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近代建築の検索結果1 - 22 件 / 22件

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近代建築に関するエントリは22件あります。 建築design大学 などが関連タグです。 人気エントリには 『なぜ近代建築は解体の危機にさらされるのか? 近代建築史家にその背景を聞く』などがあります。
  • なぜ近代建築は解体の危機にさらされるのか? 近代建築史家にその背景を聞く

    なぜ近代建築は解体の危機にさらされるのか? 近代建築史家にその背景を聞く品川にある旧原美術館の解体は大きな衝撃を与えるものとなった。しかしこれに限らず。昨今では原宿駅や世田谷区庁舎、東京海上日動ビルなど、様々な名建築が解体またはその危機に瀕している。なぜこのような状況が起こっているのか、またどうすれば解体ではない道をたどれるのか。京都工芸繊維大学教授で近代建築史が専門の松隈洋に話を聞いた。 聞き手・文=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長) 解体前の原宿駅 ──旧原美術館の解体には多くの惜しむ声が聞こえてきます。日本、とくに東京では近代建築が相次いで解体の危機に瀕していますが、どのような背景があるのでしょうか? 旧原美術館は御殿山という一等地にあるため、存続は危ういのではないかと思っていました。まとまった敷地を手に入れるため、邸宅というのは再開発の対象として狙われやすいのが現状です。200

      なぜ近代建築は解体の危機にさらされるのか? 近代建築史家にその背景を聞く
    • 異国情緒漂う近代建築、150万冊の蔵書 「日本一」の大学図書館 | 毎日新聞

      1930年に建てられた天理大学付属天理図書館=奈良県天理市で2023年9月5日午前11時27分、塩路佳子撮影 古社寺のイメージが強い奈良だが、美しい近代建築の存在も忘れてはいけない。1930年に建てられた天理大学付属天理図書館(奈良県天理市)もその一つ。ロマネスク調の建物に入ると、重厚な大理石のカウンターや趣あるシャンデリアが目に飛び込んでくる。時空を超えて、異国の空間に迷い込んだ気がした。【塩路佳子】 「映画のような世界という人もいます」。同図書館の森山恭二事務長が案内してくれた。中学生を除く15歳以上なら誰でも利用でき、2023年2月に国の登録有形文化財(建造物)になってからは建築ファンの来訪も増えているという。 入り口を入ってすぐの正面ホールは、カウンターや階段に大理石が使われ、重厚な雰囲気を醸し出している。シャンデリアや壁、雷文(らいもん)を表す寄せ木張りの床などは建築当時のまま。

        異国情緒漂う近代建築、150万冊の蔵書 「日本一」の大学図書館 | 毎日新聞
      • 日本近代建築と思想を読み解く2つの企画展「建築家・鬼頭梓の切り拓いた戦後図書館の地平」「村野藤吾と長谷川堯―その交友と対話の軌跡」京都工芸繊維大学美術工芸資料館にて開催 |COMPETITION & EVENT|TECTURE MAG(テクチャーマガジン)

        2023年3月19日初掲、5月14日会場写真追加、5月23日トークイベント情報追記 京都工芸繊維大学美術工芸資料館にて、日本近代建築と思想を読み解く2つの企画展が開催されます。会期はともに2023年3月22日から6月10日まで。 建築家・鬼頭 梓(1926-2008年)は東京・吉祥寺に生まれ、青年期を戦時下に送る。敗戦後の1946年に東京帝国大学(のちの東京大学)第一工学部建築学科に入学。1950年の卒業後は、前川國男(1905-1986年)が率いる前川國男建築設計事務所に入所。前川のもとでは、〈神奈川県立図書館・音楽堂〉(1954年)、〈世田谷区民会館・区庁舎〉(1959・1960年)などを担当した。 前川國男建築設計事務所設計〈神奈川県立図書館・音楽堂〉1954年竣工(2022年9月『TECTURE MAG』編集部撮影)※隣接地に〈神奈川県立図書館〉が2022年9月に新築・オープン。図

          日本近代建築と思想を読み解く2つの企画展「建築家・鬼頭梓の切り拓いた戦後図書館の地平」「村野藤吾と長谷川堯―その交友と対話の軌跡」京都工芸繊維大学美術工芸資料館にて開催 |COMPETITION & EVENT|TECTURE MAG(テクチャーマガジン)
        • 藤沢うるう / 近代・建築・土木・遺産 on Twitter: "三越の増築の歴史ってこれであってます? みんな文章でしか書かないからどこがいつの増築かよく分かっていないのだ… https://t.co/P8HPj3YaTI"

          三越の増築の歴史ってこれであってます? みんな文章でしか書かないからどこがいつの増築かよく分かっていないのだ… https://t.co/P8HPj3YaTI

            藤沢うるう / 近代・建築・土木・遺産 on Twitter: "三越の増築の歴史ってこれであってます? みんな文章でしか書かないからどこがいつの増築かよく分かっていないのだ… https://t.co/P8HPj3YaTI"
          • 阪急百貨店/大阪の近代建築・洋風建築/阪神間モダニズム

            日本で初めて、阪急の創始者・小林一三が案出したターミナルデパート、阪急百貨店 大阪では大丸、高島屋など呉服系老舗百貨店をしのぐほどの高い評価を得ています。上の写真はかつての阪急梅田駅コンコースに面した阪急百貨店の入り口。 東西の入り口には中国の伝説をモチーフにした伊東忠太の壁画が施され、この雰囲気は「高級な阪急」のイメージの源泉にもなっていたのですが、 高層ビルに建て替えるため多くの人に愛されてきたこの空間は姿を消してしまいます。 珍しく人通りが少ない休日の早朝。いつもは人が多すぎて立ち止まることも不可能なほど。梅田には1日、250万人以上(広島県の人口に相当)が集まるそうです。 入り口の壁画は保存するらしいですが、この雰囲気を再び取り戻せるのでしょうか。 時代の流れゆえ、なのかもしれませんが、阪神間モダニズムに大きく貢献してきた阪急。いったいどこに行こうとしているのだろう。 宝塚でもいじ

            • 大阪港「ハハハ(ハaハaハa)」と天満屋ビル-近代建築の中で美味しいランチと軽食を!

              私のライフワークの昭和史とグルメ。 一見、なんの接点もないような二つの言葉ですが、それが密接に絡み合う場所が各地に存在していたりします。 大阪の証券街、北浜にある「高麗橋野村ビル」というビルです。昭和2年(1927)に、今の野村證券などの前身である野村財閥が築いた貸ビルです。 大正後期から昭和初期の建築によくある曲線的な建築もさることながら、1階に注目。 そう、あのサンマルク(大阪北浜店)がテナントに入っています。ン百円のコーヒーを飲みながら昭和の名建築を満喫できる知的なデートスポットとして、世の昭和マニア百万人の注目を浴びています。 ところで、サンマルクのコーヒーって一杯なんぼでしたっけ?最近行ってないから忘れちゃったい。 もう一つがここ。 写真を見ただけで、タダモノではない威厳を醸し出す大正モダンの建築、「青山ビル」です。 1921年(大正10年)に建てられ、国の有形文化財にも指定され

              • 近代建築の巨匠ル・コルビュジエ、幻の自動車構想 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

                20世紀近代建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)。日本に住む人にとっては、東京・上野の国立西洋美術館が最も身近な彼の仕事であろう。または今日、家具メーカーのカッシーナ社が生産するシェーズ・ロングを思いうかべる読者もいるかもしれない。しかし彼の人生を振り返るとき、もうひとつ忘れてはいけない領域がある。それは自動車だ。 イタリア北部トリノの絵画館「ピナコテカ・アニェッリ」では、ル・コルビュジエと旅をテーマにした企画展「旅・オブジェそしてコレクション」が2021年4月から9月まで開催された。 本人が旅先で手に入れ、創作のインスピレーションを得た物が数々展示された (photo : Pinacoteca Agnelli)旅にアイデアとインスピレーションを求め続けた彼の人生を、パリの自宅を修復した後に発見されたさまざまな物で回顧するものであった。ル・コルビュジエにとっては「objets

                  近代建築の巨匠ル・コルビュジエ、幻の自動車構想 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
                • 「近代建築の父がデザイン」市場で注目のピアノ…実は別人だった | 毎日新聞

                  「日本近代建築の父」と称されるチェコ出身の米国人建築家、アントニン・レーモンド(1888~1976年)が生前デザインしたとされる複数種類のピアノが近年、中古市場で流通している。その存在情報はインターネットを中心に拡散したとみられるが、実はレーモンドのデザインだと確認できたのは1種類だけで、あとは日本人によるデザインだった可能性が極めて高いことが分かった。製造元のヤマハ(本社・浜松市)は「デザイナーの名誉のためにも本当のことを知ってほしい」としている。 レーモンドは1919年、旧帝国ホテル建築時に師匠のフランク・ロイド・ライトとともに来日し、73年に米国に帰るまで日本を拠点に活躍。近代建築設計と施工法を導入して旧米国大使館(東京都)、東京女子大(同)、群馬音楽センター(群馬県高崎市)、南山大(名古屋市)などを手がけた。

                    「近代建築の父がデザイン」市場で注目のピアノ…実は別人だった | 毎日新聞
                  • 原ゴム工業所(山形県酒田市)-酒田に建つ謎の近代建築【近代建築これくしょん】

                    山形県北部、庄内平野の港町である酒田。 ここは江戸時代、上方から瀬戸内海を経由してやってきた北前船の主要寄港地で、関西とは縁がある地域でもあります。 関西から見ると、ヘタな外国よりも遠く感じる東北の一地方都市ですが、北前船に乗って上方文化がここへも流入していました。いわば関西と直結していたのです。見方を変えれば、酒田は「東北の京か大阪」とも言えるのではなかろうか。 その片鱗が、江戸時代の酒田の繁盛っぷりを歌った地元の民謡、「酒田甚句」に残されています。 酒田甚句日和山 沖に飛島 朝日に白帆 月もうかるる最上川 船はどんどんえらい景気 今町 船場町 高野(こや)の浜 毎晩お客はどんどんしゃんしゃん しゃん酒田はよい港繁昌じゃおまへんか 海原や 仰ぐ鳥海 あの峰高し 間(あい)を流るる最上川 船はどんどんえらい繁昌 さすが酒田は大港 千石万石横付けだんよ ホンマに酒田はよい港 繁昌じゃおまへん

                      原ゴム工業所(山形県酒田市)-酒田に建つ謎の近代建築【近代建築これくしょん】
                    • 近代建築これくしょんー小原写真館・平船精肉店など(岩手県盛岡市)

                      先の戦争での空襲を受けていない都市は、明治時代から昭和初期の、戦前に建てられたいわゆる近代建築が多く残っています。 盛岡は空襲を受けた都市の一つではあるのですが、爆弾を落とされた場所が駅周辺と限定的だったために、市街地は特に被害もなく古い町並みが残っています。 それだけに現存する近代建築も多めですが、今回はその中でも見た者を釘付けにするような一つを。 小原写真館盛岡の古くからのショッピングスポットとして現在でも商店街がある肴町に、その建物はあります。 店名が書かれた飾りが途中で脱落していますが、「小原寫眞館」と読めます。 いつ建てられたかは不明ですが、おそらく昭和10年以降ではないかと推定できます。その理由は後述します。 盛岡の図書館に残っていた住宅地図によると、昭和37年(1962)に「白陽写真店」として掲載されています。「小原写真店」ではないのが不思議です。ただの推定ですが、元の「小原

                        近代建築これくしょんー小原写真館・平船精肉店など(岩手県盛岡市)
                      • 【近代建築の楽しみ方】タイル編

                        私が近代建築を好きになった一つの理由にタイルがある。 ある書籍でタイルの世界を知り、それ以来タイルを町中で探すことが日常になっている。 今回はそんなタイルを【近代建築の楽しみ方】シリーズ第三弾として紹介したい。 他の【近代建築の楽しみ方】シリーズは↓↓↓ → 【近代建築の楽しみ方】煉瓦編 → 【近代建築の楽しみ方】ガラス編 → 【近代建築の楽しみ方】金属天井編

                          【近代建築の楽しみ方】タイル編
                        • 中銀カプセルタワービルを賃貸。貴重な近代建築で暮らす「マンスリーカプセル」

                          中銀カプセルタワービルを賃貸。貴重な近代建築で暮らす「マンスリーカプセル」。LIFULL HOME'S PRESSは、住宅の最新トレンドや専門家による正しい住宅情報を発信していきます【LIFULL HOME'S PRESS/ライフルホームズプレス】

                            中銀カプセルタワービルを賃貸。貴重な近代建築で暮らす「マンスリーカプセル」
                          • 22.池袋は近代建築の意外な宝庫

                            「この彫刻が集合場所だわ」真っ先に到着した恵美ちゃんがまたつぶやいた。 「ごめん、またせたね」東郷さんと宮武先生が少し遅れて到着。 「池袋はときどき来るんですけど、建築なんて意識したことありません」 「ところが池袋には意外と面白いものがあるんですよ」 「池袋駅西口の目の前にこんな大きな劇場があったんですね」と恵美ちゃん。 「立地条件は最高。だけど、いろいろと問題のある建築だった」と建築家の東郷さん。 「できたのは、1990年、バブル経済の真っ最中。そして22年後の2012年に大規模なリニューアルが行われて、生まれ変わったものなんです」と宮武先生が歴史を解説。 「しかし、外観はほとんど変わっていないね」

                              22.池袋は近代建築の意外な宝庫
                            • 揚輝荘北園に建つ《伴華楼》の再訪記録 - 設計・鈴木禎次は夏目漱石と相婿の関係にあたる|名古屋の近代建築 - chinorandom

                              前に来たときと同じく季節は冬。けれど、当時の名古屋は雨だった。 確か小雨で、歩きながら傘は差していなかったような気がする。そこかしこに小さな屋根はあっても全身が湿るから、広い庭園に長居するのは憚られて、早々に南園の聴松閣内部へ避難してしまっていたのを思い出した。だから、こうして気の済むまで伴華楼の周囲をうろうろしていられたのは新鮮。1月下旬のとある日はよく晴れていた。 伴華楼(ばんがろう/bungalow)は、揚輝荘の敷地内にある建物のひとつ。大正15年に起工し、昭和4年に完成した。 現存しているのはこれと「聴松閣」「座敷(聴松閣横)」「白雲橋」また敷地内に最初に建造された茶室である「三賞亭」など、有形文化財に登録された5棟くらい。でも、最も栄えていた頃には驚くことに30棟を超える建物が敷地内に存在していた。多くが失われた理由は戦災や、老朽化や、開発による土地の減少。 公式サイトには昭和1

                                揚輝荘北園に建つ《伴華楼》の再訪記録 - 設計・鈴木禎次は夏目漱石と相婿の関係にあたる|名古屋の近代建築 - chinorandom
                              • さよなら「日本の戦後大学教育の象徴」 明治大和泉第2校舎の解体始まる 近代建築の大家・堀口捨己の代表作:東京新聞 TOKYO Web

                                学生が急増した高度経済成長期に続々と誕生した大学の大型校舎の中でも傑作に数えられた明治大の和泉第2校舎(東京都杉並区、1960年完成)が老朽化で姿を消すことになり、解体工事が始まった。日本の近代建築運動をけん引した堀口捨己(1895~1984年)の代表作で、国際学術組織からも高い評価を受けていた。記憶を継承する活動が進められている。(浅田晃弘) 完成当初の和泉第2校舎の名称は単なる「大教室」だった。4階建ての中に、計3800人を収容する8つの大教室があった。いずれも教壇から後ろに行くほど座席が高くなる階段型の形状が採用された。

                                  さよなら「日本の戦後大学教育の象徴」 明治大和泉第2校舎の解体始まる 近代建築の大家・堀口捨己の代表作:東京新聞 TOKYO Web
                                • 【近代建築の楽しみ方】ガラス編

                                  近代建築から使われ出した建築材はなんだろうか。 タイル、煉瓦、モルタル、人造石なんかを思い浮かべるが、もう一つ「ガラス」がそれにあたるのではないか。 恐らく近代以降に建築に取り入れられたものであると考えられるし、実際そうなのだろう。 一般的に建築材としてのガラスとなると、窓ガラスが一番に最初に頭に浮かぶのだが、実はそれだけではない。 他にも色々な使われ方があるのだが。。 近代建築の楽しみ方シリーズ。前回は「煉瓦編」お送りしたが、 今回は「ガラス」についてお話ししたいと思う。 他の【近代建築の楽しみ方】シリーズは↓↓↓ → 【近代建築の楽しみ方】煉瓦編 → 【近代建築の楽しみ方】タイル編 → 【近代建築の楽しみ方】金属天井編 ガラスの日本での普及 ガラス関係の文献をあたるとコップや器などの工芸品のガラス(ぎやまん)は戦国時代に西洋人から日本にもたらされ江戸時代には日本でも盛ん作られていたよう

                                    【近代建築の楽しみ方】ガラス編
                                  • 長崎建築紀行(1):長崎市内の近代建築を巡る。 - 梟の島

                                    雨の街角。 2020.09.16 長崎・印刷会館 2020年9月16日(水)は,長崎出張初日。昼からの打合せまで時間があるので,強い雨の降りしきる朝,長崎電気軌道を撮影してきた。anachro-fukurou.hatenablog.com 長崎電気軌道の撮影と一部で時系列が前後するが,今回の記事では午前中に巡った長崎市内の近代建築物を纏めてゆく。 まずは長崎駅前,長崎交通産業ビル。「交通会館 県営バスターミナル」の文字にも年季が入っているが,竣工は1963~1964年とのことである。2022年にバスターミナルが移転を開始するようで,高度成長期を見守って来た生き証人としての建物がまた一つ,姿を消すことになりそうである。 日新ビル。1961年よりも遡るようなのだが,竣工年は定かではない。ネットでは「長崎で2番目に古い」と言われているようだ。 大きな窓が印象的だ。線が多くて素敵である。 すぐ隣に

                                      長崎建築紀行(1):長崎市内の近代建築を巡る。 - 梟の島
                                    • 私の近代建築の探し方(国内編)|藤沢うるう|note

                                      どうもこんにちは、うるうです。急に思い立ってnoteはじめました。 Twitterだと長文になりそうなものをこっちにまとめていこうかと思います。メインは近代建築ですが、土木や碑などの構造物、近現代史、地理ネタも広く守備範囲ですので、雑多な感じになりますがどうぞよろしくです。 今日は近代建築の探し方について。 「国内」の「ある地域の近代建築」を「網羅的にマッピング」する時の私のやり方をまとめました。フィールドワークする場所決めたら、まず取り組む作業です。手順としては、リストアップ→場所の確認→現存の確認 で行っています。 リストアップ①文化庁の国指定文化財等データベース 最初に取りかかるのは、文化庁の国指定文化財等データベースを参照することです。 文化庁の国指定文化財等データベースは2000件以上の重要文化財、1万件以上の登録有形文化財の座標が全てわかります(ただ、最近指定・登録のものは精度

                                        私の近代建築の探し方(国内編)|藤沢うるう|note
                                      • 【荒木麻美のパリ生活】近代建築の巨匠ル・コルビュジエ、進化し続けた先進的建築思想に触れる

                                          【荒木麻美のパリ生活】近代建築の巨匠ル・コルビュジエ、進化し続けた先進的建築思想に触れる
                                        • 鎌倉の森に残された広大な昭和の遺構 近代建築の研究所跡地、ただいま一般開放中(まいどなニュース) - Yahoo!ニュース

                                          昭和中期の1966(昭和41)年に建てられた近代的な外観の4階建てビルが廃屋になっていて、誰でも敷地内へ立ち入ることができるという。元々は野村総合研究所の鎌倉研究センターとして建設されたが、今は鎌倉市が管理している。このような遺構が、一般に開放されている事例も珍しいのではないだろうか。同市の公的不動産活用課に聞いた。 【写真】広大な森林の中に建っていた、近代的な研究所…空から見た全景 敷地は一般開放されているが建物へは立ち入り禁止広大な森林の中、ぽっかり空いた土地に建つ近代的なビル。正面入り口からの進入路は、途中でいったんループさせて、近未来感を演出しているように見える。 ここは鎌倉市梶原にある、旧野村総合研究所鎌倉研究センター跡で、1966年に建設された。1988(昭和63)年に移転して以来、長らく使われないまま廃屋になっている。 全国で廃屋になっている施設はいくつかあるが、建物の老朽化

                                            鎌倉の森に残された広大な昭和の遺構 近代建築の研究所跡地、ただいま一般開放中(まいどなニュース) - Yahoo!ニュース
                                          • バウハウス創立前に近代建築の巨匠ヴァルター・グロピウスが手掛けた「ファグス靴型工場」

                                            建築家ヴァルター・グロピウスは、ル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライト、3代目のバウハウス校長を務めたミース・ファン・デル・ローエと並んで近代建築の巨匠と言われる。 グロピウスは、1919年にバウハウスを創立して、1928年にハンネス・マイヤーに校長を引き継ぐまでの9年間現代のデザイン教育の元にもなる教育で世界を席巻。その間もバウハウス校長室のインテリアをデザインしたり、バウハウス・デッサウ校舎を設計したりと自ら実践してみせた。 ミュンヘンとベルリンの工科大学で建築を学んだ後、ペーター・ベーレンスの事務所で働き、ドイツ工作連盟にも参加した。 世界初のガラス張りの工場 グロピウスは1910年にベーレンスの事務所から独立するときに、自らの建築のアイディアと熱い想いを綴った手紙を建築を計画中と聞いた施主たちに送った。 その手紙は、カール・ベンシャイトというファグス社の創業者の目に留まった。ベ

                                              バウハウス創立前に近代建築の巨匠ヴァルター・グロピウスが手掛けた「ファグス靴型工場」
                                            • 大江ビルヂング(大阪市北区)【近代建築これくしょん】

                                              所は大阪市北区。地下鉄の駅で言うならば淀屋橋駅と梅田駅の間の界隈をブラブラ歩いていると、こんな素敵な建物を見つけました。 大阪市内には戦争の空襲の衝撃や猛火にも耐えた、大正時代から昭和初期、たまに明治時代に建てられた、レトロな香りがする建築がけっこう残っているのですが、これもその一つに違いない。 名前は、 グンヂルビ江大 …なわけがない。これじゃ日本語になってへんし。当然ながら、 大江ビルヂング 右から読むとビルの名前になります。 「ビル」というと、我々戦後の世代は何十階建ての垂直に建つ高層ビルを思い浮かぶことが多いです。これは和風のような洋風のような、なんだかどう表現してええのか言葉に困る、独特のたたずまいをした和洋折衷「ビルヂング」であります。 「ビル」でもなく「ビルディング」でもなく、「ビルヂング」というところがなんとも時代を感じます。 それより、右読みだけで相当レトロな雰囲気を醸し

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