柄谷行人さんは『世界共和国へ』(岩波新書、isbn:4004310016)でネグリとハートの「マルチチュード」論を批判していた。 今回、読み直してみると、柄谷さんの批判は、ネグリとハートの「マルチチュード」論は、プロレタリア革命論のプロレタリアートを「マルチチュード」に置き換えたに過ぎないもので、その国家廃棄論はプルードンのアナーキズム(柄谷さんは「アナキズム」と書く)の過ちを繰り返すものに過ぎない、ということだ。 しかし、ネグリとハートは、『マルチチュード』で、自分たちの「マルチチュード」観はアナーキズムではないと書いている。 私は柄谷行人やネグリやハートほどものを読んでいるわけでも知っているわけでもないけれど、両方の本を読んでみると、どちらの言い分にも半分賛成で半分反対というところだ。でも、少なくとも柄谷さんの本については、ネグリとハートをまじめに相手にするのであれば、もっとちゃんとそ