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2009年11月22日のブックマーク (2件)

  • 「ありらん 2009」mp3 - ニートのあした

    100ねん さきの みらいから いえばの むかしむかし、あるところに やねごんと あべちんが 「あれも、これも くそむかつんじゃ」などと いいながら、むかついた はらいせに うたを つくっていました。「じえーたいわ いらんのんじゃー」、「てんのー、あっそー、らっぷー」などと、たのしい うたを うたっていました。 ゆめのような せいかつにも、マンネリという かげが さしこみます。 あべちん:「のど いてんじゃー。うたやこ、もう うたわんけーよー。」 やねごん:「なに よんなー。あんたが うたわにゃ、だれが うたうんならー。」 あべちん:「わしゃー、もう やめる。いんきょ するんじゃー。」 やねごん:「いんきょ ゆーたら ニートじゃがー。「いんきょ ゆーたら ニートじゃがー。あはん。」♪」 あべ:「いや、そんな うたは もう ええけ。ちちんぷいぷい。さいなら。」 なぜか やねごんを スリッパで

    sarutora
    sarutora 2009/11/22
  • サルトルの肉体論 - Arisanのノート

    『存在と無』第三部第三章のなかのある部分で、サルトルが「性的欲望」についてあれこれと語っているところがあるのだが、たいへん面白い。 存在と無(2) 現象学的存在論の試み (ちくま学芸文庫) [ ジャン・ポール・サルトル ] ジャンル: ・雑誌・コミック > 文庫・新書 > 文庫 > その他ショップ: 楽天ブックス価格: 1,836円 サルトルは、人間の性欲を、性的行為に限定されない、私と他人との身体の関係に関わるものだと考える。そして、人間(対自)の行動に関わるものとしての「身体」と、たんなる事実性としての「肉体」とを区分したうえで、性欲のさまざまなあり方を分析していく。 まず性的欲望を、サルトルは「混濁」という言葉で表現する。意識が、自分の存在の偶然的な事実性、つまり「肉体」であることに屈し、それに溺れていくこと、それが性的欲望のあり方、性欲にとらわれる意識のあり方だという。 カフカの

    sarutora
    sarutora 2009/11/22