外交評論家で、小泉内閣や橋本内閣で内閣総理大臣補佐官を務めた岡本行夫氏が、新型コロナウイルスに感染し、亡くなっていたことが、外務省関係者への取材でわかりました。74歳でした。 その後、小泉内閣でも総理大臣補佐官に任命され、イラク戦争が終結したあとの復興に向けた政府の支援策の検討にあたりました。 総理大臣補佐官を退任したあとは、外交評論家としてテレビに出演するなど活動していましたが、外務省関係者によりますと、新型コロナウイルスに感染し、先月下旬、亡くなったということです。
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4月下旬、1人の元外交官が死んだ。 公表されたのは、2週間後。国の内外から惜しむ声が寄せられた。 いわく「日米同盟の擁護者」「日米関係の巨人で真の愛国者」「知的で品があった」アメリカの要人たちは、こう声をそろえ、功績と人柄をたたえた。 国内でも政界にとどまらず、芸能界、沖縄など各方面から惜別の言葉が寄せられた。 岡本行夫。彼のなにが、これほど人を魅了したのか。 (渡辺信、山本雄太郎、木村有李) 記者たちは知らない 「岡本行夫さんが、新型コロナウイルスで亡くなったようだ」 情報が入ったのは、5月7日だった。外務省を担当する私たちだが、彼が外交評論家としてテレビで活躍する姿は見ているものの、外交官時代に取材したわけではなく、正直、よく知っているとは言えない。彼と関係がありそうな人たちに次々と電話した。 取材を進めると、2週間ほど前に亡くなっていたと確認が取れた。深夜になって速報を流した。 それ
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岡本行夫さんが遺した言葉 日本の安全保障を巡る議論は、日本の成長を妨げてきた事なかれ主義の象徴だ 牧野愛博 朝日新聞記者(朝鮮半島・日米関係担当) 外交評論家の岡本行夫さんが4月24日、亡くなった。 5月7日夜、報道各社が一斉に流した速報を半ば信じたくない思いで聞いていたが、8日朝、岡本さんが代表取締役を務めていた岡本アソシエイツから改めて訃報を伝えるメールが届き、愕然とした。 岡本さんと初めて出会ったのは、1996年11月に橋本龍太郎内閣で首相補佐官に就任されたころだった。 当時、外務省担当だった私は、岡本さんのタブーにとらわれない外交論に魅了された。岡本さんの考え方には、保守が唱える「日米同盟死守」も、革新が訴える「憲法9条死守」もなかった。常に自分で学び、自分で考えていた。 橋本内閣では沖縄問題に、再び首相補佐官となった小泉内閣ではイラクの問題にそれぞれ取り組んでいた。 岡本さんも1
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新型コロナで逝く。岡本行夫氏が夢見たものは…… 外交でも趣味でも「夢」を語る快男児。理想から離れゆく現実に何を思ったか 星浩 政治ジャーナリスト 世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスは、日本の論客の命も奪った。 岡本行夫氏。 4月下旬に感染し、入院。あっという間に容体が急変したという。74歳だった。 外務省で対米外交の中枢を担ったが、国際貢献に踏み出せない日本の「限界」を痛感。40代半ばで退官し、在野から発信を続けた。橋本龍太郎政権などで沖縄の米軍基地問題に取り組み、沖縄の人たちから信頼を集めた。 最近は、トランプ政権のアメリカについて、「私の好きだった古き良きアメリカはどこかへ行ってしまった」と残念そうに語っていた。ダイビング好きで美しい水中写真を多く残した。外交でも趣味でも「夢」を語る快男児だった。 自分の頭で考えることが大事 岡本氏と初めて会ったのは34年前だった。私は当時、朝日新
ウクライナ侵攻後、ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用も辞さない姿勢を明確にした。日本にも核武装が必要との声が内外の一部に上がっているが、それは現実的な議論と言えるのか。日米関係の最深部まで知る外交官、岡本行夫氏は核抑止の現場を視察してひとつの結論に至っていた。遺稿となった渾身の手記『危機の外交 岡本行夫自伝』から知られざるエピソードを紹介する。 日本人が絶対的に忌避するのは核兵器である。広島、長崎を経験した国の当然の国民感情である。しかし日本が自国を守るためにはアメリカの核の傘が必要である。この二つの事実の絶えざる衝突が日本の防衛政策を複雑なものにしている。 日本は「核を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を有している。「持たず、作らず」は問題ないが、「核の持ち込み」について、日本の野党は「米国は日本の非核三原則を無視し、核兵器を積載したまま艦船を日本に寄港させている」と攻撃す
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