高田瞽女の祭文松坂を聞いたときのことだと憶うけれど、そのクドキを聞いてぶるぶるしてきた。七五調で1句とし、これを一声とか一言とかよばれる節付けで切々と語る。その一声のかたまりが5つほどすすん

                                                                                  0307 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
                                                                                • 1664夜 『柳子新論』 山県大弐 − 松岡正剛の千夜千冊

                                                                                  富久町のアパートにいたころ、ときどき暗坂(くらがりざか)から余丁町の演芸場や新宿歴史博物館や荒木公園のほうに散歩をしていた。あるとき途中の舟町の全勝寺に、山県大弐(山縣大貮=やまがた・だいに)刑死200年を記念した碑があることを知った。明和事件で謀反思想の持ち主として処刑された大弐を顕賞したものだ。 石碑が建てられたのは昭和42年(1964)のことで、建立者は「思想の科学」を編集していた市井三郎・竹内好・鶴見俊輔たちだった(919夜参照)。碑の表面に『柳子新論』(りゅうししんろん)の一節と近藤鎰郎による円型のレリーフ肖像が彫られ、裏面に「明治維新ノ思想的・実践的先駆者デアッタ山縣大弐ノ没後二百年ヲ記念シテ明治百年ノ年 大弐ノ命日ニコレヲ建ツ 日本人民有志」とある。 日本人民有志とは洒落ている。「思想の科学」の連中がやりそうな意思の見せ方だ。碑文は市井三郎が起草した。 市井は、当時のぼくには

                                                                                    1664夜 『柳子新論』 山県大弐 − 松岡正剛の千夜千冊