ノーベル賞決定から一夜明けての会見で、感極まり涙を流す益川敏英教授=京都市北区の京産大で2008年10月8日午前7時29分、望月亮一撮影 ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(68)。穏やかでちゃめっ気のある益川さんだが、「反戦」を語る気骨の平和主義者でもある。 作家の大江健三郎さんらが作った「九条の会」に連動し、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足した。益川さんは呼びかけ人の1人だ。同時期に誕生したNPO法人「京都自由大学」では初代学長に就任し、市民の中に飛び込んで平和を語った。 原点は幼少期の体験にある。益川さんは名古屋市に生まれた。小学校入学前、第二次世界大戦を体験し、焼夷(しょうい)弾が自宅の屋根を突き抜けた。「不発だったが、周囲はみな燃えた。両親はリヤカーに荷物を積んで逃げまどった。あの思いを子孫にさせたくない」と言う。 05年、自
Wiiや数独などをしている他は、自宅でごろごろしていて、勉強している姿など見たことがない。書斎などはなく、喫茶店で考えごとをしているようだ。大の英語嫌いで、国宝級の出不精だから、海外へ行ったこともない。・・・もちろん、当該研究の成果を出した当時ではなく、あくまで今は、ということなのでしょうが、それでも、自分の身と引き替えて、何となく心強く感じた方々が少なくないのではないでしょうか、ご同輩。 益川氏について、毎日新聞は、「反戦語る気骨の平和主義者」という見出しを付けています。坂田昌一、湯川秀樹だけでなく、記事では挙げられていませんが、名古屋といえば武谷三男の名前も思い浮かびます。 ともかく、その毎日新聞の奥野敦史署名記事から、益川氏の談話の一部を紹介します。 「小中学生は憲法9条を読んで自衛隊を海外に派遣できるなんて考えない。だが、政府は自衛隊をイラクに派遣し、更に自衛隊の活動範囲を広げるた
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く