・あたし彼女 第3回日本ケータイ小説大賞受賞作品。象徴的かつ特徴的なプロローグが紹介されて、ネット上では叩かれたり、パロディができたりしていますね。個人的にはパロディだけでかなり笑わせてもらって、周りで「てか」「みたいな」が大流行中なんですが、さすがに読まないで批判もないだろうということで、読破。だいたい2時間くらいかかりました。 印象としては、まず句読点なしだったり風景描写ほぼなしの常時一人称な視点が新しいなぁと思いました。もしかしたら、ケータイ小説では普通なのかもしれませんが、普通の小説では見たことない作風。テンポよく次ページ、次ページとクリックしていると、韻を踏んだ感じの文章と相まって、ラップを聴いているような感覚に陥ります。 ケータイ小説で250万部も売れた「Deep Love」シリーズが小説の体裁を一応は保っていたのに対して、「あたし彼女」はまったくケータイに最適化されており、新
インターネットの各所で話題になっている“わたし彼女”ですが、お前ら、なんであの小説があんな文体で書かれているのかわかっていないで書いているとすれば本当の馬鹿だ。まあ、冒頭の文はみんなもう読んでるとおもうから、省略するとして、以下のあとがきの文章をまず読んでくれ。 ここまで読んでくれた皆様に大変感謝いたします。 お疲れ様でございました。 本当にありがとうございます。 書いていて 違う…こんな事書きたい訳じゃない やっぱりこんなの面白くないなぁと 途中 削除のボタンを見つめた事もございました。 でも無事に完結出来て本当に嬉しく思いました。 読んでくれた皆様の コメントくれた皆様の お陰だと あたくし本当に思います。 何度お礼を言っても 足りません(;Д;) 本当にありがとうございます。 読みやすいお話を書きたかった 分かりやすいお話を書きたかった だけど 書いて気付いた 感情伝わってる? はて
第3回日本ケータイ小説大賞:あたし彼女 http://nkst.jp/vote2/novel.php?auther=20080001 「あたし彼女」という携帯小説がtwitter、はてブなど各方面で賛否両論(まあ否が8割程度ではあるが)を巻き起こしている。 僕も本日ざっと通読してみた。で、まあ、僕の評価はひとまず置いておくとして、 ただ、その批判のされ方には、多少なりとも思うところがあった。 いくつかの批判があるようだが、まず注目したいのは、最初の数ページの文体だけを見ての、 「こんなものは日本語ではないから小説ではない」 という意見。 僕はこういうのを聞くと何やらムカムカして、豚の臓物でも庭に投げ込んでやりたくなる。 小説というものは本来もっと自由なものである。 断定口調で「これは小説ではない」と定義できるあんたは何様なんだ。小説の神様か。 数千年の歴史と共に研鑽が行われてきた小説の技法
2ちゃんねる文学ってのは、2ちゃんねるのスレで語られる体験談とか、漫画やアニメのサイドストーリーのことね。どっちが肌に合うかって話。 「恋空」読んだ俺がレビューしてやんよ 美嘉のホームページ[魔法のiらんど] 美嘉の作品一覧[魔法のiらんど] 切ナイ恋物語?恋空?前[魔法のiらんど] 美嘉の作品一覧[魔法のiらんど] 切ナイ恋物語恋空後[魔法のiらんど] 前半は余りのスピード展開で、まさか流産までジェットコースターとは思っても見なかった。このジェットコースターで話があれよあれよという間に進むさまはテンポも良く面白かった。まさに、つかみはOKと言ったところか。しかし、レイプや流産といった問題をさらっと流し過ぎである。もっと内面描写をすべきなんじゃないか。それに比べると恋や友達関係は長めに書いてる。ただし、小学生の作文みたいに、○○へいきました、誰それと何をしました、楽しかったですみた
宣伝文句を信用するならば、日本人の10人に1人が“ケータイ小説”『恋空―切ナイ恋物語』(以下、『恋空』)を読んで泣いたということになる。レイプや妊娠、流産、そしてがんによる少年の死などが内容の、素人によるこのラブストーリー。文化的にもそれほど普及しているのなら極めて異例であり、21世紀におけるマスメディア業界の事件としても取り上げられていることだろう。インターネット上でのダウンロードの回数が1,200万という数字はおそらく間違いであろうが、業界における『恋空』の大ヒットは本当にすごいことである。というのも、2005年にホスト向けの掲示板へ投稿された“ケータイ小説”から始まり、その後携帯小説サイト「魔法のiらんど」からのダウンロード数は開設後1年で1,000万に達したのだ。さらに、書籍化された上・下巻はミリオンヒット、漫画化を経てついには映画化もされ、公開初日の興行成績では第3位をおさめたと
「お前が言うな」と言われるのを覚悟&禁止したうえで、感想だけ書こう。長くなると感情論になりそうなので何だが。 ケータイ小説を理解できない人間は既に老害化しているという衝撃の事実 http://d.hatena.ne.jp/aerodynamik/20071108/p1 確かに、既存のブンガクからケータイ小説を読むと「はぁ?」という話になるようだが、ひとつの市場としてケータイ小説が若い男女に流行して、それ専用の商売が成立しているという現象は認める。 一方で、ケータイ小説を理解できないと老害であり、変化に対応できていないクズ野郎であっていますぐ泉下の人となるべき生きた化石かというと「まだ分からない」。 ぶっちゃけ、フラフープが流行して、あれこそ老若男女こぞってやりまくって「21世紀はフラフープの時代」とか「ちょっとした娯楽としてフラフープを一人一本常備」というような流れになったかと言われると結
パンクが世間に現れたとき、大人は「あんな稚拙なものは音楽ですらない」と言った。 テクノポップが世間に現れたとき、大人は「あんな血の通っていないものは音楽ですらない」と言った。 クラブミュージックとしてのテクノが世間に現れたとき、大人は「繰り返しだけでメロディーもない、これは音楽ですらない」と言った。 小学生が書いたかのように稚拙な文章。 ただ泣かせる為だけに考えうるだけの不幸を並べ立てた不感症のような展開。 どの本もセックスとレイプと病死が判で押したように繰り返される構造。 そうなのだ。これは紛れもなく文学のニューウェーヴなのだ。 30を過ぎた俺がそれを認めたくないだけなのだ。 ああ、なんてこったい。 「ケータイ小説(笑)」などと言っている時点で、自分が既に現代の新たな文化を理解できないという紛れもない事実を惨めに世間に晒すことになろうとは。 進化を拒んだ俺の脳は硬直し、穏やかにただ死を待
ケータイ小説をなめてはいけない──日本近代文学と「女学生」 トーハンが、書籍の「2007年 年間ベストセラー」を発表した。文芸部門では、女子中高生が愛読するケータイ小説がベスト3を独占。ベスト10のなかに5作がランクインした。 この現象について、英国紙タイムズから取材を受けた。海外のメディアも注目する現象なのだ。日本の純文学の関係者は、「素人が書いており文章がつたない」「ストーリーが型にはまりすぎ」などとケータイ小説を酷評している。だが、「くだらない」の一言で切り捨てることはできない。 このブームの根底にあるものを読み解くには、日本の近代文学史、それも教科書では教わらない、近代文学のほんとうの誕生について知る必要がある。意外かもしれないが、ケータイ小説は、近代日本文学の伝統の流れの延長に位置するものなのだ。 「女学生」の投稿雑誌、オフ会は明治時代から存在していた 文芸部門のランキ
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『ダ・ヴィンチ』2007年月号(メディアファクトリー)の記事「ケータイ小説ってどうなの?」より。 (「若者がケータイ小説にハマる理由」という「ケータイ小説」読者の10代の女の子たちの対談記事。参加者は、木村裕美さん(18歳)、柳沢桃子さん(18歳)、松本優美さん(17歳)、中島祐乃さん(17歳)) 【司会者:『セカチュー』もやっぱりヒロインが死んじゃうでしょう? あれはどうなの? 中島:私はそれなりに感動したけど……ただ、『セカチュー』って、なんていうか「昔」の話なんだよね。ところどころわからない描写があったし……今っぽくないなあって。 柳沢:うん、やっぱり「現実的」じゃないんだと思う。リアルかどうかって大事だよね? 一同:うん。 柳沢:出会い系とかレイプとか、ちょっとグロい現実の話が、もしかしたら近くであるのかもって思うところにリアリティがあるんだと思う。 司会者:えっ? でも出会い系や
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フランス語では「エクリヴァン」(作家)という単語には大変な敬意が込められているのだと習ったのは、もう30年以上も前だ。なるほどそういう国だから「これからの文学批評は、作者ではなく読者を相手にする時代だ」と説いたロラン・バルトの批評「作者の死」が書かれたのだと納得したのは、もう少し後の話である。 今月の文芸誌では、中村航・鈴木健介・草野亜紀夫による鼎談(ていだん)「ケータイ小説は『作家』を殺すか」(文学界)が最も刺激的だった。『恋空』に代表されるケータイ小説は、「浪花節」であり「演歌」であり「大衆芸能」であると言う。つまり、それほど種類の多くない「物語」から成っているということだ。しかし、それがかくも多くのヒットを生み出したのは、TSUTAYAでの販売に力を入れたということだけではなく、「『実話を基にした』というスタイル」を採っているからで、そのスタイルが「リアリティー」を保証しているからだ
評論家「『恋空』は2chねらには駄作だけどリア充には名作。もはやリアリティの基準が多様化している」 1 名前: イベント企画(沖縄県) 投稿日:2008/01/16(水) 20:45:46.00 ID:8IYRjfej0 ?PLT 『恋空』を読む(1):ケータイ小説の「限定されたリアル」 ネット上では――ケータイ小説のメイン読者層ではなかった人々の間で――、この作品をどのように位置づけるのかをめぐって議論がなされていました。 第一の立場は、その小説の内容について、「『恋空』クソすぎワロタwww」などと嘲笑するというものです。こうした嘲笑的な言説の多くは、2ch系ニュースサイト やAmazonレビューなどの場所を中心に、ある種の「炎上」や「コメントスクラム」に 近い形で散見されましたが、この作品に向けられた嘲笑は、単にその「内容」のクオリティ に向けられたというよりも、それほどまでに短絡的で
『恋空』を読む(1):ケータイ小説の「限定されたリアル」 2008年1月15日 ITカルチャーメディア コメント: トラックバック (1) (これまでの濱野智史の情報環境研究ノート」はこちら) ■1. 分析を始める前に――『恋空』に対する2つの立場 ずいぶんと旬は過ぎてしまった感はあるのですが、今回は少し趣向を変えて、2007年に話題を集めたケータイ小説作品、『恋空』(スターツ出版、2006年)について分析してみたいと思います。 さて、分析を始める前に、いくつか確認しておきたいことがあります。昨年から(おそらく映画が公開されヒットを記録したのを境に)、ネット上では――ケータイ小説のメイン読者層ではなかった人々の間で――、この作品をどのように位置づけるのかをめぐって議論がなされていました。筆者もそのすべてをきちんとフォローしているわけではありませんが、ある程度概観しておくならば、それは大きく
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