眼に見えない世界のことはハッキリとした裏が取れません。 なので、言いたい放題になりがちです。 だから、誰かの言ってることが真っ当かどうかを判断する場合何らかの物差しが必要です。 私にとっては但し書きってのが一つの物差しになります。 『タダシ書き』が付けば辻褄が合わないことでも何とな〜く辻褄が合ったような気になりがちだからです。 例えば「自分の拝んでるのは本当の稲荷のキツネだけど、誰それの拝んでるのは邪悪な妖狐である」みたいなことをおっしゃる方がいらっしゃいます。 「キツネは神さまです。ただし、中には妖狐ってのがいてそれは妖怪なんです」ってな理屈です。 以上のように但し書きを付ければ解釈変更は幾らでも出来てしまいます、 とはいえ、但し書きが全部ダメだっていうわけではありません。 物事には時に例外もあるものですから。 でも、例外を抜け道のように使って、強引に話の辻褄を合わせようとするのはオカシ