メキ @Ph_karka 「ライフ人間世界史11 ビザンチウム」です。 出版年度によって装丁が違うので見た目派は気をつけてください。 マドリード版スキュリツェス年代記のダイジェストが載ってたりして面白いです。 pic.twitter.com/XeBeAj0Fka 2022-02-15 21:28:05
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ 諸葛亮の北伐の目的というか、最終目標は長安制圧なんだろうけど、その手前で狙っていた基本方針は祁山を経由して雍州と涼州を分断して涼州方面を制圧し、第二の補給地点を確保することで長安へと東進することにあった。 2018-10-19 16:07:57 ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ 諸葛亮の第一次北伐と共に、雍州の三郡である漢陽(天水)安定、南安の三郡が陥落というか降伏している上に、諸葛亮は趙雲を箕谷に布陣させて囮にし、諸葛亮は自ら涼州方面に進撃しているので、諸葛亮の基本方針は雍涼分断、そして制圧が目的だったのが分かる。 2018-10-19 01:17:44
waka @waka_34 。。双魚の総体が相対的になんで双魚とされてるのか…19世紀蒙古だと八吉祥とつながってるから蜂とか蓮ともつなげて考えたい。真言だとマニがあてられてるみたいだった。生きものの意識根底にある鏡面性を表象してるのだろか…左右を通過させる鏡面を水陸と重ねてるのかな…🌼🐤 twitter.com/12akira24/stat…
”紅夢楼主人『美少年論――同性色情史』(雅俗文庫、明治44)” ”城氏の言に従えば、「最初の筆禍」を受けた同性愛文献らしい” ☢ @toastKNC 「記念保存のための三部だけを製本云々は嘘で、少なくとも五十部、もしくは百部くらいは作られたのではないか」って言われててわたしもそう思うけど、でもそのうちの一冊を持っていたのは足穂なんだよね 2015-03-26 18:56:31
黒川巧 @kurokawa_t 僕だって「体中に油性ペンで魔法陣描いたらモテるんじゃないか?」と思った時期はありました…。しかし、僕が鎖骨からチラチラ魔法陣を覗かせた所で「あっ黒川君、それパピュリ・クラエカエ・マギカエのニグロマンティアの悪名高き魔法陣じゃない?私も好きー!」…なんて青春は一切訪れませんでした。 2014-01-24 22:03:31 黒川巧 @kurokawa_t 君が高校時代「ぜうす?何それ美味しいの?それより昨日のMステみた?」と鼻ほじってる間、僕は体中に油性ペンでラテン語の魔法陣を描き、古代ギリシャの賢人に憧れ授業中に息を止めて自害を図り、ゲロ吐いて保健室に運ばれていたのです。 そんな君と何故こうして同じ場所に流れ着いているのか… 2014-01-24 21:27:18
遊牧民@候選 @Historian_nomad 稲村哲也『遊牧・移牧・定牧』(副題略) 著者35年のフィールドワークの成果を平易な文章でまとめた著作。文化人類学的にも近現代生活様式変化史の報告としても比較文化学としても素晴らしいくせに3500円という価格。買え。 #もうすぐ黄金週間なのでお勧めの本の紹介がてら歴クラで繋がりたい 2014-04-26 20:55:36 遊牧民@候選 @Historian_nomad 生駒雅則『モンゴル民族の近現代史』 清末の動乱から辛亥革命の成立を受け、独立へと舵を切った北モンゴルの歴史を簡潔にまとめる。従来等閑視されがちだった西モンゴル(オイラト)集団の動向についても言及されている。 #もうすぐ黄金週間なのでお勧めの本の紹介がてら歴クラで繋がりたい 2014-04-26 20:58:59 遊牧民@候選 @Historian_nomad 森平雅彦『モンゴル帝
松平俊介(東龍) @matu2syun 最近の大河に出てくる戦国武将はなぜか「戦のない世を目指す」ことになってるけど、そんな戦国武将なんか、「元和偃武」を唱えた徳川家康以外にいないぞ。信長や秀吉なんか、日本統一したら外国へ打って出ようぜヒャッハーとかいう発想以外ないしね 2014-09-21 20:50:31 松平俊介(東龍) @matu2syun 黒田官兵衛や石田三成が平和を希求した話なんか、考えてみると史料に無いよな。官兵衛が民衆や士卒を憐れんで善政を敷くのはあくまでも「戦に勝ちたいから」だからね。「悪政を敷いて兵士も集まらなきゃあどうしようもない」ともいっているし(名将言行録など) 2014-09-21 21:04:38 松平俊介(東龍) @matu2syun 戦国武将が「戦のない世を目指す」とかいう話は近代の歴史小説になって出てくる話で、原史料にはなかったりするんだね。例えば黒田官
OGAWA Kandai @grossherzigkeit 夏本番となって、またメディアなどで「あの戦争を忘れるな」的な企画が組まれる季節になってきたなあ。ただ気付けば当方の親族間に、戦争の記憶を語れる人はめっきり減ってしまった。 OGAWA Kandai @grossherzigkeit 父方の祖父は旧制中学を出て製鉄所の技工をしていた、まあ当時ではインテリの部類に入れてもいい階層だったが、それが徴兵でニューギニアに放り込まれて地獄を見て、戦後は一貫して日本社会党支持だった。アカでも革命家でもなく、ひたすら忠実な「戦後民主主義」の信奉者として戦後を生きた人だった。 OGAWA Kandai @grossherzigkeit 母方の祖父は、そう裕福でもない農家に生まれた人で、そういう生活が嫌で陸軍の志願で入った人だった。戦争中はずっと満州にいて、ソ連侵攻直前に内地に呼び戻された幸運な人で、
shinshinohara @ShinShinohara 「農業の大規模化」がマスコミを騒がしている。しかし、大規模農業が行われては崩壊を繰り返す歴史が日本にあることを、多くの人が知らない。そのことを紹介してみたい。 2013-07-24 18:27:27 shinshinohara @ShinShinohara まず、奈良時代に「口分田」、いわゆる班田収授法ができて、農民は強制的に小規模農家となった(例外多し)。しかし怠けたり生活に困ったりして田畑を売ったり耕作放棄する例が絶えず、政府はやむなく墾田永年私財法を発布。「荘園」という大規模営農が全国に広がるようになった。 2013-07-24 18:32:23
後主伝注に見える蜀記に記載されている、蜀滅亡時の統計は、多くの三国志ファンに、蜀の疲弊を裏付けるものとして扱われてきた。 果たして本当にそうなのだろうか? そうしたことについて考えたツイートをまとめた
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