【中央時評】セウォル号続く梨泰院、また犠牲を浪費するのか(中央日報) 大韓民国がその重みと深みを測量さえできない残酷な悲しみと苦痛の沼に陥った。船尾だけが水上に突き出たセウォル号の悲惨な記憶が鮮明だが、今度はソウルの真ん中で158人の美しい若者たちが昇華した。言葉では言い表せない子どもたちの早世が残る人たちの胸を押さえつける。安全な社会を築けなかったという自責が悔恨として戻ってくる。 (中略) 野党の政治家と親野性向の元記者が「言論」として急造したインターネットメディアが遺族の同意なく犠牲者155人の名簿を公開し、天主教正義具現司祭団が犠牲者を呼びながら「追悼ミサ」を行った。遺族への2次加害という批判と災難の政治化攻防が政界を熱くしている。李在明(イ・ジェミョン)共に民主党代表は「名前も顔もないところにどうやって国民が焼香して哀悼するのか」と言ったが、弔問客が喪主を叱るような姿だ。話になら