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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (70)

  • 四方田犬彦と帝国の欲望 - Arisanのノート

    以下の文章、あまりにも酷いので批判を書いておく。 『四方田犬彦, 朴裕河を弁護する』 http://parkyuha.org/archives/5161 ただ、かなりの長文であり、その一行ごとに突っ込みどころがあると言っていいぐらいだ。 あまり長い文章を書くのも気が引けるので、ここでは最低限、自分が特に言いたいことだけを書くことにしたい。 僕が一番驚いたのは、3のなかで、朴裕河が「従来の慰安婦神話に突きつけた」重要な視点の一つとして語られている、次の個所だ。 日軍兵士と慰安婦を犯す/犯されるといった対立関係において見るのではなく、ともに帝国主義に強要された犠牲者であると見なす視点は、今後の歴史研究に新しい倫理的側面を提示することだろう。それは日帝国主義による強制連行が朝鮮人・中国人にのみ行使されたのではなく、長野県や山形県の農民が村をあげて満洲国開拓に動員された場合にも指摘しうるとする

    四方田犬彦と帝国の欲望 - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2016/08/31
    >四方田は、「新しい倫理的側面」などと言っているが、「新しい教科書」とか、諸々の「新しい」と称するものと同様、これは実際には倫理の否定、没倫理以外のものではない。
  • 『嘔吐』 - Arisanのノート

    嘔吐 新訳 作者: J‐P・サルトル,鈴木道彦出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2010/07/20メディア: 単行購入: 2人 クリック: 54回この商品を含むブログ (30件) を見る たいへん有名な小説だが、今回初めて読んだ。 鈴木道彦氏によるこの新訳は、去年出版されたものである。 読んでみて思ったのは、意外に話にふくらみがあり、格的な長編のようになっている、ということだった。 ひたすら主人公ロカンタンの内面を描いているのだが、後半では元恋人の女性が登場したり、ブルジョワ社会の風俗についての詳しい記述があったり、それなりに色んなことが書いてある。 それでも中盤までは、圧倒的に内面の状態や変化の記述で、正直読み進めるのがしんどい。そして、後半の急展開は、逆にややとってつけたような感じもある*1。 そういうわけで、読んで面白いという小説ではないのだが、やはり感心させられる作品では

    『嘔吐』 - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2011/09/24
  • 旗旗さんの記事について - Arisanのノート

    最近、以前ほどネットを見なくなっていて、情報にうとくなってるのだが、数日前にこういう一連の記事を読んで驚いた。 http://bund.jp/modules/wordpress/?p=8236 http://bund.jp/modules/wordpress/?p=8320 http://bund.jp/modules/wordpress/?p=8379 6月11日の東京でのデモ開始前の集会でトラブルがあったことは、前日からツイッターを見たり、その後の情報によって少しは知っていたが、具体的に当日何があったのかは、実はほとんど知らなかった。 こちらの情報なども参考にしてみると、 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110620/p1 http://d.hatena.ne.jp/fut573/20110619/1308487730 http://livingtoge

    旗旗さんの記事について - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2011/07/14
    「民衆」を持ち出すのは、それによって日本社会の現状に何がしか同一化している自分の位置を正当化するための方便…それらの国々の人権状況への明示的なコミットと批判の表明が、まるで(左翼にとっての)「踏み絵」
  • ここに本質がある - Arisanのノート

    他にしないといけないことがあるのだが、あまりにひどい話なので、書いておこうと思う。 郡山市のコリアンスクールが危機に  日人のための避難所も設営したのに、校庭汚染除去も支援なし http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201106241409555 念のために書くけど、単に「被ばくを防ぐための支援は普遍的になされるべきであるのに、こんなことでまで差別されるのはひどい」という話ではないですよ。 元々こういう差別がまかり通る非人間的な社会だったから、いま原発事故についても、推進だの維持だのという非人間的な論が主流になってるということです。 つまり、原発事故が起きようが起きまいが、朝鮮学校は国家や社会による排除と差別の暴力にさらされてきたわけであり、事故以後は、その暴力に「放射能」(また、震災のによる被災)という新たな内実が付け加わっただけだと言える。

    ここに本質がある - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2011/06/27
    記事と直接関係ないけど、日刊ベリタの元記事、なぜ「朝鮮学校」をわざわざ「コリアンスクール」と表記するのか。それもある意味暴力だと思う。私も最初気が付かなかったんだけど…。
  • 神話を守り続ける者たち - Arisanのノート

    時代の風:原発事故と生肉中毒=東京大教授・坂村健 http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20110522ddm002070092000c.html 世に絶対安全がない以上、やるかやらないか、どこまでコストをかけるかということは、事故想定確率とその被害額を掛けた値と、社会的なものまで含めた経済のてんびんによるしかない。原発について議論するなら、その使用済み燃料処理コストまで含めたライフサイクルコストの不明朗さをむしろ突くべきだ。 この人の言ってることは、前回のエントリーで紹介した文章に比べると、一見まだまともに見えるけど、根的なところで詐術的な事実誤認を示している。 日人が「安全神話」を手放さなかったことが、今回の事故の原因だなんて抽象的なことを書いてるけど、「安全神話」を流通させ押し付けたのは、どこの誰だ。 上に書いてる

    神話を守り続ける者たち - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2011/05/29
    権力の問題をスキップして、「リスクを受け入れる社会への成熟を」なんていうのは、神話の中味を(安全神話からリスク共有神話へ)変えて、権力を握り続けたい連中のインチキな言い分に他ならない。
  • 犠牲に供されるもの - Arisanのノート

    原発での給水作業やその他の作業はすすめられており、このまま最悪の状況の回避がもたらされるのであれば、そのこと自体は、喜ばしいとしか言いようがない。決して「最悪の状況」がもたらされてはならない。そう思う。 もちろん、作業によって死傷したり被曝している人たちの存在は、無視も正当化も美化もされてはならない事実として、目の前にある。 何度も繰り返すが、原発の存在は、それが「正常」に稼動している日常から、こうした現場の労働者や周辺住民の「犠牲」のうえにしか成立しないものであると思う。まして、このような大事故が起これば、なおさらそのことが露呈する。 最も基的なことを言えば、「想定」では自然などの現実には対処できない部分が残る。その現実が起きたとき、「想定外だった」と言ってすませるには、核エネルギーはあまりにも破壊的でありすぎるのだ。異常が起きたときに制御できないような力を、われわれは利用しようとして

    犠牲に供されるもの - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2011/03/23
    他人に「犠牲の死」を強いながら日常を送ることは、自分の生命を毀損しながら生きることと同じ
  • 2.20アメリカ大使館前での弾圧に対する抗議声明 - Arisanのノート

    東京で起きた、デモに対する一連の弾圧と不当逮捕に抗議します。 http://d.hatena.ne.jp/ametaiQ/20110220/1298224010 経緯に関して、以下のまとめも参照してください。 『2・20アメリカ大使館前での弾圧を議論する際に前提とすべきこと』 http://togetter.com/li/103752 日のような強い軍事力を持つ国、しかも過去の侵略や植民地支配の構造・体質をまったく変えていない国において、このような国家権力やそれと一体化したものによる不正義の行為が堂々と行われ、しかも社会全体がその不正義を容認するばかりか、難癖をつけて抗議者や弾圧の被害者を攻撃さえするという、非民主的で暴力的な状況が支配しているという事実は、周辺の国の人たちや、日という国家にとって周縁的な存在と見なされかねない人たちにとっては、重大な脅威であるでしょう。 また、こうした

    2.20アメリカ大使館前での弾圧に対する抗議声明 - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2011/02/22
    国家の権力によって支配され命を削られてさえいる自分自身を、そのような者として見出すことが怖い…だから殺されるまで、騙され続けていることを欲し、その夢を破りかねない行為(デモや抵抗)を憎むのだと思う。
  • 愚かな拒絶 - Arisanのノート

    あまりのことに、何を言ったらいいのか分からなかったが、ともかく意見だけ載せておく。 http://mainichi.jp/select/today/news/20110205k0000m010075000c.html?inb=tw 高木義明文部科学相は4日、北朝鮮による韓国砲撃で停止された朝鮮学校の授業料無償化適用審査について、「当面は再開しない」との意向を明らかにした。審査停止に対する東京朝鮮学園の異議申し立てに回答した。 審査を再開しない理由について文科相は「昨年11月23日の北朝鮮による砲撃は、我が国を含む北東アジア地域全体の平和と安全を損なうもので、不測の事態に備え万全の態勢を整えていく必要がある」と説明している。 異議申し立ては行政不服審査法に基づいて1月17日に文科省に提出されており、同法で定められた停止理由の開示期限が6日に迫っていた。学校側へはファクスと郵送で通知したという

    愚かな拒絶 - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2011/02/09
    私たちの社会が、こうした差別政策が「人気とり」として機能する社会であり、その程度の民主主義国家だということ/この「断固たる」拒絶の姿勢こそ、この国の多くの有権者が見たいと欲している、為政者の醜い像
  • 『差別感情の哲学』を批判する - Arisanのノート

    差別感情の哲学 作者: 中島義道出版社/メーカー: 講談社発売日: 2009/05/15メディア: 単行 クリック: 77回この商品を含むブログ (21件) を見る 久しぶりに、読んでて卒倒しそうなほど腹が立った。 書いてあることは、普段身近でよく耳にする意見と重なるところがあるので、この機会にちゃんと批判を書いておきたい。 基的なスタンスへの批判 著者の基的なスタンスは、次のようなところに示されている。 私の疑問は、「心」に限定される。制度上の差別は撤廃してしかるべきであろう。差別的発言も(少なくとも)制限されるべきである。しかし、差別撲滅運動が人間の心に潜む悪意まで徹底的に刈り込むことを目標にするのだとしたら、誰もが差別感情を抱かなくなることを到達点とみなすのだとすれば、直感的にそれは違うのではないかと思う。(p9) しかし、現代日社会においていかに差別に対する社会的制裁が厳し

    『差別感情の哲学』を批判する - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2011/01/28
    「特権的」という語によって他者の被差別の事実をわれわれから見えなくしている力と、われわれ自身の生の現実の困難さを他人にも自分自身にも「見えない」ものにしてしまっている力とは、同じ力である
  • 『フェミニズムはだれのもの?』・その2 - Arisanのノート

    フェミニズムはだれのもの?―フリーターズフリー対談集 作者: フリーターズフリー出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2010/04メディア: 単行購入: 3人 クリック: 199回この商品を含むブログ (11件) を見る 昨年の春に出版されたフリーターズフリー対談集『フェミニズムはだれのもの?』については、先日もその一部に関して書いたが、全体を読み終わったので、簡単に思ったことをメモしておきたい。 まず、一番気になったことだが、最初の「”おひとりさま”と”フリーター”は手を結べるか」という座談会の、はじめの方で大澤信亮氏が、こういうふうに言っている。 ただ、それとは別にもう一方で問いたくない理由があって、それは、僕が女性の問題を考えるときに、どうしても手放しで肯定できないというのがあったんですね。その肯定できなさというのは、もしかしたら後で戻るかもしれません。とにかく、そこを自分でもあ

    『フェミニズムはだれのもの?』・その2 - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2011/01/20
    「正しさ」と、(言わば)「心」とか「言葉にならない部分」との、この二分法は、一種の罠だろう…そういう場合、「正しさ」を排除して、差別的な社会秩序を温存しようという力が、この国の社会では特に強く働いている
  • サルトル『文学とは何か』抜書き - Arisanのノート

    サルトル全集 第9巻 ― 文学とは何か, シチュアシオン 作者: J‐P・サルトル,Jean‐Paul Sartre,加藤周一出版社/メーカー: 人文書院発売日: 1965メディア: 単行 クリック: 8回この商品を含むブログ (1件) を見る 昭和39年に出た新訳版から。 たまたま今日読んだところから抜書き。この部分の訳者は白井健三郎。 突如として、世界の大平和の最初の年月を、両大戦間の最後の年月のごとくこれに直面しなければならなかった。われわれがその通過するのを会釈して迎えたいかなる見込みにも、脅威を見なければならなかったし、われわれが生きた一日一日が、その当の顔をむきだしにした。われわれは、なんらの不信も抱かずその一日一日に身を委せていたのであった。そしてその一日一日は、目に見えない急速さと、無頓着な身ぶりの裏に匿された厳しさとを以て、われわれを新しい戦争の方へと向かわせていた。

    サルトル『文学とは何か』抜書き - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2010/12/24
    変なポモとか全部サルトルに予め粉砕されていたでFAでよくないですか?(後半も重要)>学校で教えられる共和国的ヒューマニズムは、寛容さをその第一の美徳としていた。すべてが、不寛容さえもが、寛容にされた。
  • 日本政府による蛮行を非難する - Arisanのノート

    http://www.asahi.com/politics/update/1124/TKY201011240154.html http://www.asahi.com/politics/update/1124/TKY201011240386_01.html 今回の朝鮮半島での出来事が、誰にとっても看過することのできない深刻さを持つのは、それが格的な戦争と混乱の危機を、そこに暮らす人々の上にもたらしかねないからだ。 そこで、日政治家たちも公式に発言しているように、この事態が大規模な衝突に発展しないように努力する責任が、この半島に関わる全ての者にあるといわねばならない。 だが、この事態に対応して、日の政権が行おうとしている朝鮮学校無償化の「手続き停止」は、この責任を放棄するどころか、国内と地域に憎悪と不信の種を撒くような愚行、いや「蛮行」である。 朝鮮学校が、朝鮮民主主義人民共和国の国

    日本政府による蛮行を非難する - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2010/11/25
  • 正しい「反日」 - Arisanのノート

    神奈川・松沢知事、朝鮮学校視察へ…補助金支出で 「反日教育していたら出せぬ」 http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20101110-OYT8T00544.htm 東京、大阪だけじゃなくて、神奈川でもこんなひどい人が知事をやってるんですね。 文科省でさえ審査基準に教育内容を含んでないのに、「反日教育」なんていう曖昧かつ恣意的な概念を持ち出して補助金を打ち切り、子どもたちが受ける教育を選択する自由を侵害しようとは、恐れ入った態度だ。 これで民主主義だの自由だのを標榜してるんだから。 朝鮮学校は、戦後の法制度のなかで日の学校のような保障を得られてこなかったから、日が朝鮮を支配して今日の状況の元を作ったという経緯も考慮して、各自治体が補助金を出してきたのだろう。来なら、補助金のような制度を用いないでも、はじめからきちんと制度の中で立場が認められて、保障が

    正しい「反日」 - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2010/11/17
    >「反日」という言葉が、攻撃と排除のためのレッテルとして流通するような薄ら寒い現実を、どこまでも拒んでいかなければならない
  • 自由をわれらに - Arisanのノート

    きのうたまたま、「天声人語」のこの文章を見つけて読んだときには、正直あまりのひどさにショックを受け、何を言えばいいのかも分からなかった。 今日ほかのところを見たら、この記事を非難してる人があったので、それに勇気付けられて自分も書いておく。 http://www.asahi.com/paper/column20101019.html 欧州あたりで「嫌米」のデモが荒れると、しばしばマクドナルドの店舗が襲われる。米国のグローバル支配の象徴というのだろうが、店員や材の多くは「国産」だ。籍に執着の薄い国際ブランドが、右代表としてやられるのは皮肉である▼中国内陸部の地方都市で、反日を叫ぶ群衆が暴れた。「坊主憎けりゃ」で、パナソニックの電器店やトヨタ車も壊された。政府間では落ち着くかに見えた日中の対立。外交から街頭へとなれば厄介だ▼騒いだのは愛国教育を受けた世代という。就職難など、色んな格差への不満

    自由をわれらに - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2010/10/21
  • 蔑視的なデモと蔑視的なマスコミ - Arisanのノート

    こちらの記事に便乗して書く。 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20101017/p1 東京で、中国に抗議する、右派による3000人ぐらいのデモがあったそうで、これがマスコミでほとんど取り上げられなかったことが一部で話題になっている。 日のマスコミではデモというもの、とりわけ政治的な色が濃いとみなされるデモの扱いが異様なほどに低いことは分かっているので、この「スルー」には、とりあえずそれほどの違和感はない。 実際たとえば、イラクでの戦争(攻撃)が始まる前に行われた大規模なデモ(当時はパレードという言い方もされたが)も、非常に小さい扱いしかされなかった。 なぜ低い扱いしかされないのかということは、よく分からないけど、終戦直後とか安保闘争の時とか、わりあいマスコミに好意的に扱われた時期もあるようにも見えるけど、それでも基的には国の体制とか天皇制とか(そういったものの

    蔑視的なデモと蔑視的なマスコミ - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2010/10/18
  • 領土について - Arisanのノート

    このところの尖閣諸島や北方四島をめぐる問題に関して、前原外相の強硬な態度・発言が、また注目を集めている。 以前その前原が、北海道に行った時、北方領土問題について「ロシアは北方四島を不法占拠している」という発言を行ったことがあった。 ずっとこの言葉がひっかかっていたのだが、今回調べてみると、元々麻生元首相の発した言葉なのだった。 http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009101701000221.html ニュースになるほどだから、やはり異様な、強い響きとして受け取られた表現だろう。 ロシアが北方四島を領有している事実をどう考えるかではなく、とくに「不法占拠」という表現が用いられたことが耳目を引いたのである。 「不法占拠」ということは、相手の行為を法の名によって断罪しているわけだ。 自分と相手とを共通に裁ける法があり、その法に適っているか否かを判定する権限・能

    領土について - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2010/10/01
    >「不法占拠」という用語を好んで使いたがる人の心中にあるのは、自分が現在得ている利益や地位が「合法」であると言い募りたい、そのことを揺るぎのないものにしたいという心理ではないか
  • 警官の孤独 - Arisanのノート

    以前にも書いたことがあると思うが、テレビ時代劇の『鬼平犯科帳』シリーズが好きである。 今でも時々新作が放映されたり映画になったりするし、毎週、20年ほど前に放映されたものを再放送してるのを、よく見ている。 このシリーズの特徴のひとつは、蟹江敬三や梶芽衣子、それに先代の江戸家八などが演じる「密偵」たちの存在感だ。 彼らは、元盗賊だったが、「鬼平」(中村吉右衛門)に捕まったり関わりを持ち、その人柄に感化されて、今ではその手下となって働いているのである。 いわゆる「お上の犬」と呼ばれる立場になり、かつての仲間たちを裏切るようなことをする仕事である。 無論最終的には、元の仲間たちを裏切って「お役目」を果たすのだが、そこに至るまでに毎回いくらかの逡巡や苦悶が描かれる。ここにこのシリーズの、魅力のひとつがある。 それに関して特に興味深いのは、その際に、結局彼らがそうした最後の決断をする決め手になるの

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    sarutora 2010/08/12
  • ひどい書評 - Arisanのノート

    自分が読んでないについての書評なので、どうしようかと思ったけど、あまりにもひどい文章なので、書いておく。 今週の棚:山内昌之・評 『自爆する若者たち…』=グナル・ハインゾーン著 http://mainichi.jp/enta/book/news/20090111ddm015070014000c.html テロや戦争を道徳的に批判するのは簡単であるが、その数字的根拠を人口問題と結びつけながら語った点に書の意義がある。ガザやアフガニスタンやパキスタンの不安定な政治情勢を根から理解する手がかりとして大いに参考になるだといえよう。 これがイスラム世界の歴史なり現状なりについてあまり知識のない人が書いた書評であれば、の内容を客観的に紹介するだけでよいのかもしれない。そして、上のような文末になっても許されるかもしれぬ。 だが、この書評を書いた山内昌之は、かりにもイスラム圏の歴史文化を研究

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    sarutora
    sarutora 2010/04/09
    >世間から「専門家」と見なされてる人の(実際には、政治的・官僚的な)発言、レトリックというのは、まったくたちが悪い
  • 無償化という欺瞞 - Arisanのノート

    28日に京都で行われたこの抗議集会とデモに行ったので、そのことを書こうかと思ったけど、下の記事を読んだら、これも大事なことが書いてあると思ったので、そちらを少し書いておきたい。 高校無償化は負担増 フリースクールや定時制の親ら訴え http://www.asahi.com/politics/update/0329/TKY201003280332.html 鳩山政権の目玉施策「高校無償化」は月内にも法案が成立する。しかし、不登校の生徒らが通うフリースクールには適用されず、授業料が安い定時制や特別支援学校なども恩恵が乏しい。無償化の財源として税の優遇措置が縮小されたため、逆に税負担の方が重くなるケースが多くなりそうだ。学びを幅広く支援するための制度が、逆に困難の中で勉強している生徒の家庭に負担を強いる形になっている。 この記事を読んで分かることは、(朝鮮学校のことに限らず)文部科学省が認めない

    無償化という欺瞞 - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2010/03/30
  • 「ガザ虐殺を繰り返させないための共同声明」への賛同を! - Arisanのノート

    以下の呼びかけ文を転載します。 以下、転送・転載歓迎*** 昨年のガザ攻撃から1年と少し経ちましたが、パレスチナの状況は悪くはなっても、 良くなる材料がありません。ガザは封鎖され、復興のための資材もまともに 運びいれられません。また、あの攻撃に対する公正な裁きも行われていません。 このような状況に対し、日国内のNGOやグループが現政権に向けて、 「ガザ虐殺を繰り返させないための共同声明」というものを発表しました。 日の中東政策の抜的な転換を求めてのものです。 大項目としては、 1. ガザの民衆に平和と公正の保障を! 2. 入植地・隔離壁の完全撤収を! 3. 占領終結に寄与するパレスチナ支援を! 4. イスラエルのアパルトヘイト体制に対する適切な国際圧力を! となっています。(詳細は以下のページをご覧ください) http://palestine-forum.org/doc/2009/g

    「ガザ虐殺を繰り返させないための共同声明」への賛同を! - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2010/03/25