2012年03月17日23:55 ゆとり世代が知らないであろう昭和の何気ない出来ごと Tweet 1:名無し募集中。。。:2012/03/13(火) 21:47:10.82 ID:0 コーラの瓶を酒屋に持って行くと30円貰えた 2: 名無し募集中。。。:2012/03/13(火) 21:47:25.07 ID:0 シャーペン持ってくと教師にぶん殴られた 18: 名無し募集中。。。:2012/03/13(火) 21:49:23.51 ID:0 >>2 ゆとりだけど小学生の時は禁止だった 今もそうみたいだよ 5: 名無し募集中。。。:2012/03/13(火) 21:48:00.79 ID:0 駄菓子屋で一番安いのは一個5円のコーラアメ 43: 名無し募集中。。。:2012/03/13(火) 21:52:23.41 ID:0 >>5 ストローに入った寒天って2円じゃなかったっけ?? 7: 名無
▲地下トンネルを模したアーチ状の屋根の下に保存されている5833のカットボディー。手前には車輪もディスプレーされている。'12.3.7 新砂あゆみ公園 クリックするとポップアップします。 今日は所要で江東区方面へ。時間をつくって東京メトロ東西線南砂町駅前に保存されていると聞く5000系のカットボディーを訪ねてきました。路面電車と比べて地下鉄車輌の保存車はそれほど多くはなく、ましてやカットボディーとはいえ5000系の個体は貴重と言えるでしょう。 ▲保存展示というよりは公園の休息施設として利活用されており、ドアは撤去されている。'12.3.7 新砂あゆみ公園 クリックするとポップアップします。 保存されているのは南砂町駅前の「江東区立 新砂あゆみ公園」。保存といっても車輌丸ごとではなく、先頭部5mほどのカットボディーで、台車もありません。説明板によれば2002(平成14)年3月にこの公園に設置
2012年02月22日23:55 【画像あり】昭和の思い出 Tweet 1:名無し募集中。。。:2012/02/22(水) 20:17:27.63 ID:0 なんかある? 2: 名無し募集中。。。:2012/02/22(水) 20:18:17.05 ID:O ココ山岡 4: 名無し募集中。。。:2012/02/22(水) 20:18:54.90 ID:0 夕方五時半のルパン三世 7: 名無し募集中。。。:2012/02/22(水) 20:19:58.05 ID:0 インベーダーゲーム 9: 名無し募集中。。。:2012/02/22(水) 20:20:04.17 ID:0 アントニオ猪木 VS マサ斉藤 巌流島対決 10: 名無し募集中。。。:2012/02/22(水) 20:21:30.16 ID:0 >>9 vsアリだろ普通は 12: 名無し募集中。。。:2012/02
▲現在の宇野駅の様子。残念ながら宇高連絡船ありし頃の賑わいは感じられない。'12.1.14 P:宮武浩二 クリックするとポップアップします。 さて今度は本州側の港であった宇野を訪ねてみましょう。宇野港は再開発が進んで、昔の線路跡、連絡船への連絡通路の跡は道路などに変わり、わずか20年ほど昔の連絡船の遺跡はほとんど見られません。ただ新しく建て直された宇野駅駅舎の中に連絡船のパネルが掲出されているぐらいです。 ▲玉野市立海洋博物館に展示されている宇高連絡船「瀬戸丸」の船舶模型。'12.1.14 P:宮武浩二 クリックするとポップアップします。 宇野駅からバスで20分ほど児島に向って海岸線を走ると渋川というところがあります。ここには玉野市立海洋博物館という昔からの水族館があります。私も35年ほど前に訪ねたことがありますが、そこに宇高連絡船の「瀬戸丸」の模型があったことを覚えていたので、改めて訪ね
1月7日は「七草」でした。朝、7種類の野菜(野草)が入ったおかゆを食べて祝う行事です。 そこで今回は七草にちなみ、「旧型国電七変化!?」と題して、筆者が撮影した写真の中から7種類のカラーリングをご紹介しましょう。 黄色&赤(新潟色) 新潟色は、降雪時でも目立つようにと、黄色と赤の派手な塗装でした。この色は、日本海側の冬の気候を払拭するよう、明るい色を好む地域性から採用されたといわれています。また、「ひまわりの花」をイメージしたという説もあるようです。 新潟地区での旧型国電の運転は、1962年に関西地区で活躍した、ぶどう(茶)色の70系が転属してきたことから始まります。新潟色への塗り替えは、投入の翌年(1963年)から始まりました。 ただ、同時期に運転を開始した181系(当初は161系)「とき」などに比べ、ぶどう色1色の旧型国電は不評だったかもしれません。1978年に新潟色の旧型国電は引退し
▲心地よい吊り掛けサウンドを響かせて南海本線を乗り越えるモ161。とても80歳を越える古豪とは思えない豪快な走りっぷりだ。'11.11.27 船尾-浜寺駅前 クリックするとポップアップします。 通常運用を持つ電車としてはわが国最古参として知られる阪堺電気軌道のモ161形のトップナンバー161号が、阪堺線開通100年を記念して昭和40年当時の姿に復元されたのは本誌9月号(№336)誌面や小ブログでもご紹介いたしましたが(→こちら)、遅ればせながら先日試乗する機会を得ました。 ▲正面の方向幕窓は幕板とツライチになるようにカバーが取り付けられ、可能な限りオリジナルの面影を取り戻すべく配慮されている。'11.11.27 我孫子道車庫 クリックするとポップアップします。 現役車輌としての条件に支障をきたすことなく、可能な限りの復元を目指されたと言われるだけあって、木部の塗装を剥離して下地処理を施した
■編集元:生活全般板より「今じゃ考えられない昭和の生活◆20」 4 おさかなくわえた名無しさん :2011/09/27(火) 11:48:05.85 ID:ByBi2J1Q ちゃぶ台をひっくりかえすようなDV男が もてはやされていた時代だったのが今じゃ考えられない 地震・カミナリ・火事・オヤジ とかw だから昭和のおっさんはメンヘルぽいのが多いのかと 続きを読む
2011年10月23日20:29 青森県の昭和感がすごいwwwwwwwwwww Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/23(日) 10:24:03.08 ID:3HwF6kch0 ターミナル駅前でこれだぜwwwwwww 青森 五所川原 むつ 弘前 三沢 黒岩 4: 和歌山県民:2011/10/23(日) 10:25:45.69 ID:2+iboiC+0 糞田舎過ぎ笑たwwwwww 日本か? 8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/23(日) 10:26:24.25 ID:+f3093Eo0 >>4 和歌山が何を言うww 14: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/23(日) 10:28:57.60 ID:DOgrTeX20 ねぶたにマッチする都市計画なんだろ
当連載の第30回「原宿駅宮廷ホームから発車した157系『お召し列車』」で使用した写真を探す最中、偶然にも、貴重なお召し列車の写真を発見しました。中央本線を走った「ロクヨンお召し」(EF64牽引のお召し列車)です。 いまから33年前の1978(昭和53)年10月、長野県で開催された「やまびこ国体」に天皇陛下がご臨席された際、中央線にお召し列車が走りました。 通常、ご公務で地方へ行幸される際、運転されるお召し列車は、「新1号編成」と呼ばれる客車列車を使用します。5両からなる「新1号編成」の中央に連結された特別車両「御料車」に天皇陛下がご乗車されました。 通常、この編成の牽引機として、鉄道ファンから「ロイヤルエンジン」と賞賛された電気機関車EF58 61(直流電化区間のみ)がその任にあたります。しかし高尾以遠の中央本線は山間部を走り、勾配がきついため、当時活躍していた勾配線区用の電気機関車EF6
西武鉄道の路線図を見ると、なぜか多摩川線(武蔵境~是政間)だけが他の路線から孤立している。JR中央線と接続する多摩川線の起点・武蔵境駅は、国分寺線や多摩湖線と接続する国分寺駅と3.4kmしか離れていない。もう少しでつながったのに、つながらない。どうしてこうなったのだろう? 西武鉄道の路線図。多摩川線だけが孤立している 西武といえば黄色い電車だが、多摩川線の電車は白。独特の雰囲気だ その理由は単純明快。多摩川線はもともと多摩鉄道によって開業した路線で、後に合併されたという経緯があるからだ。多摩鉄道は1910(明治43)年に設立され、1917(大正6)年に武蔵境~北多摩(現在の白糸台駅)間が開業した。1919年、常久駅(現在の競艇場前駅)へ延伸。1922年に是政駅まで開業している。その後、1927(昭和2)年に旧西武鉄道に合併された。 多摩鉄道を合併した旧西武鉄道は新宿線と国分寺線を運営してお
▲「月山の酒蔵資料館」に保存されている山形交通三山線のモハ103。保存状態はすこぶる良好。'11.7.24 クリックするとポップアップします。 ふたたび7月の秋田・山形方面の旅から、今日は山形交通三山線の保存車をご紹介いたしましょう。山形交通三山線は左沢線の羽前高松を起点に、月山山麓の間沢まで11.4㎞を結んでいた電化路線でしたが、1974(昭和49)年晩秋、ひっそりとその姿を消してゆきました。 ▲"おへそライト"がチャームポイントのモハ103。三山電気鉄道は開業にあたって同形3輌を新造している。'11.7.24 クリックするとポップアップします。 現在その姿を残しているのは、同線が三山電気鉄道として開業した際に用意された3輌の電動車のうちの1輌モハ103で、1926(大正15)年日本車輌製の木造単車です。先日ご紹介した羽後交通のデハ3(1927年蒲田車輌製・アーカイブ「羽後交通デハ3を見
蒸気機関車C61 20が復活運転を開始し、上越線高崎~水上間などで客車を牽引して快走。9月には、C61 20に加え、D51やC58が重連で旧型客車を牽引する予定となっているなど、今年の夏は「上越線」がアツい! そんな上越線の約30年前を、3つのキーワード「名列車」「珍名所」「名脇役」で振り返ってみたいと思います。 利根川にかかる鉄橋を渡る181系特急「とき」。上越線、水上付近。1980(昭和55)年9月23日 堂々の12連で疾走していた特急「とき」。その全景を収めることはできなかった。上越線、水上付近。1980年9月23日 まずは「名列車」。上越線の名列車といえば、なんといっても上越新幹線開業まで上野~新潟を結んだ181系ボンネット特急「とき」ではないでしょうか。 特急「とき」は、1962(昭和37)年6月、信越本線長岡~新潟間の電化が完成し、上野~新潟間が全線電化されるとともに誕生しまし
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く