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街の検索結果361 - 400 件 / 737件

  • 私にとって第二のふるさと。デパートが溶け込む街・日本橋|文・寺坂直毅 - SUUMOタウン

    著: 寺坂直毅 写真: 小高雅也 デパート大好き少年が夢見る街 幼稚園に通っていた頃からデパートが好きだった私。実家は九州・宮崎市。実家のすぐ近くに何軒かデパートがある環境でした。 近所の公園にも行かず、遊び場はデパートのエスカレーターやエレベーターだった私は、太陽の光より、デパートのシャンデリアの光を浴びて育ったのです。 小学生の頃には、ますますデパートへの情熱が高まっていき九州、中国、四国、近畿などのデパートを旅していましたが、憧れは「東京・日本橋のデパートを巡ること」でした。というのも、「日本橋」は、日本のデパートの「ふるさと」のような場所だからです。 日本のデパートの元祖は「三越」です。1673年、創業者三井高利氏(※みついたかとし/江戸時代の豪商。三井財閥の基礎を築いた)が、呉服屋「越後屋」を日本橋で開業。そして1904年(明治37年)、呉服以外にも欧米のデパートのようにさまざま

      私にとって第二のふるさと。デパートが溶け込む街・日本橋|文・寺坂直毅 - SUUMOタウン
    • 区の境目がひと目でわかる場所めぐり

      県境をこえた移動がどうのこうのと、世間がかまびすしい。 「県境マニア」をなのりはじめてけっこう経つけれど、県境がこんな形で世間に注目されることになろうとは、露ほどもおもわなかった。 そんないまこそ、ほかの境界にも目を向けたいとおもう。そう「区境」だ。 ひと目で「境目がある!」とわかる区境を探す 県境は、県と県の境目であるから、その変化がわかりやすい場所がけっこうある。そういう場所にふざけて行った経緯は過去なんども記事にしてきた。 ところが、市区町村の境目は、じゃっかん地味なうえ、変化もとぼしいことがおおいので、あまり注目してこなかった。 とはいえ、探せば意外と「境目だ!」と分かる場所はあるもので、そんな境目……とくに今回は東京の区境のなかから面白そうなところを探し出し、街とかに詳しいライターの三土さんと、編集部の古賀さんに、わたくし(西村)がプレゼンするかたちで紹介したい。 Zoomで区境

        区の境目がひと目でわかる場所めぐり
      • 実家が知らない間にユニクロになってた話→「ここって俺んちじゃないか」

        いしかわじゅん @ishikawajun デビューして48年目に突入! 最近は毎日新聞の朝刊で『桜田です!』という4コマを、日々描いている。もう9年ほどやってるが、まさか自分が、新聞4コマを描く日がくるとは思わなかったな。吉祥寺と那覇の二重生活も、既に20年近い。 ishikawajun.com いしかわじゅん @ishikawajun 豊田で、駅前のUNIQLOにいったら、なくなっていた。検索してみたら、わりと近くにもっと大きい店ができていた。地図を見てたら、ちょっと待てよ、ここって俺んちじゃないか。俺の小学4年生くらいまで、石川家が建ってた場所だ。行ってみたら、古い道が全て残っていて、泣きそうだったよ。 pic.twitter.com/qJGHPYpwXL 2024-05-03 00:50:21

          実家が知らない間にユニクロになってた話→「ここって俺んちじゃないか」
        • まち外れのトタン小屋がみる夢〜オールド・ニュータウン「ゆめみ野」の夢心地調査〜

          埼玉県にゆめみ野というニュータウンがあるらしい。 夢を見る野原か、夢を見て野原へ、か。 高度経済成長期の住宅確保のため、野原がゆめみ野というまちに生まれ変わって約35年。あの頃の人々(もしくは野原)が見た夢は、今やどうなっただろうか。 街並みや人々の姿に夢心地度が現れていないかと訪れたところ、まちのはずれで夢を見続けるトタン小屋に出会った。 オールド・ニュータウン、ゆめみ野 昭和の住宅問題を支え、バブル崩壊とともに収束していったニュータウン事業。ゆめみ野のように施行から30年以上経った地域は近年「オールド・ニュータウン」とも呼ばれ、住民の高齢化や再開発などの課題も取り沙汰されている。 ニュータウンといえば多摩や千葉のように、2000ha超の広大なまちを思い出す人も多いだろう。対して「ゆめみ野」はたった83.9ha、その面積は東京ディズニーリゾートよりも小さい。 最寄り駅はJR武蔵野線吉川駅

            まち外れのトタン小屋がみる夢〜オールド・ニュータウン「ゆめみ野」の夢心地調査〜
          • ぼくは両さんになりたかった。 ★谷根千ラプソディーの巻 - SUUMOタウン

            著者: 弁当丸 両さんになりたかった。 小学生のときに友達に借りた「こち亀」の自由な世界に憧れた。駄菓子屋を巡ったり、学校にベーゴマやメンコを持ち込むくらいこち亀にはまっていた。なんなら、鉛を溶かしてベーゴマを自作すらしていた。 その中心には、自分の好きなことをして誰の顔色もうかがわない両さんへの憧れがあった。親の転勤が多く、小学校までに3回転校をしていたためか、環境に合わせる姿勢が染みついた自分とは真逆の、自分に合わせて環境を変えていく存在への憧れが。 中学のときは、オアシスのノエル・ギャラガーにも憧れて、両さんとノエルと自分の共通点といえば眉毛が太いことで、二人は眉毛がつながっていることに気づいた。であれば、自分も。と、父親の発毛剤を眉間に塗ったこともあった。全然つながらなかった。 高校のとき、学園祭で杏仁豆腐屋をやることになったときも両さんから学んだ宣伝手法を使った。 両さんが閑古鳥

              ぼくは両さんになりたかった。 ★谷根千ラプソディーの巻 - SUUMOタウン
            • 京王線の隠れたエース「高幡不動」の日常と非日常(文・青柳美帆子) - SUUMOタウン

              著: 青柳美帆子 東京都日野市高幡不動。生活をするための町だ。 駅から徒歩5分圏内に、必要なものがぎゅっと詰まっている。セブン-イレブン、ファミリーマート、ローソン。本屋は駅ビルの中に啓文堂書店。カフェはドトールとタリーズ。100円均一ショップは中規模のダイソーとショップインのキャンドゥ。スーパーは京王ストアと食品の店おおたとJA東京がある。ドラッグストアはいっぱい、パン屋はルパ。銀行ATMはメインバンク全てがあって、郵便局があって、図書館があって、ジョナサンがあって、マクドナルドとモスバーガーがあって、チェーン居酒屋もたくさんある。 ないものはといえば、カルディ、成城石井、セリア、スターバックス、無印良品、ユニクロ、TSUTAYA。こういう「あるとけっこううれしいけど、なくても困るほどではない」という店は高幡不動にはあんまりない。「そういうのは電車に乗って近くの町に買いに出ればいいと思う

                京王線の隠れたエース「高幡不動」の日常と非日常(文・青柳美帆子) - SUUMOタウン
              • 東京都心&副都心への「改札→改札」所要時間とだいたいの通勤者数を可視化してみたら各拠点の性格も見えて面白い

                にゃんこそば🌤データ可視化 @ShinagawaJP 東京都心&副都心への「改札→改札」所要時間と、だいたいの通勤者数を可視化してみた。 不動産広告「東京駅●●分!」よりも実感に近い数字で、住まい探しに役立ちそう。各拠点の性格の違いも見えて面白いな。(・ㅅ・) 【出典】国土交通省『第13回大都市交通センサス』(2021年12月のIC利用データ) pic.twitter.com/POlgKe3OnM 2023-04-19 21:00:00

                  東京都心&副都心への「改札→改札」所要時間とだいたいの通勤者数を可視化してみたら各拠点の性格も見えて面白い
                • 【大阪府豊中市】ここがどこかへなっていく街(文・岡野大嗣) - SUUMOタウン

                  著: 岡野大嗣 幼稚園から二十代の前半まで住んでいたマンションは角部屋で、リビングの北側に開いた窓から、飛行機が飛んでいるのを空高くに眺めることができた。出張から帰ってくる父が乗っているかもしれない飛行機に手を振っている、幼いころの記憶。淀川の花火大会の日、花火が上がる時間に合わせて帰りの便を押さえていた父。父は遠く飛行機の窓から、父以外はリビングの窓から。違う場所から同じ花火を見ていることが、同じ場所で一緒に見るよりもうれしいような、さびしいのにあたたかい気分になって不思議だった。 二十歳を前にして家に引き籠っていたころ、真昼間のリビングのソファに一人寝転びながら、窓の向こうに飛行機の数をかぞえていた。大阪を旅先にやってくる人、家があって帰ってくる人、どこかへの通過点として立ち寄る人。その誰もが、こことは違うどこかで見聞きした記憶を連れてやってくる。空の高いところを飛ぶ小さな飛行機にそん

                    【大阪府豊中市】ここがどこかへなっていく街(文・岡野大嗣) - SUUMOタウン
                  • 介護中の私を支えてくれた、中目黒と代官山の煌めき(文・犬山紙子) - SUUMOタウン

                    著者: 犬山紙子 東京の女の子になった姉 私より一足先に東京に行った2つ年上の姉は、いつの間にか雑誌に出てくるようなおしゃれでかわいい女の子になっていた。対して私は、ニキビとコンプレックスを顔にのせ、なんちゃってギャルをやりながら宮城県名取市で暮らしていた。もう20年近く前の話だ。 大学生になった私は、まだ将来の夢を持てずにいた。子どものころから文章を書くことが大好きだったけれど、それを夢に繋げることを意識的に避けていたのだ。「弱っちい何者でもない自分」を守るために冷笑的なスタンスでいる癖がついた私は、現実的でない夢を掲げることができなかったし、自分に自信もなかった。冷笑的に世界を見る私は、自己否定と閉塞感の塊だった。 そんな私に、上京した姉はまぶしく映った。大人の言うことはちっとも耳に入らないが、姉の言うことは素直に聞けたし、姉のことが素直に好きでもあった。そもそもかなり厳しめの親を説得

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                    • 父が倒れてしまったあの日、ぼくにとって「塩竈」はかけがえのない街になった - SUUMOタウン

                      著者: 五十嵐 大 ぼくの父は、強面で身体が大きく、とても真面目な人だった。塗装工として休みなく働き、家族をしっかり養ってくれた。 でも、あまり感情を表に出さずぶすっとしている父は、ちょっと怖い。幼いころのぼくは、父が少し苦手だった。 「大ちゃん、お父さん、倒れたの! これから緊急手術だって!」 そんな父が倒れてしまったと連絡が入ったのは、ぼくが編プロでライター修行をしていたころ。いまから7年前のことだ。 病状は、くも膜下出血。電話をくれた従姉妹は、これから手術が行われること、家族は急いで病院に集まるように言われたこと、手術が成功するかどうかはまだ分からないことなどをまくしたてていた。 でも、その声がどんどん遠ざかっていく。 嘘だろ……。ぼくの耳は、電話の向こうで起きている現実をなかなか受け入れようとしなかった。 「だから、いますぐ帰ってきて!」 耳元で従姉妹が狼狽しながら叫ぶ声を聞き、ぼ

                        父が倒れてしまったあの日、ぼくにとって「塩竈」はかけがえのない街になった - SUUMOタウン
                      • 綾瀬市の全地区を歩いたら見えてきたこと

                        なにかと家に閉じこもりがちな今日この頃、運動不足を解消するためにウォーキングを始めた。 最初は自宅の周辺を歩くだけだったのだが、ふと私が住んでいる神奈川県綾瀬市のすべての地区を踏破してみるのはどうだろうと考えた。 そこで実際に全地区を歩いてみると、思わぬ発見や気付きがあったのでお伝えしたい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:迷宮住宅街を攻略したい > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 街区塗り潰しアプリが面白い 私がなぜ住んでいる市のすべての地区を歩いてみようなどと思い立ったかというと、ウォーキングを

                          綾瀬市の全地区を歩いたら見えてきたこと
                        • 点在か、一極集中か。天神と博多駅前どちらと過ごそうか(寄稿:結騎 了) - SUUMOタウン

                          著: 結騎 了福岡の「街」といえば、どこが思い浮かぶだろうか。 例えば、全国的に流通している福岡の街を冠した単語と言えば「博多ラーメン」が挙げられる。しかし、観光地として福岡を長らく牽引してきたのは、実は天神エリアだったりするのだ。 夢のレンズを探して天神愛眼にたどり着く人もいれば、ライオン広場や警固公園(けごこうえん)で待ち合わせをする人もいるだろう。いつも行列の絶えない元祖博多めんたい重や「ひょうたん寿司」を堪能し、駅から直結の新天町商店街を楽しむのも良い。老舗の百貨店に流行りのショップといった新旧共存の街並みは、福岡を代表するエリアとして長らくその名を轟かせてきた。 天神には古きと新しきが入り混じっている しかし、最近は博多駅前も負けてはいない。2013年に移転するまで、駅の真横には博多郵便局の大きな局舎があったものだが、その風景はとっくに過去のもの。近年、駅周辺の変わりようは目覚ま

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                          • 新橋は嘘をつく。きっとキミは天才だと。(文・古東風太郎) - SUUMOタウン

                            著: 古東風太郎 入社式を翌日に控えた2011年3月31日、新築のマンションで段ボールを開封すると三年間付き合った人に目も合わせずに別れを告げた。キツい西日が差し込むワンルームで、すぐ隣にある幸せより、ずっと先で待つ可能性に目がくらんでしまった。 「幸せにならなきゃ許さない」 そんなお人好しすぎる言葉を1つ言い残し、彼女は玄関のドアを閉じた。 何者かになりたい人間でごった返す東京で、時折、何者にもならずただ漂っていたい人間が紛れ込んでいる。これはそんな人間が新橋というサラリーマン激戦区で、あろうことか淘汰されずに生きのびてしまった話だ。 明日着るスーツのしわを手でテキトーに伸ばしたらベッドに倒れ込む。最後の最後までお人好しだった彼女を、とうとうボクは見送りもしなかった。「早く一発当てて恩返ししないと」彼女にできる罪滅ぼしを自分の身勝手な夢と重ねながら眠った。そんなやっちまった日の翌朝、まだ

                              新橋は嘘をつく。きっとキミは天才だと。(文・古東風太郎) - SUUMOタウン
                            • 母が「フラれた」八戸へ。来年の夏、私は移住する - SUUMOタウン

                              著者: 栗本千尋 「八戸にフラれた気がしたんだよね」 と、母は言った。 「仙台に家を買おうと思う」と突然言い出したので、その理由を聞いたときのことだ。 冗談だと思っていたことが現実になり、八戸にあった実家がまるごと仙台に移って4年が経つ。高校卒業まで過ごした生家は跡形もなくなり、今はその土地に見覚えのない真新しい家が建っている。 地元だけど、実家はない。 そんな片思いの八戸に、来年の夏、私は帰ることが決まっている。 「りんご」も「大雪」も「ねぶた」もない港町 自己紹介で「青森県出身」と言うと、反応される3大パターンは、「りんごでしょ?」「雪すごいんでしょ?」「ねぶたでしょ?」。でも実際には、りんごをつくっている地域はちょっと遠いし、太平洋側なので雪はそこまで積もらないし、ねぶた祭りには一度も行ったことがない。 青森出身なのに青森らしいことを経験してきていない。いってしまえば八戸は半端な土地

                                母が「フラれた」八戸へ。来年の夏、私は移住する - SUUMOタウン
                              • 渋谷の街にありながら、昭和レトロな立ち呑みの聖地「富士屋本店」が挑戦する新たな店づくり - おなじみ丨近くの店から、なじみの店へ。

                                立ち飲みの聖地として長年愛されてきた「富士屋本店」は渋谷再開発のため閉店しましたが、 2022年11月、そのスピリットを継いだ「立呑 富士屋本店」が新たにオープンしました。リスタートを切るうえで意識した、店づくりのポイントとは。 一度ならず、何度も足を運んでくれる「おなじみ」のお客さんは、飲食店にとって心強い存在です。多くの常連客の心をつかむお店は、どのような工夫をしているのでしょうか。 2022年11月、渋谷区桜丘にオープンした「立呑 富士屋本店」は、かつてこの界隈で立ち呑み文化が広がるきっかけとなったとされている「富士屋本店」を前身とするお店です。 名物の「ハムキャ別」や「ナス味噌」といった往年のメニューに加え、酒場好きの心をくすぐる料理やドリンクが好評で、若い世代からも支持を受けています。昔の雰囲気を残しながらも、今の時代に合わせ変化を遂げた同店で、常連客を生みだす心得について話を聞

                                  渋谷の街にありながら、昭和レトロな立ち呑みの聖地「富士屋本店」が挑戦する新たな店づくり - おなじみ丨近くの店から、なじみの店へ。
                                • 横須賀は野比から潮騒に明日を夢みて - SUUMOタウン

                                  著者: 仲地 慶祐 窓から見える風景が嫌いだった。 大学進学をきっかけに上京し、2年が過ぎた。地元である関西から関東へ引越した僕は何の疑いもなく品川の学生寮へと入居したのだが、これが本当に良くなかった。 家賃や光熱費は格安で、学校にも徒歩で行ける。品川駅までも徒歩15分という、都内の人からすれば羨望の眼差しを向けられてもおかしくない好条件に住んでいた。 しかし、気持ちは重かった。 自室から見える高速道路や高層ビルの摩天楼は何時になっても煌々と人工的な明かりを放ち、車が行きかう音や人々の生活音は深夜だろうと止むことはない。 朝や昼時のコンビニには大行列ができ、企業のサラリーマンたちが時計を気にしながら街を闊歩している。毎日を楽しく過ごしている人はこの街に一体どれくらいいるのだろう。その時の僕には、そんな人は少なく見えた。 陰鬱な気持ちで暮らしていたものだから、学業に対する熱意も低く、ダラダラ

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                                  • 春風亭一之輔さんが東武野田線の「退屈さ」を愛する理由【私の好きな路線と街】 - SUUMOタウン

                                    インタビューと文章: 森嶋良子 写真:小野奈那子 人の暮らす場所は一つの「点」にとどまらず、人生の中で移り変わって「線」を描きます。その点と点のつながりを生み出すのが、日常の足となる路線です。普段何気なく乗っている路線がどれほど愛すべきものであり、日々の生活に寄り添ってくれていたのかを、その路線にゆかりのある方々に語っていただく企画「私の好きな路線と街」。 千葉県野田市は歴史ある街です。日光東照宮の参詣道である日光街道の脇街道*1が通り、江戸時代から醤油(しょうゆ)の一大産地として発展してきました。現在も本社を構えるキッコーマンの前身ともいえる野田醤油醸造組合から全国に醤油を出荷するため、明治44年に引かれたのが千葉県営鉄道野田線。これが東武野田線として親しまれ、現在は首都圏郊外のベッドタウンを結ぶ通勤の動脈となる東武アーバンパークラインです。 いい線いってる 東武アーバンパークライン ※

                                      春風亭一之輔さんが東武野田線の「退屈さ」を愛する理由【私の好きな路線と街】 - SUUMOタウン
                                    • 松本隆と歩くぼくの風街 「ねえ、ぼくの“風街”めぐりをしてみない?」

                                      生徒手帳の住所欄に、ぼくは一言、風街と書きこんで、内ポケットに入れていた。新学期が始まった日、地図帳を広げて、青山と渋谷と麻布を赤鉛筆で結び、囲まれた三角形を風街と名付けた。それはぼくの頭の中だけに存在する架空の街だった。たとえば見慣れた空き地に突然ビルが建ったりすると、その空き地はぼくの風街につけ加えられる。だから風街の見えない境界線はいつも移動していた。――松本隆 小説『微熱少年』より あるとき松本さんが言った。「ねえ、ぼくの“風街”めぐりをしてみない?」 わたしは即座に答えた。「ああ、それは面白いアイデアですね」 松本隆ファンには、松本さんゆかりの場所や、詞に描かれた情景を感じられる場所などを「聖地巡礼」する人が多く、それを知った松本さんが自らも再訪してみたいと思うようになった、というのだ。「ただ、みんな、“ここに違いない”と推測して訪れているけれど、正解もあれば、そこじゃないのにな

                                        松本隆と歩くぼくの風街 「ねえ、ぼくの“風街”めぐりをしてみない?」
                                      • 明日をまもるナビ 記事一覧 | NHK防災

                                        明日をまもるナビ 記事一覧 | NHK防災

                                          明日をまもるナビ 記事一覧 | NHK防災
                                        • 葛飾生まれのむすこが、うらやましい - SUUMOタウン

                                          著: 出来幸介 私はむすこがうらやましい。 半年前に生まれたむすこは、この世のケガレをまだ知らず、きれいなほっぺですやすや寝ている。 私はむすこがうらやましい。行く先々で、みなから声をかけられる。少しばかり微笑むだけで「笑ったぁ!」。その歓声は高くなる。 私にないものを持つむすこ。私はむすこがうらやましい。 葛飾生まれ、葛飾育ち。 そうなるむすこが、うらやましい。 葛飾と世界を結ぶ、ハブステーション「青砥」 大阪生まれ、大阪育ちの私は、大学で東京に出た。しばらくは新宿の外れのシェアハウス、といえば聞こえはいいもののさまざまな国籍の学生・社会人がごった煮のごとく暮らすカオスな空間で暮らしていたが、結婚を機に引越すことになった。 妻の口から、「職場の近くだといいなぁ。葛飾なんだ」と聞いたとき、得体のしれない高揚が私を包み込んだ。葛飾……! 幼少期より『こち亀』をバイブルのごとく愛読し、父が観る

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                                          • 京阪、水辺に、菊人形。ちょうどいい街、枚方の街。(文・西山瞳) - SUUMOタウン

                                            著: 西山瞳 枚方市は、ちょうど良い街です。 田舎すぎず、都会すぎず、大阪に出るのも京都に出るのも同じぐらいの時間で、車だと、奈良もそんなに遠くないです。神戸については聞かないでください。 私はこの枚方で、幼少期から27年間過ごしました。20歳からジャズ・ピアニストとして活動し、26歳でメジャーデビューして、28歳のときに東京に引越したのですが、関西で演奏することも多いので 、今も度々枚方に帰っています。 2022年12月。枚方市駅北口ロータリー 枚方市は大阪府の北東、京都府との境の淀川左岸に位置します。時々、私の関西弁を聞いた他の地域の方から「京都出身ですか?」と聞かれることがあるのですが、位置的に若干京都の喋り方と混ざっているのかもしれません。大阪の都会の方と比べ、おしゃべりのテンポ感は少しゆっくりしています。 ひらかたパークと京阪電車、この二つは枚方の住民から絶大な信頼を得ており、わ

                                              京阪、水辺に、菊人形。ちょうどいい街、枚方の街。(文・西山瞳) - SUUMOタウン
                                            • 地味に読めない大阪の地名を巡りました

                                              自由律俳句と路上観察をしています。大阪在住。私家版の自由律俳句集『麦わら帽子が似合わない』『ブルマ追いかけて八位』『待ち受け画像がちらし寿司』も販売しています。 前の記事:滑り台の多様な進化を集めました > 個人サイト note 1、守口市金田町 まずは金田町から。 金田町は守口市の中でも寝屋川市寄りで、守口ジャガータウンという商業施設が近くにあります。 それでは、読みが書いてあるところを探していきたいと思います。 ただうろうろするのも何なので、見つかるまでは道中で気になったものも紹介していきます。 では、スタート。 守口門真子ども音頭の看板。 逆に作曲者が誰か気になる。 守口の忍者掲示板が真っ白。 やっぱり忍者じゃないと読めないのでしょうか。 田舎の米が売ってました。 「田舎の米」という品種なのか、ガチで店主の田舎の米なのかは不明。 装飾テントを避けるポール。 優しい。 お、公園に地図が

                                                地味に読めない大阪の地名を巡りました
                                              • 蔵前で暮らしたら、「気まま」のまんまで家族になれた。 - SUUMOタウン

                                                著者: べっくや ちひろ 「ママになれ」なんて、誰も言ってないのに 「そろそろ家を買おうか」と言い出したのは夫で、「それなら蔵前がいい」と言ったのは私だった。 ユニークなカフェや雑貨店が続々とオープンしているおもしろそうな街だと、雑誌で見て知っていた。本屋好きとしては、独立系書店が点在するのも魅力的に映った。 夫が挙げた条件である「東京駅へのアクセスがいい」「下町感がある」「頑張れば手が届く価格帯(重要)」にも当てはまる。 何より、街の東を隅田川が流れているのがいいと思った。川のある街に惹かれる性なのだ。 2018年の春。4月にしては蒸し暑いよく晴れた日に、私たちは蔵前に越してきた。 結婚して丸2年。息子は8カ月になったばかり。 子連れでの引越しなのに、「公園が多い」とか「子ども用品店が近い」といった条件をまったく考えずに、ただ自分が気に入りそうな街を選んだのが、今振り返るとなんとも好き勝

                                                  蔵前で暮らしたら、「気まま」のまんまで家族になれた。 - SUUMOタウン
                                                • 「ほっといてくれる」心地よさ。阿佐ヶ谷でひとり、居場所を見つけた(文・山口 亮) - SUUMOタウン

                                                  著: 山口 亮 「人がいっぱいいるから、何かおもしろいこともあるだろう」。富山県高岡市で生まれ育った私の考えはとても単純だった。田んぼのど真ん中で高校生活を過ごした私は、そんなわけで東京へ進学することを決めた。 通学は自転車で30分、週末にはイオンで映画鑑賞。お小遣い欲しさにこっそりアルバイトをし、いい加減な恋愛をして気がついたら受験シーズン。特別なことは何もなかったように思うし、だからこそ「なんでもありそうな」東京に行けば何かが起こるような気がしていた。 「お父さん、手続きも受験も全部自分でやるので100万円だけください。あとはなんとかします」 そう頭を下げて受験を乗り越え、東京に引越した。 大学生活をそこそこに過ごし、進級のタイミングで選んだ引越し先は中央線沿線の阿佐ヶ谷だった。それまでと異なる校舎に通学することになり、利便性や家賃相場のバランスを考えて選んだ場所だった。中央線カルチャ

                                                    「ほっといてくれる」心地よさ。阿佐ヶ谷でひとり、居場所を見つけた(文・山口 亮) - SUUMOタウン
                                                  • 「ひとりより、ふたりのほうが楽しいじゃん」経堂で、2度目の結婚を決めました - SUUMOタウン

                                                    著者: 藤田華子 ずっと、お気に入りの小説に出てくる街に住んでみたいと思っていた。 私の場合それは、江國香織の物語。 14歳のころ『きらきらひかる』を読み、彼女の無垢で奔放な世界に居心地の良さを覚えた私は、長らくお話の舞台に憧れていた。彼女の話には、よく世田谷が出てくる。下北沢、梅ヶ丘、豪徳寺、経堂、成城学園などなど。 物語の登場人物にはなれないけれど、あの世界に近づくことはできる。そして18歳で上京して以来、数えてみたらもうかれこれ10年以上、このエリアで転々と引越しを重ねている。 住んでみて分かったことなのだけど、小田急線に友人を呼ぶと、「初めて乗った」とか「降りたことない駅ばかり」とよく言われる。東京に住んでいても、馴染みが薄い人には縁遠い路線らしい。 でも同時に「住みやすそう」「住んでみたい」というお声をいただくことも多々あり、そのたびに私はなぜか「えっへん!」となって、自分の小田

                                                      「ひとりより、ふたりのほうが楽しいじゃん」経堂で、2度目の結婚を決めました - SUUMOタウン
                                                    • 福井県民なんですけど

                                                      今日のテレビのはしゃぎ具合がすごかったので記録に残しておこう。 ・長時間特番してた 福井県民放2局しかないんだけど、どっちも昼と夕方に生放送特番してた。Youは何しに日本へを返せ。いや番組の要旨としては似たようなもんだから別にいいか? ・そもそも1ヶ月以上前からニュースで新幹線開業のカウントダウンしてた この機に福井駅前にマクドナルドとスタバができたらしくテンションの上がった女性たちがインタビューに応じていたのが印象に残っている。 ・東京への片思いがエグい 開業した県内の駅に行ったリポーターが「渋谷駅前の交差点を超えるほどの人出です」みたいなこと言ってた。さすがにそれはないんじゃないかなあ。 さらに勢い余って渋谷駅前で福井県の知名度調査のアンケートとかやってるコーナーがあった。特に印象にないですって言われてたね。切ない…… 多分バイアスのかかってない知名度を確認するには、特番やってる時間帯

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                                                      • 渋谷・宮下公園跡地に「ミヤシタパーク」開業 —— 10年に及ぶ“ホームレス排除”の歴史を振り返る

                                                        7月28日、渋谷・宮下公園に新たな商業施設「MIYASHITA PARK(ミヤシタパーク)」が、新型コロナウイルスの影響による延期を経て、ようやくオープンする。 同公園は、「ホームレス(野宿者)排除」をめぐる歴史の地でもあり、街の多様性について物議を醸してきたことでも知られる。過去の経緯やそこで積み残された課題は、その後どうなったのか。 ルイ・ヴィトンの巨大な看板が掲げられた「宮下公園」。足を踏み入れようとすると、手のアルコール除菌を求められた。警備員によるチェックを受けて検温をし、エスカレーターを上りながらふと後ろを振り返ると、渋谷のスクランブルスクエアが、鈍く光って見えた。 7月28日にオープンしたミヤシタパークは、JR渋谷駅から原宿駅に向かう山手線沿いに位置する、旧・宮下公園の跡地にある。公園・駐車場・商業施設・ホテルが一体となった複合商業施設だ。 開業はもともと東京オリンピック・パ

                                                          渋谷・宮下公園跡地に「ミヤシタパーク」開業 —— 10年に及ぶ“ホームレス排除”の歴史を振り返る
                                                        • 再出発は、森下で――神様が私にくれた「ロングバケーション」 - SUUMOタウン

                                                          著: 川口あい 「街の思い出」に、ひっぱられたくない 新しい人生を始めるなら、知らない街がいいと思った。 それまで東京の西側にしか住んだことのなかった私が、一度も足を踏み入れたことのない森下という駅を新居に選んだのは、いちばんの親友が錦糸町に住んでいたから。あとは、かつて好きだったドラマの舞台というイメージがあったくらい。その程度でじゅうぶんだった。 三軒茶屋、中野、吉祥寺。それまでに住んだ街はどこも魅力的で愛着があって、だからこそ、その街が持つ「思い出のちから」にひっぱられたくなかった。 紆余曲折あって、一度離れた東京に再び戻ってきたときには、心身ともに弱りきっていた。離婚の作業は予想以上に精神力を使い、底辺からようやっと少し顔を出して不器用に息継ぎするのが精一杯だったから、何も知らないし思い入れもない街に住むくらいが、ちょうどよかった。 物件はすぐに決まった。当たり前だ。何のこだわりも

                                                            再出発は、森下で――神様が私にくれた「ロングバケーション」 - SUUMOタウン
                                                          • 自由という名のもとに。凹凸地形と呼応する喧騒と静寂の町「自由が丘」(文:皆川典久) - SUUMOタウン

                                                            著: 皆川典久(東京スリバチ学会 会長) 黄昏時の自由が丘駅前 その名のウカレた印象から苦手だった町・自由が丘。 群馬の田舎から上京した当初は、何となく近づき難いハイソな山の手の町に思えたのだ。しかし、それは偏見に過ぎなかったと今は思う。 実際に訪れてみると、自由が丘は地形的に非常に面白く、私にとって住みたくなる町の代表的な存在だったからだ。 ※編集部注:本記事は3月初旬に企画し、取材は緊急事態宣言が発出される前に行われました 谷の中の喧騒と、丘の上の静寂 私は東京スリバチ学会の会長として、その土地特有の微地形*1に着目し、町の魅力を発掘する活動をしている。 町の発展や歴史には、立地と微地形が深く関係してるが、自分の場合はそのなかでも特にスリバチ状の谷間や窪地に関心を寄せている。「東京にそんな場所があるの?」と疑問を抱く方も多いと思うが、渋谷・四ツ谷・市ヶ谷・谷中など「谷」のつく地名の多さ

                                                              自由という名のもとに。凹凸地形と呼応する喧騒と静寂の町「自由が丘」(文:皆川典久) - SUUMOタウン
                                                            • 子どものころは「普通の景色」だった蔵造りの街並みが、今では特別な存在に。川越ならではの価値を次世代に伝えたい/埼玉県川越市・川越一番街商店街「櫻井印刷所」櫻井理恵さん【商店街の住人たち】 - SUUMOタウン

                                                              インタビューと文章: 小野洋平(やじろべえ) 写真:小野 奈那子 長年、そこに住む人々の暮らしを支えてきた商店街。そんな商店街に店を構える人たちにもまた、それぞれの暮らしや人生がある。 街の移り変わりを眺めてきた商店街の長老。さびれてしまった商店街に活気を呼び戻すべく奮闘する若手。違う土地からやってきて、商店街に新しい風を吹かせる夫婦。 商店街で生きる一人ひとりに、それぞれのドラマがあるはず。本連載では、“商店街の住人”の暮らしや人生に密着するとともに、街への想いを紐解いていく。 ◆◆◆ ■今回の商店街:川越一番街商店街(埼玉県川越市) 江戸時代からの街並みが色濃く残る川越。1951年に札の辻から仲町交差点までの430m、70店舗による協同組合として発足したのが「川越一番街商店街」だ。これまで歩車道の段差解消、街路灯の新設、歩道の石畳化、電線の地中化などに取り組み、江戸から続く景観を今に受

                                                                子どものころは「普通の景色」だった蔵造りの街並みが、今では特別な存在に。川越ならではの価値を次世代に伝えたい/埼玉県川越市・川越一番街商店街「櫻井印刷所」櫻井理恵さん【商店街の住人たち】 - SUUMOタウン
                                                              • 清く正しく美しい街「宝塚」。タカラジェンヌと地元の絆(文・天真みちる) - SUUMOタウン

                                                                著: 天真みちる 桜のはなびら舞い踊る花のみち 銅像写真提供 みきぽん タカラジェンヌを志したのは、三歳のころ。 おばあちゃんに「アンタはタカラジェンヌになりな」と言われ、おばあちゃんの許可さえあれば入れるところだと勘違いした私は「オッケー!」と、軽い気持ちで受験し惨敗。その後1年間ほぼ毎日習い事に勤しみ、なんとか一次試験を突破し、最終試験会場の宝塚音楽学校に来たのが、今から18年前のこと……。 初めて降り立った宝塚駅の印象は、「荘厳」だった。なんか駅の天上高いし、空間広々としてるし、まずもって電車が高級感ある気がするし、改札抜けたら吸い込まれる位置に阪急百貨店あるし……。 阪急百貨店を抜け、駅内アーケードも吹抜けでこれまた天上が高く、屋根があるのに開放感があり、贅沢な空間が広がっている。ありとあらゆるものに目を奪われまっすぐに歩くことが出来ず、改札を出てアーケードを抜けるまでのたった数百

                                                                  清く正しく美しい街「宝塚」。タカラジェンヌと地元の絆(文・天真みちる) - SUUMOタウン
                                                                • TechCrunch

                                                                  The Senate passed a bill, included with the foreign aid package, that will ban TikTok if its owner, ByteDance, doesn’t sell it within a year. Senators passed the bill 79-18 Tuesday after the Hou

                                                                    TechCrunch
                                                                  • 三宿の街の記憶と散歩を【東京・三宿】 - SUUMOタウン

                                                                    著者: やけのはら 私は以前、東京都世田谷区三宿の周辺に住んでいた。 渋谷から東急田園都市線でひとつ目が池尻大橋駅。池尻大橋駅の次が三軒茶屋駅。 池尻大橋と三軒茶屋の間のエリアが三宿と言う街になる。 つまり、三宿には駅が無く、池尻、三軒茶屋、どちらへも徒歩で10分強という立地だ。 そう言うと不便なようだが、渋谷から池尻、三軒茶屋、二子玉川と進み、多摩川を抜けて神奈川県へと達する国道246号線(高架で東名高速道路が併走している)沿いでは、時間帯によって電車より多い間隔でバスが走っている。 また、渋谷を基点に、南の海側から、東急東横線、東急田園都市線、京王井の頭線と3路線が放射状に走っているが、東急東横線、京王井の頭線の駅へも、自転車で行けば10分強で移動できる。 音楽の仕事をしているので、渋谷周辺の街場に用事が多かったのだが、渋谷、代官山、中目黒、学芸大学、下北沢、そして世田谷線沿線といった

                                                                      三宿の街の記憶と散歩を【東京・三宿】 - SUUMOタウン
                                                                    • 鉄道に詳しい人と街を歩いてへぇへぇ言わされたい

                                                                      鉄道は趣味として強い。しかし壁が高い。好きな人はとことん好きなイメージがあり、おいそれと近寄れない。遠目にはとても楽しそうに見えるのだが……初心者でも楽しめるような軽い楽しみ方はないのだろうか。 鉄道に詳しい人と街を歩いて鉄道ファンの視点を教えてもらったらどうだろう。ここがおもしろいとへぇへぇ言ってそのうまみのおこぼれをもらうのだ。

                                                                        鉄道に詳しい人と街を歩いてへぇへぇ言わされたい
                                                                      • コンパクトシティ「福岡市」が、僕をミニマリストにしてくれた(文・ミニマリストしぶ) - SUUMOタウン

                                                                        著: ミニマリストしぶ(澁谷直人) 僕がミニマリストになった街 福岡市、姪浜(めいのはま)。僕がミニマリストに憧れてモノを減らし、初めて一人暮らしを始めた街。と同時に、母子家庭の家族3人で住んでいた街でもある。そんな姪浜の実家を抜けて、僕は実家から徒歩5分のワンルームマンションを借りた。ワクワクの一人暮らしデビューを同じ地元でスタートするほどに、姪浜は居心地のよい街だった。 福岡市地下鉄「空港線」の最も端に位置する姪浜は、都心部である博多や天神から離れていることもあり、ファミリー世帯が多いエリアである。「最も端で都心部から離れている」とはいっても、コンパクトシティといわれる福岡市。地下鉄で天神までは約15分、博多まで約20分とそう離れているわけでもない。 中心部より家賃も安く、スーパーやディスカウントストアが多い。市内唯一の大型アウトレットモール「マリノアシティ」もある。釣りやバーベキュー

                                                                          コンパクトシティ「福岡市」が、僕をミニマリストにしてくれた(文・ミニマリストしぶ) - SUUMOタウン
                                                                        • 便利さと自己肯定感が年々高まる街「浦和」|文・辛酸なめ子 - SUUMOタウン

                                                                          著: 辛酸なめ子 一番長く家族と暮らした思い出の地、浦和 自分の故郷はどこかと聞かれたら、幼少期と小5から20代半ばまで住んだ「浦和」と答えさせていただきます。 親の仕事の関係で入間市や飯能市など埼玉県内を転々として、幼稚園や小学校で複数回転校しましたが、一番長く家族と暮らした思い出の地は浦和。今は誰も住んでいない実家は時々夢に出てきます。気になってGoogleストリートビューでチェックして、まだ家屋が存在していることにホッとしました。 この機会に、久しぶりに思い出の浦和を訪れてみました。京浜東北線に揺られて、昔住んでいた北浦和へ。浦和は東西南北に中浦和、武蔵浦和と「浦和」と名のつく駅が多数あるのが特徴です。 以前、都内で「浦和って多すぎない? そんなにいらないよな」と若者が話すのが聞こえて、「そんなことない」と元住民として抗議したくなったことがありました。◯◯浦和の中では、浦和には敵わな

                                                                            便利さと自己肯定感が年々高まる街「浦和」|文・辛酸なめ子 - SUUMOタウン
                                                                          • 「東京」は地方出身者のわたしにとって、あまりに居心地がいい(山内 マリコ)

                                                                            美紀と同じく地方出身である山内さん。本作において「東京」を俯瞰した彼女に、この街はどのように映っているのか。映画公開を記念し、特別に寄稿してもらった。 ※以下、山内マリコさんによる寄稿。 初めて見たのは、2000年代の東京 25歳で上京して、かれこれ15年、東京をぼやぼやと生きている。来たときはたしかに若かったが、去年、40歳になった。 富山で生まれ育ち、大学時代を過ごした関西から東京の中央線沿線に転居したのは、表参道ヒルズが竣工した2006年のこと。東京旅行で見た同潤会アパートの風情がたまらなく好きだったので、来てそうそうにこの街のスクラップ・アンド・ビルドの非情さを思い知らされた。噂には聞いていたが、同潤会アパートみたいな“素敵の塊”を壊すなんて、ちょっとすごいなと呆れた。 東京は、容赦のない再開発によって上書きされつづける街だった。雑誌をとおしてぼんやりあこがれていた1990年代のサ

                                                                              「東京」は地方出身者のわたしにとって、あまりに居心地がいい(山内 マリコ)
                                                                            • 「ドブ板の人間」が暮らす街で、筋金入りのバイタリティにつつまれて。10年目の横須賀。 - SUUMOタウン

                                                                              著者: 横地広海知 「横須賀に住んでます」と言いたい。 JR横須賀線沿線のとある駅へ賃貸契約に向かう電車の中でその考えは浮かんだ。 独立したてだったこともあり、安さを優先して決めた新居候補はなんのイメージも湧かない駅にあった。前の勤務先は鎌倉オフィスを売りにしていて、「どこに事務所があるか?」だけで顧客満足度が上がる場面に何度も遭遇した。何の実績もない自分はピンとくる名前の駅に住むべきなのではないか? 横須賀線の中で鎌倉以外にピンとくる駅名……「横須賀」しか思い浮かばなかった。 思いついてしまったら「横須賀に住んでます」「横須賀から来ました」とどうしても言いたくなった。降りる予定の駅を通り過ぎてたどり着いた横須賀駅でその日のうちに物件を決め、私の横須賀ライフはスタートした。 「横須賀に住んでます」と言い続けただけの10年間 いつでも戦艦の見える海岸エリア。南極観測船「しらせ」が停泊している

                                                                                「ドブ板の人間」が暮らす街で、筋金入りのバイタリティにつつまれて。10年目の横須賀。 - SUUMOタウン
                                                                              • ノー銀座、ノーライフ【わたしの好きな街】 - SUUMOタウン

                                                                                著: 小野寺史宜 2019年12月に刊行された『わたしの好きな街――独断と偏愛の東京』(SUUMOタウン編集部 監修/ポプラ社)の刊行からもうすぐ一年が経ちます。今回は本書の中から特別に、小説家・小野寺史宜さんのエッセイを掲載させていただきます。 ◆◆◆ 好きな街は銀座です。 と言うと、よく誤解される。お金持ちだと思われる。僕はお金持ちではない。残念ながら、小金持ちですらない。銀座が好きだと言うたびに、僕に好かれたところでいいことはないよなぁ、と銀座に対して少し申し訳ない気持ちになる。 もうかれこれ30年、銀座と付き合っている。30年好きでいるというのは、なかなかのことだ。人との関係は壊れることもあるが、街との関係は壊れない。そういうことかもしれない。 僕は千葉県に住んでいたので、東京都の玄関口はそのもの東京になる。わざわざ山手線に乗り換えて有楽町に行きはしない。銀座へは、東京駅から歩いて

                                                                                  ノー銀座、ノーライフ【わたしの好きな街】 - SUUMOタウン
                                                                                • 役目終えた造船の地・北加賀屋が「現代アートのまち」に。地元企業、手探りの10年 大阪市

                                                                                  「アートによるまちづくり」で大きな成果をあげている場所があります。それが大阪の北加賀屋(きたかがや)。かつては造船景気に沸いたウオーターフロントの街が、役目を終えて沈滞。この10年でアートという新たな航路へと舵を切り、再び浮上したのです。 アートで街全体を彩る大胆な構想を実践したのは、長く地元に根差してきた、「まちの大家さん」ともいえる不動産会社、千島土地株式会社。手探りでアートとまちづくりに向きあってきた10年を振り返っていただきました。 「造船所が去った街」から「アートの街」へと変身 「弊社は不動産会社で、過去にアートにたずさわった経験がなく、『アートでの街づくり』は手探りで進めてきました」 「千島土地株式会社」(以下、千島土地)地域創生・社会貢献事業部の宇野好美さん、福元貴美子さんは、口をそろえてそう語ります。

                                                                                    役目終えた造船の地・北加賀屋が「現代アートのまち」に。地元企業、手探りの10年 大阪市