すいようび👻 @smokinbilly3 犬を亡くして10年経つけど今でも私は『犬が死んだ後の人生』の中にいる これからもずっと、犬の不在を思うたびに、逆にそれが彼がいたことの証明だと思って生きる 犬を亡くしてから初めて散歩ルートを歩いた時、空の広さに驚いた ずっと犬ばっかり見て歩いてたから もう会えないけどずっと愛してる x.com/riko_murai/sta… 2024-06-06 15:23:15
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phaさん(id:pha)が新刊を出したのをたまたま観測したので読んだ。 パーティーが終わって、中年が始まる (幻冬舎単行本) 作者:pha幻冬舎Amazon 個人的には2013年の最初の本『ニートの歩き方』以来だったので10年分のphaさん情報を一気に知れてよかった。僕の認識している最後のphaさんは確か練馬のシェアハウスで相変わらず熊野寮にいる大学生のような生活をしていたと思うが、10年もあればあれから色々あってザ・ノンフィクションに出たりバンドを始めたりして四十代の中年にもなって流石の最強ニートもクライシスの最中にある、というのがこの本のテーマのようだ。 phaさんとは旧知の仲であるがあまり接点はない。会ったことが数えるぐらいしかないのだけどなぜか会話量に対して関係性が深く、恩人のようなポジションにいる。葬式とかあったら行けたら行くレベル 当ブログの以下の過去記事に練馬のシェアハウス
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「spicy curry 魯珈~ろか~」店主にして、生粋の食べ歩き通でもある齋藤絵理さん。そんな彼女の「通いたくなるお店」とは? 一度ならず、何度も足を運んでくれる“おなじみさん”は、飲食店にとって心強い存在です。そうした常連客の心をつかむお店には、どんな共通点があるのでしょうか。また、お客さんから見た場合、どういうお店が「通いたくなるお店」なのでしょうか。 「今回は、東京のカレー激戦区・大久保に店を構える「spicy curry 魯珈~ろか~」店主・えりつぃんこと、齋藤絵理さんが登場。「私のいない魯珈は魯珈じゃない」と断言し、調理から接客まで全てを1人で行いながらも、休日は必ず"食べ歩き”を欠かさないという、生粋の食オタクでもあります。 そんな彼女が「通いたくなる店」は、自身のお店をカレーシーン屈指の人気店に育てるためのヒントが詰まった場所でもありました。 齋藤絵理さん 東京・大久保のカ
隠居してから始めたブログですが、 なんとか4年経過しました 4年だよ、4年!! うん、えらい俺、よく続いているなぁ ぱちぱち 2019年.48本2020年.52本2021年.52本2022年.52本 週に1回は書くというのを自分の中のお約束にしています なので、ネタが無くとも必死で絞り出して書く ・・・つまらんと思われようが書く ・・・求められていない内容でも書く たぶん、今週はもういいやと1回スルーすると 2度と書かなくなりそうだしね ブログを書く理由1.語りたい欲求 日々、ふと思いつくいろいろな事、語りたくなるやん 自分の中だけで留めておきたくないやん 俺、こんな事考えているのだ こんなアイデアを考えたん 世間のあの件に関しては、こんな風に思っているんだよ など・・・ 言いたいやん でも、俺、そういうのを言い合える友達いないねん 酒の飲まないし、出不精だし、話相手がいないねん なので、
異色の投資系インフルエンサー「岐阜暴威」をご存じだろうか? TwitterやYoutubeで活動しており、最近では日経テレ東大学などのメディア露出も増えてきている話題の人物だ。 投資系インフルエンサーと言っても、彼の発信を投資の参考にしようとするのは待ってほしい。「岐阜暴威」の特徴は、なんといっても「負け続けている」ことにあるからだ。そのすがすがしいまでの負けっぷりが話題となり、多くのファンを生んでいるのだ。 そんな「岐阜暴威」だが、何を思い、何のために「勝てない」投資を続けているのか。岐阜暴威本人に直撃取材をした。 投資を始めていきなり… ――まず、投資をはじめたきっかけについて教えていただけますでしょうか。 岐阜暴威 きっかけは2005年12月に起きた「ジェイコム株大量誤発注事件(※1)」でした。あの事件が起きて、BNFさんやcisさんといった投資家の方たちが何億と儲けていたのを見て、
自慢じゃないけどネットストーカーが得意。彼氏の元カノのインスタグラムとか秒速で見つけちゃう。マジで自慢じゃないです。このあいだ、友人がVJをやっているというので1分でそのVJユニットのツイッターアカウントを特定して送り付けたら「ネトスト1級?」と聞かれた。粘着質の賜物ですわよ。 まあそれにしたってアカウント特定にはある程度の手がかりが必要になってくる。名前、居住地、出身大学、エトセトラ。なんらかのヒントが無いとさすがに難儀。別に特別な技術があるわけでもないし、本当にただ粘着質なだけで。 人生で特定したアカウントは数知れず、その中でも一番厄介で一番時間がかかった相手がいました。 かかった年数、約2年。 名前も居住地も知らなかった。知っているのは出身大学と顔だけ。共通の知人なんて1人もいない。 それでも絶対に見つけたかった。 2年間、ずっと膨大なネットの海を潜ってはきょろきょろと探し続けていた
今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。 そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。 経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。 私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。 元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛」なのだ。 学生時代も挫折の連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通のサラリーマンとなり受験や就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。 私には、生きるのに理由が必要だった。 趣味でも、仕事でも、誰か大事な
お世話になっております。 おじさん構文です!!!笑 いや、違うから。 それは名前じゃないwww いやーーー、流行ってますね。おじさん構文。 こういうのを、おじさん構文って言うんだ♪ (結構、お気に入り♪) このまま流行語大賞になったら 僕が呼ばれるんだろうか?(@▽@) ていうか、ヒドい友達が(←そんな奴らばっかりw) 「おまえ、おじさん構文講座で講演できるよwww」っていうけど、 いやいやいやいや、本当にこの文章って、おじさん構文で合ってます? 僕が分かってないと洒落にならないので、ちょっと勉強しよう。。。笑 それはさておき、 前回にくだらない長い文章を飲みながらずらずらと書いちゃったもんだから、 なんか、また書きたくなっちゃって書いてますw さて、昨日はコロナワクチン接種2回目でした! 僕、1回目で38度超の熱が3日間出たんです。。。 (しかもファイザー) 実は僕、インフルエンザの注射
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」 僕がはじめて自分のホームページを作ったのは、1999年だから、もう20年以上前になる。 パソコン通信の時代には、そういうものがあるのは知っていたけれど、知らない人とやりとりするなんて怖いな、電話代もかかるみたいだし、という感じで、そんなに興味を持てなかった。 でも、職場でインターネットというものにはじめて触れて、雑誌に紹介されている個人サイトを覗いてみて、僕はインターネットの「日記」に魅了されてしまったのだ。 そこには、家族との日常を淡々と記録している人、趣味について書き続けている人、進行中の不倫や専門職での出来事を匿名で告白している人、婚活で出会った異性のことを赤裸々に紹介している人、などが存在していた。 他人の日常を覗き見ることには、背徳的な新鮮さがあった。 それまでは、プロの作家の「お金になる文章」以外を読む機会って、ほとんどなか
もう正常化バイアスに侵されている人に何を言っても無駄なのですが、自分の医師人生でインフルエンザに挿管・ECMO を回したのはそれぞれ1回しかありませんが、この2年で新型コロナウイルスでは数え切れないほど見ていて医師を40年以上やっ… https://t.co/aPLFnts4ZL
ネットで漫画やイラスト、小説やブログを書いてた人が、ふっとやめてしまってさみしい、というのはよくある。外側から見ると急にやめちゃったようにしか見えないけど、内側から見るとむしろ「別にやめたわけじゃない」という認識なことが多いんじゃないかと思っている。 はっきり「やめる!」と決意してやめた人は少数派で、「まだやってる」の気持ちは持ち続けたまま、実績としてはやめた状態がずっと続いていく。 自分自身のケースだけど、以前はてなダイアリー/ブログで創作(お話)をせっせと書いていて、その後カクヨムに移った。2005年5月くらいから始めて、2019年3月に終わっている。まる2年以上更新してなければ、外側からは「やめちゃったんだな」としか見えない。でも本人は「別にやめたってわけじゃないけど……」と曖昧に思っている。 このズレが、熱心にやっていたことを急にやめてしまうケースに割と共通しているんじゃないかと想
エンジニアではないけど趣味でコードを書いているku-sukeといいます。普段はレンタルPMみたいな新規事業支援の名のもと、人間とか組織のバグや負債を返す仕事をしています。今日はクローズドなコミュニティについて、および未経験でIT業界にチャレンジしている人とか向けに、道を外した人間でもなんとか食っていけてる話をしてみようと思います。 本記事は「エンジニアと人生 Advent Calendar 2020」の5日目の記事です。昨日は泉芳樹(ヨックン)さんの「エンジニアと人生」、明日は、moyashidaisukeさんです。お楽しみに! まずはじめに、このAdvent Calendarは「エンジニアと人生」コミュニティというSlackグループの中で生まれたのですが、偏った主観で説明すると 「もとはiOSの有名エンジニア堤さんを囲む有料サロンだったけど、なんか居座ったフリーランスたちがTwitter
118 :名無しさん@十一周年 :2011/03/12(土) 03:45:03.35 ID:4NMIJOAz0 それより この人たちはどうなったんだ。 http://twitter.com/uchida0hige#
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