なんだかみんなひねくれちゃって、「平和」とか「反戦」とか不用意に口走ると「ナイーブなサヨク」のレッテルを張られる世の中だけど、「ナイーブなサヨク」のレッテルを恐れるばかりに「平和」や「反戦」の気持ちを素直に表現・表出できないナイーブさに抗議して、この日くらいは、思想・信条の違いを超えて、昨日までの悲しみと苦しみに想いを馳せて、明日からの世界の平和を祈りたいと思う。
今日の画像はS cawaiiの撮影の時のものです。 オモチャアクセサリーの特集ページでいろんなアクセサリーをつけました。 過激な衣装に、カッコイイ+カワイイアクセサリー、すごくヨイ写真が撮れましたよ! 発売がすごく楽しみです! ・・・てか、私、毎月この雑誌を買ってるんですよね〜。 S cawaii、大好き☆ ちなみに今日は、平和を愛する私としてはマジ許せない事が東京で起きました。 日本の侵略戦争を否定して美化してる人達が作った歴史教科書を杉並区が採用したんです(>_<) 日本人は過去の過ちを認めて反省して教えて、そしてアジアの国と平和な未来を築くべきだと思います。 今の若者に過去の責任はないけれど、過去の過ちを正しく知る権利と義務があると思います。 恐ろしい事に巻き込まれない為には、 何が恐ろしいか知っていなければ反対出来ません。 残念ながら、日本が侵略戦争を行ったのは事実です。 嘘で事
三里塚闘争を始め、多くの闘争は最初から武装闘争であったわけではない。闘争の初期には共産党のように「人民の暴力反対」、国家の暴力は容認という輩が、選挙の票目当てで参加していた時期もあった。それが何故に共産党を排除して全学連をはじめとする新左翼を受け入れ、実力闘争に発展していったのか。 最初は、空港公団の測量に対して三里塚の農民は道路に座り込みをすることで抵抗した。共産党は「道路交通法違反だから」農民に立ち退くように呼びかけた。その後で機動隊が農民に暴行を加えて排除した。第一次と第二次の強制代執行の際には、農民が立木伐採を止めさせるために木に登り鎖で体をくくりつけているのを、そのまま伐採した。多くの農民が負傷した。地下壕に立てこもる農民の頭上を農民が生き埋めになるのも気にせず、重機で走り回った。大木よねさんというおばあさんが農機具にしがみついて抵抗するところに、殴る蹴るの暴行を加えて住居を取り
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