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津波に関するsakuragaokaのブックマーク (3)

  • WebsiteMAP βVersion > 「東日本大震災発生に伴うインターネットの対応と話題」日表

    ◆「東日大震災発生に伴うインターネットの対応と話題」日表(2011.04.10) 未曾有の被害となった「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」。 当該地震とそれによる津波は震源に近い東北地方に甚大な被害を与え、さらには距離が離れた首都圏にさえ原発問題や計画停電により、大きな混乱を招いています。このページは、「震災の被害からの復旧にインターネットが役にたったのはどの部分だったのか、役にたたなかったのはどの部分だったのか」を考えるための補助資料として、あるいは当時の事を振り返るときのため、ウェブ上で起きた出来事を表でまとめたものです。 95年1月17日に発生した「兵庫県南部地震」。その後、WIDEプロジェクトは、復旧に関するインターネットの貢献について、こう評しました。 『阪神・淡路大震災の後に行なわれた(インターネットの)利用は、単に他のメディアによる情報をインターネットでも流

    sakuragaoka
    sakuragaoka 2012/09/24
    これはよいまとめ
  • 東日本大震災:千葉で被災の一家 広島で新生活踏み出す - 毎日jp(毎日新聞)

    救援物資の色鉛筆で「ありがとう 三原市のみなさん」とイラストを描いた長女理乃さん(右)と長男啓刀君(右から2人目)を見守る安藤さん夫=広島県三原市久井町の市営住宅で、中尾卓英撮影 津波で家を失い、家族4人軽自動車で一路西へ--。東日大震災で被災した千葉県旭市駒込の大工、安藤年男さん(51)の一家4人が、広島県三原市久井町の市営住宅に入居した。自宅は津波に流され、その後も続く停電や原発事故による混乱から、首都圏を離れることを決意した。古里の暮らしを奪われた悲しみは癒えないが、約750キロ離れた地で出会った人々の温かさに包まれ、新生活の一歩を踏み出した。【中尾卓英】 安藤さんの自宅は3年前に新築。九十九里浜の海まで15メートルの木造平屋建てのマイホームだった。震災の日、休みで家にいた安藤さんは、揺れがおさまると長男啓刀(けいと)君(6)を抱えて車で避難。成田国際空港近くの貿易会社に勤務する

    sakuragaoka
    sakuragaoka 2011/03/31
    ちょっと泣けた
  • asahi.com(朝日新聞社):市議の「遺言」、非常通路が児童救う 津波被害の小学校 - 社会

    児童らが避難した後、津波で押し寄せたがれきに覆われた越喜来(おきらい)小学校の非常通路(中央)。右の児童たちも、この通路から高台に逃れて助かった=28日、岩手県大船渡市三陸町越喜来、仙波理撮影平田武さん=親族提供津波避難用の非常通路が取り付けられていた場所(写真中央)には、流されたがれきが山積みになっていた=岩手県大船渡市三陸町越喜来、其山写す越喜来小学校の非常通路  岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。  海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、

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