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ブックマーク / sean97.hatenablog.com (14)

  • 教育のマニュアル化 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

    また新聞記事に突っ込みを。ネタはまたまた朝日新聞。 昨日の新聞に、都立高校の入試点数改竄の記事が載っていました。 僕も、それはマズイだろう、と思います。 しかし記事に、「指導困難高」に着任して「毎日、自らジャージーに着替え、ほうきやガムをはがすへらを手にして、校内を掃除」したりして、「すさんだ雰囲気をなくすと共に、生徒と言葉を交わすきっかけにした」というスーパー校長先生の話が出てくると、どうもイヤな臭いがしてきます。 いや、この校長先生は、純粋にすげーなーと思いますよ。別に揶揄する意図はありません。 僕が危惧するのは、この手のお話が、精神論に行き着き、問題が教師の心の問題に帰されてしまうことです。 つまり、「教師がやる気を出し、生徒に音で向き合えば、いくら荒れた生徒でも分かってくれるようになる」みたいなストーリー展開が、そのうち反転し、「生徒が荒れているのは、教師が音で向き合っていない

    教育のマニュアル化 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
    rajendra
    rajendra 2008/12/07
    かくて、マニュアル化により専門知は共有・浸透を深め、専門家はポイ捨てされるのでした。哀しみが止まらない。
  • タブーの謎 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

    ネットで、とくにアメリカの○ロサイトを見るのが、わりと好きです しかし向こうのサイトには、そこにペラッとゲイの画像が差し挟まれていたりするんですよね。 間違って踏んでしまうと、心底ゲンナリします。 しかし思うのですが、この、「ゲイ(PC的にはこの呼称でいいんでしょうか?)に対する忌避感」って、何に由来するんでしょう。 もちろん人にもよるでしょうが、それこそ吐き気をもよおすぐらいの、強烈な忌避感が、少なくとも僕にはあります。 だからといって、いうまでもなく、同性愛者を差別するつもりはありませんが。 ジェンダー・スタディーズ的には、こういうのって、「文化の力」に由来する、と考えられているんでしょうか(間違っていたらすみません)。 「男は女と愛し合うべきだ」という強制力が、こうした忌避感を起こさせるのだ、と。 とはいえ、子供のころを振り返っても、親に「男の子と○○しちゃいけませんよ」としつけられ

    タブーの謎 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
    rajendra
    rajendra 2008/08/04
    ポルノは自分がプレイにコミットしているような感覚を強く引き起こすからかな?ま、実際には向こうも相手を選ぶのだが。
  • スポーツ文化比較 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

    「私の嫌いな言葉」、もうひとつありました。スポーツ選手がインタビューの最後にいう馬鹿の一つ覚え「一生懸命がんばりますので、ファンのみなさん、応援よろしくお願いします」です。 これ、昔から違和感があるんですよね。「一生懸命頑張る」のを評価しろ、応援しろ、って、プロとしてどうなんだろ、と。 相変わらず比較対象はアメスポですが、アメスポで「猛練習」みたいなのがほとんど何の評価もされないというのは有名です(されるとしたらウェイトトレーニングだけじゃないでしょうか)。そもそも猛練習などしないですし。ファンは素材そのまま、天然そのままのプレーを見て、楽しむ。 だからドラフトでも、体格のデカい選手が無条件で好評価される傾向にある。そのときよく言われるのが「技術はある程度教え込むことができるが、体格は教え込むことができない」。これ、ヤオ・ミンがHouston Rocketsにドラフトされたときも、GMだっ

    スポーツ文化比較 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
    rajendra
    rajendra 2008/06/15
    「一生懸命がんばりますので・・・」は、単にそういう振る舞いがファンから支持されるから深く考えず答えてるだけで、さしたる意味はなさそう。
  • ■ - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

    先日の続き。 まずはこちら。「seanさんはサポーター論に絡むのが好きだなあ。」はっはっは……いや、確かに好きですが、好きに加えて、反応が一番いい、というのもありまして……知り合いも増えましたし…… で、「サポーターというのはコミットしているクラブの栄枯盛衰を物語として引き受けるところに効用があるのであって、目の前のゲームをコンテンツとして楽しむという消費スタイルとは立ち位置が違う」というのは、まあわかる気がします。わかる気はしますが、とするとやっぱオレには、サポーターになるのは無理だなあというのもよくわかりました。オレは所詮、アメスポを、「目の前のゲームをコンテンツとして楽しむという消費スタイル」で楽しんでいますし。 だからといってべつに引け目は感じませんが。 次にこちら。いやむしろ僕の方が、、サッカーのサポーターの方に、野球ファンとの違いを説明してほしい(あるいは野球ファンに「サッカー

    ■ - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
    rajendra
    rajendra 2008/06/11
    タイトルが無いので1行目から取りました。
  • ふたたび - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

    アメスポはNHLのスタンレーカップも終わって、いまはNBAのファイナルの真っ最中。BOSvs.LALという黄金カードであることもあいまって、ご当地でもなかなか注目を集めているようです。 さて、アメスポファンにはよくいるのですが、特定のチームの、少なくとも「大ファン」ではない、あるいは好きなチームが複数ある、というパターン。 僕もそうです。例えばNBAでは、基的にはPHXのファンですが、でも実はころころ変わったりします。ちょっと前はSACが好きだったっけ。 こういうの、サポーターの方々からすれば、「風上にもおけない」所業なんでしょうね。 でも弁明させてもらうと(だれに?)、特定チームのファンでないということは、冷静に試合を見れる、純粋に試合を楽しめる、ということにもなるのでは、と。 もし片方のチームの大ファンの場合、敵チームの好プレーには逆切れしたり自チームのふがいなさに腹が立ったりするも

    ふたたび - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
    rajendra
    rajendra 2008/06/07
    反応を期待されてる気がしたのでコメントした。
  • 議論は続くよ - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

    疲れているとか偉そうに書きましたが、当はちょっとインターバルをおきたかっただけで、こういう抽象的な議論をああでもないこうでもないと続けるのは大好きですので、ふたたび。 http://d.hatena.ne.jp/surumeno13/20080411 僕の周り、あんまりベガルタファンっていないんですよね。楽天ファンはいるのですが。今度聞いてみます。 >話の始まりは「サポーターってチームに文句言うけどクレーマーとどう違うの?」 うん、そうでした。今でも、基的には同じと、思っています。 ただ、「サポーターはお行儀が悪い」と文句をつけたのは、「電車の中で化粧をする女子高生はお行儀が悪い」と文句をつけるオヤジと同じレベルだったと思ってください。個人的にもそういう女子高生はなんだかなあと思いますが、しかしいっぽうで、「女の子はこうでなくては」みたいな脳内妄想を押し付けるオヤジ(オバサンも?)たち

    議論は続くよ - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
    rajendra
    rajendra 2008/04/14
    「気に入らないならサポ辞めろ」とか言われたら、「イヤと言ってもついていくんじゃあーー!!」とか返しそう。辞める時は心折れる時。
  • またしても「どっちもどっち」…… - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

    引用していただきました。 http://d.hatena.ne.jp/rajendra/20080403/p2 う〜ん、僕には、サポーターとファンとを厳密に区別し、かつ前者により高い価値を置くような思考に、あんまり意味があるようには思えないのですよね。例えばファミレスサポーター/ファンがいたとして、かたやジョ○サンの熱狂的なファンであり、かたやすかい○ーくだろうがコ○スだろうがなんでも美味しいものをべる、というスタンスだったとして、じゃあどっちかが消費者でどっちかが消費者ではない、とか、どっちが偉い?とかいうことを議論するのはナンセンスでしょう。どっちも消費者であることには変わりなし。 ……下手な比喩ですね。でも僕には、「スポーツ観戦=消費行動」「サポーター=消費者」でなぜいけないのかがよくわからない。いや、仮に「サポーター≠消費者」という図式を認めるとして、ではなぜ、それが「ファン=消

    またしても「どっちもどっち」…… - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
    rajendra
    rajendra 2008/04/06
    うーん、伝わらないなあ。
  • 消費者至上主義 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

    最近、いろんなところで、消費者の暴走が起こっている、みたいにいわれます。 教育なんかでもね。やや眉唾ながらも、「モンスター・ペアレンツ」なんかはその類でしょう。「オレや子どもは金を払ってサービスを受けている消費者なんだから、学校や教師はオレの言うとおりにするのが当たり前」みたいな意識。 最近思うのが、スポーツの世界。 こんな出来事とか。 浦和の惨敗にサポーター“抗議デモ” これのニュースをテレビで見てましたが、外国では、まず有り得ないシーンだなあと思ったものでした。 僕はアメスポ好きですが、もちろんアメリカにもダメチームはあるし、それに腹を立てるファンもいます。 しかし、だからといって、「責任者出てこい!」ということにはならないし、仮にいわれたとしてもノコノコ出ていってファンの前で頭を垂れて謝罪する社長やGMがいるなんて考えられない(あるとすれば裁判でしょう。他都市に移転したチームを訴える

    消費者至上主義 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
    rajendra
    rajendra 2008/04/04
    おっとブクマ忘れ。反応しないわけにはいかないと思い、エントリ書きました。http://d.hatena.ne.jp/rajendra/20080403/p2
  • 人文系学問の効用 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

    『大航海』65号(ちなみに網野善彦特集)に川北稔先生の「歴史学は回復するか」という論考が載っておりました。 最初のほうで「人文学が、今後、生き残っていける道はあるのか。そのためには何が必要なのか。最も深刻な問題は、人文学が社会との接点を失い、独善的な価値観におちいったことである。」と述べていて、おっと思ったのですが、その後の議論の展開は、ちょっとげんなり。 つまりは、「日の(特にイギリス史)研究は全然ダメだった、歪んでいた」という議論に終始しているわけです。これは、いわゆる「学問の現状に対するお説教」としてはもちろん有効だしごもっともなお話ではありますが、こと「人文学と社会との接点」に関する議論ということでは、おそらく何の解決の道も示せないと思われます。 じつは、わが研究分野の超大物・大御所の先生も、最近同じようなことを、同じような論理展開で書いておられました。これまた、学問的なお説教と

    人文系学問の効用 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
    rajendra
    rajendra 2007/12/23
    人文系学問の知見というのは、解明されてから大衆レベルまで伝播・浸透するのに相当のタイムラグがあるように思う。だから眼前の問題に直接プレゼンスを発揮するものでなくても、構わないな。
  • 中立 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

    最近あるブログのやり取りを見て思ったのですが。 「中立を守る」って、そんなにダメなことですかねえ。 いや、「世の中に、中立な立場など有り得ない」というのは、わかるんですよ。というか、少なくとも文系界隈では、常識です。 でも、「じゃあ中立を守ろうとすることに意味はないか」というと、そんなことはない、とも思うのです。 ただ、中立は、分が悪い。どんどん悪くなっている気がします。「オレは中立ですが……」などと書き込みしたとたんに「そうやってメタに立って(立ったつもりになって)モノを言う、そういう態度のやつが、一番始末が悪い」とか指弾される。 当事者となって「戦っている」人たちにとっては、「オレは中立」などとシラっと言ってのけるような輩は、むしろ敵よりも、腹が立つのかもしれませんね。 う〜んでも…… やっぱ、「中立でいたい」という立場も、それなりには認めてほしいなあ、とこっそり思ったり。

    中立 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
    rajendra
    rajendra 2007/11/01
    強圧的に当事者意識のなさを批判しても何も生まないのにね。>当事者となって「戦っている」人たちにとっては、「オレは中立」などとシラっと言ってのけるような輩は、むしろ敵よりも、腹が立つのかもしれませんね。
  • 無関心 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

    ちらほらと話題に上っているこの。 日中戦争下の日 (講談社選書メチエ) 作者: 井上寿一出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/07/11メディア: 単行購入: 1人 クリック: 46回この商品を含むブログ (30件) を見る レビューでは「国民は軍部にイヤイヤ戦争に参加させられたのではなく、むしろ積極的に参加した、ということを明らかにした」のが賞賛されたりしておりますが、それだけだったら、今までにも、数は多くはないとしても、研究はあります。むしろ近年の戦時期メディア研究は、その方面での研究が花盛り、といってもいい。 僕が興味深かったのは、戦争が始まっても、まったく無関心の国民が多かった、というところ。 僕的にヒット(という言い方が妥当かはともかく)だったのは、慰問袋のエピソード。蘆溝橋事件勃発直後こそ多くの慰問袋や恤兵献金(戦地の兵士への慰問金)が集まるものの、その後は右肩下

    無関心 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
  • ハードかソフトか - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

    どこの大学も例外なくそうだと思いますが、うちも今、改革が行われております。 どういう授業をどのくらい開くか、あるいは学部・学科をどう変えるか、そんなんで連日連夜の会議です。 こういう作業に、まったく意味がないとは思いません。が…… 僕はどっちかというと、ハード面より、ソフト面の改革のほうに、興味があるんですよね…… つまり、(各教員の)授業自体を、どう改善するか、という方面。 どんなに完璧なシステム(そんなものは見果てぬ夢だとは思いますが)を構築しても、肝心の授業がダメダメでは、まさに絵に描いたです。 逆にいうと、少々危ういシステムでも、授業がそれなりにしっかりしていれば、効果は上がります、きっと。 ただ、ソフト面の改善は、あんまり人気がありません。大学の先生の場合、「無免許」がほとんどであるにもかかわらず、自分の授業を「聖域」みたいに考えている方が多い、ように思う。授業の相互参観なんか

    ハードかソフトか - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
  • 続・差別 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

    たびたびのTBで申し訳ないですが。 kmizusawaの日記−「差別」を指摘されることについて考えてみた おっしゃるとおり「差別(主義者)」というのは「魔法の言葉」で、これを言われると、当に凄まじいダメージをらいます。必死になって弁明して、なんとかそのレッテルを剥がさないと、と思ってしまう。 例えば、今、左派界隈では、「おれ、やっぱ日や日人が好きなんだ」というのすら、はばかられるような現状です。そういったとたん、「お前はナショナリストだ」「人種主義者だ」「外国人排斥だ」とかなんとか、「差別主義者認定」されてしまうんじゃないか、あるいはそこまでいかなくても、そういうエントリを例えばブログで書いたら、間違いなく茶化されそうな……いや、されたことはないですが、されてもおかしくないなあ、ぐらいの雰囲気。 差別判定のすべてがおかしいとか間違っている、といいたいわけではもちろんないにしろ、「差

    続・差別 - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
  • seanの日記 旦⊂(�-` )お茶ドゾー - 大学における外国文学教育の終焉 - コメント欄

    最近、うちの大学でも、「課題探求型」といわれる、学生が自由にテーマを選んで卒論を書く、みたいなのにシフトしつつあります。 僕のいる学科では、まだ「日史」「西洋史」「ドイツ文学」「フランス文学」みたいな枠で学生を抱え込んでおりますが、それが崩壊するのも時間の問題でしょう。 こういう情勢下、一番(かな?)分が悪いのは、外国文学系です。なにせ、ここには「外国語」という壁がある。 僕の頃は、外国語をマスターした上で、アホほど時間をかけながら、原文で作品を読み、卒論を書く、という作業が当たり前でした。 ところが今、とくにいわゆる「一流大学」でないとこでは、そう悠長なことはしてられません。まあ基的には、ほとんど翻訳で、となる。 しかしそうなると、こちらも外国文学のゼミでは一般的であろう「原書講読」の意味が薄らいでくる。どうせ翻訳でやるんだから、外国語やってもあんま意味ない、というわけで。 で、その

    seanの日記 旦⊂(�-` )お茶ドゾー - 大学における外国文学教育の終焉 - コメント欄
    rajendra
    rajendra 2007/02/14
    大学が消費者に屈していく、ということかしら。>なので学生は、教員の専門ではなく、人柄とか、全員に優をくれるとか、そういう基準で選びやすくなる。
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