私は「不快」ということは無視すべきことではないと考えている。「正しさ」と較べて価値がないものでもないと思う。世の中には(ってこの枕詞も手垢がついてるな)「不快である」と言うことにすら、それが妥当な感覚であるかどうか合理的な正当性を求めるような人もいるが、「不快」というのはそういうことではないだろう。柳沢大臣の発言があの場であの立場の人として妥当なものであったかどうか、辞任すべきか否か(ってかこういう場合に求める処分としては「辞任」より「罷免」のほうが適切な要求だと思うんだけどさ)ってのは各々の価値観倫理観その他もろもろに従って理性で考えて判断することだし(「正しさ」とはそういうものではない、最初から「こうあるべき」は決まってるという見解の人もいるだろうけどさ)、そこで見解の違う人と議論になることもあると思うけど、「不快だ」「腹がたつ」「嫌だ」ってのは、大部分直観的に訪れるものであって(脊髄