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ブックマーク / blog.livedoor.jp/hesalkun (16)

  • 九州帝國ブログ板:ある活動家と話して考えたこと

    2010年08月14日 ある活動家と話して考えたこと 過日、首都の夜も更けた某労組の事務所、「愚かなクソ右翼を言論で変えることはできる否か」てな話を呑みながらしていた。 活動家某さんは迷いなく断ずる。「できやしない」、でも「面と向かって間違っているというしかない」と。 その某さんは、ある人間を「間違っている」と断ずるに際しては、「他者を手段にしてはならない」というカント的倫理のようなもので万事を割り切っているようだ。ある意味で彼はどんなクソ右翼であっても一個の成熟・自立した主体としてみなしていて、その主体たる人間が下した選択を批判ないし攻撃するということ以外に興味を示さない。世界はそのような自立した主体によって構成されている「かのように」みなすべきだというのは、我々の具体的な実践を規制する倫理としてはなかなか有効で反論しがたいものなのかもしれない。 さて、世の中には、人を思い切り搾取しての

    sarutora
    sarutora 2010/08/14
    >自己と他者がいまの社会のなかでどのような社会的位置を生きているのかということ。他者を「非倫理的」だと断ずる自分がどのような意味で倫理的であるのかを問うこと。
  • 九州帝國ブログ板:集団嫌い、組織嫌い? - livedoor Blog(ブログ)

    反体制的な態度や思想を標榜する人で集団や組織に属することが嫌いだという人は少なくない。そういうムードが全共闘世代に共有されているものとして語られることもある。理由はそれぞれだろうとは思うので一般的に評論してもしょうがないが、僕は集団や組織の可能性(社会を別な風に組織化することの表現としての集団)を模索しながら右往左往してきたので、さも天性の才能のように独立自存なり独立独歩なり個人主義を標榜する人間に対する疑問もある。お前はそんなに強くて偉いのか、だからどうした、と。そういう個人主義者に限って、普段全く意識しないほど徹底的に日人なり中産階級という集団に属しきっていたりするのじゃないのか(口ではそういうものへの反対を言っても、自分には集団や組織は必要ないと言えている時点で、その人間は実はもっとも強固に社会に組織化されきっているのじゃないか)。そういう人間を今度から似非アナキストと呼んでやる。

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    sarutora 2009/12/04
    ガッテン!ガッテン!
  • 九州帝國ブログ板:変で悍な雑誌『悍』三号について、いくつか

    2009年10月21日 変で悍な雑誌『悍』三号について、いくつか 『悍』三号掲載の太田直里「彼女らの場合」をさっき読んだ。この変で悍な雑誌の重力が生み出したなんとも奇妙な交錯。先の8月15日の靖国周辺における混乱の中で、僕はこの「彼女ら」とすれ違っていたようだ(あの日の午前の靖国神社への抗議と反天皇制連絡会議の集会とデモ行進に出た友人たちには是非とも読んで欲しい)。それはより質的には、寄稿者として僕が今回『悍』に寄せた文章などの「左翼性」(?)と、この太田直里の文章の独特のリズムとが致命的にすれ違っていることを象徴しているだろう。彼女が言う左翼の「行動貫徹に対する自画自賛」への違和感は僕も持っている。僕らはもっと自分たちの運動が「圧倒的な弱勢」(冨山一郎)の中にあることから再出発すべきだと思う。そのためにも、「彼女ら」の生き様と「われわれ」の「行動」の描こうとする線がいかにすれ違っている

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    sarutora 2009/10/23
  • 九州帝國ブログ板:腐れ外道が繁殖している - livedoor Blog(ブログ)

    「行動する保守」を名乗るカスどもの病状が悪化しているようであり、個体数的にもやや繁殖傾向にあるようである。 特会ら 外国人参政権反対の右翼デモ隊 犯罪の証拠をYouTubeにUP ちなみに警察権力は「左翼」のデモを封じ込めるためにはいくらでも過剰な警備を敷いて何かあれば逮捕する準備万端だが、ああいう腐れ外道どもについては好き放題に跋扈させる方針のようである。 * * * われわれはとりあえず「街頭には街頭で」という発想で対抗行動を組織したが、しかし「街頭」とは何か。「街頭」の意味は、われわれの「政治」がどのようなものであるかによっても変わる。 われわれの側が、われわれの「政治」と、われわれの「原理」を緊急に問うていかなければ、彼らや彼女らの「原理主義」には対抗できない。寄ってくる蚊を反射的に叩き落としているような振舞をしているあいだに、蚊の発生地帯を放置するようではやはりダメだ…

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    sarutora 2009/10/07
  • 九州帝國ブログ板:ブサンとソウル、政治とアートを往復紀行

    2009年07月12日 ブサンとソウル、政治とアートを往復紀行 2009年6月26日夕方、博多から高速船で三時間にてブサン港着。フェリー乗り場最寄りの駅から地下鉄で30分、チャンサン駅に到着。巨大なアパートメントビルディング群に睨まれながらしばらく迷ったあげく、人に道を聞いたら日語ができる人だった。彼の親切な案内で、松哉交流会が開催されているブックカフェ「4月(サーウォル)」に到着(「4月」というのは、1960年4月のことだと思われる)。狭いけれどもなかなか小粋な感じのブックカフェで、「進歩新党」という弱小左翼政党の支持者などの知り合い同士が集まる飲み屋的サロンとして機能している様子。なんでも松哉氏の『貧乏人の逆襲』は速攻で韓国語に翻訳されて、人気マンガ家のイラストをあしらった装丁で6千部刷られているという。質疑応答など終了後、店の外にテーブルと椅子を並べて飲み会開始。韓国語が喋れな

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    sarutora 2009/07/13
    >大文字の現実に一切触れずとも日本人の男性たる自分が…なんとなく「反体制」風な匂いがすることを担保するためだけに、どうでもいいような「微細な抵抗」を称揚するやつらとか、全員ウンコ食って死んじまえ
  • 九州帝國ブログ板:猥褻とはいかなる罪か、あるいはいかなる罪が猥褻なのか - livedoor Blog(ブログ)

    なんで夜中に酔って裸になったぐらいで逮捕されなきゃならんのか。いい加減にしろ。ましてや即日に家宅捜索?芸能人のお宅拝見か。警察様は何でもできるな。裁判所は令状の自動発行機。三権分立万歳。「草なぎショックで関連企業の株価下落」とかいうニュースに至ってはもはや世の中のバカさ加減に感無量だ。 さて、草なぎの百万分の一も注目されない不当な逮捕拘留、拘留延長もある。 埼玉県わらび市に集って「言論表現」の名の下に拝外主義的リンチまがいの煽動をやったやつらの「猥褻」さに比べたら、夜中に全裸でわめくことなどクレヨンしんちゃんレベルだ。 我々の仲間は、あの排外主義者どもの言動があまりにも「わいせつ」だったので、ボカシを入れるか、いっそのこと一部カットしてやろうとしただけだ。それがダメだというなら、まずは「映倫」を逮捕しろ。実際のところ、ボクらが普段目にするものの中でもっとも猥褻なのは、映像でボカされて

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    sarutora 2009/04/24
  • 九州帝國ブログ板:しつこくグレーバー『断章』について

    2009年04月08日 しつこくグレーバー『断章』について 後書きで訳者が「類縁グループ」について説明している。 類縁グループ(affinity groups) 四人から10人ほどの仲間。その集合性の原理はたとえばエコ・フェミニスト・レズビアンであるとか、オハイオ州クリーブランドから来たとか、ウォブリーズ(Wobblies)の一支部であるとか、友人たちであるとか、何でもいい。[…]「類縁グループ」とは、何のことはない「気が置けない友人関係」あるいは「徒党」なのである。 それはそれでいいのだろうけど、やっぱりなんかヒラヒラと脳の中を舞う言葉の軽さ…。 それぞれの、そもそもの「集合性の原理」にかかわる部分でこそ、このの楽観主義的側面ではどうしようもない、組織化の困難と問題が出てくる(それに直面するのはそれぞれの個人であり、集団である)のだし、それこそ生活に直結した運動の在り方の、そうであるが

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    sarutora 2009/04/10
    「革命への郷愁と革命への絶望とが同時にその動機となっている」(平井啓之)60年の『弁証法的理性批判』の集団論との対比を考えた
  • 九州帝國ブログ板:デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』

    2009年04月07日 デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』 最近屋さんに行くと「アナキズム」「アナーキー」とかいう言葉を冠したがやたらと目につきはじめた。そういうのを目にしたときに、まずもってちょっと苛っときてしまうのは僕の内ゲバ体質なのだろうか。 デヴィッド・グレーバーの新刊も出ているが、その前にこの『断章』だが、人に借りて読みはじめてすぐに、なんだか能天気なやつだなぁー、と呆れたりしてしまって、なかなか読み進む力が湧かなかった。後半にさしかかるにつれて、人類学的知見をいかした国家の相対化についての議論など、面白いなぁと思う箇所もある。 能天気というか、楽観的であることも、ある種の才能なのだろうと思う。認識においては悲観主義者、行動においては楽観主義者たれ、と言ったのはグラムシらしい。ともかく、現実であれ、誰かの理論であれ、ここがダメだ、あそこがダメだというより

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    sarutora 2009/04/08
    >「自立した個」というような(…)市民社会に囚われた我々の在りようは、かなりあっさりと相対化されていて、個や我々を組織しはじめることの葛藤とか困難が感じられないので共感できない
  • 九州帝國ブログ板:イスラエルに対する抗議行動 - livedoor Blog(ブログ)

    イスラエルによるガザ市民虐殺に対する抗議行動に連日参加。今日18日は九州各地のイスラム系留学生やその家族などが、留学生組織の呼びかけで100人ほど集まり、プラカードを掲げながらの「サイレントプロテスト」が企画されていた。留学生の出身地はパレスチナ、カンボジア、インド、エジプト、インドネシアなど。僕が話した数名は宇宙工学や土木工学などを学んでいる学生だった。あるパレスチナからの留学生は数時間前に電話連絡をとった家族が、いまこの瞬間に無事であるかどうかが分からないという中で行動に参加しており、硬い表情でマイクを握っていた。 昨日は数名の留学生を含む十数人程度の人数で、アメリカ領事館から徒歩で天神中心部向かってデモ行進した。留学生数名が先頭でパレスチナの旗を掲げながら、最初は遠慮がちにシュプレヒコールをやっていたが、徐々にみんなで大きな声を上げた。英語と日語で「Free! Free! Pal

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    sarutora 2009/01/19
    >「東アジアのイスラエル」と表現してもそう外れてはいないであろう日本の政治的位置
  • 九州帝國ブログ板:鵜飼哲「歓待の思考」(『主権を越えて』所収)より - livedoor Blog(ブログ)

    いま、東のほうから聞こえてくる「派遣切り」「派遣村」などをめぐるマスコミ報道を聞き流しつつ…首を切られて家を失った派遣労働者やその他の「マイノリティ」について、「人道」や「博愛」の見地から「しいたげられたものたち」として彼らや彼女らに同情して何かを語ろうとするとき、経営者も、いわゆる支援者や活動家であっても、陥りかねない傲慢というものがあるのだろう。それにしてももちろん、企業の責任を告発しつつ、路頭に迷いつつある人々の側で共に行動している人々と、その周りでおしゃべりをしているマスコミや政治家その他のやつらとは厳に区別すべきだ。 引用に際しては中略、太字強調、括弧内捕捉してますので注意されたし。 ---------- 「世界市民法は、普遍的歓待をうながす諸条件に制限されるべきである」。この条項で[略]提起されているのは博愛ではなくて、権利についてである。[略]地球の表面は球面で、人間は

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    sarutora 2009/01/12
    >主権が法を法たらしめているのであってその逆ではない/この「起源」の歓待は、自己のあらゆる自由に先立ち、自己を自己たらしめる出来事である
  • 九州帝國ブログ板:潜在的なファシズムの核? - livedoor Blog(ブログ)

    外山恒一のをかなり褒めたが、外山氏はの中で二、三回酒井隆史に言及しており、そのうち一度は『自由論』を丁寧に註をつけて参照している。なんだか気になって『自由論』を棚から出してちょっと読み返してみた。初めて読んだ時にずいぶん感銘を受けた覚えのある序章「新しい権力地図が生まれるとき」。外山氏のを褒めたことを早速反省しているわけでもないが、それはそれとして、酒井さんの書いているあることを読んで「ふむ」と思ったことを書き留めます。 酒井『自由論』49ページから50ページあたりにポストモダニズム批判が簡潔に展開されているのだが、それを読んで思い出すのは、まさに外山恒一氏の「芸風」の質が非常に「パロディ」的なものだということである(あの話題になった「政見放送」とか)。酒井氏のポストモダニズム批判は、文脈はやや異なるが、そのような「パロディ」が「潜在的なファシズムの核」でありうることの説明とな

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    sarutora 2008/09/24
  • 九州帝國ブログ板:外山恒一『青いムーブメント』(彩流社) - livedoor Blog(ブログ)

    僕が福岡の市民運動界隈に出入りしはじめて、なぜ福岡には「ノンセクト」な乗りのやつらが全くいないのだ、と思い始めていたのは2003年ごろ。まもなく外山恒一の存在を知り、僕はいつだったか、彼に連絡をとって会いに行ったものだ。期待よりもむしろ僕は何かを警戒していた気もするが。何しろその頃彼がすでに「ファシスト」転向を宣言しているのは僕も知っていたし、福岡のいわゆる市民運動界隈からはとっくに訣別し、さらに若いノンセクト系の運動界隈ともある事件を機に敵対関係になっていた。僕はいまだに詳しい事情は知らないが、その事件が彼の転向を決定しているようである。(そういえば、それ以前のいわゆる「福岡だめ連」時代にも僕は彼と接触を試みたが幸か不幸か上手くいかなかった。だから彼の存在自体はもっと前から知っていたのか。) ともかく、福岡(を含む地方)における運動の惨状について僕が抱いた問いに対するひとつの答えがこの

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    sarutora 2008/09/24
  • 九州帝國ブログ板:【速報】ネグリ来日妨害【許すまじ】 - livedoor Blog(ブログ)

    アントニオネグリ来日プロジェクト --以下転載-- 世界的に反響を呼んだ「」の著者の一人でイタリア人哲学者のアントニオ・ネグリ氏(74)が日政府から入国できない可能性を示され、来日を延期したことが、19日わかった。 ネグリ氏は、財団法人国際文化会館の招きで20日に来日し、約2週間の滞在中に東大など3大学で、グローバル化時代の労働問題などをテーマに講演する予定だった。 同氏は79年に反政府組織「赤い旅団」による元首相殺害事件への関与の疑いで逮捕されたあと、83年にフランスへ亡命。殺害事件は無罪となったが国家転覆罪で禁固刑が確定した。 (朝日新聞 2007年3月20日) ----- ---以下関係者のメール転載--- >> 3/17、直前に法務省が介入し、「入管法の除外規定、 >> 政治犯だったことをさかのぼって証明しなければ、 >> ビザを出せない」と言ってきました。

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    sarutora 2008/03/20
    表題のとおり
  • http://blog.livedoor.jp/hesalkun/archives/50823090.html

  • 九州帝國ブログ板:筋金入りの<市民>は逆風に吹かれながら廃墟を見ている - livedoor Blog(ブログ)

    教育法改正のための審議が国会で再開され、国会周辺のみならず全国で良識派たちが青ざめている。そんな状況を横目に、これまで当に教育法を武器にしてたたかってきた人こそが、ある種冷めた目で事態を見ている…。 いま騒いでいる人たちは一体これまで何をしてきたのか、教育法や憲法を使ってたたかってきたのか…? 教育法が変えられ、あるいは憲法が廃棄されたら、たたかうことは不可能なのか? これは政治情勢に即して何らかの「反対」・抵抗の声を上げようとする人につきつけられる強烈な問いである。「それでもたたかうしかない」という、継続的でしたたかな覚悟を決めている人は、メディアの恣意的な報道を通じて伝わる事態を前に、イチイチ慌てふためいてなどいられない、ということなのだろう。例えばいま、圧倒的に軽視されている労働関連法が、経団連の差し金一つで根こそぎにされたら、またぞろいままでどこで何をやって

    sarutora
    sarutora 2006/11/30
    >ある政治状況の変化に反応して、事態に関心のある人が集まり声を上げる…それも大事かもしれない。しかし反対の声を上げてアリバイを作るかのように集まるまで、その人たちが何をしていたかも問われるだろう。
  • 九州帝國ブログ板:デモを管理したい英国警察 - livedoor Blog(ブログ)

    Police want power to crack down on offensive demo chants and slogans デモで「攻撃的」なメッセージを発する掛け声、プラカード、鉢巻…などを取締りの対象にしようとする英国警察に関する記事。常に「過激派(この記事の場合イスラム系)」と「良識派市民」の線引きが行われながら、根こそぎ国家権力の言い分が通っていくのが現実だ。 少なくともデモの表現をどうするか、などというのは市民の領域の問題であって、警察/国家権力などが介入すべきものではない。権力の側から「良識派市民」であると規定されることなど恥ずべきものでしかない。 僕らも放っていたら警察(特に公安)が調子に乗るので、近々そういう抗議の申し入れを警察相手にやります。警察は自分らが「適切に職務を遂行している」と当に思い込んでいるし、普通のヒトタチもそう思い込んでいる。そういう

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