文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開! 本選びにお役立てください。 (解説:石いし井い 千ち湖こ / ライター) 『バルタザールの遍歴』を初めて読んだとき、強烈に惹ひかれた一文がある。切り取ったら教訓になるような、いわゆる名言集向きの言葉ではない。でも文字が浮き出て見えた。〈私たちの肖像画に予想以上のビリジャンを費やしたのだ〉という記述だ。 〈私たち〉とは、メルヒオールとバルタザールのことだ。一九〇六年のウィーンで、カスパール・フォン・ヴィスコフスキー=エネスコ公爵の長子として生まれた。本書のあらすじを乱暴に説明してしまえば、貴族のドラ息子の転落物語だ。ただし、そのドラ息子は一つの肉体を共有する双子なのである。 父が息子につけた名前はメルヒオールのみで、バルタザールの存在はないことにされていた。メルヒオールによれば〈私たちが二人であることを認めさせようとすると、人々は一様にぎょっとし