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杉原千畝 命のビザの検索結果1 - 22 件 / 22件

  • ナチス迫害から逃れたユダヤ人救った樋口中将 顕彰する銅像 米戦略家らが建立委員会設立

    第2次世界大戦直前、ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救った陸軍中将、樋口季一郎(明治21年~昭和45年)の功績を顕彰する銅像を樋口の出身地、兵庫県南あわじ市などに建立する計画が進んでいる。12日までに孫の明治学院大学名誉教授の隆一氏を代表とする銅像建立委員会が設立された。 設立委員には、南あわじ市の守本憲弘市長や戦略論研究で世界的権威の米歴史学者であるエドワード・ルトワック氏らが名を連ね、来年秋、南あわじ市の伊(い)弉(ざ)諾(なぎ)神宮などに銅像建立を目指し、5月に一般社団法人を設立し、約2000万円の寄付を募る。 樋口中将はハルビン特務機関長だった昭和13(1938)年、ナチスの迫害を逃れソ連を通過してソ連・満州国境に逃れながら立ち往生していたユダヤ難民を満州国に受け入れ、脱出ルートを開き、救出人数は2万人とされている。 この2年後の40年、リトアニアのカウナスで杉原千畝領事代理が命

      ナチス迫害から逃れたユダヤ人救った樋口中将 顕彰する銅像 米戦略家らが建立委員会設立
    • 「命のビザ」で異説 ユダヤ人が恐れたのは「ソ連の全体主義」だった:朝日新聞デジタル

      バルト海に面したリトアニアで第2次世界大戦中、外交官の故・杉原千畝(ちうね、1900~86)が発給したいわゆる「命のビザ」で、ユダヤ人難民らは何から逃れようとしていたのか。専門家が米国に所蔵されている当時の1次資料を分析したところ、「ナチスの迫害から」とする見方だけではない事情が浮かんできた。 杉原は当時、独立国リトアニアの首都カウナスで日本領事代理を務めていた。40年7~8月、ドイツと旧ソ連による侵攻で母国を失った主にポーランド国籍のユダヤ人難民らに、日本の通過ビザを発給したことで知られる。外務省の記録では、杉原がこの時期に発給したビザは計2140件とされる。 東京理科大学教授の菅野(かんの)賢治さん(ユダヤ研究)は、当時の実情を知ろうと、歳月を経て出た回想録などの文献を除き、当時の1次資料のみを考証の対象とした。 現地で難民救援にあたったユダヤ人の非政府組織「アメリカ・ユダヤ合同分配委

        「命のビザ」で異説 ユダヤ人が恐れたのは「ソ連の全体主義」だった:朝日新聞デジタル
      • 杉原千畝ビザで来日のユダヤ難民、旧日本軍捕虜に 蘭領東インドで | 毎日新聞

        第二次世界大戦中、リトアニア駐在の外交官・杉原千畝が発給した日本通過査証(ビザ)で来日後、当時のオランダ領東インド(現インドネシア)に渡り、その後、旧日本軍の捕虜となったユダヤ人難民の存在が明らかになった。捕虜問題に詳しい米国在住のジャーナリスト、徳留絹枝さん(72)が遺族から聞き取り、確認した。日本からオランダ領東インドに渡ったユダヤ難民は少なくとも3家族9人おり、この中には捕虜収容所で死亡した若者もいた。杉原の「命のビザ」で救われたユダヤ人が旧日本軍の捕虜になっていたことはほとんど知られておらず、苦難の逃避行の一端が浮かび上がった。 ジャワ島で教員、蘭軍の従軍牧師に 皮肉な運命をたどったのは、ユダヤ教指導者(ラビ)だったハイム・ナスバウム(1909~94年)。徳留さんが今年3月にイスラエルを訪問した際、ハイムの孫で子ども支援施設を運営するハダサ・パーデスさん(55)から祖父のエピソード

          杉原千畝ビザで来日のユダヤ難民、旧日本軍捕虜に 蘭領東インドで | 毎日新聞
        • 親日国フィンランドいいなあ - 安くて、安全で、快適な家を 作りたい

          昨日のついでにフィンランドと 日本の関係を歴史上の事件で 調べました。 二人の英雄 杉原千畝さんに感動した 杉原千畝さん名誉回復 東郷ビールもあった 白夜を潮風に受けて 二人の英雄 自分(わたし)が30年前に聞いた フィンランドの人達が 日本に対して好意的であるという 情報は間違いではありませんでした。 親日家の国でした。 あのユダヤの人達を救った 杉原千畝さんも1937年に フィンランドの在日本公使館 に赴任していました。 Wikipediaより 杉原千畝(すぎはらちうね) リトアニア日本領事館臨時大使の時に 6000人のユダヤの人達を救った。 「東洋のシンドラー」と呼ばれる 「東洋のシンドラー」って何? こういう時はポチッと Wikipediaより オスカーシンドラー(オーストリア領) 第二次世界大戦中ドイツにより 強制収容所に収容されていた ユダヤ人のうち自身の工場で雇用 していた1

            親日国フィンランドいいなあ - 安くて、安全で、快適な家を 作りたい
          • 名曲「ZOO」歌手の激動すぎる38年の生涯、“命のビザ”杉原千畝との意外な繋がりも

            1966年静岡市生まれ。小学生時代に東京都へ。91年に早稲田大学法学部を卒業し、毎日新聞社に入社。西部本社整理部、佐賀、福岡、八王子、東京社会部、水戸、内部監査室委員、社会部編集委員、立川などでの勤務を経て、現在東京社会部記者。 ニュースな本 ビジネス・経済から、エンタメに教育、政治まで…。世の中には山のように書籍が存在する。その中から「読んでためになる」「成長できる」「思わずうなる」ような書籍を厳選し、その一部をお届けする連載。話題の新刊から埋もれた名著まで、きっと素敵な発見があるはずだ。気になる書籍があれば、ぜひ元の書籍を読んでほしい。 バックナンバー一覧 ユダヤ人6000人を救った「命のビザ」で知られる杉原千畝は、戦後、モスクワで働いていた。杉原の立ち合いのもとで結婚した日本人男性とロシア人女性の間に生まれたのが、ロック歌手の川村かおりだ。若い人でも、名曲「ZOO」を知っている人は多

              名曲「ZOO」歌手の激動すぎる38年の生涯、“命のビザ”杉原千畝との意外な繋がりも
            • 英語喉ラジオ「リトアニアのシャイな女性ヨヴィタに何を訊くねん!?」 - 或る物書きの英語喉と小説まみれのジャズな日々

              北欧のバルト海東岸に縦に並ぶバルト三国のうち、最も南にあるのが現在の「リトアニア共和国」だ。この国は深く重い歴史がある。遡れば10世紀以降、目まぐるしく体制が代わり、支配されたり独立したりを繰り返す中で、歴史に翻弄されてきた国だ。 ~ 英語喉外国人交友録 Jovita (Lietuvos Respublika)  ~ 「英語喉ラジオ」とは2011年頃、筆者が大学卒業以来の英語再学習を「英語喉」で始め、ほどなく開始した「MASA RADIO」というポッドキャストで、ネイティブをゲストに迎え、英語学習駆け出しの筆者が英語でインタビューするチャレンジ企画だ。 Sponsored Link Advertising リトアニアと東洋のシンドラー杉原千畝 20世紀の終盤、ソ連のゴルバチョフ大統領の主導によるペレストロイカ(改革)やグラスノスチ(情報公開)の波の中で独立運動が隆盛し、最も早く独立回復を宣

                英語喉ラジオ「リトアニアのシャイな女性ヨヴィタに何を訊くねん!?」 - 或る物書きの英語喉と小説まみれのジャズな日々
              • 杉原千畝の「命のビザ」が救ったのは2500人だった ロシアの研究者、シベリア鉄道の乗車記録に着目:東京新聞 TOKYO Web

                第2次大戦中、ナチス・ドイツが迫る東欧リトアニアで、日本の外交官杉原千畝(ちうね)らが発給した「命のビザ」で救われたユダヤ人難民の数は約2500人だったとする研究結果を、ロシア国立人文大のイリヤ・アルトマン教授(68)がまとめた。難民が利用したソ連・シベリア鉄道の乗車記録に着目し、「命のビザは6000人を救った」とする従来の推論を退けた。モスクワで10日に開くシンポジウムで発表する。(カウナスで、小柳悠志、写真も) 日本外務省の記録によると、リトアニア・カウナスの領事館に勤務していた杉原は2139通のビザを発給。当時のビザは1通で子どもらの分も有効だったため、ソ連と日本を経由、第三国に逃れた難民の数はビザ発給数を大きく上回るとの期待があった。難民の多くはポーランド東部(現ベラルーシ)出身だった。 ただ、アルトマン氏がソ連国営旅行会社インツーリストや運輸当局に残る1940〜41年のシベリア鉄

                  杉原千畝の「命のビザ」が救ったのは2500人だった ロシアの研究者、シベリア鉄道の乗車記録に着目:東京新聞 TOKYO Web
                • ユダヤ人難民と北海道を守った樋口季一郎とは。旧陸軍中将の生涯 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

                  2020(令和2)年9月、北海道石狩市に1人の旧陸軍中将を称える記念館が開館。彼の名前は、樋口季一郎(ひぐちきいちろう)。1938(昭和13)年、多数のユダヤ人難民を救出しました。ユダヤ人難民救出と言えば、「命のビザ」を発行した外交官・杉原千畝が有名ですが、樋口はその2年前に救出を行っています。 また1945(昭和20)年、終戦後に関わらず千島列島の占守(しゅむしゅ)島に侵攻したソ連軍と戦い、北海道を守りました。 今回はそんな彼の生涯を紹介します。 樋口季一郎記念館長に伺う、設立への思い 樋口季一郎記念館は、北海道石狩市内にある「古民家の宿Solii」(古民家の一棟貸しを行う宿泊施設)内の、蔵を再生して開館。館長の江崎幹夫さんに、記念館を立ち上げようと思ったきっかけを伺いました。 「樋口季一郎のユダヤ人難民と北海道の分断をソ連から救った功績は、日本ではあまり知られていません。札幌市の『つき

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                  • 特集ワイド:午後のおしゃべり 西洋文明の闇、ユダヤ迫害 ジャーナリスト・石郷岡建さん | 毎日新聞

                    ある会合で。ロシア専門のジャーナリスト、石郷岡建さん(75)が「本を出したんだよね」と言うので「へえ」と応じたら、「読むならあげるけど、読まないならあげない」なんて言う。そう言われたら「読まない」とは言えない。 カバンから大事そうに取り出した本を見て驚いた。分厚い大著で、全20章もある。タイトルは「杉原千畝(ちうね)とスターリン」(五月書房新社)。その下に「ユダヤ人をシベリア鉄道へ乗せよ! ソ連共産党の極秘決定とは?」。帯も著者のように冗舌だ。「スターリンと杉原千畝を結んだ見えざる一本の糸 衝撃の歴史が浮かび上がる イスラエル建国へつながるもう一つの史実! 英独露各国の公文書を丁寧に読み解く」。「ビックリマークが多いですね」と言うと、「あ、でも、帯書いたの、僕じゃないから」と少し照れている。「構想から出版まで10年もかかった」そうで、写真も資料集みたいに満載だ。 本はこう始まる。<正直にい

                      特集ワイド:午後のおしゃべり 西洋文明の闇、ユダヤ迫害 ジャーナリスト・石郷岡建さん | 毎日新聞
                    • 中学生、高校生におススメ!!国の命令に背いて6000人の命を救った英雄! 【六千人の命のビザ】 杉原千畝 - いまさらオヤジのポイ活日記と雑記

                      スティーブン  スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」という映画を観た方は多いのではないでしょうか。 オスカー・シンドラーはナチスに追われ、行き場をなくした多くのユダヤ人を救ったドイツの実業家です。 シンドラーと同じように、多くのユダヤ人を救い「東洋のシンドラー」と呼ばれた杉原千畝(ちうね)という日本人をご存知でしょうか。 2019年7月29日、グーグルドゥードゥルにも選ばれた杉原の人生をたどってみたいと思います。 1940年7月 生い立ち 千畝の決断 杉原一家のその後 ユダヤ難民との再会 1940年7月 リトアニアの首都カウナスにある日本領事館の領事代理である千畝が、ある朝目覚め外を見ると、領事館前に人だかりができていました。 話を聞くとナチス・ドイツのポーランド侵攻により、住むところを追われ避難してきたユダヤ人で、日本を通過するためのビザ発給を求めて来た人たちでした。 ヨーロッパの各

                        中学生、高校生におススメ!!国の命令に背いて6000人の命を救った英雄! 【六千人の命のビザ】 杉原千畝 - いまさらオヤジのポイ活日記と雑記
                      • 日本とロシアが領事追放で応酬「ペルソナ・ノン・グラータ」とは | 毎日新聞

                        ロシア政府が在ウラジオストク日本総領事館の領事1人を「ペルソナ・ノン・グラータ」(好ましからざる人物=PNG)に指定し国外退去させたことに対抗し、日本政府は4日、ロシアの在札幌総領事館の領事1人をPNGに指定し、露の領事は10日に日本を出国した。日本では聞き慣れないPNGとは――。 「命のビザ」背景にPNGも PNGはラテン語の外交用語。外交官の受け入れ国は派遣国に対し、理由を告げることなく、滞在を拒否することができる。 PNGに指定された外交官は、そのままだと身体の不可侵などの外交官特権が失われ、逮捕などの危険があるため、派遣国はただちに帰還させるのが一般的で「外交官に対する制裁としては最も重い措置の一つ」(外務省幹部)だ。外交関係と領事関係についての多国間条約で規定されている。 PNG指定を受けた最も有名な日本人外交官は、第二次世界大戦下、ナチス・ドイツの迫害から逃れようとしたユダヤ人

                          日本とロシアが領事追放で応酬「ペルソナ・ノン・グラータ」とは | 毎日新聞
                        • もう一人の「東洋のシンドラー」: 2万人のユダヤ人を救い、北海道を守った樋口季一郎陸軍中将

                          もう一人の「東洋のシンドラー」: 2万人のユダヤ人を救い、北海道を守った樋口季一郎陸軍中将 社会 歴史 2021.06.28 リトアニアの日本国総領事館に赴任していた杉原千畝がナチス・ドイツの迫害から逃れてきた多くのユダヤ難民を救出した逸話は、「東洋のシンドラー」として国内外に広く知られるようになった。その一方で、もう一人の「東洋のシンドラー」、樋口季一郎陸軍中将の史実は知られることが少ない。杉原が救ったとされるユダヤ人の数6000人を優に上回る2万人のユダヤ人を樋口中将が救ったことは、ユダヤ人社会で記録に留められているほどだが、今、彼の功績を広く世界に伝えるべく、日本、イスラエル、米国で連携の輪が広がろうとしている。 ルトワック氏ら22人のユダヤ人が銅像建立の発起人に 第二次世界大戦直前、ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人難民を救い、ポツダム宣言受諾後、ソ連の北海道侵攻を阻止した樋口季一郎

                            もう一人の「東洋のシンドラー」: 2万人のユダヤ人を救い、北海道を守った樋口季一郎陸軍中将
                          • もう一つの「命のビザ」 独断でユダヤ難民に発給した実物発見 駐ソ連の総領事代理 | 毎日新聞

                            第二次大戦中にソ連(現ロシア)ウラジオストクの総領事代理だった外交官、根井三郎(1902~92年)が、ナチス・ドイツの迫害を逃れたユダヤ人に発給した日本通過ビザ(査証)が見つかった。根井がビザを発給したとする記録がソ連側に残っていたが、実際にビザが確認されたのは初めて。戦時中にリトアニアでユダヤ人に「命のビザ」を出した杉原千畝(1900~86年)が国際的に知られているが、関係者は「杉原以外にもユダヤ人を救った日本の外交官がいたことを多くの人に知ってほしい」と話している。 ビザを見つけたのは、ユダヤ人難民に関する著書がある東京在住のフリーライター、北出明さん(76)。サバイバー(生存者)の追跡調査をするなか、ポーランド出身の故シモン・コエンタイエルさんが根井のビザで来日していたことが判明。孫で米国在住のキム・ハイドンさん(53)からビザの画像データを入手した。

                              もう一つの「命のビザ」 独断でユダヤ難民に発給した実物発見 駐ソ連の総領事代理 | 毎日新聞
                            • 杉原千畝に次ぐ「正義の人」に推挙へ 外交官・根井三郎 「外務省の意向に反して難民を救済」:東京新聞 TOKYO Web

                              第2次大戦中、当時のソ連ウラジオストク総領事代理だった外交官、根井(ねい)三郎(1902~92年)が、イスラエル政府の「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」に推挙されることがわかった。「命のビザ」で知られる外交官、杉原千畝(1900~86年)と同じく、根井も独自の判断でビザを発給してユダヤ人難民を救ったと評価されており、受賞すれば杉原に次いで日本人で2人目となる。(小柳悠志) 「命のビザ」の研究で知られる国士舘大のヤコフ・ジンベルグ元教授と、ロシア国立人文大のイリヤ・アルトマン教授が連名で10月にも賞選考委員会に申請する。賞の選考にも関与するイスラエル国立ホロコースト記念館「ヤド・バシェム」のダニー・ダヤン館長は、根井への授与に前向きな姿勢を示しているが、選考は数年以上かかる可能性もある。 根井は、杉原がロシア語を学んだハルビン学院の後輩にあたり、2人には面識があった。1941年、

                                杉原千畝に次ぐ「正義の人」に推挙へ 外交官・根井三郎 「外務省の意向に反して難民を救済」:東京新聞 TOKYO Web
                              • グーグルのロゴになった杉原千畝氏「命のビザ」はオランダ領事、駐日ポーランド大使とのリレーだった(木村正人) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                                [ロンドン発]第二次世界大戦中に駐リトアニア領事代理としてナチス・ドイツの迫害を受けたユダヤ人を救うため「命のビザ(査証)」を発給し続けた杉原千畝(ちうね、1900~86年)氏が7月29日のグーグル・ドゥードゥル(Google Doodle)に選ばれました。 ドゥードゥルとは「いたずら書き」の意味で、検索エンジンの窓の上に杉原氏とパスポート(旅券)、「命のビザ」、救われたユダヤ人をデザインしたドゥードゥルが登場しました。 「杉原千畝を称えて」と題したドゥードゥルのアーカイブにはこう書かれています。 「『他に方法はありませんでした』と、第二次世界大戦の勃発直前にリトアニア(・カウナス)に駐在していた日本の外交官、杉原千畝は言いました。 杉原は何千人ものユダヤ人に通過ビザを発給し始めました。ユダヤ人が日本を経由して逃げるのを手伝うため、上司の命令に背きました」 「『私は外務省に対して人道上の問

                                  グーグルのロゴになった杉原千畝氏「命のビザ」はオランダ領事、駐日ポーランド大使とのリレーだった(木村正人) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                                • 杉原千畝が「命のビザ」を発給した記念館 日本の誇りをかけて閉館危機から救いたい!

                                  このプロジェクトは、2020-08-28に募集を開始し、1,164人の支援により10,487,500円の資金を集め、2020-10-30に募集を終了しました 新型コロナウイルスの影響により、杉原千畝が “命のビザ” を発行したリトアニア・カウナスにある旧日本領事館(現:杉原記念館)が閉館の危機に直面しています。第二次世界大戦下、日本の指示に背いてまで人々を救うビザを発給し、今でも多くの人に敬愛される杉原氏の偉業を後世に残して行く為に一緒に支援しませんか? 本プロジェクトは駐日リトアニア共和国大使館の後援を得ています。 追加情報!(10/30) ・【第7弾公開】私たち一人ひとりのプロジェクトへ思いを綴ったnote も是非ご覧ください!(不定期更新) 第七回:【メンバーの想い No.7 なかじ】 (「ひと」を救った杉原さんの功績が問題提起に繋がるはず) ・10/30(金) 神奈川新聞社のネット

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                                  • 名古屋で「あいち国際女性映画祭」 日本初公開含む30作品上映

                                    名古屋で開催される「あいち国際女性映画祭2020」。ポスターデザインはデザインコンテストで最優秀賞に選ばれた小林寛さん 国内外の女性監督の作品、女性に注目した作品を中心にさまざまな映画を上映することで、映像文化を通して女性の社会進出の支援と国際交流を図る同映画祭。1996(平成8)年に同館の開館とともに第1回が開催され、今年で25回目を迎える。 今回は日本初公開4本、愛知初公開7本を含む30作品を上映。サテライト会場となる名駅の映画館ミッドランドスクエア シネマ(中村区名駅4)でも作品を上映する。 「フィルムコンペティション」は実写部門とアニメーション部門で実施。5日に実写部門8本、アニメーション部門4本のノミネート12作品を上映。上映後の授賞式で各部門のグランプリが発表されるほか、観客賞を決めるための観客の投票を行う。観客賞は同映画祭HPで発表する。 期間中はゲストを招き、さまざまなトー

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                                    • 命のビザ、そして人々が温かかった ユダヤ人の孫「神戸は特別」 | 毎日新聞

                                      祖父母にゆかりのあった神戸の街を眺めるアンナ・グリーンさん(左)=神戸市中央区で2022年12月12日午後0時24分、中田敦子撮影 ナチス・ドイツの迫害を受けたユダヤ人を脱出させるため、駐リトアニア領事代理だった杉原千畝(ちうね)(1900~86年)が発給した日本通過のビザで生き延びたユダヤ人の孫、アンナ・グリーンさん(46)が12日、神戸市を訪れた。祖父母のゆかりの場所を巡り、「神戸の人々の親切があったから、祖父母は生き延びることができた。とても感慨深い」と語った。 第二次世界大戦中、約5000人のユダヤ人が、亡命先に移る数カ月間、神戸に滞在したとされる。ポーランドに住んでいたアンナさんの祖父オスカー・グリーンバーグさんと祖母ドラさんも杉原の発給したビザでシベリア大陸を横断、41年1月に神戸に到着した。

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                                      • 「命のビザ」発給後、被整理者に 杉原千畝の履歴書発見:朝日新聞デジタル

                                        第2次世界大戦中にナチスの迫害を受けるユダヤ人に「命のビザ」を発給した外交官・杉原千畝(ちうね)氏(1900~86)の履歴書が新たに見つかった。帰国後に外務省を辞め、参院事務局の職員に転職したことが判明。外務省は杉原氏の退職理由を「不明」としており、ビザ発給後の杉原氏に関する史実解明につながる可能性がある。 発見されたのは杉原氏が参院に提出した履歴書と、勤務実績を示す人事記録の計2枚。参院事務局が7月下旬に見つけ、遺族や関係者でつくる「杉原千畝記念財団」が21日公表した。 杉原氏は1940年、赴任先のリトアニアで日本の通過ビザを多数発給することでユダヤ人約6千人を助けたとされる。47年4月の帰国後は、NHKや商社などの職を転々としたが、49年2~10月に参院資料課で主事として勤務したことが新たに判明した。 履歴書では外務省の退職理由を依願退職としつつ、「(47年)3月の行政整理に際し被整理

                                          「命のビザ」発給後、被整理者に 杉原千畝の履歴書発見:朝日新聞デジタル
                                        • 【メモ】「自由を呑みこむワニ『モスクワ』」という独立時の落書きが、リトアニア国会周辺で保存されている - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                                          自由を呑みこむワニ『モスクワ』~リトアニア独立時、国会周辺に描かれた落書きこの画像…「Free」を呑みこむ、「Moscow」と記されたワニ、という落書きは、この本より紹介。 命のビザ 評伝・杉原千畝:一人の命を救う者が全世界を救う 作者:白石仁章ミネルヴァ書房Amazon ハッキリ明示はされていないが、どうも読者層を、若き学生・生徒らで想定しているようで、文章が平易で読みやすい。 そして、構成がフリーダムというか、飽きさせないように?大幅に「コラム」を挿入、杉原の評伝からは離れて、しかし知っておいたほうが理解の進む周辺的な情報を詳しく書いているのだ。 そのコラムの一つとして「命のビザ」の舞台となったリトアニアを紹介する「リトアニアってどんな国?」というのがあり、そこで筆者が首都ヴィリュニスを旅した風景を、自分で撮った写真を添えて紹介しているのだが…。 ワニの落書きとは ・1991年、独立運

                                            【メモ】「自由を呑みこむワニ『モスクワ』」という独立時の落書きが、リトアニア国会周辺で保存されている - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                                          • 杉原千畝の「命のビザ」と日本酒が結ぶ、ユダヤと日本の絆

                                            コーシャ認証を取得した舩坂酒造の「深山菊」を手に笑顔のエドリー(中央左)と有巣(中央右) COURTESY OF BINYOMIN Y. EDERY <「日本のシンドラー」杉原の功績で岐阜はユダヤ人観光客にとって特別な土地に、地元も「コーシャ認証」の日本酒で彼らを歓待する> 岐阜県高山市。市場の裏手にある居心地のいい酒場で、筆者は舩坂酒造店の有巣弘城社長(36)と一緒にグラスを掲げた。つがれているのは、ユダヤ教の戒律に基づく食の規定「コーシャ」の認証を得た特別な日本酒だ。 「カンパイ!」。こちらが日本語で言うと、有巣は目を丸くして、満足そうにヘブライ語で応じた。 「ルハイム!」 よき酒があれば言葉の壁も文化の壁もどこへやら。そんな光景と言えなくもないが、実はこの乾杯は、「日本のシンドラー」と呼ばれた杉原千畝の功績に由来する。 時は第2次大戦中、1940年のこと。リトアニアの日本領事館領事代

                                              杉原千畝の「命のビザ」と日本酒が結ぶ、ユダヤと日本の絆
                                            • #杉原千畝プロジェクト 始めます - アホヲタ元法学部生の日常

                                              #杉原千畝プロジェクト 始めます〜パワハラ事務所からの解放を目指して〜 新版 六千人の命のビザ 作者:杉原 幸子 発売日: 1994/03/01 メディア: 単行本 2021年に何をしたいか、と色々考えたが、やはり「ブラック事務所に就職した若手弁護士」に、「早く逃げろ!」と声を大にして訴えたい。パワハラ事務所は、ナチスドイツの強制収容所みたいな所であり、そこからの脱出を支援するプロジェクトという意味で「 #杉原千畝プロジェクト 」と名付けた。 参考: 旦那の転勤についていったというエピソードは、Cが退職した際に、EとFから事前にこのように説明しろと釘を刺されていたものだ。 そして、私は以前在籍した女性弁護士の存在を初めて知った。 アウシュヴィッツの囚人が先にガス送りにされた同胞のダイイングメッセージを見つけたような心境だった。 — みのちき (@Alicandros) 2020年12月31

                                                #杉原千畝プロジェクト 始めます - アホヲタ元法学部生の日常
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