戦前日本は1931年の満州事変という大きな転機を経て、日中戦争、そして破滅的な太平洋戦争へと突き進むことになる。その過程で旧日本陸軍が大きな役割を果たしたのは間違いないが、ではその「軍の暴走」の下地はどのように整えられたのだろうか。旧日本陸軍の「変貌」をたどってみよう。 一貫した戦争目的を欠いたまま、場当たり的に日本は対中・対米戦争に突き進んでいく(写真は1938年の中国戦線の日本軍)(Pictures from History/Gettyimages) 1937年に始まった日中戦争は、当初は局地紛争に過ぎなかった。日本政府も陸軍もこの紛争を全面戦争に発展させる意思はなかった。まして米国との全面戦争につながることを期待した人間はいなかった。なぜ多くの政治家や軍人の意思とは裏腹に、極東の小紛争は対米全面戦争へと発展していくのだろうか。 後追いで設定された戦争目的 戦争が政治行動である以上、そ
戦前日本は1931年の満州事変という大きな転機を経て、日中戦争、そして破滅的な太平洋戦争へと突き進むことになる。その過程で旧日本陸軍が大きな役割を果たしたのは間違いないが、ではその「軍の暴走」の下地はどのように整えられたのだろうか。明治から満州事変まで、旧日本陸軍の「変貌」をたどってみよう。 明治維新以来、日本にとって最大の安全保障上の脅威はロシア帝国であった。日露戦争(1904~05年)はその宿敵を打ち破り、日本を一躍列強の一員に押し上げた転機となった。しかし、帝国陸海軍が安全保障に関して安息することはなかった。 日露戦争後、帝国陸軍は戦後の内外情勢に対応すべく新しい安全保障政策を模索することになる。陸軍が憂慮していたのはロシアとの再戦であった。特に陸軍長老の山県有朋はロシアの復仇戦を恐れていた。山県は日露戦争を参謀総長として指導した経験から、戦争末期、日本の戦力が限界に達していたのに対
今から100年前、中国共産党が結党された1年後の1922(大正11)年、1人の日本人が70日ほどを掛けて中国各地を歩いた。帰国後に上梓した『偶像破壊期の支那』(鉄道時報局、1922年)に、次のように綴っている。 すでに中国旅行を5回経験したが、「われ久しく、支那を知れりと思ひ誤りて支那を解せず」。だから「空しく往いて而して空しく帰るを慣はし」とするばかり。「未だ深く心を動かしたることなし」。 だが6回目に当たる今回の旅で「支那は日本に取りては『見知らぬ国』」である。「支那は日本にあらず。全く異なりたる環境と人生観をもつて成る国」であることを知るに及んで、改めて「世界を見るの眼をもつて支那を眺め」直したら、「驚心駭魄」することばかり。 「支那は日本に取りては『見知らぬ国』」「全く異なりたる環境と人生観をもつて成る国」であるからには「日本を見るの眼をもつて」ではなく、やはり「世界を見るの眼をも
第二次安倍晋三政権では日本のインテリジェンス分野での改革が大きく進んだ。 その原点は、2008年2月14日に内閣情報調査室が発表した報告書「官邸における情報機能の強化の方針」にある。これには日本のインテリジェンスについて改善すべき点が多々列挙されているが、その中で特に困難な課題が「対外人的情報収集機能強化」と「秘密保全に関する法制」であった。 12年12月に成立した第二次安倍政権はこの2つの課題に取り組むことになる。 鍵になった政官の トライアングル 安倍氏が首相に返り咲くと、町村信孝衆議院議員と北村滋内閣情報官(当時)という政官のトライアングルによって日本のインテリジェンス改革が進んだ。 このトライアングルで要となったのが、警察官僚で、民主党政権時代に内閣情報官に抜擢された北村氏である。公安警察のキャリアを持つ同氏は、11年から約8年にもわたり情報官を務めた。その間に内閣情報調査室(内調
返還(本土復帰)から半世紀が過ぎた沖縄を、日中関係史の中で素描してみようと思い立ったが、遙か昔の遣唐使・遣隋使の時代にまで遡る必要もないだろう。そこで差し当たって徳川幕藩体制の崩壊が目前に逼り、日本が国際社会に向かって飛び出そうとしていた幕末辺りまで立ち戻ってみることにした。 徳川幕府一行が上海で見聞きしたもの 1862(文久2)年5月、徳川幕府は英国から買い入れた船を千歳丸(せんざいまる)と命名し、上海に派遣した。アヘン戦争によって対外開港され、空前の賑わいを見せる上海での交易の可能性を探るためであった。琉球藩が創設される10年前のことである。 幕府勘定方の根立助七郎を筆頭に全員で五十数人の一行の中には、高杉晋作(長州藩)、五代友厚(薩摩藩)、中牟田倉之助(佐賀藩)、納富介次郎(同)、名倉予何人(浜松藩)ら各藩の俊英も加わっていた。 名倉は千歳丸の上海行きを「寛永以前の朱章船」の復活であ
本編は、この論考だけ読んでもわかるのであるが、2月21日に公表した「ロシア製ミサイル配備を決めたインドの深刻な事情」と併せて読んでいただけると、よりわかりやすい、増補アップデート版である。2月24日にロシアがウクライナ侵攻を開始したため、筆者はそれにまつわる、インドのロシアに対する姿勢を分析した。 インドのロシアに対する姿勢は、ロシアの侵攻に対する国連安全保障理事会(安保理)の場において明らかになった。国連安保理では、ロシアを批判し、ロシア軍の即時撤退を求める決議の採決を行った。15カ国中、11カ国が賛成し、反対したのはロシア1国であったから、ロシアが国際的に孤立したのは明らかであった。しかし、ロシアの侵略を批判する決議に対し、3カ国が棄権したのである。中国、アラブ首長国連邦(UAE)、そしてインドであった。 中国やUAEが棄権した理由は推測し易いことだ。中国はロシアを支援しつつ、一方で、
30年以上に及ぶ日本経済の低迷の真因は、日本の競争力が低下したことにある。衰退の兆候は1980年代に遡り、経営判断の遅さ、国際化の遅れ、コンピューターソフト技術の決定的な遅れ、リスク選好マネーの不足などはバブル崩壊前から起きていた。バブル崩壊はその結果であり、崩壊が衰退の起点ではない。 そう考えると、日本の産業構造改革は待ったなしである。だが、改革イコール何もかも欧米流でいいのかというと、そうではない。 理由は簡単だ。日本には人材以外に主な資源はない。その人材を生かした国造りをするには、日本という文明の特質を活用するしかない。準英語圏で教育水準が高い国ということでは、日本より労働力のコスパの高い国はいくらでもある。そうしたライバルに打ち勝ちながら、先進国型の高付加価値経済を実現するには、日本独自の文明の力を使っていくしかないからだ。 注目すべき日本文明も3つの特質 日本という文明はユニーク
2008年京都大学大学院理学研究科博士後期課程を単位取得退学。エネルギー・環境分野の調査研究を行うシンクタンク・テクノバに入社。15年よりフリーとなり、21年より現職。株式会社JDSCフェローなども務める。 英国のグラスゴーで行われた今年の第26回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)は、久しぶりに注目されたCOPとなった。過去最も注目されたCOPは、2009年にデンマークのコペンハーゲンで行われたCOP15である。このCOPは、「ポスト京都議定書」と言われた京都議定書後の枠組みを決める重要な回だったが、議論が紛糾して合意文書の「採択」ができず、最終的に「留意する(take note)」という苦肉の策で終わった。 このことは、COPの国際交渉の歴史における〝最大の失敗〟と言われている。その後、世間のCOP交渉に対する関心は次第に低くなっていった。15年のCOP21で、新しい枠組みとな
戦争の悲惨さを訴える漫画、という分野では『はだしのゲン』(中沢啓治、汐文社)が古典的名著だが、近年も『この世界の片隅に』(こうの史代、双葉社)などを筆頭に、定期的に良作が発行されている。 そんな中でこの『ペリリュー 楽園のゲルニカ』(武田一義、平塚柾緒〈太平洋戦争研究会〉、白泉社)が際立っているのは、可愛らしい三頭身のデフォルメ絵によって、戦争という過酷な内容を、徹底的にハードルを下げて読者に表現したところ、だ。これにより、普段はなかなかとっつきづらく、向き合うのが難しい日本の戦争の真実に、比較的容易に目を向けさせることが可能となっている。 ハッキリいって内容は相当に悲惨である。爆撃を逃れ、「助かって良かったね!」と主人公がいえば、隣にいたはずの友人は頭を打って死んでいる。防空壕にこもっていたら、外から火炎放射で焼き尽くされる。水を汲みにいっただけなのに、銃弾の雨が降り数十人が死ぬ。このよ
2021年8月27日に、バイデン政権が新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の発生起源に関する調査結果を公表した。5月に、バイデン大統領が情報機関に対して90日以内の報告書の提出を指示したことを受けたものである。 調査結果は、SARS-CoV-2が生物兵器として生成されたものではないとしたが、予想されていた通り、生物を介して自然にヒトに感染したのか、あるいは武漢ウイルス研究所から事故で流出したのかについては、結論を出すことはできなかった。 調査結果の要点は以下の3点である。 ① SARS-CoV-2の最初のヒトへの感染は遅くとも19年11月で、武漢で同年12月にクラスターが確認される前と考えられる。生物兵器ではないが、ワクチンや治療薬開発のため、武漢ウイルス研究所によってヒトに感染しやすいように遺伝子操作(機能獲得)された可能性については、ほとんどの情報機関が考えにくいとしたが、2つの
1940年の夏は、日本がドイツとイタリアとの三国軍事同盟の締結に踏み切り、イギリス・アメリカとの対立が決定的となった重大時期であったが、その当時、東京にある駐日イギリス大使館では、駐日大使ロバート・クレーギー(1883-1959)と、館員ジョージ・サンソム(1883-1965)との間で対日政策をめぐる根本的な意見の対立があった。 クレーギーは少年期を日本でしばしば過ごし、1920年代から30年代にかけて開催された数々の軍縮会議において日本側全権団と親しく交流した経験を持つ、いわゆる「知日派」外交官と目されていた。そして駐日大使として37年に着任して以降、英米との友好関係維持を望み国際協調的な対外路線を追求する、日本国内の「穏健派」に着目した。クレーギーは、彼ら「穏健派」を支援し、かつ、イギリスが日本に対してある程度譲歩することによる、日英間での和解の可能性が開かれることを期待した。 太平洋
4月26日に中国国防部が表明したところでは、訪越中の魏鳳和国防部長がべトナム共産党中央委員会のグエン・フー・チュン書記長、グエン・スアン・フック国家主席と会談した際、べトナム側は「他の国家に追随して中国に反対することは永遠にありえない」と伝えたとのことだ。 その際、グエン書記長は(1)べトナム革命、民族独立闘争、社会主義建設における中国からの一貫した貴重な支持を高く評価する。(2)双方は信義と尊重を基礎に、友好的な協議と妥当な処理を通じて南シナ海問題を処理し、この問題が両国関係の大局に影響を与えることを回避する――と付け加えている。 一連のべトナム側の発言を、現在の中越関係からどのように捉えたらいいのか。 中越両国が南シナ海の領有問題をめぐって激しく対立している現状から考えるなら、やはりグエン書記長の発言は理解に苦しむ。これが日本人の一般的反応だろう。だが両国関係の歴史に照らすなら、強ち荒
米国のブリンケン国務長官とオースティン国防長官が日本と韓国を訪問し、それぞれとの外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)に臨んだ。中国の人権問題や北朝鮮の核開発問題への対応で日韓の温度差が目立つ結果となったが、米国は一貫して日米韓連携の重要性を強調した。ブリンケン氏が韓国メディアとのインタビューで慰安婦問題について語った言葉からは、日韓対立の中で微妙なバランスを取ろうとする姿勢がうかがえた。 「甚だしい人権侵害」と断じつつ… ブリンケン氏は日韓でそれぞれテレビ局2社ずつのインタビューに応じた。日本はテレビ朝日と日本テレビ、韓国は公営放送KBSと民放SBSである。 韓国の2局は慰安婦問題に関する質問をぶつけた。ブリンケン氏は、日韓慰安婦合意のあった2015年にオバマ政権の国務副長官だった。日韓対立に業を煮やしたオバマ政権が合意を後押ししたのは周知の事実なので、現状をどう見ているか聞くのは自然なこ
国際問題にまで発展しそうな雲行きだ。東京五輪・パラリンピック大会組織委員会・森喜朗会長が3日に開かれた日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会っていうのは時間がかかります」などと口にし、女性蔑視の問題発言として国内外から批判の嵐にさらされている。 日本国内では国会でも取り上げられ、野党側から菅義偉首相に森会長への辞任を促すよう求める意見が出るなど波紋は広がっており、数日経ってもまったく沈静化する気配はない。欧米のメディアでも大々的に取り上げられ、米ニューヨーク・ポストや米ワシントンポストなどの世界的に影響力の強い主要な報道機関も「決して看過してはならない大きな問題」として批判的なトーンで報じている。 森会長は翌4日に会見を開いて自らの発言について謝罪した。しかしながら集まった報道陣に対して「辞任する考えはありません」と言い切り、その後も「一生懸命、献
新型コロナウィルスが拡大し始めたころ、「パンデミック」や「クラスター」など、かなりの危機感を含んだ言葉が一般化しました。「ロックダウン」もその一つです。 よく似た言葉に「ロックアウト」がありますが、これは労働争議で、会社側が労働者を締め出す戦術をいいます。ロックダウンの語源は、刑務所内で暴れた囚人を、独房に移すことです。 現代では、市民を危険から守るための「都市封鎖」と訳されます。市民が都市を離れることはもちろん、外部の人が都市に入ることも禁止します。さらに、都市内でも市民の活動は制限されます。ロックアウトにまで至らなくても、コロナ禍では「ソーシャル・ディスタンス」が市民に要請され、人と人との交流は極めて制限されているのが現状です。 このような政策は法的規制(罰則)を伴って行われるのが特徴です。その結果、日常生活に多くの不便が強いられるようになり、庶民レベルの経済活動も不自由なものになりま
日本最北端、北海道稚内の野寒布(ノシャップ)岬越しに国の安全を守るのが海上自衛隊稚内基地分遣隊だ。この周辺には、国による再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT)を追い風に数年前から風車が立ち並ぶようになった。その運営事業者の中には中国資本が見え隠れする。 「稚内は全国的にも風が強く、風力発電にはうってつけの場所だった」。東京都中央区に本社を置く再生可能エネルギー会社社長が語る。同社は稚内市内に事務所を構え、基地脇の同市富士見の土地数カ所を2017年から18年にかけて購入した。 同社は中国資本の風車メーカーと日本での総代理店、中国に本社がある設備会社とメンテナンス契約を結んでいた。稚内での説明会には、メーカーの中国人社長も参加している。 その後、FITの買い取り価格変更などによって同社は稚内での事業が経営難となり、この地域から撤退。土地や事業の一部は中国メーカーの商品を卸す契約をしてい
7月に閣議決定された「経済財政運営の基本方針(骨太の方針)」では、デジタル・ガバメントの構築を「一丁目一番地の最優先政策課題」と位置付け、行政の電子化を重点におくことを宣言した。しかし、政府のIT戦略で行政の電子化を重点に設定するのは、これがはじめてではない。 行政の電子化が進んでいないことによって、新型コロナウイルス対策の特別定額給付金を迅速に給付することすらできないことが浮き彫りとなった (JIJI) 例えば2000年、政府はe-Japan戦略を策定し、「申請手続きの電子化」を重点項目にしていた。06年に打ち出したIT新改革戦略では「世界一便利で効率的な電子行政」として、10年までに様々な行政手続きのワンストップ(一度の手続きで多様なサービスが受けられる環境)の実現が目標に掲げられた。 13年に閣議決定された世界最先端IT国家創造宣言ではまたしても公共サービスがワンストップで享受できる
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