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ブックマーク / hokusyu.hatenablog.com (17)

  • オープンレターについて - 過ぎ去ろうとしない過去

    前回記事で言いたいことはほとんど述べてしまったのだが、補足として、オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」に対する誹謗中傷に関しての意見を述べておく。念のため言っておくが、これはあくまで一署名者としての考えである。 オープンレターに対しては様々な攻撃があるが、ここで言及しておくべきだと思っているのは、(1)オープンレターが呉座氏の失職を狙ったものである、というデマについてと、(2)オープンレターのイタズラ署名問題についてである。しかし(2)については(1)を前提に問題視されている部分もあるので、先に(2)から答えておく。 まずネット署名には、こうした悪意あるイタズラに対する脆弱性が構造的に存在する。とはいえ、隠岐さや香氏述べているように、その脆弱性についてはこれまではほとんど問題にならなかった。 お気持ちはある程度わかっているつもりです。ただ、ですね。私はこの20年で各種の署名活動

    オープンレターについて - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2022/01/26
    なんていうか、シンドいですよね。ハラスメント被害者には完璧が求められ、少しでも揚げ足取りのチャンスがあると見れば、「告発された加害者こそ真の被害者だ!」と告発を無効化する激しい二次加害の嵐…
  • いわゆる「ボーイズクラブ」問題に寄せて - 過ぎ去ろうとしない過去

    昨年三月頃に明らかとなった呉座勇一氏による誹謗中傷事件の被害者に対して、これまで見るに堪えない激しい二次加害が行われている。その件に関して、考えていることをここでいくつかコメントしておくとともに、ジェンダーや他の差別問題に対してバックラッシュを行い、学問研究の風通しを悪くさせている醜いボーイズクラブ文化が一刻も早く消滅することを願っている。 被害者に対する二次加害は問題が発覚したときから続いていたが、それがより激しくなったのは、呉座氏の処分が明らかとなり、それが訴訟問題へと発展したときからだ。 呉座勇一氏によれば、彼は昨年一月に常勤職への昇格の内定を日文研から受け取っていたが、三月の誹謗中傷事件ののち再審査が行われ、内定が取り消しになったという。また呉座氏はかかる事件について一ヶ月の停職処分も受けている。呉座氏は自身の行いや考え方が誤りであったことは認めつつ、この「処分」は不当に重く、また

    いわゆる「ボーイズクラブ」問題に寄せて - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2022/01/21
    平気で二次加害を行っている人と、「祭りだ〜!面白い!」とはしゃいでいる人たちがたくさんいるのを見れば、イジメを娯楽として消費するボーイズクラブ問題の根深さに戦慄する。
  • リフレ派とナショナリズム - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■「人災」事件追記 http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100821.html この記事に限らず、 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100816/p1 のコメント欄でしたぼくの「ナショナリズム」発言が問題になっているようなので、とりあえず自己フォローをしておきます。 まずぼくは、リフレ論がその内的論理の結果ナショナリズムに結びつくという議論をしているわけではありません。ナショナリズムは、その議論の内的論理だけでなく外形や議論のされ方によっても喚起されます。リフレ論に関して言えば、よく知りませんがマクロ経済っていうのの重要な指標のひとつにGDPってのがあって、それは普通国家単位で算出されるんですよね?さらに、日で行われてるリフレ(金融)政策論の中心は円という日国の通貨をどうするかという話であって、だから日銀どうする問題とかが

    リフレ派とナショナリズム - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2010/08/23
    国家という主語・述語を使うなという話ではなく、ナショナリスティックな欲望を喚起する語法に注意せよという話でしょ。当然あり得る話だと思うんだけどなぁ…
  • 個人と民族主義 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■民族主義の問題 http://www.mojimoji.org/blog/nationalism ■民族主義とは別の道 http://www.mojimoji.org/blog/0179 ■民族主義の問題、その2 http://www.mojimoji.org/blog/nationalism2 mojimojiさんの議論は、次のような図式を前提にしている気がします。 そもそも、在日コリアンとか、沖縄人といったカテゴリは、たとえば在日コリアンの家族あるいは沖縄で生まれた者にたいして、アプリオリにはその質を規定しない。したがって、「あるべき」在日コリアンや沖縄人は存在しない。在日コリアンであるとか沖縄人であるとかいったものは、男や女あるいはセクマイなどと同様に、「わたし」を構成する要素のひとつとして存在する。その要素にたいしてアイデンティティを持ち、その要素を尊重して生きることは否定され

    個人と民族主義 - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2009/04/03
    個人というものがまずあるのではなく、さまざまな社会的文脈の中にあって、同時にその文脈を外に開いていく力動性の中に、初めて個人が個人として生きられるのだと思います。
  • 「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去

    「ホロコースト」と無冠詞でいえばふつうナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺のことを指し、シンティ・ロマの人々や障害者の虐殺については一般的にはこれを含めない*1。「ホロコースト/Holocaust」という言葉はそもそも、「完全に焼く」という意味のギリシア語「holokaustos」から来ており、旧約聖書に出てくる5つの犠牲の内のひとつ、つまり獣を丸焼きにして神に捧げるという宗教的な意味を持っている言葉である。ナチスのジェノサイドによって犠牲になったユダヤ人たちは収容所の焼却炉で最終的に焼かれたことから連想された言葉だが、それが一気に広まったのは1978年に放映されたアメリカのドラマ「ホロコースト」である。 このドラマは、多くの実証的な研究を下敷きにしつつも、あるドイツ人とユダヤ人二つの家族がナチズムの時代にどのような運命をたどったかという、より物語性を重視したフィクションである。とはいえ

    「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2009/03/24
    ホロコーストはユダヤ人虐殺だけを指す言葉になるのでロマや同性愛者や障害者を含めるために使用してはならないという語りは、虐殺された者の主体を奪い自らの倫理的負担を軽減すること。
  • 「ホロコースト」宣伝はイスラエルのプロパガンダであるという妄想にたいする認識 - hokusyu’s blog

    http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090318/p1#c コメント欄で良いこと書いた気がするので転載。 hokusyu 2009/03/21 07:26 >zames_makiさん あまりに酷い陰謀論なのでちゃんと答えておきますが、ドラマ「ホロコースト」の放映がホロコースト認知に大きな影響を果たしたのはそのとおりですが、それはきっかけにすぎず、より重要なのはドイツの「過去の克服」の進展です。 「ホロコースト」放映は1978年ですが、それ以前の、1950年代〜60年代のドイツにおいては、「ホロコースト」は忘れたい過去として、あまり触れてほしくないものでした。しかし、ブラント政権の成立、あるいは戦後世代(68世代)の成長などにより、政治的にも、「過去の克服」が一気に加速しました。 1978年、アメリカで「ホロコースト」が放映されたとき、ドイツでもそれを受け入れる用

    「ホロコースト」宣伝はイスラエルのプロパガンダであるという妄想にたいする認識 - hokusyu’s blog
    sadamasato
    sadamasato 2009/03/23
    ある問題を深く研究することを通して、暴力や抑圧に対する普遍的な視座を獲得していくということが大事。「戦争はいつもこんなもの」とか、「戦争にはプロパガンダがつきもの」みたいな平板化を避けるためにも。
  • パレスチナ解放とホロコースト否認の結びつきについて - 過ぎ去ろうとしない過去

    先日、とある人とパレスチナ問題について話していて、その人は日における反イスラエルの言説が反ユダヤ主義に結びつくことを危惧していたのですが、ぼくはさすがにそんなバカな話はないだろうと、たかをくくっておりました。 でも、あるんですねこういうのって。 ■歴史問題と政治問題の憂な関係、あるいは、歴史的修正主義について http://d.hatena.ne.jp/negative_dialektik/20090317/1237279039 確かにドイツでは1970年代後半のレバノン侵攻以降高まったイスラエルへの批判の一部が、ホロコースト否認論と結びついて問題になったことがあります。日でも、チベット解放と南京大虐殺否定論が反中という点において結びついているネットウヨクがいるように、それ自体正当なものである批判的言説が歴史修正主義の侵入を許してしまうのは、ありえないことではなかったのでした。 歴史

    パレスチナ解放とホロコースト否認の結びつきについて - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2009/03/19
    本当に、「ホロコースト否認とそれを許さない立場のどちらも政治的」とか、「通説を修正することも歴史修正主義と非難するのか」というテンプレ的な言説が周期的に現れるなぁ……
  • ルールと共生 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■中3女子「卒業式出たい」 茶髪注意され、教諭にはさみ押し当てる http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/saitama/090314/stm0903141620005-n1.htm 越谷署の調べでは、事件当日、同校は卒業式。午前9時45分ごろ、女子生徒が遅刻して体育館に現れたところ、男性教諭に「スカートの丈が短い。髪の毛が茶髪だ」と指摘され、保健室で注意を受けていた。越谷署の調べに対し、女子生徒は「卒業式に出席させてほしかった」と供述しているという。 学校における髪型規制だの服装規制だのといったものは、それ自体に何か意味があるわけではなく、たんに大人が子どもを服従させたいということ、あるいは権威にたいする服従精神を子どものうちから「調教」しておきたいということでしかない、という点については、今は2009年ですから最早常識といってよいでしょう。ヒトラーは

    ルールと共生 - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2009/03/16
    共生という言葉自体が、どこか現実にある差別や抑圧を温存してしまう響きのある言葉ですよね。
  • 「永遠の嘘」を構成する者 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■「村上春樹」を巡る政治 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090217/p1 村上春樹を批判する気はありません。彼は、できる限り倫理的にふるまおうとしたと思います。「リスク」についていえば、さらに踏み込んだ発言・行動を取ったとしても、結局は高い「リスク」を取らない発言・行動は「永遠の嘘」を破壊できないし、「永遠の嘘」を破壊するほどの「リスク」を人が取らなかったとしても、それはけして批判できないでしょう。 問題は、「永遠の嘘」は、騙す者と騙される者・騙されたがる者だけで構成されているわけではないということです。村上春樹は、受賞を拒否してさえも、イスラエルの「寛容さ」によって暖かく迎えられる可能性はありました。その意味において、彼がイスラエルで公然とイスラエルに批判的な講演を行ったことは倫理的でありました。 ところが、嘘を嘘だと言い、自分にできるできる限りの誠

    「永遠の嘘」を構成する者 - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2009/02/18
    ゆるい連帯は、しかし自己の中にある「永遠の嘘」との馴れ合いを見出すことを通してのみ貫徹されるだろう。それは多分、自己否定=相互否定という非常に厳しい道を通った連帯とも言えるかもしれない。
  • 「制度」の中の倫理 - 過ぎ去ろうとしない過去

    村上春樹がエルサレム賞受賞記念のスピーチで、ガザ攻撃について言及したそうです。 ■村上氏、イスラエル授賞式で講演 「制度が組織的に人を殺す」 http://www.47news.jp/CN/200902/CN2009021601000122.html 【エルサレム16日共同=長谷川健司】作家の村上春樹さん(60)が15日夜、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」の授賞式で記念講演し、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ攻撃に言及した上で「わたしたちを守るはずの制度が組織的に人を殺すことがある」と述べ、一人一人の力で国家や組織の暴走を防ぐよう訴えた。 (・・・) 講演は英語で約15分間行われ、約700人の聴衆が大きな拍手を送った。一方で「政治的な内容で不愉快。イスラエルに賞をもらいに来て批判するのはおかしい」(中年男性)という声も聞かれた。 ■村上春樹さんの講演要旨 http://www.chugo

    「制度」の中の倫理 - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2009/02/17
    三つの問いを考えねば。個人の生がもちうる意味があるのか?個人の行動の結果として世界の状況が変わる可能性があるのか?個人が違いを産みうるという可能性があるのか?
  • 壁 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■「ニートのあした」宣言 http://d.hatena.ne.jp/asita211/20090212/1234430203 働いても「ニート」。 肉をべても「ベジタリアン」。 スタバに行っても「ボイコット」。 不真面目? いやいや、そんなことはない。 たぶん肉をべる「ベジタリアン」は、肉をべない「ベジタリアン」よりも、もっと肉を断念する難しさをしっているし、イスラエル支援企業はボイコット!と言いながらスタバに行ってしまう「ボイコット」主義者は、いかにぼくたちが資主義というシステムにがんじがらめになっているか考える機会を多くもてる。 ■「壁の時代」の後で/中で http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20090120/1232462385 ぼくたちは「壁」の時代に生きている。 だけど、"「壁」の時代"はぼくたちが「壁」を問題にするということでもある。 たと

    壁 - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2009/02/16
    越えられないからこそ"壁"。壁に向き合い問題化すること。
  • ブックマーク表示が復活しました - hokusyu’s blog

    削除依頼を受けたブクマの一部を改定することで、ブックマーク表示が無事復活となりました。 誤解の無いように言っておくと、今回はてな様には出来る限りのリベラルな対応を取っていただいたと思いました。この件について、はてな様への悪感情はまったく持っておりません。 ブコメやスターを見るに、今回の件でid:fuku33さんこと三宅秀道先生のさもしさがより認知されたようであるので、先日書いたように私としては満足して修正に応じたわけであります。 さて、これを受けてインフルエンザが完治した三宅秀道先生が、「クールダウン」されて自分に向けられた批判にたいしてきちんと対応されるのか、それともさらに「ヒートアップ」して削除依頼を乱発されるのか、気になるところであります。

    ブックマーク表示が復活しました - hokusyu’s blog
    sadamasato
    sadamasato 2009/02/11
    全く関係ないのだけれども、この件でid:ruletheworldの"今日も平和なはてな村"のタグがないと思ったら、彼は1月18日からブックマークをしてない模様。
  • はてなから削除依頼がありました - 過ぎ去ろうとしない過去

    はてなからメールが届きました http://d.hatena.ne.jp/Romance/20090207#p1 ロマンスさんも書かれていますが、ほぼ同時期に、おそらく同一人物によって申し立てがあったようです。 わたくしの場合、メール配信のトラブルもあり(今は解決しています)対応が遅れたのですが、たとえばの話ですが、わたくしのブクマコメントによって誰かの睡眠時間の減少を招くようなことがあったとしたならば、もちろんそれはわたくしの意ではございません。このケースに関しても、なるべく穏当な表現に変更するという点に関しては前向きな気持ちでいます。ただ、削除する気は毛頭ありませんし、これで味をしめて依頼を連発されるようなことがあれば、また対応を考えると思います。 当該のコメントを引用するわけにもいかないので控えますが、「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」というエントリへの批判的な発言を、「

    はてなから削除依頼がありました - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2009/02/07
    自分の諸々の所業をあげられる、広くて大きな棚を持った人だなぁ。
  • 「政治」を「する」ことと「政治」で「ある」こと - 過ぎ去ろうとしない過去

    東浩紀のカール・シュミット読解は誤読が多いとずっと思っていた。 例によって速記者が正しければだが、 http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081205/p1 カール・シュミット『政治的なものの概念』を何回か取り上げた 何を言っているか 政治は友と敵を分けることだ 友と敵を分けることが政治 誰かが自分の存在を抹殺するかもしれないから相手を抹殺 精神的な意味でも隠喩でもない 「政治は友と敵を分けることだ」とはシュミットは言っていない。 政治的なものは、特有の意味で、政治的な行動がすべてそこに帰着しうるような、それに固有の究極的な区別のなかに求められなければいけない。 (『政治的なものの概念』p14) カール・シュミットにとって「政治」とは、「道徳」や「経済」とははっきりと分けられなければいけない、「友」と「敵」の区別において見出されるものなのである。それは具体的・存在論的

    「政治」を「する」ことと「政治」で「ある」こと - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2009/02/04
    「人間は政治的動物である」というアリストテレスの定義があるが、東さんは動物化すれば人間でなくなって、「政治的」がなくなりうると考えているのかなぁ?そんなわけないのに……
  • お答えします - hokusyu’s blog

    http://anond.hatelabo.jp/20090107103438 http://d.hatena.ne.jp/toled/20090110/p1 ↑もう結論でてるね。 でも一応答えます。 いくつか理由が考えられると思います。 自分も「弱者」になるかもしれない。情けは人のためならず→プラグマティズム 「弱者」をほっとくと治安が悪くなる→ネオリベ 「弱者」救済は魂に良い→救貧法 サヨクはどれも違います。サヨクは「強者」だとか「弱者」だとか、努力してるとかしてないとか、そういうことに関心はありません。 共産主義の有名なスローガンは、「能力に応じて働き、必要に応じて得る」です。 己のメシの量がその人の能力で決まるのは理不尽です。だって、ある人が別の人の100倍生産性があったとしても、胃袋の大きさは、人間だもの、それほどはかわりません。人間にはメシが必要なのに、満たされてない人がいる。

    お答えします - hokusyu’s blog
    sadamasato
    sadamasato 2009/01/09
    何で派遣村を叩く人がいるのかようやく理解した。再分配の要求を弱者救済という枠組みで捉えるから、施しを受ける弱者が煙草を吸ったり、レクリエーションしたり、政治運動したりするのが気に入らないのか。
  • 「歴史=物語」の倫理学―《痕跡》と《出来事=他者》のあいだにある「主体」について― - 過ぎ去ろうとしない過去

    歴史」をとりあえず「記述された歴史」という狭義の意味で定義してみよう。次に、この「記述された歴史」が、実際に起きた出来事としての歴史と等しいものかどうか検討してみよう。たとえば史料において、われわれは戦国時代の日には織田信長という人がいたことを知る。しかし、もちろん同時代には彼以外にも何千万ものの無名の人々がいたのであって、しかし彼らについては、われわれはおそらく永遠に知ることができない。また、「言語論的転回」*1を経た今日では実際に起きた桶狭間の合戦と史料に記述された桶狭間の合戦の間には、どんなに信頼できる史料だろうとなお、埋めることのできない差異があることは常識である。 以上のことから、「歴史」は「物語」*2であるという言説が産まれる。それはある種の人々、たとえば「新しい教科書をつくる会」のような人々にとっては都合の良いナショナル・ヒストリーを構成するための言い訳であり、このような

    「歴史=物語」の倫理学―《痕跡》と《出来事=他者》のあいだにある「主体」について― - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2008/12/20
    語りえないものと語りえるものを分断すれば、何ものかを語りえないものへと抹消した暴力に加担する結果に。語りえないものによって穿たれた亀裂に目を凝らし、語りえるものと語りえないものを架橋する倫理的態度が…
  • 東擁護者が覚えておかなければいけないたった一つのこと - 過ぎ去ろうとしない過去

    東理論は思ってるほどみんな前提にしていないからそこに対しては謙虚であれ 常識的に言って「大きな物語の終焉」というポストモダンの前提すらこの社会においては共有されていないんだから、まして「島宇宙化」*1みたいなそれこそ「島宇宙」でしか通用しない社会理論を持ち出して、自分の知らない分野のさまざまな問題を無神経に踏み荒らすのはやめましょう。 確かに「島宇宙化」って言えばそれこそマルクス主義のようになんか社会のいろいろなことが説明できた気になるから濫用したくなる気持ちは分かるし別にそれがダメとは言わないけれど*2、でもその理論は少なくとも日の一批評家と彼の信者、その周辺の人々しか前提にしていないのだ、ということを踏まえて、「誠意をもって」他の分野の事象に対しては発言しましょう*3。 *1:宮台のタームらしいんですが、http://blog.sakichan.org/ja/2008/12/15/n

    東擁護者が覚えておかなければいけないたった一つのこと - 過ぎ去ろうとしない過去
    sadamasato
    sadamasato 2008/12/16
    ↓そもそも物語の「モノ」とは、些細な、という意味なので、大きな物語という語は語義矛盾だと藤井貞和が言っていた。
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