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ポスドク1万人計画が始まって10年以上経ったと思います。そろそろ、本気で対策を考えなければならないはずです。 というわけで、提案があります。国立大学の教員1万人に早期退職優遇措置を行って、そのあとに1万人のポスドクを大学に就職してもらってはどうでしょう。 今や、大学教員への風当たりもとても強くなってきており、中年哲学徒さんの情報によると、指導力不足の大学教員をたたき直すために教員研修(FD=ファカルティ・ディベロップメント)を義務づけることになったのだそうです。 つまり、文科省としては今の大学教員のほとんどが満足できる教育能力を持っていないと判断しているということでしょう。まあ、そもそも大学教員には教員免許もなく、採用される際に教育能力の判定をされるということもほとんどないのが大学教員採用の実態ですから、そうなっても不思議はないのですが、それがいわゆる研修程度でなんとかなるものでしょうか。
正月ボケから少しだけ立ち直ってきました。 きょうはホワイトカラー エグゼンプションの気分。どんな気分だ。 イングリッシュではイグゼンプション、アメリカンはエグゼンプションと発音…だよね。 数日おくと、頭の中でぶわ~っと書きたいことが花火みたいに飛び散って、どこから手を付けていいやら、、、すべてが関連性を持つことなので。 まずここからか。 ■whitecollar exemptionとは アメリカの労働時間制度において、一定の要件(職種・職務や賃金水準)を満たすホワイトカラー労働者を労働時間規制の適用除外(exempt)とする制度。 アメリカの公正労働基準法は法定労働時間を1週40時間と定めており、それを超えて労働者を使用する場合には、通常の1・5倍以上の割増賃金を支払うことを使用者に義務づけています。ただしコンピュータの関連専門職や外勤セールスマンなど特定の職種や職務で、一定の要件(俸給水
先日も少し紹介したが、最近、経済学者のブログでハイエクがちょっとした話題になっている。サックスが「ハイエクは間違っていた」と論じたのをイースタリーが批判し、さらにサックスが反論している。ポイントは、ハイエクが30年前に「スウェーデンのような福祉国家は社会主義国と同じ運命をたどるだろう」とのべたことだ。実際には、北欧諸国の経済的なパフォーマンスは良好で、日本でも「北欧型をめざせ」という議論がある。 しかしハイエクが生きていたら、こんな批判は一蹴しただろう。彼にとって社会主義の欠陥は経済的な非効率性ではなく、それが人間の自由を拘束すること自体だからである。彼は、非常に有名な1945年の論文で価格メカニズムの意味をこうのべる:合理的な経済秩序の問題に特有の性格は、われわれが利用しなければならないさまざまな状況についての知識が、集中され統合された形では決して存在しないという点にある。[・・・]し
公明党の太田明宏代表が慎重な姿勢を示していることもあって、俄かに雲行きが怪しくなってきた「ホワイトカラー・エグゼンプション」。 今日の日経新聞には次のような記事が掲載されており、 「厚生労働省は与党内から導入に異論が出ている、一定条件を満たす会社員を労働時間規制から外す「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」制度について、企業に社員の健康管理確保措置を義務付けることを前面に出し理解を得たい考えだ。与党や労働界の「賃金を抑制し長時間労働を正当化する」との批判に応え、一月開会の通常国会での労働基準法改正案の提出を目指す方針だ。」(日経新聞2007年1月6日付朝刊・第5面) 具体的には、 (1)「週休2日以上の休日を確保する」、「月80時間以上の長時間残業をした社員には医師の面接指導の機会を提供する」、といった企業側の義務を労基法改正案に明記。 (2)休日確保に違反した企業に対しては「6ヶ月以
だろうなあ、と思った。昨年暮れ、ある新聞(経済系です)の社説を見たときの感想である。個人的にはもちろん分配率の引き上げは歓迎である(笑)。しかし、いくらわが国が社会主義的な体質であるとは言え、曲がりなりにも資本主義経済陣営に属し、かつG7の主要メンバーでもある。そういう国のマスコミなのだから、いくら消費増大のためとは言え、労働分配率の引き上げを唱えてしまうと、社会主義国家の機関紙みたくなってしまう。 人材も重要な資本なのは間違いない。しかし、人材にどれだけのコストをかけるべきかは個々の企業経営の判断に委ねるしかない。経営側に多くの問題があるのは確だ。年功序列の廃止・成果報酬の導入などは、本来は能力に見合った報酬を与え、組織を活性化させる狙いがあるが、実際には単なる人件費抑制の仕組みと化し、組織の沈滞を招いた例が多いだろう。 とは言うものの、社会的圧力によって労働分配率を引き上げさせ、それに
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
1.分散と標準偏差って何? 共分散について話す前に、分散と標準偏差について書いておきます。 これも、名前はかたそうなのですが、別に難しい概念ではありません。 分散も標準偏差も、「ある不確実な事象の散らばりの尺度」です。 ファイナンス理論ではこれらがリスクの尺度であることは説明しました。 分散は、エクセルでVAR、標準偏差は、STDEVという関数で求めることが出来ます。 こういう計算が簡単に機械で出来る世の中なので、具体的にどう計算するのか、と言うのはここでは触れません。 ただ、分散と標準偏差の関係は覚えておいたほうが良さそうです。 標準偏差の2乗=分散 です。 標準偏差・分散のイメージが湧きにくいかもしれませんね。 生活で使うレベルの知識(?)で言うと: 不確実なものといえども、95%強の確率で、±「2×標準偏差」の間に定まる。 これだけ覚えておけば十分です。 具体例を考えて見ましょう。
たとえば、国立大学に通う卒業間近の女子が言う。靖国神社に参拝するような総理大臣は私は支持できない。別に個人が靖国神社に行くことは自由であるけれども、総理大臣が参拝するのは、私はよいこととは思わない。ごく私的な集まりにおいて、言ってのける。私はそう思うから、問題ある?その人は20年弱の半生において、靖国神社の境内に足を踏み入れたことはない。大鳥居をくぐったことはおろか、大鳥居の存在すら知らない。大村益次郎誰それ?むろんのこと、遊就館に至っては、そんなものがあるの、という反応。当然のことながら、彼女は日本の近代史についても神道についても先の戦争についてもいわんや東京裁判についてもまったく無知にして無関心であり、見識など望むべくもない。確たる宗教観や慰霊観など持ち合わせているはずがない。そもそもそうした事項を個人的に問題とはしていないし、彼女の内部においてはそれを問題として検討する必要自体を感じ
まあまずはこちらをお読みください。 南雲和夫(本物)の怒りのブログ―根源主義者の主張(無断転載禁止) 2ちゃんねるを擁護する珍論をめぐって 話がかみ合っていないというか、主張のポイントをあえてずらしているようにも見えなくありませんが、簡単にまとめると ※者は話者に関わらず、主張の内容のみを評価の対象として議論すべきと考えている 南雲先生は「言論」を行うにはそれに先立って責任を負うために実名を明らかにすべきと考えている というわけで、「話の内容」と「話をする資格」のどちらに重きをおくべきかで完全に意見が割れてしまっているので、これはもう絶対にかみ合わないですね。それはともかく。 当該の「死ね死ね詐欺」の件については個人の情報を無責任に晒したという意味では匿名で責任をもつことのできるぎりぎりのラインを踏み越えたように思うことはあります。(厳密に言えばそうではないとしても)ブログと違って単に匿名
イ・イギョン、韓国の大ヒット曲「定時退勤」を徳永ゆうきとまさかのデュエット「残業が多い人に聞いてほしい」
評論家の立花隆氏が「メディア ソシオ-ポリティクス」の一番新しい記事(12月27日づけ)で「未熟な安倍内閣が許した危険な官僚暴走の時代」という文章を書いているのは既に周知だろうが、要するに氏はこの記事で「安倍は阿呆だ」と言っているのだと理解してよいだろう。もちろん、安倍が阿呆だというのは、本ブログでも繰り返し指摘しているところではあるのだが。 そして、安倍がいかに馬鹿で阿呆かということを裏づける証拠と言ってよい記事がまたまた出てきた。次の「残業代ゼロ 首相「少子化対策にも必要」」という記事によると、安倍は次のように言っているらしい。 安倍首相は5日、一定条件下で会社員の残業代をゼロにする「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入について「日本人は少し働き過ぎじゃないかという感じを持っている方も多いのではないか」と述べ、労働時間短縮につながるとの見方を示した。さらに「(労働時間短縮の結果で増
調子に乗って、また少し文学ネタを書いてみます。 「ア・バオア・クー」はガンダムの物語に出てくる要塞ですが、 →ア・バオア・クー - Wikipedia 「ア・バオ・ア・クゥー」は、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『幻獣辞典』に出てくる幻獣です。 →ア・バオ・ア・クゥー - Wikipedia 『アラビアン・ナイト』(『千夜一夜物語』)を最も原典に忠実に英語へ翻訳したとされる編者であるバートン卿が、彼が加えた注の中でア・バオ・ア・クゥーの伝承に触れている。 その件について、ホルヘ・ルイス・ボルヘスは彼が見聞した伝承をまとめた『幻獣辞典』(柳瀬尚紀による邦訳版(1974年、晶文社)がある)にて言及している。 しかしそのいずれにおいても、伝承の出典については詳しくは触れられていない。 伝承の舞台となっているのは、柳瀬の訳註によればインドのラジャスターン州ウダイプル郡チトールにある、ジ
公共図書館の公共性?について、ほんのちょっとだけブログで議論が盛り上がっているという。 ■ [list]はてなブックマークの[図書館]タグがちょっとだけ盛り上がっています(?) http://list.g.hatena.ne.jp/Hebi/20070104/p1 わちきだったらば、この「公共性」とかいうわかったよーなわからんよーなコトバを、 なんで(おもに有産者の)税金で無産者にタダで本を読ませねにゃならんの? というみもふたもない疑問文に変換して考えちゃいますね。 でさ。 ざっと見たところ、米国流の美しい図書館観にひっぱられた議論(「役立つ」とか「民主主義」とか)しかないようだけれども…。もちろん、カーネギー財団流の、貧乏人が(図書館で勉強・発明して)金持ちに、ってのも米国流。 はあ、ウツクシ。うつくしすぎて… じつはそんなのと無関係な外野のエッセイ風のに、もうひとつの歴史的事実の片鱗
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