タグ

PKに関するrrmmjjffのブックマーク (51)

  • 【海難記】 Wrecked on the Sea - 「市民」とは誰か?『思想としての〈共和国〉』を読む。

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

    【海難記】 Wrecked on the Sea - 「市民」とは誰か?『思想としての〈共和国〉』を読む。
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/19
  • なぜフランスはスカーフを禁止するのか: 極東ブログ

    昨年、フランスのライシテ(非宗教性)について書き忘れていた。フランスでは日同様信教は自由であるが、同時に憲法で「非宗教性」が明記されている。端的に言えば、フランス国家はまったく諸宗教から独立していなくてはならない、ということであり、そのことから公共病院や公教育において、宗教性が厳格に排除される。そこで、昨今の問題となっているのが、イスラム教徒の女子学生のヘッドスカーフだ。単純な話では、学校ではスカーフをしてはいけないということで、それに反対する生徒が退学処分にされたりした。この問題はイスラム教徒から猛反発を受け、社会問題になったのだが、年末シラク大統領は法制化を決断した。 ニュースは、仏国家功労章を受章した山口昌子を抱える産経のニュース「公立校のスカーフを禁止 宗教色排除で仏大統領」が、国家寄りではあるものの、適切だろう(参照)。 フランスのシラク大統領は17日、大統領府で国民向けに演説

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/19
    共和国原理についても
  • 特になんかのエントリを読んでとかではなく、ごくふと。 - finalventの日記

    人はだれも、自分を愛してくれる特定な存在があると信じたいと思っている。 そういう確信みたいのがないと、不完全に生まれた存在としてはつらい……というところに、しかたないけど、方法論的な間違いはある。 「人はだれも、自分を愛してくれる特定な存在があると信じたいと思っている」というのは(事実性は)、自我の関係にあるか、あるいはその生成中にある。関係的な事実性であって、それ自体の事実性ではない。 「そういう確信みたいのがないと、不完全に生まれた存在としてはしかたがない」というのは、それほど自我の問題ではない。自我以前の問題。 だから、自我というのが、自分を愛してくれる特定な存在があると信じたいと思っている、という矛盾した存在だということ。 これは多少なりとも物を考えることができる人間なら、そんな自我が思うような特別な存在はないと知っているし、およそ、自我とはそのような存在であることを前提としている

    特になんかのエントリを読んでとかではなく、ごくふと。 - finalventの日記
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/19
  • 蹂躙の中の自由 - 地を這う難破船

    はてなブックマーク - nanae_llのブックマーク / 2009年7月14日 nanae_ll 性  「合意がないからSM」…えーと、世の中には「SはサービスのS、Mは満足のM」という言葉もありまして(何)/まあ軽口はともかく、サディズムを「嗜虐趣味」、マゾヒズムを「被虐趣味」とするならば、(メタブへ続く) 2009/07/14 nanae_ll 性  (続き)両者の合意に基づくSMプレイはありうると思いますし、程度問題ですが一概に否定されるものでもないと思います/というか、DVの類とプレイを区別するために「合意」が必要だと思ってるんですが、私は。 2009/07/14 nanae_ll メタブ  NaokiTakahashi様 すみません、私は生身基準の話しか出来ないので;/ただ、「生身の問題」であれば、合意のないSMって単なる暴力ですよね?/y_arim様 自覚はあるので、表現論

    蹂躙の中の自由 - 地を這う難破船
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/18
  • 万人がノイジーであるということ - 地を這う難破船

    ⇒「表現の自由を脅すもの」書評 - 地下生活者の手遊び ⇒Non-Fiction(Remix Version) | ヘイトスピーチと言論の自由 tikani_nemuru_Mさんやうちゃさんに対する反論ということではなく、私なりの補足的な見解として。 ハーバーマスの公共圏論に対するテンプレートな批判として、言論強者の論理、というものがありました。ハーバーマスにおいて言論とは公共圏の問題だったから。言論が公共圏の問題なら、配慮とは、公共圏の言論に耐えない他者を想定することです。ジョナサン・ローチが批判したのは、そのことでした。今回問題視されたことに限らず、性犯罪被害者、被差別者の言動が「公共圏の言論に耐えない」として却下される光景を私は幾度も見てきました。 ヘイトスピーチにも言論の自由はあるか、という問いは微妙にトラップで、つまり欧米においてヘイトスピーチと定義されるそれは言論ではないので。

    万人がノイジーであるということ - 地を這う難破船
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/18
  • 自由の核心にあるもの - 地を這う難破船

    些か応答が遅れて申し訳ありません。更新の時間が取れませんでした。 ⇒ロクでもないけどこれしかない - 地下生活者の手遊び ■ まず第一に、国がマンガの美術館を作るということは何ら不自然ではない。すでにある国立の美術館に並んでいる芸術作品と同じくらいの気合で、我々はマンガを描いている。国立のマンガ美術館、やれるものならやってください、でも無理でしょう? というのが僕の考えだ。 アート全体にも言えることだが、マンガの中には政府や政治家にとって都合の悪いもの、眉をひそめるようなものがたくさんある。そういうものがほとんどだ、と言ってもいいくらいだ。国や政府が保護したり育成したりバックアップできる代物ではない。 例えば非常にエロチックなもの、あるいはくだらないもの、「くだらない」とくくられるもの、そんなマンガがすべて、国の建設した建物の、劣化を防ぐために空調が完備された部屋の棚にズラーッと並べられ

    自由の核心にあるもの - 地を這う難破船
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/18
  • クィア学会に行ってきました。 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    11月9日に開催されたクィア学会の分科会に行ってきた。*1クィア学会ということで、論題も多種多様。法や歴史、哲学的な考察もあれば、実証研究や運動論もあった。その中で、私が度肝を抜かれたのがローラン・エリック「日における性人類学のフィールドワークでの”性的参与” ―男性同性愛学的な研究の例」である。 エリックさんは、日の男性同性愛者を対象に、インタビュー調査を行っている。その際、インフォーマント(調査対象者)を、来は性的な相手を募集する場で探したという。エリックさんは、その行為を、場のルールを無視した、領域侵害だと考えている。その前提の下で、インフォーマントから、性的行為*2の誘いを受けたとき、調査者はどう対応すべきかについての方法論を考察している。また、フランスで同様の調査を行ったときには、インフォーマントから性的行為の誘いを受けることはほとんどなかったという。さらに、日で別の目的

    クィア学会に行ってきました。 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/18
  • ケリー・H・ロビンソン「ジェンダーをクィアする:初期の児童教育におけるヘテロノーマティヴィティ(異性愛規範性)」(2005) - に し へ ゆ く 〜Orientation to Occident

    以下は、 Kerry H. Robinson, “Queerying gender: Heteronormativity in early childhood education”, Australian Journal of Early Childhood, 30(2), (2005) のノート。 レインボープライド愛媛が呼びかけている、 愛媛県主催人権フェスティバル「ふれあいフェスティバル2008」(9月7日)への性的少数者のメッセージ(8月27日締切) に、僕も何か書いてみたいなと思考中。 自分のことというより、間接的にでも、小学生、中学生、高校生のゲイの暮らしやすさにつながるようなことを言いたいなと思う。 しかし、誰に対して、なにを、どう言えば、どんなふうに伝えることができるだろう、僕みたいに表現力の乏しい人間には、けっこう難しい。 そういえば先週末は、8月1日〜3日に開催された第

    ケリー・H・ロビンソン「ジェンダーをクィアする:初期の児童教育におけるヘテロノーマティヴィティ(異性愛規範性)」(2005) - に し へ ゆ く 〜Orientation to Occident
  • それでも性的マイノリティとして児童性愛者を見る必要はあると思う - 変身物語

    「小児性愛の何を問題にしたいのか」(モジモジ君の日記。みたいな。)id:demianさんの記事などをうけて、id:mojimojiさんはこの文章で小児性愛について書かれている。そのなかには様々な論点があり、個人的にはほかにも疑問を感じる点があるのだが、ここでは児童性愛者の性的マイノリティ性についてだけ絞って論じたい。さて、モジモジさんは、まず「成人対象の異性愛」という規範からの逸脱としては、同性愛など他の性的マイノリティと小児性愛は迫害の歴史をおなじくするという。しかし、その理由だけから、小児性愛を他の性的マイノリティと同様に扱うわけにはいかないという。その理由は、同性愛などは行為としてなんら問題になることはないのにたいし、小児性愛は児童が性的主体足りうるかという問題点がかかわるからなのだという。確かに、性的マイノリティの権利の問題というものが、性的マイノリティの当事者がその欲望にしたがっ

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/18
  • macska dot org » Blog Archive » 鈴木謙介氏論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」と「弱者男性」論への疑問 - コメント欄 -charlie のコメント 2006/07/20 - 06:54:59

    Filed under backlash, economics Posted on 2006/07/19 水曜日 - 08:35:14 by admin Responses are currently closed, but you can trackback from your own site. http://macska.org/article/147/trackback/ 56 Responses - “鈴木謙介氏論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」と「弱者男性」論への疑問” 斉藤 Says: 2006/07/19 - 18:25:53 - すばらしい力作(あ、いつもか・・)でした。これ、今年の日語圏フェミニスト論文大賞ものです! おっしゃるように、フェミニズムがバッシングの対象となるのは、ネオリベ社会になり、「誰が弱者であり、どの程度の手当てが必要とされるのか」

    macska dot org » Blog Archive » 鈴木謙介氏論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」と「弱者男性」論への疑問 - コメント欄 -charlie のコメント 2006/07/20 - 06:54:59
  • 児ポ法おぼえがき その2 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    マサキチトセさんからトラックバックをいただいた。 児童ポルノに関する Twitter アカウント『jidouporuno』の中の人の立場表明 http://d.hatena.ne.jp/cmasak/20090716/1247676403 ツイッターで児ポ法関連の情報発信を始めたそうです。 http://twitter.com/jidouporuno 私はツイッターはやらない*1ので、興味がある人はフォローするといいんじゃないでしょうか。 さて、マサキチトセさんの文章を読んだ上で、もう少し考えてみる。 アメリカでは1977年に「承諾年齢法」が設けられた。18歳未満の子どもとセックスすると、レイプだとみなされる法律である。その際に、検挙の標的になったのは同性愛者であった。これは、アニタ・ブライアンをはじめとする保守派が、子どもをセックスから隔離しようとして作られた制度であった。 一部の児ポ法

    児ポ法おぼえがき その2 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/17
  • 差別は正当かつ合理的である(追記アリ - 地下生活者の手遊び

    どうやら、回り道が近道っぽいので、腰を据えて回り道をすることにしますにゃ*1。 言論・表現への法規制に抗するために - 地下生活者の手遊びで例示した ♀が結婚するときに限り退職金を優遇する措置は労働基準法4条の性差別禁止にひっかかる。 この措置って、具体的な差別ではにゃーよな。 というところから差別問題を考えてみますにゃ。 これについてはコメント欄ですでに田中氏が指摘しているにゃ。 男性および結婚しない女性および既婚女性に対する差別、という立論でいいでしょう。 それはそうなんだろうけど、視点を法の枠外にもってくるとちょっと違ったことになるんだにゃ。 結婚らくらくおまかせパック 2009-05-25 まずこのエントリを読んでいただきたい。引用する。 ここでびっくりしたのが「この時期専務は大忙し…」というナレーションとともに始まった映像でして、その独立を目指す五人の写真と履歴書を見ながら、専務

    差別は正当かつ合理的である(追記アリ - 地下生活者の手遊び
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/17
  • Socius_社会学感覚20スティグマ論

    20 スティグマ論 20−1 社会的弱者を苦しめる社会心理現象 役割としての社会的弱者 この章では、権力作用の問題を〈医療と福祉の対象となる人びと〉を中心に考えてみよう。 このような人びとは、どのような役割を担っている人びとだろうか。たとえば、それは子ども・高齢者・病者・障害者・低所得者・失業者・公害被害者といった役割である。これらの役割におかれている人びとは一般に「社会的弱者」とよばれている。能力中心主義の近代産業社会にあって、社会的弱者はなんらかの不利益をこうむることが多かった。そこで現代社会では、さまざまな福祉サービスを保障することによって、実質的な平等への努力がなされつつある。 とはいうものの、社会的弱者は一般に暴力や犯罪の対象にされやすいし▼1、こと企業社会においては、あいも変わらず成年男子の健常者中心の組織文化が支配している▼2。 それでも、弱者への暴力や犯罪・酷使といった逆行

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/17
  • 差別する側としての公権力(追記アリ - 地下生活者の手遊び

    差別は人権侵害の「事実」か? 差別は、人権侵害の「事実」であって、「意識」や「心理」を差別と決め付けることは大きな間違い。 市民を差別者扱いし、差別意識や心理的差別を問題にする人権教育・啓発はやめること。 http://tonaki.blog.shinobi.jp/Entry/272/ 引用したのは共産党市議のブログですにゃ。神戸において市内の学校に被差別部落民差別と思われる差別落書きがあったことへの対応についての記事。日共産党と部落解放同盟がながらくケンカをしてきたことは知っていますにゃ。また、唯物史観の共産党としては、意識や心理の問題を重視する立場はとりにくいというのもわからなくはにゃー。 とはいえ、これはヒデエ。 「差別は、人権侵害の「事実」であって、「意識」や「心理」を差別と決め付けることは大きな間違い。」って、何だこれ? 前回エントリの結論部において、差別とは権力作用によるもの

    差別する側としての公権力(追記アリ - 地下生活者の手遊び
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/17
  • はてな

    自動的に移動しない場合はをクリックしてください。

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/17
  • 革命的非モテ同盟跡地

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/17
  • 長いのでこちらにしました。 - nppaemonの日記 いいから早く木を数える仕事に戻るんだ

    http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090702/1246468957 私からすれば、id:tikani_nemuru_Mさんは法規制による排除を「言っていないだけ」です。 「エロゲーは他者危害である」と言い、「存在そのものが被害者に深刻な被害をもたらす」と言い、「女性の構造的差別を助長するのだ」と言って来ました。 正直、女性とも接点の無い生活をし、誰にも迷惑を掛けているつもりも無かった、性犯罪被害者女性に心ない罵倒を投げかけた事等勿論無い私からすればいきなり「お前は何もしていなくてもお前の存在その物が女性にとって害悪」「法規制「は」しないが被害に対し責任を取れ」と言われた事になります。 しかも、権力によって自分達「ある種のエロゲーユーザー/製作者」が粛正されかかっている最中に。 最初の印象は「最悪」の一言に尽きました。 あたなが規制を主張してい

    長いのでこちらにしました。 - nppaemonの日記 いいから早く木を数える仕事に戻るんだ
  • 「表現の自由を脅すもの」書評 - 地下生活者の手遊び

    表現の自由を脅すもの (角川選書) 作者: ジョナサンローチ,Jonathan Rauch,飯坂良明出版社/メーカー: 角川書店発売日: 1996/09メディア: 単行 クリック: 59回この商品を含むブログ (22件) を見る 公共的批判の原理 id:takanorikidoから読むようにすすめられた。現在は絶版のようだけど、図書館で借りましたにゃ。いろいろと興味深かったし、あとあと絡んでくる論点も多そうなので、先に紹介しておきますにゃ。 まず、この書籍で目指されている方向性は、科学における学問共同体をモデルにした公共圏構築なのだと考えられますにゃ。ローチ(筆者)のいう「自由科学の社会、批判的社会」とは「お互いの誤りを探す人々の共同体(P105)」なのですにゃ。 「こうした懐疑論的倫理の台頭とその最後的勝利ということは、一体何がそんなに重要なのであろうか。その答えはこうである。懐疑哲

    「表現の自由を脅すもの」書評 - 地下生活者の手遊び
  • ポルノとポルノならざるもの - 地下生活者の手遊び

    さきに、コメント欄にお応えすることにします。なお、エントリでは文体を変えます。 1 tukaimaさん コメント欄にようこそ。いくつかの重要な問題を含むレスになりそうなので、エントリとしてあげさせていただきます。 まず、6/29のエントリでは、性犯罪の被害者に責任を押しつけるのがこの社会の現実であるならば、性暴力を娯楽的に消費する「ある種のポルノ」は性犯罪の被害者と潜在的被害者(=圧倒的多数の♀)にとってどのような表象たりえるか、を問題にしました。 それは、ヘイトスピーチを表象となりうるだろう。つまり、脅迫や嫌がらせとして機能しうると考えます。 これは、現状認識です。 一方、 表象は公共圏において個別に読み解かれるのが望ましいということは、sk-44氏と合意できた点であろうと考えます。ここでの公共圏は、「理想的対話状況」程度に考えてください。 もちろんこれは、そうなったらいいな、という話

    ポルノとポルノならざるもの - 地下生活者の手遊び
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/17
  • 批判の自由を認めないで、表現の自由を主張するfurukatsu(訂正追記アリ - 地下生活者の手遊び

    私、ハーバーマスとかあまり好きくないのですが、ぶっちゃけ公共圏って村八分リンチ上等という結果しか見えない。 ぶっちゃけ、村で多数派工作かけて気に入らないやつ潰していくという方針を取らなきゃならなくなる*1。 だからid:tikani_nemuru_Mの議論とか、公共圏の名の下に凌辱ゲームやプレイヤーをはじめ気にわないやつをフクロ&村八分にしてやろうという魂胆しか見えない。 http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20090701/1246470760 furukatsuは、表現の自由を金科玉条として、ヘイトスピーチの自由まで認めていたと理解していますにゃ。それはそれで、一貫しているとは思っていたのですけれどにゃー。 彼は、ヘイトスピーチする自由は認めても、議論でフルボッコにする自由を認めていにゃーらしい。ヘイトスピーチの自由すら認めるのであれば、それへのカウンター

    批判の自由を認めないで、表現の自由を主張するfurukatsu(訂正追記アリ - 地下生活者の手遊び
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/17