人を褒めるってほぼノーコストで相手のやる気を回復させる魔法みたいなものなのに、 人のことを褒めない人いるよなーと思う。 褒められた側はやる気になるし、褒めた側としてもほぼメリットしかないと思うのだけれど、 やはりみんな悪い部分しか見ていないよね。悲しいなぁ。
大学に入るとき、親元を離れて一人暮らしした 家を出る時に12歳年上の姉、8歳年上の兄が 「笑いたく無くても笑え。」「全員に優しく接しておけ、必ず良い事が有る。」と何度も言っていた 俺は最初、大人の対応が出来る俺カッコいいと思い実行していたんだ だがこれは本当に効果があると3年経ち実感している 先月、体調不良で学校を休んだのだが大学の近くに住んでいる俺に皆が差し入れを持って見舞いに来てくれた 教授は病院に車で連れて行ってくれ病院代まで出してくれた 地方だからと言うのも有るのだろうが日頃から築かれる好感度ってのは重要だな
一次創作にもあてはまるのかもしれない、二次創作に特に思うこと。 ずっとモヤモヤしているので吐き出し。 A.自分の作品への「無断転載」「無断改変」「トレパク・盗作」に、非常に過剰な反応を見せる B.他者の作品(特に商業作品や写真)への「無断転載」「無断改変(コラや大喜利)」「トレース」 「違法音源・違法アップロード」に非常に寛容で大っぴら。 今インターネットお絵かきマンには、このAとBを併せ持つ人が多いと感じる。 無断転載されてその上作品の意味を変えられた、本当に悔しいと嘆きながら、 公式の画像を使用して作成されたコラ画像をリツイートしたり、時には自分で作る。 自分の同人誌を違法にアップロードされて怒る・晒すくせ、動画サイトに投稿された 「作業曲」「違法音源」を平気で人に勧める。 良かれと思って広めたという言葉は、無断転載者の常套句では? 無断転載者の「拾ったので誰が作者かわからない」・「加
よく「わたしは別に何も求めていません。今のままでいいんです。」という人がいる。 本人はとても謙虚な気持ちでそれを口にしているかも知れない。 しかしよく考えて欲しい。 世の中は動き続けているのだ。しかもその早さは今後も増していく一方だ。 急激な水の流れの中で一人その場にとどまり続けることが容易かと問われれば誰もが否と答えるだろう。 それと同じことなんだ。 消費税が8%に変るとき、コンビニにいつも来るおじさんがその日をさかいに商品の質だか個数だかを少し減らしたという。 それを見た店員が「みんなはただいつも通りの生活をしたいだけなのに」と寂しそうに綴った記事に多くの同情が寄せられていた。 それはちがうのだよ。 変わりゆく世の中の中でいつも通りの生活を続けることこそが、もっとも贅沢なことなのだ。 君たちが立ち止まろうとすることこそが、世の中の前進を滞らせていることにほかならないのだよ。 過去は二度
幸せって思える時って、 今が幸せなう。 なんじゃなくて、 この先幸せになれる確率が前より高いっていう期待値を実感出来る時なんだと思う。 だから、誰かを幸せにするコンテンツを本気で作りたいんだったら、 今じゃなくて ”ちょと先の未来が幸せだと妄想出来る余地があるなにか” を作って実感させないとならない。 幸せなんて提供しなくていいんだぜ。 むしろ提供したらおしまいだ。 幸せになれそうだって思わせるんだ。
結局、自分がどうしようもない状況に陥っている全ての原因は 自分自身の駄目さ・みっともなさと本来の意味で向き合えていない事じゃないかと思えてきた。 例えば、やるべき事を先延ばししてしまうだらしなさ、他人に怒られたくないがためにその場しのぎで嘘をついてしまう癖、 疑問点を適当に放置してしまう事、他人にいろいろ言われたくないから報連相ができない事、 努力が一切できず成功だけ夢見てしまう事みたいな「駄目でみっともない人間」的な欠点が自分には大量にある。 それに対して、自分自身の根底には「俺は何だかんだ言っても根本は誠実で真面目な人間だ」という考えと それに基づくプライドがあるから、欠点を自覚しているものの直視してプライドに傷を付けるのは避けたいと思ってしまう。 そこで、欠点を2ちゃんやツイッターでネタっぽく語ったり、他人への自己憐憫まみれの人生相談として喋る事で 「駄目な自分」というある種キャラ的
今日の昼は会社近くの定食屋に行った。 すごい疲れてて、胃に優しい小鉢とかみそ汁とか食べたかったから。 その店はメイン1つと小鉢3つ選んでそれに白米とみそ汁がつくスタイル。 メインには、豚の生姜焼きを選んだ。 席についてふと、胃にやさしいものが食べたかったのに何でこんながっつりした主菜を選んだのか考えた。 今日のメインのラインアップは秋刀魚の塩焼き、さばの味噌煮、肉じゃが、豚の生姜焼き。 この店にはよく来るけど魚が好きなこともあって、肉を選んだのは今日でまだ2回目だ。 普段だったら絶対に丸々1尾がカリッと焼かれたコスパ最強で脂がウマい秋刀魚か味噌が染みたさばを選んでる。 そこで思い至ったのが、「今日自分は身体じゃなくて精神的に疲れてるんだな」ということ。 配膳台に並んだ魚たちは生前の姿をかなりリアルに留めていて、 煮たり焼かれたりしてはいるけど、生物を感じさせる生命力にあふれてた。 今の疲れ
まあまあ、ちょっとそこに座って、僕のドヤ顔パーツをみてください ・旧帝大を出た ・じーさんでも外人でも名前を知ってる大手メーカに勤めてる ・TOEICは900後半キープしてる ・毎日PM6:30には帰社してる ・でも社内の業務評価では同役職内の上位層20%に毎期入ってる ・社内の同世代では一番上の役職に出世してる ・今もかわいいなーと思える奥さんがいる ・子供は1人。かわいい。そろそろもう一人欲しい。 もちろん僕よりずっと優秀な人も掃いて捨てるほどいることはわかってる。そんな人達からみたらなんてしょぼいドヤ顔ポイントだと思うかもしれない。もしくは会社の評価や給料=幸せじゃないだろ、なんてルサンチマンを持ち込むのにもピッタリかもしれない。 でも、少なくとも自分では、今の人生、結構幸せだなーと思ってた。僕のスペックや仕事ぶりや家庭環境をうらやましがったり、ほめてくれる人は結構いる。 自分がした
これから室内の熱中症に気をつけるなら無理せずエアコンを付けて5~15度の水分を適切に取るしか無いんだが、 ゲームに熱中したいなんて、簡単だ。熱中すればいいんだ。 ゲームをやっている時に「この時間で資格試験の勉強とかすべきだよなぁ」とか考えたくない。 (中略) ゲームの中に心を入れ込めず、現実の肉体やスケジュールに縛られたまま「睡眠時間の無駄使いだなぁ」とか考えながら、 http://anond.hatelabo.jp/20140722013602 ゲームをまた楽しめるようになりたい 圧倒的に熱量が足りない。言い直そう、心の温度が40度だからダメなんだ。 紙は燃えると思われているが、例えば水を入れて適切に熱すると、紙は燃えずに中の水だけが沸騰する。 つまり、紙には発火点という、限界温度がある。紙は233℃で燃え始める。 今のオマエは、鉄くずに塩を詰めただけのカイロだ。 同じ酸化でもスピードが
息子が小学校の頃、全然勉強しなかった。 「あーもうこいつマジ勉強しねぇ、勉強しろよ…」と思い何度もお説教した。 役に立つからと。お前のためだからと。 んである時言われた。 「そんなに役に立つならお父さんがやればいいじゃん。」 普通なら屁理屈言うなと済ませてしまうところだが、その時は 「まぁ確かにごもっともで」と感じてしまったので俺は勉強することにした。 とりあえず資格やら英語やらに取り組むことにした。 それから5年ほど経つが結果として息子はとても勉強するようになった。俺は給料が倍加した。 俺は技術系の仕事なんだが技術士だの工業英検だのを取得しまくった結果、とても重用されだした。 海外との取引は言葉の壁で敬遠してたところがあったのだが俺がその壁を壊した。 小さい会社なのでそれだけで年商3倍社員2倍になった。俺は重役になり報酬が増えた。 目に見えて海外出張が増えたあたりから息子は勝手に勉強する
20代の若者として思うんだが、90歳の自分を思うとなんだか遠い先の話に感じて呆然としてしまう。 80歳まで生きてるんだから堅実に生きないと、とか思ってしまって結局受身の人生になってる気がする。 「将来のために貯金しないと」とか「嫌だろうがなんだろうが将来を考えて正社員でいないと」とかいつまで経っても将来の心配ばかり。 だから50くらいで自殺するかとか考えてみると、急に今のままじゃつまらん人生でダメだと思えてきた。 50歳までの人生とリミットを決めると、生の実感みたいなものが急に現実味を帯びて自分ににじみ出てくる。 90歳までとか、だとなんだかダメ。適当に生きててもいつかは・・みたいな感じになる。 人によっては40歳まで、とかじゃないとダメに感じると思う。 漫画のカイジの鉄骨渡り編で利根川が「本当の自分がいずれ輝く、とか思ってるやつはまさに今こそがその本当の自分だということを分かっていない。
はじめに言っておくと、俺は社会不適合者だと思う。 コミュ障で友達は少ない(大事な友達であることに変わりはないが)。 強迫神経障害で精神科通院中。 就活中だが面接はことごとく落ちた。無内定。 大学には俺と同じような社会不適合者はごまんといる。 マイノリティだからこその「社会不適合」な気もするが、とにかくいっぱいいる。 彼らは各々の現実逃避先を見つける。 その中のありふれた選択肢として漫画やアニメがある。 で、俺にはそれがよくわからない。 漫画にはほとんど美男美女しか登場しない。 俺が話題にしてるような人が好んで読むことが多い萌え漫画なんてその典型だ。 現実逃避とは、自分の居場所を探す行為だと思う。 そういう意味で、俺はむしろ美男美女が楽しそうにコミュニケーションをとってる創作物には嫌気がさす。 ページをめくってもめくってもコミュ力の高い美男美女だらけ。 それは、漫画の世界に俺の居場所がないこ
日本はとりあえず恵まれている例えば自分がワープアだとするじゃん。年収200万以下。辛いって思うじゃん。でも、月17万くらいあったら、安い家賃のところに住んで、そこそこうまくもまずくもない飯を毎日食べれて、娯楽費にもある程度ぶちこめてちょっと節約すれば貯金もできるわけ。(ただし独身に限る) 発展途上国ではなかなかこうはいかない。飯が食えて家があるだけでとりあえず上等。娯楽費にお金なんてなかなか使えない。とりあえず何かスキルをつければお金をもっと稼げるようになるスキルがあれば億万長者になってうっはうはというわけではないけど、とりあえずある程度まで何らかのスキルを身につければ、収入は上がる。そうすれば生活はもっと楽になるし、選択肢ももっと広がる。こういうのって21世紀より前ではなかなか考えられなかった、つい最近の話。悲観しているのは未来が悲惨っぽいからどうせ頑張ったって人生に意味なんてないんだか
先日、43才になったSE兼プログラマ職、二児の父。 社会に出てから今まで仕事中心の多忙な日々。 それなりに充実はあったのだけど、 ものの見事にツマラナイ大人化していることに、40才の誕生日で気づいた。 その原因と対策について書いてみます。 結論から言うとツマラナイ大人化する最大の原因は 「やりたいことをあきらめ過ぎちゃう」 ことだと思う。 30代、子供が生まれるまでは、結構、やりたいことやってた。 自転車旅行、トライアスロン、ロッククライミング、カヌー、ギター、世界の辺境旅行。 結構、多趣味だったと思う。 でも子供ができて一家の生計を支えにゃならんという責務が生まれ、 それを強く意識しすぎ、かつ勤め先が自転車操業な半ブラッキー会社ということで、 それまでの趣味は全部あきらめて、仕事と子供の相手だけの日々になっていた。 仕事しないと会社潰れるし、子供の相手しないと嫁さんの機嫌悪いし。 今振り
少し前にテレビで「まっすぐ帰らない男たち」という特集があった。仕事が終わると、ゲーセン、カフェテリア、書店、飲み屋、家電量販店にたたずむ男達の姿を追った内容だった。中には週3回はカプセルホテルに泊まるという男性もいた。 仕事でもない、家庭でもない。とにかく「立場」のない世界に居たいとの言い分だった。あるトレーダーの男性はゲームセンターでメダルゲームに熱中していた。自分の金を使い、ただただメダルを増やしたり、減らしたりする。その結果が自分のみにしか関係がないのが理由らしい。なるほど、他人の金を預かり、殖やすことを目的とされた仕事とはどれだけ殖えても自分のためではないことがストレスになるというか、心の手ごたえがないのだろう。その人の、ただ、結果が自分にしか関係がないことが安心する、と言った言葉がとりわけ心に残っている。 私もずいぶん定時上がりの日々を過ごしている。その後は帰宅せずかならずどこか
「もっと働いて上を目指して、家族にいい暮らしをさせてやろう、な!」 と言われた。一応「はい」と返事するくらいの社会性は持ち合わせていた。ちなみに私はそんなつもりは毛頭なく(妻子持ちだけど)一生プログラムを書いて過ごしたいし、給料は別に今のままでもいいし、まぁ、許容可能範囲までなら下がっても問題はないと思っている。 専門卒で20歳から働き始めて、16年。ずっと株式投資(そんな大した額じゃないけど)をしている。1日1時間くらいの情報収集でゲーム膾炙と機械の株式だけのやりとりを続けている。今日付けでの総価格は3000万。全力でやればもっと増えるんだろうな、とは思うけど、趣味なのでこの程度だ。 なんてことは上司に言えなかった。正社員じゃないとマンションのローンが組めなかったので働いているだけです、とか。税制的に有利なんです、とか。 仕事の収入がすべて、という割には大したことがない収入の人っておおい
年齢相応の生き方みたいなものに興味はないつもりだったが、昨年の末くらいから何故かとても気が重い。 具体的に言うと、三十路も半ばになって独身童貞ぼっちなのだが、(とりあえず童貞は置いておくとしても)独り身で居ることが辛く感じるようになって来た。 今までこんなことを悩んだことはなかったし、悩んだ所でキモヲタでブサメンでピザでハゲでワープアでヘタレのおっさんである自分にとって、誰か相方を見つけるというのはとてもとても遠い所にあるゴールにしか思えない。それはとてもよく解っている筈なのに。 まず、どうすれば年齢相応の交流を広げられるのかがまったくわからない。何かを楽しむという感性が薄くなってしまった自分にとって楽しめるのはゲームだけだが、この歳でゲームコミュニティなんてただ浮くだけだ。それにただ長くやっているだけで、熱心にやっているわけでもないので、すぐに話題が続かなくなるだろう。 次に、自分みたい
最近断舎離の怖さに気づいた。気持ち悪さというか。 私はこんまりさんと似ていて学生時代に「捨てる技術」を読んでから、家族の中では比較的捨てる方だった。それでも、興味がある分野〜職業がそれなりにものが必要な分野だったので、物は増え、その度に数年に何度か減らして…を繰り返してきてた。 そして、捨てていくと出てくる大きな問題が同居人たちの「捨てない人」。私も例にももれず、捨てる人vs捨てない人のバトルになるのでネットで検索もしてみた。基本は、自分の物以外は触らない、という決着が付いているけれど、同居人のもので住居が埋まってしまってる場合もあるし、そうはいっても少しは捨てない人に整理してもらうことは必要だよなぁと思ってた。 ーーーと言った感じで、私は「捨てる人」側です。 なのですが、気になってたのは、ネットで色んな人の意見を読んでると、捨てる人のことを「病気」扱いする人が結構多かった。捨てない人も病
▼やる気 やる気がないと、どんな作業をしても効果はあがらない。 ちょっとしたイベントでもへこむと、すぐに最悪のやる気の状態になってしまう。 まずはやる気を最大の状態に持っていく事が大事。パワプロでいうピンクの超笑顔のやつ。 ▼体力 1日に、1週間に、出来る事は限られている。 どんな行動をしても体力は減っていくので貴重な体力を何に当てるかは考えるべし。 ▼走り込み 体力の最大ゲージがあがっていくイメージ。 ジョギングなどの運動していくことで、体力があがり、1日で行動できる事も増えていく。 ▼各能力値 どの能力をあげていくべきか、自分の判断が問われる。 オールラウンダーになるか、スペシャリストになるか。 オールAを目指したくなるけど、オールB、オールCくらいだと何の役にも立たない。 全体的に高めつつ、何かしたらでAを作らなければ。 (コミュ力、企画力、英語力、プログラミングスキル、簿記、、、)
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