寒いのに立春、暑いのに立秋――。中国伝来の二十四節気は、季節の移り変わりに彩りを添える言葉だが、ちょっと違和感を感じませんか? 日本気象協会は、新しい季節のことば作りを始める。言語学者や文化人、気象関係者らからなる専門委員会を設け、一般からも意見を募って検討する。2012年秋までに「日本版二十四節気」を提案する予定だ。 二十四節気は1年を24分割し、立春で始まり大寒で終わる。古代中国で成立したため、地域や時代などの違いから日本の季節感と合致しないところがある。 今年の立春は2月4日。立秋は8月8日。いずれも気温の変曲点ではあるが、体感ではまだ寒さと暑さのまっただ中。霜が降りるころを示す霜降(そうこう)は10月24日だが、東京の初霜は平年で12月14日ごろだ。また、清明(せいめい)(4月5日ごろ)、芒種(ぼうしゅ)(6月6日ごろ)など、なじみの薄い言葉もある。 同協会は「現代の日本の
「最近日本から寛容さが失われている」のは何故か - Togetterまとめ 新幹線の車内ではしゃいでいる子どもや、夜遅くまで騒いでいる大学生に対し、私達はどれだけ寛容な気持ちを保っていられるだろうか?次世代を担う子ども達の、年齢相応の振る舞いに対してさえも、寛容よりも非難が勝る人が増えているのではないだろうか? 寛容さとは正反対の、きわめて自己中心的な人達もよく見かけるようになった。自分の意に沿わない相手に攻撃的な人間や、他人に際限なく要求する人間が、モンスター○○などと呼ばれて問題視される時代でもある。*1 これらを踏まえて「昔の日本人が寛容」で「現代の日本人は寛容じゃなくなった」と結論づける人は多そうだ。少なくとも、見かけ上、日本から寛容さが失われたように見えるのはその通りかもしれない。 「身内」には寛容でも「他所者」にはそうでもなかった日本人 では昔の日本人は、本当に寛容だったのか?
■編集元:ニュース速報板より「「断られるのが怖い」「おせっかいと思われる」 他人の手助けをしなくなった日本人」 1 ウェーブくん(チベット自治区) :2011/01/22(土) 15:01:31.27 ID:2ex4KX2f0 駅など人や階段が多い場所で、ベビーカーに乗った赤ちゃんとやっと歩けるようになった小さな 子供を連れた母親を見かけた時に感じる、投稿者の葛藤が書かれていました。 「これは、助けなあかんかな、と思いつつも、いつもなかなか行動できない私ですが、この日は 私の少し前を歩く女性が話しかけてた。手伝いましょうか? でも、お母さんは、いや!いいです! ありがとうございます!と断ってた。私がいつもこういうシーンに出くわして逡巡する原因の一つが これ、この結末なんですよね。」 確かに、日本人は助け下手であると同時に、助けられ下手です。何とか手助けしたいと思っても 断
19 宝石鑑定士(catv?)2008/08/26(火) 01:06:00.93 ID:s8tEExvV0 ?PLT(12002)
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遅ればせながら、あけましておめでとうございます。新年ということで、地味ですが伊勢神宮特集です(2年半前の夏に行ってきたときの写真なので季節外れ感があって申し訳ないです)。 地味さを補うため、若干センセーショナルなタイトルにしてみましたが、最後に参拝の際のお役立ち情報も書いておきますので、長文が苦手な方は斜め読みでもOKです。 伊勢神宮というと「20年に1回すべてを建て替え、創建以来の純粋な形を守っており、まさにこれこそが日本文化の純粋な形である」というのが一般的に信じられているところだと思います。これが本当だったらすごいことですが、実情はもっとカオスです。ちょっと話がややこしいので、章を立ててお話ししますね。 初めて体系的な図面ができたのが17世紀。遷宮のたび、名匠たちの創意工夫が盛り込まれてきた 伊勢神宮が創建された時期は謎に包まれていますが、だいたい7世紀。それより古いタイプの神社につ
お伊勢参りしてきました。 今回驚愕したのは、伊勢神宮の仕組みのスゴさについてです。「式年遷宮」は日本の常識という人もいますが、ちきりんは知りませんでした。 伊勢には外宮と内宮があるわけですが、その隣には、それと全く同じ大きさの空き地があるんです。 その空き地に、20年ごとに全く同じものを建て、できあがったら古い方を取り壊す。そういう形で20年ごとに、東と西の敷地に交互に宮を置いてきたらしい。 しかも、 「それを過去 1300年ずっと実施してきている。」とか(アメリカが建国する 1000年以上も前から!)、 「内宮、外宮の建物だけではなく、御垣、鳥居、橋、内部の布品なんかも全部新しく作り直します」とか 「前回の遷宮の費用は 380億円だったけど、次の遷宮の予算は 550億円です」とか言われた日には、まーじ驚きました。 一番興味深いのは「前回は誰が 380億円出したんだ? 次は誰が 550億円
初詣の歴史を皆知らない - mmpoloの日記 と同じネタが5日土曜日の朝日夕刊にあった。参考までにコピペしておく。大阪本社版夕刊文化面「ニッポンの面(おもて) 其の壱」 …「これぞ日本の伝統文化」と感じる人も多いだろう。だが「初詣で」が広まったのは、20世紀になってからなのだという。 京都大人文科学研究所の高木博志准教授(日本文化史)によると、江戸時代は元日に出歩かず、「恵方」(縁起の良い方角)から来る神を家で静かに迎える地方が多かった。「初寅」など、各寺社の祭日に参拝する習慣もあった。 一方、宮中には、天皇が元日に神々に五穀豊穣と天下太平を祈る「四方拝」という神事があった。明治維新以降、まず官公庁や学校がこれに連動して元日に儀式を行うようになる。恵方参りも元日に行く人が増える。さらに関西では、各鉄道会社が沿線の寺社を「今年の恵方」とバラバラに宣伝し始め、「恵方」の意味が失われていった。
墨田区へ転居してきてから30年近くになるが初詣だけは几帳面に続けてきた。この頃は参拝する神社も決まっていて、まず吾嬬神社、ついで江東区の香取神社、亀戸天神、墨田区の香取神社と4社を回っている。この内吾嬬神社は小さな神社だがおそらく関東では一番古い神社ではないか。このことについては以前書いたことがある。 2006年12月24日の日記 吾嬬神社 さて、先頃正月に神社へ参拝する初詣は日本の古い伝統行事などではなく、明治になってからある鉄道会社が始めたものだと知った。ヴァレンタインと同じだったのだ。それを知って今年から初詣を簡略化することにした。4社のうち吾嬬神社だけにしたのだ。 そういえば江戸時代の話にも浮世絵にも初詣は描かれていない。賢い鉄道会社の社員がいたものだ。
MIYADAI.com Blog (Archive) > 出でよ、新しき知識人 「KY」が突きつける日本的課題 « M2Jpop批評(TBSラジオ)のオンエアは1月4日。予告編的な文章を書きました | 小林よしのり&荻上チキ&富岡幸一郎の三氏と鼎談しました。テーマは「デマ合戦」。 » いよいよ自民党の支持率が2割台前半、民主党の支持率が3割台後半になってきました。 どこぞの馬鹿がどうして宮台は自民党にロビイ活動をしないのだなどとほざいていました。 90年代半ばからの絶対得票率趨勢分析をすれば自民党に未来がなかったのだから仕方ない。 自民党ごときにひきずられて沈没したくはありません。 自民党内は一挙に政界再編にむけて動きだしつつあります。 中川昭一と平沼赳夫が安倍晋三を引き込みんで麻生太郎を代表にした保守新党を作る動きがあります。 自民党が将来的に立ちゆかないことがやっと誰の目にも明白にな
宮台真司氏が、「KY」と日本の論壇の幼児性を結びつけて論じているが、私も同感だ。日本のメディアは空気によって党派がわかれ、慰安婦でも沖縄でも、初めに結論ありきで、歴史的事実におかまいなしに、朝日=岩波ムラと産経=文春ムラにわかれて罵倒の応酬が続き、論理的な論争が成立しない。たとえば『諸君!』に執筆すると、文春ムラに入ったとみなされ、そっち系の雑誌からばかり注文が来るようになる。 こういう無人称の空気こそがかつて日本を戦争に引きずり込んだのだ、と指摘したのは山本七平だが、その原因を彼は分析しなかった。私は、この謎を解く鍵は、山本が空気と関連して論じた水にあると思う。といっても彼は「場の空気に水を差す」というように空気=雰囲気と対立する通常性の原理として水をとらえたのだが、ここで私がいうのは文字どおりの水、すなわち農村の水利構造である。 われわれはつい忘れがちだが、日本では50年前まで人口
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