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思想に関するrrmmjjffのブックマーク (34)

  • 森本誠一のウェブサイト

    ドメイン内で運用しているもの Mastodon →短文投稿やニュースについての論評などはこちら Blog →ある程度まとまった文章はたぶんここ MediaWiki →考えていることや知識の整理などはこちら Pukiwiki →てきとうなメモや思いつきはこちら(再構築中のため現在非公開) 外部サービス ブクログ →読んだや読みたいの記録 Filmarks →観た映画や観たい映画の記録 YouTubeのメインチャンネル →たまにしょうもない動画をアップロードしている。 note.com →あまり更新していないけど、たまに何か投稿することがある。 Facebook →ほとんど使っていない。面識がなくてメッセージもない方からの友だちリクエストは削除しています。 Threads →ほとんど使っていない Bluesky →ほとんど使っていない Substack →ほとんど使っていない 旧Twitt

  • 読書ノート 4 - IMAGON 3

    ■ 澤野雅樹 『ドゥルーズを活用する!』 かつて革新的だった何かがみるみるうちに、あるいはゆっくりと古びてゆく。それは毎年シーズン毎に変化を見せるファッション(モード)でもいいし、北島三郎の歌唱スタイルでもいいし、インベーダーゲームであってもいい。例えばシーズン毎にあらわれる<洋服の微妙きわまる差異>は女性たちを悩ますだろう。 「これはもう今年は着れないわ。」 「着れるんだけど着れないわ。」 「なぜってこれは去年のデザインだのも。恥ずかしいわ。」 一方クラシックと言われるカテゴリーはある種の「永遠」(つまり、新しくもなければ古くもない・・・・古典はあたかも「永遠」である<かのように>見える)を売りにしているが、それは資主義が「新しさ」を作る(あるいは捏造する)強迫観念的な運動装置である限りにおいてである。モデルニテ(現代性)の駆動なしにはクラシックはそれとして成立しないのだ。シーズン毎に

    読書ノート 4 - IMAGON 3
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/10/30
    これは和菓子のHPではないのでしょうかw
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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  • 研幾堂

    研幾堂は、現在および来るべき日々に 我々が哲学と共にあることを願い 哲学の知識を理解するために 基的で重要な事柄を解説し、論じます。 研幾堂主人 山下裕嗣 ○哲学古典読解、並びに各国語学の個人指導致します メールにてご連絡を! こちらをお読みになって、お問い合わせください。  海神通信・哲学、お教え致します研幾小録 ・ 海神通信 過去記事 ・ 研幾堂由来哲学文庫・古典テキストを収録しています哲学を読む・テキストの読解を試みています 改訂中研幾堂の日記 : 掲示板 : e-Mail to Kenkido

  • カントの「先験的弁証論」

    カントの「先験的弁証論」 ――先験的反省とIntelligenzたることの自覚―― 山博史 カントの「純粋理性批判」は、哲学的理性による理性の自己批判を叙述したものである。哲学的理性は先験的反省を通じて自己(人間理性)を批判する。小論の意図は、哲学的理性の先験的反省という観点から「先験的弁証論」を考察し、哲学的理性が無制約者に関する先験的反省を行なわざるを得ない根拠は、また哲学的理性が二律背反を解決し実践理性の領域へと移行せさるを得ない根拠は、そのIntelligenzたることの自覚に存するということを、明らかにする点にある。 一 先験的反省と根拠の問題の自覚 カントは、形式的「論理的能力」としての理性と実在的「先験的能力」としての理性とを包括する「より高次な概念」としての「理性一般」を、「原理の能力」(A299=B355f.)(1)と名付ける。理性一般は、多様な悟性認識を「推論の素材」

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    台北市立動物園と迪化街めぐり 子連れ台湾#5 年越し台湾旅行5日目、レジャーや友人との事を楽しむ日です。前日の様子はこちら www.oukakreuz.com 台北市立動物園へ パンダ館 パンダが見られるレストラン 迪化街へ 林茂森茶行でお茶を購入 小花園で刺繍グッズを購入 黒武士特色老火鍋で夕 台北市立動物園へ 松…

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  • パスカル『パンセ』 /トート号航海日誌(読書録)

    「人間は考える葦である」で有名なパスカルの『パンセ』。僕の好きな遠藤周作が「わたしの古典」(『春は馬車に乗って』文春文庫、68頁以下)として挙げているのを見て、読んでみました。ジッド『狭き門』(読書録427)でアリサが何度も『パンセ』を引用していたのも印象に残ってます。書は、前田陽一・由木康訳。 ・パスカル(Pascal, Blaise) 1623-62。フランスの数学者、物理学者、哲学者。幼少のころから数学に天分を発揮、16歳で『円錐曲線試論』を発表し世を驚嘆させる。「パスカルの原理」を発見するなど科学研究でも業績をあげる。後年は「プロヴァンシアル」の名で知られる書簡を通して、イエズス会の弛緩した道徳観を攻撃、一大センセーションをまきおこした。主力を注いだ著作『護教論』は完成を見ることなく、残されたその準備ノートが、死後『パンセ』として出版された。 ▼書の内容 未完成のキリス

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/10/09
    引用
  • 生権力論のための研究ノート - retrosectionblog

    生権力論のための研究ノート 問い1 生権力論とはそもそも何であると解するべきか。 答え 狭義の「生権力論」に関する最も簡潔な答え:「主権」概念を、動態的なもの、生成途上にあるものとして理解するための理論的枠組みの設定、および基礎概念の設立を目指す理論的・哲学的営み 広義の「生権力論」に関する最も簡潔な答え:狭義の「生権力論」と相関する実践的・フィールドワーク的・制度設計的・戦術作成的・行政的・実力行使的な営み したがって、「生権力論」の一つの捉え方は、「民主主義論」としてそれを見るという見方である。 問い2 『「主権」概念を、動態的なもの、生成途上にあるものとして理解する』とはいかなる事態を意味するのか。 答え まず、最も基的な出発点は、純粋に学問的・認識論的なものであると解されなければならず、イデオロジー的・現世政治的なものであってはならない。なぜなら、基的に「生

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/10/07
    ビオ
  • http://ningen.hus.osaka-u.ac.jp/kondou/cavaillesnopage.htm

  • ウラジミール・ジャンケレヴィッチ - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ウラジミール・ジャンケレヴィッチ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年5月) ウラジーミル・ジャンケレヴィッチ(Vladimir Jankélévitch フランス語: [ʒɑ̃kelevitʃ]、1903年8月31日 - 1985年6月6日[1])は、20世紀フランスの哲学者。 独特の思考を展開した、「分類できない哲学者」("Philosophe inclassable")。その思考の源泉は古代ギリシア(プラトン、アリストテレス、そして新プラトン主義のプロティノス)、教父哲学(アウグスティヌスほか)、モラリスト(グ

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/10/07
    このへんは日本語版のほうが瑣末であったりするかな
  • 必読新書!ルクール『科学哲学』文庫クセジュ | URGT-B(ウラゲツブログ)

    フランス現代思想に興味を持っている編集者や読者、また、大書店の哲学思想書の担当者にとって必読書となる新刊が文庫クセジュの一冊として刊行されました。文庫といってもクセジュの場合、新書ですけれども。 科学哲学 ドミニック・ルクール(1944-)著 沢崎壮宏(1971-)+竹中利彦(1971-)+三宅岳史(1972-)訳 文庫クセジュ(白水社) 2005年8月刊 体951円 新書判164+19頁 ISBN4-560-50891-7 ■カバーの紹介文より:ウィーン学団やバシュラールを経てクワインやハッキングへと至る科学哲学は、サイエンスの目的と方法をめぐる探求である。書は、学説史を詳しく解説しながら、ヨーロッパや英米の伝統が合流する将来を展望してゆく。フランス科学哲学界を代表するルクールによる、わかりやすい入門書。 ■原書:"La philosophie des sciences" par D

    必読新書!ルクール『科学哲学』文庫クセジュ | URGT-B(ウラゲツブログ)
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/10/07
    たとえばそこにはドゥルーズもデリダもいません。ルクールが科学哲学を語る際に、彼らは必要がなかったのです。
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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • 2節 意識の志向性

    さて、これからじっくりと意識について考えていこうとしているのですが、まず、その前にそもそも意識とは何かという点について明らかにしておく必要があるでしょう。 そもそも意識とは何であると定義すればいいのでしょうか。そして、意識はどこにあるのでしょうか。能の中にあるのでしょうか。胸の内にあるのでしょうか。体全体が意識だと考える方もいらっしゃるでしょう。 どちらにしろ、意識は体のどこかにあるということになります。では、体のどこかにあるということは、どのような事態なのでしょうか。少し考えてみましょう。 現象学の祖、フッサールは 「意識とはつねに何かについての意識」 なのだと考えました。私たちは肉体をもって、この世界にいる限り、意識があるのなら、かならず何かを意識しています。何物も意識していないのに、意識があるという言い方はできないでしょう。何かを意識していない限り、意識はないというべきなのです。 そ

  • 排外主義者、あるいは日曜サヨク - モジモジ君の日記。みたいな。

    今ここで手を組めば、この人を助けることができる。そのような決定的な場面においてであるならば、悪魔とだって手を組むかもしれない。ただし、ほとんどの瞬間は、そのようなマンガみたいな決定的瞬間の遥か手前にあって、そのような地味な場面で考えられるべきことは別にある。 倫理が力を持つのが、倫理を語る者が腕力を持っているからであるならば、倫理など不要であり、ただ腕力だけがあればいい。そうではなく、倫理が、倫理であるがゆえの力を持つとすれば、それは何に由来するのか。仮にそんな力があるとすれば、それはそこで語られる倫理の一貫性に由来するはずである。倫理が、その恥じ入らせる力によって力となるためには、一貫性がなければならない。一貫性を欠いた倫理は、既に倫理としての力を欠いており、ただの飾りである。その一貫性を欠いた倫理要求が仮に受け入れられることがあるとしても、それは倫理として受け入れられたのではなく、ただ

    排外主義者、あるいは日曜サヨク - モジモジ君の日記。みたいな。
  • 現代思想入門

  • 思想地図シンポジウムレポート - the deconstruKction of right

    当だったら昨日即アップする予定でしたが、筑波批評社のみなさんと合流し、ゼロアカ参加者と混ざって朝まで飲んでしまったので朝帰りだったのと、量が膨大なので、寝てしまいました。今もノートを見ていて呆然としています。どうせ思想地図の2号に載るからいーだろとかとも思うのですが、はてな民や東浩紀スレッド住人が喜ぶだろうということを考えると、こんな無駄な作業をしてしまいます。偉大なり、ブックマーク欲しさの欲望(笑)正直言って、むちゃくちゃ面白いシンポジウムでして、僕が行った中でひょっとすると一番面白かったかもしれない。ノート10枚分ぐらいあるメモをほぼそのまま書いてしまいます。実際の発言と違う場合もありますのでご注意ください。 思想地図シンポジウム「公共性とエリート主義」姜尚中、宮台真司、鈴木謙介、北田暁大、東浩紀 打ち合わせで超盛り上がってるらしい。 北田(敬称略。すいません)の基調報告 (最低限の

  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第3回(10/17) - メタサブカル病

    どうもこんにちは 今日もプリントがある 今コピーしてもらっている 授業がネットにアップされるという状況から逃れられると思ったんですが、 ICレコーダで録音していたらしく、 人がいなくてもアップされる ひどいもんだ 毎年同じことをやれと言われているからやる気がなくなるのだということが分かった この際あまり考えず毎年新しい講義をするのがいい 昨年まではポストモダンとは何かという話から、如何にも教科書的なことをやっていたが 今回は軽めでいく 『リアルのゆくえ』の話から入って、動物化と公共性の話 動物化 コジェーヴの仕事から引いている コジェーヴも味わい深いから読んでみよう、というのが前回まで - 『動物化するポストモダン』では大澤真幸さんの話と絡めて話をしているから 大澤さんの文章を読んでみたい プリントが来ないので、まず大雑把な話 ・日的スノビズム ・アメリカ的動物 2つのポスト歴史の可能

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第3回(10/17) - メタサブカル病
  • 批評の書き方 実践編 - hazumaのブログ

    とかいうタイトルの講義を朝日カルチャーセンターでやってきました。東浩紀がどういう風に批評を書いているのか、を、(1)批評全体の考え方、(2)批評を書き出すときの心構えそのほか、(3)具体的な文章の書き方、の3段階にわたって情報開示した感じの講義です。Google Docsでバージョンごとに分解して解説したりしました。ああいう内容というのは、まあ一種の自慰行為でもあって(クリエイターがトークショーで「おれはこういうふうに作品作ってるから」と言っているときの快感がはじめてわかりましたw)、とても公でにするようなものでもないと思いますけれど、いつか機会があったら自費出版ででも出版するかもしれません。 ところで、そこで言ったことですけど、ぼくは基的に、あるタイプの文芸評論はだれにでも簡単に書ける、と思っています。だからこそ、そんな講義も引き受けたわけです。 その理由は、柄谷行人以降に書かれてい

    批評の書き方 実践編 - hazumaのブログ
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/02/02
    「前期/後期モデル」−批評のフォーマット
  • 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師(旧題:ポスト・ヒューマンの無視界飛行)

    id:chnpkさんとのやり取りでニーチェ読解におけるパラドクスを構成させてしまいました。システム理論的に言えば、もともとこのパラドクスは私の盲点でした。つまり、観えないということが観えないということが観えていなかったのです。しかし、id:Midasさんのはてなブックマーク - 人工知能(笑)特異点(笑)エージェント(笑)マシンラーニング(笑) - 呉市振興委員会でのコメントを読んで、偶然にも視点が動いたので、パラドクスを発見するに至ったのです。 ニーチェを正確に理解しているならば、「おまえのニーチェの読解は間違っている」「俺はニーチェを正確に理解している」と主張することはあり得ません。しかし、あり得ないのですが、あり得ないと主張している私自身は「おまえのニーチェの読解は間違っている」「俺はニーチェを正確に理解している」と言ってしまっているので、ニーチェを正確に理解していないことになります

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/02/02
    「概念的な思考が苦手な連中は、いつも<現実>や<実践>などといった「概念」を選好している。「理論から実践へ」というキャッチコピーも、<実践の理論>を説いているに過ぎない。自称実践家たちは、脱理論化するための理論を理論化する自己欺瞞な理論家なのだ。真の実践家ならば、ただひたすら実践を遂行するだろう。「机上の空論」などといった概念で難癖を付け、実践化を理論化しようとはしない。」