市民病院医療過誤記録 ~母の医療過誤に関する真実と家族の日記~ 令和2年1月22日、赤穂市民病院で医療事故に遭いました。 病院は過失を認めたものの事後対応が悪く、後に過失医師による事故が多数発生していた事を知り、令和3年8月26日訴訟提起(係属中)、令和5年11月30日刑事告訴(同日受理) 医療課長との面談(秘匿された退職) の続きです。 2021年7月21日、医療課長からは「無断で休む。科長の言う事も全然聞かない。脳ドックもすっぽかしている。裁判もあり得る話になっている。そこまで見据えた手続きをとっている」、医療従事者からも「〇〇先生(過失医)の勤務態度について記録するよう指示されている」とお聞きしていたことから市民病院が〇〇医師(過失医)に対して何らかの処分を検討していることは明らかでした。実際に医療課長は「証拠は十分に集まっている」とも仰っていました。しかし、8月に入り〇〇医師(過失
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