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人生とprogrammingに関するraimon49のブックマーク (22)

  • 〈特別公開〉ひろゆき論――なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか

    ※『世界』2023年3月号収録の記事を、増補改訂のうえ特別公開します はじめに ネット上の匿名掲示板サイト「2ちゃんねる」(現在は「5ちゃんねる」)の創設者、ひろゆき、こと西村博之が人気を博している。 1999年5月にスタートした2ちゃんねるのほか、2007年1月にスタートしたニコニコ動画など、ネットの普及期にいくつかのサービスの立ち上げに関わり、起業家として成功した彼は、2010年代後半からユーチューバーとして活動し、視聴者からの相談に答えるライブ配信番組を通じて人気を博した。さらにその間、ビジネス書や自己啓発書を次々と出版し、ベストセラーライターとして名を馳せるかたわら、テレビ番組にコメンテーターとして出演するなど、マスメディアでも広く活躍するようになる。 その人気はとくに若い世代に顕著で、若者や青少年を対象とする調査では、憧れる人物などとして頻繁にその名が挙げられるほどだ。その配信番

    〈特別公開〉ひろゆき論――なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか
    raimon49
    raimon49 2023/03/11
    >彼の反知性主義は、知性に対して反知性をぶつけようとするものではなく、従来の知性に対して新種の知性、すなわちプログラミング思考をぶつけようとするもの
  • 44歳にもなってプログラミングが楽しくてしょうがない - レベルエンター山本大のブログ

    あと10日ほどで44歳になります。 で、いまはプログラミングが楽しくって、いやーどうしよう。ここ1−2年は人生で一番プログラムを書いたかもしれない。 あたらしいことをやるのも楽しい、VR/ARとかAIとか、ひと昔前ならSFだったことが実現できるのはとってもエキサイティング! 学ぶ中で、昔はわからなかった数学の難しい理論がちょっとづつわかってくるのも嬉しい。ゲームの腕前があがっていくのと同じで、着実に力がついてきてることがわかるのがいい。新たに学ぶことが、実利に繋がるのとても嬉しいしやる気がでる。「勉強」という強いられている感じがなく、探究な感じなのがとても楽しい。 今はプログラミングを使ってできることが急激に進化しているから、学べばありとあらゆることを仕事にできる。 プログラミングが若手のものだった時代 ちょっと前なら、プログラミングは若手がやる肉体労働で早々に卒業してマネジメントとかをや

    44歳にもなってプログラミングが楽しくてしょうがない - レベルエンター山本大のブログ
  • 「もし私が日本の小学生なら…」天才・台湾IT担当大臣の一言 | ゴールドオンライン

    こんな人材が日にも欲しかった。オードリー・タン。2020年に全世界を襲った新型コロナウイルスの封じ込めに成功した台湾。その中心的な役割を担い、世界のメディアがいま、最も注目するデジタルテクノロジー界の異才が、コロナ対策成功の秘密、デジタルと民主主義、デジタルと教育AIとイノベーション、そして日へのメッセージを語る。連載はオードリー・タン著『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』(プレジデント社)の一部を抜粋し、再編集したものです。 台湾では子どものネット学習への理解がある 様々な学習ツールを利用して学ぶ、生涯にわたる「学習能力」が重要になる 台湾では、かつて多くの高校や大学において、夜間部が存在していました。その後、生涯教育の一環として、休日や空き時間を使って学習できる学校、たとえば「国立空中大学」(日放送大学にあたる)や通信教育が整備されてきました。それに加えて、現在

    「もし私が日本の小学生なら…」天才・台湾IT担当大臣の一言 | ゴールドオンライン
    raimon49
    raimon49 2021/03/25
    読み手が日本人であることを意識した上で、台湾の人がリタイア後にやっている事やオンリン学習を紹介している。配慮の行き届いた文章に尊敬をおぼえる。
  • 80点主義、そこそこで良い

    パレードの法則で8割くらいを目指すのがコスパが良い 成果物も8割目指すべきで、完璧を目指そうと残り2割を埋めようとすると8割と同じ時間がかかる というみたばっかだったので、TADAさんの主義、理にかなっているなと感銘をうけました。 返信削除

    80点主義、そこそこで良い
    raimon49
    raimon49 2021/02/11
    >松竹梅の商品があれば、竹か梅を買います。
  • Pythonの生みの親グイド・ヴァンロッサム氏が職業プログラマから引退を表明。昨年Pythonの優しい独裁者からも引退

    Pythonの生みの親グイド・ヴァンロッサム氏が職業プログラマから引退を表明。昨年Pythonの優しい独裁者からも引退 Pythonの生みの親であるGuido van Rossum(グイド・ヴァンロッサム)氏が、勤務先であったDropboxを退社し、これからは引退生活を送ることが表明されました。 下記はヴァンロッサム人のツイート。 It's bittersweet: I'm leaving @dropbox, and am now retired. I've learned a lot during my time as an engineer here -- e.g. type annotations came from this experience -- and I'll miss working here. https://t.co/0ROaUrHQLt — Guido van

    Pythonの生みの親グイド・ヴァンロッサム氏が職業プログラマから引退を表明。昨年Pythonの優しい独裁者からも引退
    raimon49
    raimon49 2019/11/01
    Python 2.xがEOLを迎えるタイミングでもあるから、いっそう象徴的に感じる。
  • まだ40代後半のプログラマの話、あるいは50代プログラマについて考える / railsdm 2019

    Railsdm 2019での発表資料です。発表時のものから少しだけ修正しています。

    まだ40代後半のプログラマの話、あるいは50代プログラマについて考える / railsdm 2019
    raimon49
    raimon49 2019/03/24
    主務としてのプログラマ業務は後進に譲った上で、まさしくこのスライド後半のようにプライベートでは有志のプロダクトにパッチ提供したり手伝ったり、みたいなおじさんも結構居る気がする。多様な選択肢が欲しいな。
  • プログラマ60歳定年説、FA宣言 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    タイトルは釣りです、すみません。無駄に長いのでお忙しい人は、どーぞ、飛ばしちゃってください。 自分は今年の9月で満60歳になる。60歳というと多くの日企業の御多分にもれず定年である。定年後に何をするのかしないのか、ここで簡単に記してみる。 日の伝統的な大手企業(経団連に属するような企業)では、定年などの制度がしっかり整備されているので、先輩たちがどんな暮らしをしているかおおよそのロールモデルがある。一方で自分が今所属している企業は20年ちょっと前に創業したネット系である。規模は大企業だが相対的に若い企業なのでそもそも50代の従業員がそんなにいなくて定年退職した人も数えるくらいである。 日において職業プログラマの世界では、特にフリーランスではなくて会社に所属している場合、35歳定年説というのが炎上系のネタとしてよく議論される。特にSI系の場合、多重下請け構造の中で歳をってプログラミン

    プログラマ60歳定年説、FA宣言 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
  • 30歳で漫画を描き始め、連載のためにブロックチェーンを絡めたサービスを個人で開発した話

    SYNTHESIZEという漫画の連載を、自分で作ったサービスLeth(このエントリーを掲載しているサービスそのもの)で始めました。 普段は普通のサラリーマンをしたりしています。3年くらい前まではエンジニアをやっていた気がしますが、色々あって今は仕事でコードは書いていません。 今(2018/9月時点)私は33歳なのですが、29歳の終わり頃でしょうか、ふと「漫画でも描いてみるか」と思い立ってから今日こうして無事公開できるに至るまでの話と、今後の展望の話を書き残しておきます。 動機の話 私は20代の半分程をエンジニアとして過ごしていました。幸いデザインも好きだった事もあり、昔から余暇の時間を利用していくつか個人でサービスをリリースしたりしていました。それまでの人生音楽づくしであったし、「創作」そのものが好きなんだと自己分析しています。プログラミングも創作の一つだと捉えていますし。絵を描くのも好

    30歳で漫画を描き始め、連載のためにブロックチェーンを絡めたサービスを個人で開発した話
    raimon49
    raimon49 2018/09/07
    サラリーマンしながらっていうのが、また凄い。尊敬しかない。
  • 僕がソニーに入ったワケと、19年して転職したワケ - gucchiyの日記

    ブログのプロフィールには書いているんですが、僕は1995年から2014年までソニーでソフトウェアのエンジニアしてました。VAIOエンジニアとして、それなりシングルヒットぐらいの実績はありました。詳細はこちら。 僕にとってソニーは人生の中において重要な存在です。辞めちゃったけど。 現在では大分変わりましたが、僕が就職活動をしていた1994年当時、工学部エンジニアは研究室と企業の繋がりによる大学推薦が大前提でした。僕が通っていた東京電機大学工学部情報通信工学科では推薦枠ゼロです。毎年一人ぐらいはソニーの枠があった時期も存在したそうなのですが、あまり評判が良くなかったのかも知れません。しかし、そこはソニー、ヒット・モデル・プロデューサーなる製品化できそうな論文を募集するイベントが開催され、僕はそこで、『ゲームソフトウェア設計におけるオブジェクト指向開発』と言う論文で入賞します。応募数千の中から

    僕がソニーに入ったワケと、19年して転職したワケ - gucchiyの日記
  • 56歳からコードを書き始めて食べていく方法

    私は56歳、最近プログラミングを始めたんだ。 なぜかって?やりたいからに決まっているじゃないか。ようやく最近コツをつかめてきてね。でもコツをつかめたからといって簡単にはいかない。正直なかなか手こずっている。でもいいんだ。 アルゴリズムに挑戦して我を忘れるのは楽しいし、まだテストしたい事があって「あと数分だけ」と繰り返し自分に言い聞かせるのもいい。「今度こそ上手くいったかも、、」とドキドキしてから「やったぞ!ついに動いた。」となる瞬間も大好きだ。 でもこんな私には今まで趣味と呼べるものが何ひとつなかった。自分に見返りがない事に時間を費やすのは嫌だったんだ。ただ楽しみのためだけに何かをするのが好きじゃなかったのさ。休みの日にやる事といったら、ちょっとした小遣い稼ぎになるような事ばかりだった。 オーケー。もちろんコーディングだって小遣い稼ぎさ。上手くやればかなり稼げる。これだってあなたから見れば

    56歳からコードを書き始めて食べていく方法
    raimon49
    raimon49 2017/01/25
    若者に教えを請うことができるのは大事な素養の一つだと思う。足らないを知る。こうありたい。
  • レールに沿わない人生を送っていたら、未だにレールに乗れていない人間のお話

    レールに沿うの沿わないのという話題が、ここ数日ブログ界隈でもちきりだ。どうも背景事情には、「ブログを開設して稼ぐ方法を教えます」というセミナーを開いて稼いでいるマルチ商法もかくやと思われるブロガーの存在が出てくる。いつの世にも、当に儲かるのは、金鉱掘りではなく、ツルハシやジーンズを売る者たちだ。 そもそも、ブログは登場してからもう15年以上は立っている赤錆びた存在であり、ブログで稼ぐというのも、すでにレールに沿った人生ではある。 普段なら、そのようなマルチ商法まがいの、速やかに忘れ去られる短命な話題には乗らないのだが、あのchokudai氏も流行にことよせてブログを書いているのを見て、私もひとつ、ブログを書いてみようと思い立った。 大学院在学中にレールに乗ったまま起業した話 - chokudaiのブログ 省みるに、私の人生はまったくもって世間の一般大衆の想定するレールに沿っていないから、

    raimon49
    raimon49 2016/12/02
    運次第というのは共感しかない。こういう人を受け入れられる企業というのは、イコール多様性があるのだと思う。
  • 任天堂のカリスマ 岩田聡の原点|NHK NEWS WEB

    世界に一大ムーブメントを巻き起こしたスマートフォン向けアプリ「ポケモンGO」。この配信を誰よりも楽しみにしていたであろう人が、任天堂の前社長、岩田聡さんです。プログラマーとして数々のゲームをヒットさせた岩田さん。42歳の若さで任天堂の社長に就任してからは、誰もが楽しめるゲームづくりを目指して「ニンテンドーDS」や「Wii」などのゲーム機を開発し、直感的な操作や家族みんなで楽しめる体感型のゲームといった新たな楽しみ方を世の中に提示しました。 世界に惜しまれつつ、去年7月、55歳の若さで亡くなった岩田さん。1周忌にあたり、母校、札幌市の札幌南高校の同級生たちが、高校時代の岩田さんの思い出を電子書籍にまとめました。同級生たちがこぞって“カリスマの原点だった”と語る高校時代の岩田さんの素顔とはーーー。(飯嶋千尋 記者) 岩田さんの性格がうかがえる1冊のノートが残っています。札幌南高校時代の化学の

    任天堂のカリスマ 岩田聡の原点|NHK NEWS WEB
    raimon49
    raimon49 2016/10/25
    部活のエピソードから情報分析厨っぷりが伝わってくる。
  • 老いた職業プログラマはその後どうなるのだろう?(ライフプラン的な意味で)

    自分が歳をとった結果、プログラマが老いるとどうなるのか、というのは割と身近にも見かける事や自分の事を考えたりする事で、リアルにイメージする事は出来るようになった。 そこで思うのは、引退生活的な物へのパスはどうなってるのだろうか?という事。 自分はまだ30代だが、そろそろ40歳である。 そして40代の前半が恐らくプログラマというものが普通に働いていける、という事は納得出来ている。 以前は30歳定年説とか35歳定年説とかあったが、今となっては、40の時点ではまだ定年は無かろう。 一方で55くらいからは厳しいかなぁ、という気もする。 その辺のプログラマもちょこちょこ見かけるようになったが、完全に戦力外になっている。 プログラマ上がりがなんだか良く分からないようなレポートみたいなのとかを書く仕事にありついている場合はちょこちょこあるが、どれもあまり需要が大きいようには見えない。我らがそのくらいの年

    老いた職業プログラマはその後どうなるのだろう?(ライフプラン的な意味で)
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。

    そうですね。 糸井さんと梅田さんが 会ったことがないというので、 一度会っておいたほうがいいんじゃないですかと。 まぁ、それだけのことなんですよね。

    raimon49
    raimon49 2015/12/30
    今読むと、岩田さんの人助けにかける情熱みたいなものが見える。
  • いい話(W社を辞めました) - アスペ日記

    (2015/09/01追記:この記事は私がW社に在籍した2013年4月から2014年4月までの間の個人的な経験に基づくものです。就職の参考にされる方は、その後W社の社風や開発者の扱いに変化があったかどうか等についてご自身で最新の情報を得ていただければと思います。) (2019/08/17追記:社名を「W社」に置換しました。) 記事タイトルの通り、W社を退職したので、退職エントリを書く。 (最近雑文に対していろいろと予防線を張ることが流行っているらしいので、一応これもポエムだと書いておく。役に立つことは書いていない) 今日が最終出社日だった。 ちょうど 1 年ぐらい勤めたことになる。 2 社連続で 1 年で辞めたことで、自分が社会不適合者であることが誰の目にも明らかになってしまった。 これから先の人生の見通しは暗い。 その間に子供が生まれたのだが、不憫でたまらない。 いい話というのは、Goo

    いい話(W社を辞めました) - アスペ日記
    raimon49
    raimon49 2014/04/07
    実質上司以外の登場人物や会社そのものは良い感じに見える。まぁこういうマッチングの不幸って人生では往々にしてあるし、入社した直後にチームを組む人って凄く大事な要素だから分かる。
  • 「働くのは世のため人のためです」と僕がよく言う理由:村上福之の「ネットとケータイと俺様」:ITmedia オルタナティブ・ブログ

    どうでもいい話であり駄文です。 「働くのは世のため人のためです」と僕はよく言います。理由は、心からそう思ってないので、そう言い続けないと、ただでさえダメな自分が さらにダメになるからです。自分の人生を長い目で考えると、自分のためだけに働くと、いろいろなものを失うからです。特に、圧倒的に友達や大事な人をなくすからです。 ぼくは、若いときにメーカーでゴリゴリのソフトウェア開発をしていました。残念ながら、日の目を見なかった商品をいくつも開発しましたし、独立してからも、 そういった開発を何度かしました。おそらく日の目を見なかったソフトウェアやハードウェアに費やした時間は5年以上ありました。もう、自分の人生の残り時間を考えると、 お金より、社会に影響を与えるものをつくりたいなと思います。 ただ、残念なことに、大きな会社は無駄な開発も多ければ、社会に影響を当たる開発も多いです。一方で、小さな会社では

    「働くのは世のため人のためです」と僕がよく言う理由:村上福之の「ネットとケータイと俺様」:ITmedia オルタナティブ・ブログ
  • 1の死と0のつぶやき - tsuge development page

    金子勇さんが亡くなられた。 アクセスアップの便乗のような形で書くのは意ではないので、少し時間が経った今、この記事を投稿する。 金子勇さんについて書こうと思っても、俺は直接面識が無いのであまり存じ上げない。 彼のWebサイトに辿り着き、 http://homepage1.nifty.com/kaneko/index.htm そこで当時珍しかったAnimeBodyという作品を見て驚いた、という程度しか記憶にない。 http://homepage1.nifty.com/kaneko/anibody.htm AnimeBodyも含め、彼の書き込みや作品を見て、漠然とこんな事を思っていた程度だ。 こういうプログラマー当の天才なのだろう。 俺は凡才の中ではよく出来る程度なのだろう。 1の死 金子さんの死というものは、日IT業界において途方も無く大きいものだと思う。 もう俺もITというかSE業

    1の死と0のつぶやき - tsuge development page
    raimon49
    raimon49 2013/07/26
    0側の人間 共感した
  • いつまでも現役プログラマー?もう少しやってみる: ある nakagami の日記

    最近、 「nakagami さんが、いつまでプログラムを書くのか、密かに注目してるんですよ」 というようなことを言われたり、 「nakagami さんみたいに、いつまでもプログラマーとしてやっていきたいんですよ」 ということを言われたりする。 確かに、僕の年齢までプログラマーという生きた実例があれば、それはひとつの安心材料になるだろう。 (僕自身は、何歳くらいまでできるのか、周りに指標がないので見当がつかない) 僕はそれほど切れるプログラマーではないが、プロとして普通くらいにはやっていけてるとは思っている。そして、自分の実感として、あと数年は平凡なプログラマーとしてならやっていける気がする。 #むしろ、みんななんでこの歳までプログラマーしないのか不思議なくらい 僕が、プログラミングを仕事とすることによって、励みになる人がいて、プログラマー仕事をくれる人がいるのであれば、もう少しはやってみ

    いつまでも現役プログラマー?もう少しやってみる: ある nakagami の日記
  • 「ぼくはこうしてプログラミングを覚えられなかった」 - ( ꒪⌓꒪) ゆるよろ日記

    大学は情報系だったけどサークルとバイトばかりやっていた プログラミングが大好きだけど同じくらい好きなものが他にもあった 人に自慢できるほどプログラミングに時間を費やしていなかった 最初に就職した企業がいわゆるブラック企業と呼ばれるSIerだった 新人研修で教えられたプログラミング言語がJava その会社では、同期入社が100人いたが、2年後には半分になっていた(俺も2年半で辞めた) SIerでよくわからないレガシーシステムの機能追加なんぞをやっていて、そのシステムは(というか日のエンタープライズ系の業務システムはほとんど)シンプルとはほど遠い設計だった オレオレフレームワークを書いてドヤ顔キメていたことがある 次に、ベンチャー企業(だったところ)に入ったが、コードは中国人が書いていて、管理ばかりやらされていた 「プログラマ35歳定年説」とかよくわかない言説に踊らされて、プロジェクトマネー

    「ぼくはこうしてプログラミングを覚えられなかった」 - ( ꒪⌓꒪) ゆるよろ日記
  • ぼくはこうしてプログラミングを覚えた

    オリジナルはココです。フェイスブックのエンジニアでで史上ベスト3に入るといわれるEvan Priestley氏への質問「どうやってプログラミングを覚えましたか」に対する人からの答えです。 手短かに言えば 何年もの歳月の賜物というか。ぼくはただひたすらプログラミングが大好きで、(フェイスブックで働いていた)過去4年間、ほとんど他のことをしていない。その前も2.5年ほどプログラマーとして働いていたし、そのさらに前も6年くらい趣味でプログラミングをしていた。ぼくは高校も大学も中退しているので、それで空いた時間もプログラミングに費やした。つい最近フェイスブックを辞めたけど、未だに起きている時間のほとんどはプログラミングだ。 もっと詳しく言えば 月並みだが、ぼくはちっちゃい頃からコンピューターが好きで、我が家にあったヤツで(最初はMac Plusで途中からIIsiになった)で散々遊んだ。8歳か9歳

    raimon49
    raimon49 2011/07/21
    学校を辞めてフェイスブックにjoinする人生譚の妙訳。Quoraのスゴさを実感した。